”ふじもん先生”の思い付きブログ。思ったことをそのまんまに・・・!

「ふじもん先生の旅プロジェクト」代表のふじもんが、想いのままに熱苦しくつぶやいております。押忍!

「2016~2017プチ旅」 北キプロス・トルコ共和国を知っていますか?

2017-02-11 19:27:47 | 日記
2017年2月12日。


僕たちは何気なく「国」という言葉を使うけれど、

国という存在はとっても不思議ですよね。


「北キプロス・トルコ共和国」という国をご存知でしょうか?


キプロスの北部にあるこの「国」は、隣国のトルコ以外、その存在を認めていない。


社会の授業で出てくるけど、国家の三要素には「領域」「国民」「主権」の3つがある。

それに加えて「他国の承認」というのもとっても重要で、

北キプロス・トルコ共和国は、いわゆる「他国の承認」を得られていない。


このように聞くと、この「国」はとっても恐ろしい存在のように聞こえるかもしれないが、

実は簡単に入国(入域?)することができるし、キプロスとの関係も落ち着いている。


僕はこの「存在しない国」に入るため、キプロスの首都、ニコシア(レフコシア)に向かった。










キプロスは、基本的にはキリスト教徒の国である。


そして北キプロス・トルコ共和国はイスラム教徒が住む地域である。

というか、事実上トルコ軍がその実権を握っているらしい。


ニコシアの旧市街のメインストリートを歩くと、やがて小さな事務所のようなものが見えてくる。




なんと、これが国境なのだ。

北キプロス・トルコ共和国に行くためには、ここでパスポートチェックを受けなければならない。

とは言ってもそれは簡単なもので、軽くピッとするだけで簡単に通してくれる。


安全だし全く問題はないと聞いていたが、さてさてどんな世界が待っているのか・・・。


と思いきや、国境付近はもはや観光地と化していて、キプロス側からやって来た欧米人でごった返していた。


危機感など全くない。

北側に入った途端にモスクが立ち並び、人々はイスラームの服装をしており、




北キプロス・トルコ共和国の国旗が上空をたなびいているものの、




とても平和な世界が広がっていた。


国境付近を離れて、僕は奥へ奥へと進んでいった。


キプロスに比べると、そこには物質的な貧しさは感じられた。








しかし、危険な雰囲気は全然なく、人々の普通の生活がそこにはあった。









※北側からの国境付近はこんな感じ。



その日のうちにキプロス側に戻って来なければいけないので、

僕は数時間の滞在の後、再びキプロスに入国をした。


これまで幾度となく陸路の国境を越えてきたけど、

「国」っていったい何なんだろうなぁ。


○○人とか○○国出身とかって、いったい何の意味があるのだろう?

キプロス島に引かれたこの境目には、いったい何の意味があるのだろう?



僕は仲良くなったキプロスの安宿の従業員のクリストスくんに、

「実際さ、キプロスの人は北キプロスのことをどう思っているの?」と聞いてみた。


「ん?いや別に、特別何かを思っているわけではないよ。今は対立もないしね。」

「ただ、かつては戦争があった。だからどうしても思うところはあるけど、それはそれだよ。

今の日本と中国の関係みたいなんじゃないかな。」



この地球という星に、きっと最初は「国境」はなかったはずだ。

だけど、人間という存在が生まれて、「国境」が引かれ出した。

そりゃあ動物だって縄張り争いをするわけだし、何かにおいて「境目」があることは別に悪いことじゃない。

だけど、人間で問題なのは、

生存のためや家族を守るためといったような目的を超えて、

私利私欲のために縄張り争いをすることなんじゃないかな。



国や国境について色んなことを考えさせられながら、

僕はまた「国境」を超えて、次の「国」へ向かった。


藤本正樹(ふじもん先生)


ふじもん先生ホームページ
http://fujimosensei.com/

著書『中学教師が行く、無計画世界紀行』
http://www.amazon.co.jp/dp/B00YO9OL3K/ref=cm_sw_r_tw_dp_9x5Bvb0HR324E
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「2016~2017プチ旅」 ”シュクラン”俺はおっちゃんを忘れない。

2017-02-09 13:56:00 | 日記
2017年2月9日。


現在、レバノンを訪れる日本人などほとんどいない。


だから、調べても調べても、安宿の情報などほとんど出てこない。


そこで、むか~しの「地球の歩き方」に載っていた安宿にとりあえず向かってみた。

それがこの「Pension Home Valery」。


弾痕の残るベイルート市内を歩き、






途中でレバノン人やシリア人と交流を深め、


ようやく辿り着いた、宿の入り口。




「おお、なんか綺麗そうじゃないか!」

そう思って中に入っていくと、あれ?


なかなかに古くて汚いビルじゃないか・・・。


いいね、こういうの好きだぞ俺は!

こういう環境にすっかり慣れているし、ちょっとそれが快感でもある(笑)。


さて、いよいよレセプションに入ると・・・

いいね!この不思議な雰囲気のおっちゃん!


通された部屋は、おお!


いいね!久しぶりのかなりきったねぇ安宿だ!

シーツも毛布も枕カバーも取り替えた様子なんて一切ない。

それどころか、部屋の中がシーシャ(水たばこ)臭くて仕方ねぇ!

いいね、好きだぞ~こういうの!


さて、電気を点けるか・・・あれ?


いいね!こういうの!

インドのデリーで感電した時とかなり同じようなスイッチ。

いくらなんても飛び出すぎだろ!


さて、ちょっくらおしっこに行くか・・・

おお、いいね!きったねぇトイレ&シャワー!




燃えてくるんだよな~こういうの!


と、ここまではいいとして・・・。


僕はこの宿のおっちゃんとかなり色々話をした。

この宿では、格安でシーシャを提供してくれる。

しかも希望すればビールまで売ってくれるのだ。

本来であればイスラム教徒には禁止されているアルコール。

しかし実際には、お酒を飲むムスリムはかなり多い。

ということで、シーシャとビールという不思議な組み合わせを楽しみことができた!


このおっちゃんは僕のことを「モト!」と覚えてくれた(笑)。

突然部屋に入って来て、「モト!シーシャやるぞ!」と叫んできたり、

頼んでもいないのに「モト!ビール飲むぞ!」と叫びながら勝手に持ってきたり、

僕が宿に戻ってくると、「モト~!」と言って抱き着いてきたりと、

変わってはいるけど人懐っこくと面白いおっちゃんだった。


そしていつもビールを飲み続けているので(笑)、基本いつもフラフラしている。

それってただのアル中じゃねぇのか?って気もするけど、

まぁとにかく変なおっちゃんだった。


シーシャを準備してくれるおっちゃん。




僕はビールを飲みながら、その様子を見ていた。


おっちゃんは片言の英語しか話せないけど、それなりに意思の疎通は図ることができた。


「おっちゃんはレバノン出身なの?」

「いや、シリアだよ。ダマスカスから来たんだ。」

「そうなんだ・・・今シリアはどんな状況なの?」

「まさに戦争だよ。毎日爆弾が飛び交っている。だから俺は逃げてきたんだ。」

「そうだよね・・・家族はどうしてるの?」

「両親は戦争で死んだ。弟と妹はまだダマスカスにいるんだ。」


なんと、兄妹はシリア国内にいるというのだ。


「俺は兄妹が心配で仕方ない。だから毎日電話で話をして、無事を確認しているよ。」

「そうか、そうなんだね。でも、どうして兄妹はシリアに残っているの?こっちには来ないの?」

「ん?レバノンにか・・・?」


おっちゃんは、そのことには言葉では答えてくれなかった。

でも、目が答えていた。


そこには、光るものがあった。

そして・・・これはたぶんだけど・・・

ビザが取れないのか、あるいは政治的な圧力で動けないままでいるのか、

きっと、そういった事情があるのだと僕は察した。


平和な日本にいると、「難民」だとか「ビザが取れない」だとか、そういったことには無縁である。

だけど、世界には必ず、こういった事情で苦しんでいる人や家族が存在し続けている。

戦争で苦しみ続けている人々が、たくさんいるんだ。


ちょっと愉快なおっちゃんは、実は心に大きな傷を負ったシリア難民だった。

ベランダで外の景色を眺めながら、おっちゃんは言った。






「俺は幸運だよ。こうして宿の仕事ができているからね・・・。」


ベイルート市内の難民キャンプでは、もっと厳しい状況のシリア難民が何人もいた。


高層ビルと豪華なショッピングモールが立ち並び、砂漠の中でアイススケートを楽しめる中東、それもまた真実。

しかし、今を生きるために必死に逃げてきた難民が苦しんでいる中東、これもまた真実。



中東は、深い。

これが、この矛盾が、世界の真実でもあるのだ。


僕は毎晩、このおっちゃんと共にシーシャとビールを楽しみ、一緒に時間を過ごした。


色んな話をした。

「モト!モト!」と、いつも大きな声で呼んでくれた。

そんな愉快なおっちゃんの両親は、内戦で命を落としている。

兄妹は、未だに激戦地の中にいる。


おっちゃん、俺と話をしてくれてありがとう。

一緒に時間を過ごしてくれて、本当にありがとう。

最初は「なんか変なオヤジだな~」と思っていたけど、

おっちゃんの心には、深い深い傷があったんだね。

それなのに、俺に色んな話をしてくれて本当にありがとう。



俺は一生、「Pension Home Valery」を、そしておっちゃんを忘れない。

1日も早く、世界に誇れる素晴らしいシリアが戻ってきますように。


藤本正樹(ふじもん先生)


ふじもん先生ホームページ
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「2016~2017プチ旅」 パレスチナ難民キャンプ訪問レポートvol,4「スール」

2017-02-04 19:37:03 | 日記
2017年2月4日。


ここはレバノン南部の都市、スール(ティール)。


レバノンはイスラエルと長らく対立しており、

約10年前の2006年には、ヒズボラ(レバノンのシーア派系イスラム原理主義政党)とイスラエル軍との激しい戦闘があり、

レバノン南部はその舞台となった。


「イスラエルにほど近い場所にある人々のリアルを感じたい」


僕はベイルートからバスに乗り、サイダを経由してスールへと辿り着いた。


ちなみに、途中で立ち寄ったサイダは素晴らしい街でした!

良い意味で観光化しておらず、まさに「中東のリアル」な生活がそこにはありました。



















スール。







美しい地中海に面した港町。








バスを降りて海岸沿いを歩くと、左手に「大きなサイコロ状のブロック」が積み上げられているのが見えた。


それは、ベイルートで見たものと同じ光景。

そう、パレスチナ難民キャンプの目印である。


ベイルートと大きく異なるのは、その周辺に全くと言っていいほど兵士の姿がなかったことだ。

僕は近くの住民に聞いてみた。


「この中に入ることはできるの?」

「ああ、もちろん大丈夫だよ!パレスチナ難民のひとびとはみんな良い人ばっかりだよ!」

「危険?あははは!全然そんなことはないぞ笑!」



・・・ベイルートとは全く異なる反応だった。

これはいったいどういうことなんだろう?


地元の人々の言葉を信じ、僕は難民キャンプの中へと足を踏み入れた。


入ってすぐ分かった。

「明らかに空気が違う。」


前にも書いたけど、人々が紡ぎ出すオーラはその場の世界を創り出す。

明らかに、この場には危険な匂いがしなかった。


キャンプの中をほんの少しだけ歩いていた僕。




突然、おじいさんから声をかけられた。


「お~い!中に入っていけ!休んでいきなさい!」(みたいなことを言っていたのだと思う)


