「『福音書』解読」解読の部屋 ―キリスト教関係でいろいろ調べたり、話し合ったりしたこと。

記事の引用はフリーですが、必ず<「『福音書』解読」解読の部屋>とお書きください。

「わたしたちの本国は天にあります」

2016-12-20 12:02:45 | 小論
先ほど読んでいただいたイザヤ書も、お読みした福音書も、なんらかの「宗教」を信じていて信心深いからといって、神様に「望まれてない」ような者たちもいる、という厳しい内容でした。

ここで、聖パウロの言葉をもう一度お読みしたいと思います。

「しかし、わたしたちの本国は天にあります。」

この言葉を、苦しみのあるこの世とは違う「楽園」が天上にある、そこに入れる権利があるんだ、と理解するならば間違っています。

この地上での「苦しい生活」の現実を逃避する、そんな天国は、絶対にありえません。

苦しい家計、苦しい仕事、苦しい人間関係を逃れようとする、そんな「天国」はありえません。

人間にこの上ない苦しみや悲しみを与える災害、人の間を引き裂こうとする犯罪や戦争などといった「現実」から逃避するために「天国」を求めようとすることは、ありえないのです。

ましてや、そのような苦しい現実を「打破」するために、戦争を仕掛ける、戦争が出来ないなら無差別に人々を捕まえて殺す、そんなことはありえません。神の国建設のために、お金を騙し取る、そんなことはありえません。この世の生活を変えるために人を殺す、そのために「神の名」を用いる、そのようなことはありえないし、あってはならないのです。

「神様のために、人を殺したのだから、許される。」
そんなことは、絶対にありえません。

「神様のために、人を騙してお金を作るのは、許される。」
そういうことは、絶対にありえません。

「神様のためなんだから、しょうがない。」

「理想のためには致し方ないのだ。」

そういうことは、絶対にありえません。

「神の国はあなたたちから取り上げられる」

入れるはずの天国も取り上げられる時がある、という、この言葉を噛み締めましょう。

何度も言いますが、天国とこの地上で、善悪の基準が違う、そんなことは絶対にありえません。

だからこそ、互いに許しあう必要があるし、悔い改める必要があります。
人間の弱さを認め合うことが必要です。

そこに神の国の希望があるわけです。

「わたしたちの本国は天にあります」

この言葉に希望を見出すのでしょうか、絶望するのでしょうか、それが問われています。

天国のためと言いながら、この「地上」のことを望んでいるか、どうか、わたしたちは自分たちに常に問いかけていなければならないと思います。


2014年10月5日 聖霊降臨後第17主日

イザヤ書 5:1-7
「わたしは良いぶどうが実るのを待ったのに/なぜ、酸っぱいぶどうが実ったのか。」

フィリピの信徒への手紙 3:13-21
「しかし、わたしたちの本国は天にあります。」

マタイ21:33-42
「だから、言っておくが、神の国はあなたたちから取り上げられ、それにふさわしい実を結ぶ民族に与えられる。」
ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 預言者イザヤの「召命」 | トップ | 「カラマゾフの兄弟」論 ~... »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿

小論」カテゴリの最新記事

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL