浄土真宗親鸞会 射水市周辺地区の紹介

富山県射水市を中心に、勉強会や講演会を開催している、浄土真宗親鸞会一支部の、日々の活動もようを紹介しています。

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雑行が棄たらぬ

2009年03月30日 | Weblog
 昨日は、お昼から親鸞会館の「願海」にて、そして夜からは高岡会館にて、富山県の支部学徒の研修会が行われました。

  高森顕徹先生の最近の御教導を、ビデオ御法話や最新号の顕正新聞の論説を通して、解説して頂きました。

  高森先生の最近の御教導は、以前、次のような御言葉でも教えて頂いたことがありましたので、紹介します。

「そのゆえは、もろもろの雑行をなげすてて」と、朝夕『聖
人一流の章』で教えられているが雑行が棄たらない。

 煙草のまない人に“煙草のむな”と言う人がいないように、
“煙草止めよ”、と言われるのは、煙草をのんでいる人にで
ある。

 同じく、雑行を棄てよ、と言われるのは、雑行をやってい
る人にである。

 雑行とは、一大事の後生に驚き、弥陀一仏に向かい、なん
とか後生助かりたいと思い、真剣に励んでいる諸善をいうの
である。

 後生助かりたいの思いもなく、真剣に諸善もせず、弥陀一
仏にも向かってない人に、雑行を棄てよと言っても、分から
ぬのが当然である。

 雑行と言われるものが、問題になるところまで進んでいな
いからだ。

 なぜ真剣に諸善もせず、弥陀一仏にも向かないのかと言え
ば、後生の一大事が問題になっていないからである。

 後生の一大事が、なぜ問題にならないのかと言えば、三世
因果の道理が徹底していないからだ。

 釈尊が先ず、因果の道理を教えられた仏意が知られよう。

 阿弥陀仏の19願は、少しは諸善ができる、少しは助かる手
がかりがあるだろうと思っている自惚れ心を粉砕し、雑行を
棄てさせる方便願である。

 この阿弥陀仏の19の願意を開説されたのが釈尊の『観無量
壽経』であり、“機の真実”が説かれた経とされている。

 因果の道理を信じて、実地に善に励むことの大切さが、知らされますね(><)
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8 コメント

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教えて下さい (初心者)
2010-07-31 22:42:52
このブログをはじめから読んでいます。
今回の内容で理解できないところがあります。
一つ質問してもよろしいでしょうか。
『後生の一大事が、なぜ問題にならないのかと言えば、三世
因果の道理が徹底していないからだ。』と書かれていますが、因果の道理が徹底するとはどういうことですか、またどうすれば徹底できるのでしょうか。
それともう一つ、『因果の道理を信じて、実地に善に励むことの大切さ』と最後に書かれていますが、『後生助かりたいの思いもない』我らが心から因果の道理を信じるようになるのでしょうか。どうすればなれるのでしょうか、いつなれるのでしょうか。
よろしくお願いします。
コメント有り難うございます。 (ふじたろう)
2010-08-04 12:57:37
コメントをありがとうございました。

親鸞聖人の教えを一緒に学んでいる人たちに向けて
載せているブログなので、初めて読まれる方には
十分な説明もなく分かりづらい点が多いと思います。

仏教の教えを知る上で、後生の一大事、因果の道理
について、まずよく知って頂きたいと思います。

後生の一大事、因果の道理という言葉を
知っておられるようですが、後生の一大事、因果の道理を
どのように理解しておられますか?
言葉の意味 (初心者)
2010-08-04 23:09:12
逆に質問されてしまいました。
私は以下のように理解しています。
まず、因果の道理は、お釈迦様が明らかにされた、三世を貫き何処でも成り立つ真理、『善因善果、悪因悪果、自因自果」のことです。
次に、後生の一大事ですが、「いずれの行も及び難き身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし」(歎異抄)とありますように、今生の悪因の報いとして、来世に受ける地獄必定の我が身が、阿弥陀仏の救いに遇えば、因果の道理を超越して極楽に往生できることです。

このような理解ではダメでしょうか。

お返事有り難うございました (ふじたろう)
2010-08-05 18:12:31
お返事のコメントをいただき、ありがとうございました。

仏教の言葉が、世間で誤用されていることが多いので、
失礼ながら、質問をさせて頂きました。

因果の道理について、おっしゃるとおり、
お釈迦様が教えられた

『善因善果 悪因悪果 自因自果』

の、いつでもどこでも成り立つ大宇宙の真理です。

後生の一大事について、蓮如上人が、

「後生という事は、ながき世まで
 地獄におつることなれば、いかにもいそぎ
 後生の一大事を思いとりて、
 弥陀の本願をたのみ、他力の信心を決定すべし」

と仰せのように、一息きれた後生、
無間地獄(最も苦しみの激しい世界)に堕ちて
苦しまねばならない一大事を、後生の一大事と言われます。

有名な『領解文』に、
「われらが今度の一大事の後生、おん助け候へ…」
と書かれてあるのも、一息切れた後生、地獄に堕ちる
一大事を、蓮如上人が教えられたものです。

ところが、私たちは、その後生に取り返しのつかない
一大事のあることも知らず、日々を過ごしています。

その私たちに、一大事の後生を知らせて教えてわからせ、
阿弥陀仏の救いに導かんとお釈迦様は教えを説かれました。

そのお釈迦様の教えが仏教です。

お釈迦様は、阿弥陀仏の救いに導かれるために、
七千余巻もの一切経を説かれる必要があったのです。

すべての結果には必ず原因がある、
原因なしにおきる結果は万に一つ、億に一つもない、
と教えるのが仏教です。

一息切れた後生、大変な苦しみの世界に堕ちていかねば
ならない、というのは結果です。

そのような結果を、なぜ受けねばならないのか、原因なしに
結果は生じませんから、お釈迦様は、そのことについて、
罪悪を造り続けている私たちの実態を、説かれています。

因果の道理は、この世だけでなく、三世を貫きますから、
造りと造った悪の報いは、後生に結果を開きます。

この三世因果の道理を知らずして、後生の一大事を知ることは
ありませんから、お釈迦様は45年間、因果の道理を徹底
して教えていかれました。

因果の道理を信じて、善に励みなさい、と説かれたのは、
他ならない仏教を説かれたお釈迦様です。

『善因善果 悪因悪果 自因自果』の因果の道理をご存知の
ようですから、詳しい説明は割愛させていただきますが、
善い行いをしなければ、善果は得られず、苦しむだけです。

もちろん、私たちには、出来ることと、出来ないこととがあります。
真剣にやろうとしない人には、どちらもハッキリしません。
どうしても、やらねばならない、と真剣に取り組んで初めて、
出来ることと出来ないこととがハッキリします。

仏教の教えをよくよく聞いて、光に向かって進ませて頂きましょう。

教えて下さい2 (初心者)
2010-08-06 23:40:37
私の思っていた後生の一大事とは少し違っていましたね。
それはさておき、どんな善をすれば、極楽に往生できる身になれるのでしょうか。
よろしくお願いします。

あと、御文章を調べましたが、ふじたろうさんが書かれた蓮如上人のお言葉が見つかりません。何帖目何通にあるのでしょうか。
これも是非教えて下さい。
後生の一大事 (ふじたろう)
2010-08-10 18:55:26

お返事が遅くなって失礼しました。

>私の思っていた後生の一大事とは少し違っていましたね。

「後生の一大事」といいましても、2つあることを
知っていただかねばなりません。

一つは、この世で信心決定した(阿弥陀仏の本願に救い摂られた)人が、
報土往生(極楽往生)、弥陀同体のさとりを得るという一大事です。
初心者さんの言われていた後生の一大事です。

もう一つは、現在、信心獲得していない人の一大事です。
以前、お示しした蓮如上人の帖外御文のお言葉、

「後生という事は、ながき世まで
地獄におつることなれば、いかにもいそぎ
後生の一大事を思いとりて、
弥陀の本願をたのみ、他力の信心を決定すべし」

これは、信心獲得していない人の後生の一大事を仰有ったお言葉です。

これは、帖外御文だけでなく、御文章の至るところに蓮如上人は、

「命のうちに不審もとくとく晴れられ候わでは、
定めて後悔のみにて候わんずるぞ。御心得あるべく候」
(御文章一帖六通)

「この一流のうちに於て、確々とその信心のすがたをも得たる人これなし。
かくの如くの輩はいかでか報土の往生をば容易く遂ぐべきや。
一大事というはこれなり」
(御文章一帖五通)

「この信心を獲得せずば、極楽には往生せずして、
無間地獄に堕在すべきものなり」
(御文章二帖二通)