そこは自転車の修理屋さんだった。

おじいさんは僕をソファーに座らせてくれて、満面の笑みで話しかけてくれた。


「どこから来たんだぃ?」

「僕は日本人です。東京から来ました。」

「東京?日本人か!ちょっと待ってなさい!」


と言うと、家族と思しき子どもたちや若者(どういう関係なのかは分からないのだけれど)を続々と呼んでくれた。




そこには全く敵意などなく、心から僕を歓迎してくれているようだった。


「見ろ、この人は日本人だぞ!」

「そうなんだ、この国は日本の製品で溢れている。本当にすごいよね!」

「うちの店にもたくさん日本の製品があるよ。」


「この子を見て!今2歳なの。可愛いでしょ?」



信じられないかもしれないが、まるでホームステイに来ているかのような雰囲気になってしまった。


ここはスール。ベイルートよりもさらにイスラエルに近い街。

僕は、更なる緊張感を予想していた。

ベイルートからの道でも何度も検問があり、パスポートを見せる度に怪訝な顔をされた。

バスから降ろされずに済む度に肩をなで下ろしていたのだが、

スールの街中や難民キャンプの雰囲気はそんな緊張感とは程遠いものだった。


「ねぇねぇ、うちに遊びに来てよ。家を案内してあげる!」

一人の女の子が僕の腕を掴んで引っ張ってくる。

学校で英語を勉強しているようで、少しだけ言葉での会話ができた。


僕は彼女の家にお邪魔させてもらった。

庭にはたくさんのニワトリを飼っており、すごく明るい雰囲気の家だった。


しばらくすると、なんとお母さん方まで笑顔で玄関から出てきてくれるではないか!


一般的に、イスラム教徒の成人女性は家族以外の男性と顔を合わせることはないし、

ましてや外国人と笑顔で話をし、さらには写真まで撮らせてくれるなんてことは絶対にない。

このフレンドリーさは、いったいどういうことなんだろう・・・?


「マサキ、お腹空いてるでしょ?ゴハンをご馳走するね!」

ということで、レバノン風サンドイッチまでご馳走になってしまった。


相当長い時間、僕はこのご家族のお世話になってしまった。

最後はベイルートに戻るバスの乗り場まで案内してくれたのだ。

バス乗り場には、滅多にみることなどないのであろうアジア人の姿を見て、

子どものようにはしゃぐ地元のおっちゃんたちがたくさんいた。




最後の最後までお笑顔を絶やすことなく、僕はスールの難民キャンプを後にした。


レバノンに限らない。

どこに行っても、パレスチナの人々は日本に対して良いイメージを持ってくれている。

これはいったいどういうことなんだろう。


ただ、これだけは言える。

もしそうであるなら、それが事実として世界の一部分に存在しているのなら、

僕たち日本人に与えられた役割は、中東に対して「何か」ができる役割は、きっとあるのではないだろうか。



笑顔が絶えなかったこの時間の中で、たくさんの温かさをいただけたこの時間の中で、

一度だけ、おじいさんが涙を流す場面があった。


壁に掛けられた一枚の写真。

自転車の部品の中に埋もれるように掲げられた、一枚の写真。


「この子は俺の息子だ。イスラエルとの戦争の犠牲になってしまったんだ・・・。」


おじいさんはその話の時だけ、涙を流していた。

でも、おじいさんはイスラエルの話を長くすることはなかった。

恨みや憎しみを、僕に語ることはなかった。

すぐに笑顔を取り戻し、明るく家族に話しかけていた。


たくさんの温かさに触れることができたこの時間。

だけど、僕の心に一番刻まれたのは、


おじいさんの涙だった。


藤本正樹(ふじもん先生)


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「2016~2017プチ旅」 レバノン杉を見に行きませんか?

2017-01-27 13:46:40 | 日記
2017年1月27日。


「中東」とか「レバノン」というだけで、

私たちはその国や地域は「こういうところだろう」と決め付けてしまいがちではないだろうか。


こんな美しい雪山の景色があり、


こんなに趣のある街並みが広がっている。



優しい人々。

腹が減ったので立ち寄ったメシ屋のご夫婦。


笑顔で僕を迎えてくれて、とっても親切にしてくれた。


移動のために3回ヒッチハイクをしたけど、

あっという間に乗せてくれた。


危険な雰囲気なんて、微塵もない。

だけど、ここは外務省の渡航情報ではレベル3の場所なのだ。


レバノンに来たら、どうしても行きたかった場所。

それは、あのレバノン杉の群生地。


乱伐されたレバノン杉は、今や1200本しか残っていないという。


そこに向かうためにベイルートをバスで発ち、


「危険」だと言われているトリポリを経由して山の中へ。


美しく穏やかで、ベイルートとは全く異なる世界が広がっている。











レバノン杉の群生地まではタクシーで行くしかないというのだが、

「往復で20ドルだよ!」と言いやがる(笑)。


それはあまりに高すぎるので、ヒッチハイクで向かうことに。

サクッと乗せてくれたおっちゃん。


「俺の娘のダンナは日本人なんだよ!ほれ、写真もあるぞ!」

本当に日本人なのかは分からないけど、「ケンジ、ケンジ!」と言っていた(笑)。

とっても日本びいきで、優しいおっちゃんだった。


レバノン杉の群生地は、まさに雪の中に在る。






ちょっと先にはスキー場があり、リフトも見えた。



中東のレバノンにスキー場があるなんて・・・

日本人の僕たちにはなかなか信じられない。


これが見たかった。レバノンでは、絶対にこれに触れたかった!








