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モリエール『人間ぎらい』(新潮文庫、内藤濯訳)

2018-02-22 | 書評「マ行」の海外著者
モリエール『人間ぎらい』(新潮文庫、内藤濯訳)

主人公のアルセストは世間知らずの純真な青年貴族であり、虚偽に満ちた社交界に激しい憤りさえいだいているが、皮肉にも彼は社交界の悪風に染まったコケットな未亡人、セリメーヌを恋してしまう――。誠実であろうとするがゆえに俗世間との調和を失い、恋にも破れて人間ぎらいになってゆくアルセストの悲劇を、涙と笑いの中に描いた、作者の性格喜劇の随一とされる傑作。(7文庫解説より)

◎伝統の悲劇から喜劇へ

モリエールは、貴族的裕福な家に生まれました。シラノ・ド・ベルジュラックらとともに唯物論を学びながら、演劇の世界に傾倒してゆきます。年上の女優マドレーヌ・ベジャールに恋をし劇団一座を興しますが、やがて破産します。その後、各地を巡業しながら、イタリア喜劇に興味をもちはじめます。
 
プチ・ブルボン劇場での出演許可を得ましたが、上演した悲劇はことごとく失敗に終わります。この時点でモリエールは、本格的に喜劇と取り組みはじめました。1655年から上演した喜劇「粗忽者そこへ」や「恋の恨み」が評価を得て、「才女気取り」で人気が沸騰しました。
 
当時の演劇は、悲劇であることが伝統でした。モリエールは亜流だと、仲間うちの批判にさらされることになります。モリエールはつぎのように、それらのやっかみを切り捨てました。

――喜劇は悲劇に比べて、まさるとも劣らぬジャンルであること、ドラマとは必ずしも外面的な動きばかりでなく、人間心理のなかにも存在すること、そして演技は従来の誇張されたものではなく、あくまで自然でなければならないことを強調した。(「新潮世界文学小事典」より)

主人公のアルセストは、世間知らず、清廉潔白、生真面目な貴族です。年齢は定かにされていませんが、30歳後半くらいと推察できます。彼はフランス社会に憤りを感じています。特に偽善に満ちた社交界には、許しがたい感情を抱いています。
 
そんなアルセストが、若い未亡人・セリメーヌに恋をします。彼女は社交界の悪習にどっぷりと浸かり、若い伯爵たちを手玉にとっています。舞台は全5幕で構成されています。登場人物は少ないのですが、かみあわない会話が矢つぎばやに展開されます。何度も笑ってしまいました。
 
ちょっとだけ、会話の妙を味わってもらいたいと思います。セリメーヌは第2幕第1場から登場します。アルセストはいきなり「あなたのなさり方は、僕にはどうも得心が行かない。僕は、気が揉めてもめて、しょうがない」とセリメーヌに迫る場面です。

(引用はじめ) 
セリメーヌ:すると、どうやらあなたは、喧嘩を吹きかけようと思って、わたしを家まで送って来たようじゃありませんか。
アルセスト:いや、ちがう。でも奥さんは、訪ねて来る人があると、すぐだれにもなれなれしい素振りをなさるんだが、あなたのそのやり口がよろしくないんです。だからあなたのまわりには、憎からず思われようという連中が、うるさいほど押し寄せてくるんです。僕はそれを、とても平気で見てはいられないんです。    
セリメーヌ:するとあなたは、どなたにも愛想よくするのが不都合だとおっしゃるのね。だって皆さまがわたしを好きで訪ねていらっしゃるんだもの、それをいけないと言うわけには行かないわ。皆さまがわたしに会おうとうれしい骨折りをなさるのに、棒を持ちだして追払うわけには行かないじゃありませんか。       (引用おわり、本文P32より)
 
◎モリエールのような作品は書けない
 
モリエールのような登場人物は、どんなに熟達した劇作家でも、日本人には書けません。貴族はいませんし、社交の場もありません。アルセストは八方美人ではなく、訪問者に歓迎度合いの優劣をつけろと迫っています。つづきをご紹介したいと思います。

(引用はじめ)
アルセスト:いや、棒なんかどうでもよろしい。もっとみんなに、隔てのある、無愛想な仕向けをしていただきたいんです。(後略)(引用おわり、本文P33より)

アルセストは、セリメーヌの恋人ではありません。一方的に彼が彼女に恋しているレベルです。アルセストは、不思議な思考回路をそなえています。それが相手には伝わりません。本書の楽しさは、腹の中で笑うたぐいのものではありません。剛速球と変化球が読者というミットに、交互に投げこまれるような感じなのです。

あるいは、コインの表に喜劇、裏側に悲劇があって、それがくるくると回っているような感じです。モリエール作品のルーツは、古代ローマ時代の古典にあるようです。また吉本新喜劇に影響をおよぼしている、との記述も見つかりました。 
 
私はアルセストによく似た、部下をもったことがあります。実直で生まじめで怒りっぽい。そこまでは似ているのですが、彼の言動からは「喜劇」を読みとることはできませんでした。
 
アルセストもセリメーヌも魅力的に描かれていましたが、私はアルセストの友・フィラントの役まわりに感心しました。彼はすべての球種を捕球する、名キャッチャーなのです。
(山本藤光:2009.12.16初稿、2018.02.22改稿)


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