FUKASHIHOJO.COM #2 愚螺牛・言の葉[悲しみ喜び、慈悲の中]

北條不可思【歌うお坊さん/浄土真宗本願寺派僧侶シンガーソングライター】

ENBAN “縁絆” concert endlesstour 2013~おかげさまでありがとう~/Message From Song & BowzuMan

2013-10-05 | Weblog

 

謹みて

 縁絆〔えんばん〕の表現活動は、祖国、性別、思想、信条、信教、人種、文化......を一切問わない音楽会・展覧会です。(縁絆は愚生の帰属する浄土真宗:佛教の伝道の自由を高飛車に押し付けるものではありません。信教は個人の責任において完全に自由です)

 同じ地球に生まれさせて頂いた者同士、すべてを超えて共に地球人として人生を歩めると願い続け、「真の縁と絆」を、求めて縁絆:ENBANを続けて参りました。たとえ、二度と会えなくとも大丈夫。究極、主人公は宇宙で唯一無二の存在である【貴方】ご自身です。気がつけば、なにもかもが「おかげさまでありがとう」です。

 そんな思いを深めながら続けさせて頂いています。

 縁あって私たちの国には、影を光と仰ぐ精神文化があります。太陽の光を映して輝く月を形容する文言のなんと多い事でしょう。なかでも、私は【月影】の一言がとくに好きです。空に浮かび、水に映り、孤独を慰める姿として月は古くから人の心を刺激してきました。闇夜を照らす月の光が、ひとりぼっちではないよ、と呼びかけているように感じる人は、私だけではないでしょう。そのような土壌のなかで、【おかげさま】を大切にする社会が育まれたように思えてなりません。そして、その【おかげさま】の心に、過ちを繰り返してしまう愚かさや虚しさを超えてゆける道があると信じます。相反し合う涙の河でさえも超えてゆきたいと願う思いは、国の境をも超えて共有できると信じています。

 これまでに愚生が出遇わせて頂いた、愚生にとっての他人種、他宗教の方々は、どなたも皆さん素敵な方々で、排他的でも、好戦的でもありません。国家やグローバル企業などの責任を担う方の場合、個人的見解だけでは判断出来ない事も多々あることとは拝察致しますが、過去の歴史やこれまでの経緯に固執せず、【今、ここから先】を清冽に見つめ、なによりも、どんな立場にあろうとも『私』は等しい存在だという大前提を忘れないで頂きたいと念願します。何故なら、いかなる人も長くても100年乃至の人生だからです。息子・慈音が身を持って教え示してくれているように、生まれながらに重度の障害を引き受けて生きる事も現実です。

 あれこれと相違を比べ合うよりも、不可思議にも在る【今】を共に見つめていけたらと願う気持ちが年ごとに深くなります。特に、先年に脳梗塞(右小脳・脳幹)を発症した際に、アッという間にこの世とおさらば......という体験をしたので、いよいよ『今、ただ今』を大切にしたい気持ちが深まります。

 東京仏教学院(築地本願寺)在学中、恩師・林水月和上(本願寺派勧学・故人)が「命にふたつある」というお説教をして下さいました。

 身体と心、それぞれのふたつの命です。ひとつの出来事にふたつの心が反応します。心の有様を見つめる事こそ万にひとつのチャンスであり、チャンスこそご縁なのだとお示しくださいました。

 生物としての命の状態は、心拍や血圧など数値に表すことが出来ますが、心の、精神の命の状態は合理的に説明できるとは限りません。けれども、その曖昧さを捉まえようとして機微を表す言葉が和国日本にはたくさんあります。

 愚生も、拙いながらもボブ・ディランの『風に吹かれて』の日本語詩を書いた時に、「過ちを繰り返す 涙の河を超えて」という原曲にはない一文をいれました。原曲にはない一節に願いを込めました。2002年、故郷広島の平和記念館ホールでのコンサートの折に発表し、以来、ずっと歌ってきました。大地から生まれた花はどんな花同志でも調和するとの思いを信じ、ニューヨークでも歌いました。今回も歌います。余談ながら、御当人は10月上旬は北欧ツアーで歌っているようです。今年73歳、敬服します。

 このたびの縁絆コンサートで、無理は禁物と釘を刺しておりますが、

愚生なりに皆さまと共に歩みたいと心から願っております。

                                 

~おかげさまでありがとう~

"歌うお坊さん"より願いを込めて~

Message From Song & BowzuMan

北條不可思

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