「あわれあわれ、存命のうちに、みなみな信心決定あれかしと、
朝夕思いはんべり」
(御文章四帖十五通)

「そもそも、この御正忌のうちに参詣をいたし、こころざしをはこび、
報恩謝徳をなさんと思いて、聖人の御前に参らん人の中において、
信心を獲得せしめたる人もあるべし、また不信心のともがらもあるべし。
もってのほかの大事なり。その故は、信心を決定せずは今度の報土の往生は
不定なり。されば不信の人もすみやかに決定のこころをとるべし。
(御文章五帖十一通)

「されば、人間のはかなき事は老少不定のさかいなれば、誰の人も、
はやく後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏を深くたのみまいらせて、
念仏申すべきものなり」
(御文章五帖十六通)

等と御教示になっています。

2つある「後生の一大事」のうち、なぜ親鸞会では、
常に信心獲得していない人の一大事を重視するのかといえば、
ほとんどの人は信前(信心獲得していない)だと思っているからです。

お釈迦さまは『大無量寿経』の中に
「易往而無人」
と説かれています。

親鸞聖人は、この経文について、

「易往而無人というは、
『易往』はゆきやすしとなり、本願力に乗ずれば本願の実報土に生るること
疑なければ住き易きなり、『無人』というは、ひとなしという
ひとなしというは、真実信心の人はありがたき故に実報土に生るる人稀なり」
(尊号真像銘文)

と解説され、教行信証には、

「然るに、常没の凡愚、流転の群生、無上妙果の成じ難きにはあらず。
真実の信楽まことに獲ること難し」
(教行信証信巻)

「自ら流転輪廻を度るに、微塵劫を超過すれども、仏願力に帰しがたく、
大信海に入りがたし。良に傷嗟すべし、深く悲嘆すべし」
(教行信証化土巻)

と、この仏意を開顕しておられます。

蓮如上人は、同じく『御文章』に、

「この文の意は、安心を取りて弥陀を一向にたのめば、
浄土へは参り易けれども、信心をとる人稀なれば、
浄土へは往き易くして人なし、と言えるは、この経文の意なり」
(御文章二帖七通)

と、経文の意味を解説しておられます。

そして、

「この一流のうちに於て、確々とその信心のすがたをも得たる人これなし。
かくの如くの輩は、いかでか報土の往生をば容易く遂ぐべきや。
一大事というは是れなり」
(御文章一帖五通)

「しかれば、当時は更に真実信心を、うつくしく獲たる人、至りて稀なり
と覚ゆるなり」
(御文章二帖五通)

「近年、仏法は人みな聴聞すとはいえども、一往の義を聞きて真実に
信心決定の人これなき間、安心も疎々しきが故なり」
(御文章四帖七通)

「おおよそ心中を見及ぶに、とりつめて信心決定のすがた是なしと思いはんべり。
大に歎き思うところなり」
(御文章四帖十三通)

と悲歎なされています。

何時の時代でも信後の人は雨夜の星で、殆どの人は信前なのです。

ですから、

>私の思っていた後生の一大事とは少し違っていましたね。
>それはさておき、

「それはさておき」
などと、一言であっさり片付けられる問題ではないのです。

他の誰でもない、初心者さん、あなたの問題なのですから。
あなたの一大事ですよ。

仏法は、私たち、一人一人の大問題なのです。

その「後生の一大事」とはどんなことか分からなければ、
仏法は始まりません。

「後生という事は、ながき世まで
地獄におつることなれば、いかにもいそぎ
後生の一大事を思いとりて、
弥陀の本願をたのみ、他力の信心を決定すべし」

の蓮如上人の『帖外御文』のお言葉、
お分かりいただけたでしょうか。
三世因果の道理 (初心者)
2010-08-13 22:10:55
ふじたろうさん、大変丁寧に教えて頂きまして誠に有難うございます。
確かに、後生の一大事は私にとって大変な問題です。
そこで一番はじめの質問に戻るのですが、
『後生の一大事が、なぜ問題にならないのかと言えば、三世
因果の道理が徹底していないからだ。』とこの記事に書かれていますが、
ふじたろうさんは既に三世因果が徹底されましたか。
どのようにして三世因果の道理が徹底できたのでしょうか。
よろしくお願い致します。
初心者さんへ (ふじたろう)
2010-08-13 23:22:24

聴聞によってです。

初心者さんも、よくよく仏法を聴聞してください。

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