子どもの頃から、「なんでこの国の国旗には木が描かれているんだろう?」

ずっとそう思っていた。

それがレバノン杉だと知ったとき、「いつかこの木に触れてみたい」と直観的に感じていた僕。

ついに、それを見ることができた。


ただの木々なんだけど、されど木々。

嗚呼、実は一人でメッチャ感動していたのでした(笑)!



群生地の前はこじんまりとした商店街みたいになっており、

お土産屋や軽食屋が軒を連ねている。






レバノン杉で作られたキーホルダーを買い、お土産屋のおっちゃんと色々遊んで(これがまたいいおっちゃんだった)、




再びヒッチハイクで麓街まで戻る。


世界に共通していること。


人々には、みんな「愛」がある。

いや、「愛」しかないよ。

僕たちは先入観で物事を決めてしまいがちだけど、

それはやっぱりいけないな。



人間が決めた情報で、ある特定の人間の決定で、

ここは「危険地帯」になっている。

でも、それって何なのだろう。


この美しい景色のレバノンの田舎は、

いつまでもいたくなるような、最高の場所だった。

温かい人々しかいなかった。

外務省を否定するとかじゃない。

だけど、ここが渡航情報レベル3の場所だなんて、

とても信じられない。


私たちは様々な情報に触れ、見、考え、判断をしているけど、

信じるべき拠り所は、いったい何なのだろう。



僕は極力、自らの五感で触れたもの以外は、信じ切らないように努めている。

参考にはする。でも、信じ切らない。

そう努めている。


世界は広い。そしてやっぱり面白い。


でも、今僕がここにいるこの場所も、そんな世界の一部であって、

僕も世界の一部である。


この美しいレバノン杉の思い出を忘れたくないと強く思った僕は、

綺麗な湧水をペットボトルに入れて、帰りのバスに飛び乗った。



藤本正樹(ふじもん先生)


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「2016~2017プチ旅」 パレスチナ難民キャンプ訪問レポートvol,3「ボルジュ・バラージュネ」

2017-01-24 12:26:26 | 日記
2016年1月24日。


※今回も写真はありません。前回の尋問があったので、カメラを出せませんでした。

前回と同じく、本文とは関係のないレバノンの人々との写真を載せております~。


「ああ、入っていいよ」の軍人の合図で、ボルジュ・バラージュネの中に僕は足を踏み入れた。


僕は人気のない裏道に出た。

少し歩くと、メインストリートと思しき大きな通りに出た。


何か・・・何か雰囲気が違う。

人々の目も冷たい。

何かをされるわけではないが、明らかに空気が違う。


以前のブログで「人々の気持ちや社会全体が醸し出す空気はすごい」と書いたが、

それと同じだ。

その場のオーラが、その場そのものを作り出す。


「おい、オマエ何をやっているんだ?」

誰かが声をかけてきた。

軍人だ。

さっきと同じだ、僕に自動小銃を向けている。


「オマエ、なんでこんなところにいるんだ?」

「ここで何をしているんだ?」



「僕は日本人だ。日本では色んな学校で先生をしている。」

「ここへは難民のキャンプの現状を学びに来た。僕の専門は社会科、特に政治や経済など公民分野が専門なんだ。」



僕は先ほどと同じ答えをした。


しかし、その後が先ほどと違った。


「よし、荷物を全部見せろ。上着も脱ぐんだ。」


もちろん怪しいものを持っているはずもない。僕は荷物を見せた。

同時にパスポートも渡した。

しかし、問題は上着を脱いだときだった。


今回、僕は動画を撮るために小型のビデオカメラを持って来ていたのだが、

手ぶらで撮影ができるよう、胸にカメラを取り付けるためのバンドを付けていた。


そこにカメラ自体は付けていなかったのだが、上着を抜いて胸にバンドを付けているなんて明らかに怪しい。


「なんだそれは!まさか爆弾か?」


2人の軍人は僕にガチで自動小銃を構えた。

これは本当にまずい。


「違う違う、これはカメラをつけるためのバンドなんだ。もちろんこのキャンプの中では撮影していない。」

「よく見てくれ、爆弾じゃないし、パスポートだって本物だ。よく見てくれ!」



1人の軍人が僕のパスポートを確認し、もう1人が僕のバンドを触りながらチェックする。


そして、ただのバンドだと分かってくれた。パスポートも僕に返してくれた。

僕は本気の本気で胸を撫で下ろした。


そして、僕が日本人だと分かった途端、一気に彼らの態度は変わった。


「しかしどうしてここに来たんだ?先生なのは分かったが、ここは安全じゃないぞ。」

「ほら、あそこを見ろ。写真が飾ってあるだろ?ついこの前、あそこでテロがあったんだ。」



ここはレバノン。

内戦の続くシリアのすぐ隣の国。

そこにはやはり、テロの脅威がすぐ近くにあるのだ。

僕に向かって「爆弾か?」と言ったのも、テロの脅威が本気であるということなのだ。

そのことは分かっていた。頭では分かっていたけど・・・

僕はそのことを、今まさに心で感じた。


しかしその後、軍人たちとこんな話で盛り上がった。

このやり取りが、その後の僕の運命を変えてくれたのだ。



「そう言えばこの前のサッカー見たか?日本のクラブチームが決勝まで行ったよな?」

「そう!レアルマドリードといい勝負をしてたね。カシマ・・・なんだっけ!」


「あ、それって鹿島アントラーズのことだね?」

「そうそう、アントラーズ!いい勝負だったよ!」

「ありがとう!僕は昔鹿島の学校で先生をしていたんだよ!」(これは本当です)

「おお、そうなの?すごいじゃないか!」

「いや~日本はすごいな!この国は日本の製品だらけだし、サッカーも強しい!」



先日のクラブワールドカップの話で、僕らは一気に盛り上がった。

僕ら3人だけじゃなく、周りの人々の一緒に盛り上がってしまった。


「マサキという名前なのか、オマエはグッドボーイだな!」

「これ以上この中にいるのは良くないからな。俺が送って行ってやる。」

「オマエだけでゲートに行くと、たぶん別の軍人に捕まってしまうからな。俺のバイクの後ろに乗れ!」



そう言うと、なんとその軍人は自分の原チャリを持ってきてくれて、僕を乗せてくれたのだ!

鹿島アントラーズが僕を救ってくれた。そう言っても過言ではないだろう。


2ケツをしてメインストリートのゲートに向かう。するとなんと・・・!


そこには長厳重はゲートが・・・!


なんてこった、僕はたまたま裏口から入れてしまっただけで、実はこんな厳重な監視がされていたとは・・・。


僕は本気で身震いをした。

もしこの軍人さんが僕を送ってくれなかったら、僕はここから出ることさえ厳しかったかもしれない。


これをラッキーと言っていいのか分からないけど・・・

ラッキーだ。本当に助かった。


「ベイルート市内に帰るんだろ?あのミニバスに乗れば市街まで行くからな。気を付けてな!」


最後に僕らは握手を交わし、ミニバスに飛び乗った。


ボルジュ・バラージュネの滞在は1時間にも満たなかった。

しかし、僕は本当に貴重な体験と、場の空気を感じることができた。


レバノン。

中東の紛争地の狭間にある国。

その現実を、僕はまざまざと感じさせられた。



どんな状況であっても、人々は生きている。

力強く生きている。

優しさと愛を心に持って生きている。

しかしまた同時に、この地球上では確実に戦争も起きている。



争いの原因はあまりに複雑で、そう簡単に収められるものではない。

しかし願うしかなくても、僕はただ中東が平和になることを祈りながら、ミニバスに乗っていた。


藤本正樹(ふじもん先生)


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