80ばあちゃんの戯言(2)

聞いてほしくて(つづき)

86才の覚悟

2016-11-27 11:24:59 | 最近の出来事
今日のブログをご覧になられる方々は、いよいよ

80ばあちゃん頭に来たかと思われるかもしれません。

(笑い)

そう思われても仕方のない年齢です。デモ、デモ、私

は、大真面目です。



このところ、私は大好きな囲碁にはまっていました。

デモ、囲碁は一緒に囲碁を打っていただける人が居ない

ことには上達は望めませんし、励みにもなりませんし、

楽しくもないのです。

この秋は、囲碁初心者の私に対して、”待った”をしたり、

最後に数える時に策略を用いて、地を数える時にごまかし

たり、そんなにまでして勝ちに拘りたいのかとあきれる程

のことがままありました。勿論そうではない方々が殆どで

したが、其の上、あるグループの方からあることで濡れ衣

を着せられた上、真実を知らないで、初めてそこで見かけ

た人たちにまで、私がしてないことで、罵倒され続けまし

た。

本当に、何を言っても私の言葉は聴いてももらえず、彼女

が嘘をついていた人を信じて、私をののしり続けたのです。

私は、そんなけちなことをしたことは一度もありません。

本当に、ショックでした。デモ嘘をつく人はその上塗りは

また嘘で固める人でしょうから、上手だと思います。そんな

人に、嘘をつけない人間は勝てるはずがありません。

私は体調が悪いからといって、その関係を絶ちましたが、

他の方とお会いしたいし、碁を打ちたいしでしたが、あき

らめました。お釈迦様もお若い時にひどい目に合わされて

同じ様な決断をされたと聞きました。


月に二度だけご一緒できるグループの方々は紳士でそんな

ずるいことはなさいませんのでとても嬉しいのですが、

デモ、月に二度だけではあまりにも少ないのです。

日本棋院の方へ行けば、多少ちゃんと打つ方にお会い

できるかもしれないと、23日の級認定試験にチャレンジ

してみたのですが、最所のお相手は新幹線できたという方

で、とても紳士的な方で、打った後、

”どうやったら石が取れるのか解りました。勉強になり

 ました。優勝まで行ってください!”

 と握手してくれました。

次の方は女性でもう五年もの間月5回はうち、あちこち大会

にも出ておられるという方で、とても勝てる相手ではありま

せんでしたが、気持ちよく終わって、ご一緒にお茶を飲み、

三笠山やら、飴など差し上げたり出来ましたが、三人目の方

がひどい方でした。

その男性は終わった後、ここも、此処も本当に上手に取られ

ましたねと、言いながら、最後に、私の白地と彼の黒地の

並んでいたところで、私の白地約30目を自分の地だと言い

張りました。あっけにとられました。どう考えたって、白地

のところを黒だと言い張られたのです。

私は手を挙げて審判を呼ぶことも考えましたが、言い争いは

出来ない性質ですし、その先につかれる嘘が予測できません

のでしたし、大声で喧嘩したくもなかったのです。


それで負けてしまいましたが、その男性は言い訳のように

ずるい人だと、碁盤の横で石音を立て、相手が、打ったと

誤解させて、相手がどこかに打ったら、反則までだと言って

勝利を手にする人も居ると言われました。

何をか言わんや!  そんなことをして勝って楽しいんで

しょうか?  


その後、私は次の自分の相手が決まるまで係りの人たちの

前に立っていましたら、私が、何か言いつけ口をするかと

思って、彼はずっと私から目を離しませんでした。

最後の試合は1級下を望んでおられた方で、強いと思いま

せんでしたが、私は、前のことを引きずってしまって、

気乗りがしませんで、はじめは勝っていたんですが、最後

に負けてしまいました。

デモ、係りの方には楽しかったですとねぎらって帰っては

きましたが、、。



帰りの半蔵門線の中で素敵な60台の女性と隣り合わせになり

ました。

その方とおしゃべりする中で、若い頃は丸の内三菱中9号館に

勤めていましたが、今日は、ほぼ65年ぶりに有楽町へ行きま

したと話しましたら、

”お幾つですか。まさか5才や6歳の時にお勤めしていたわけ

 はないでしょう?”

”86歳になりました。半ボケばあさんですよ。”

 と言いましたら、

”アラ、そんなに大きな荷物を持って、お一人で、有楽町へ

 行って、 囲碁を打って帰ってこられたなんてお元気ですね。

 お肌もつやつやしているし、おしゃれで、私は60半ばです

 から、70ぐらいかと思いました、きれいにしていれば、

 若々しく過ごせるんですね。 希望が出てきました。

 元気をいただけました。 丸の内は行かれましたか?”

 といわれたので、行ってないとお答えすると、八重洲側は

 三井グループが、丸の内側は三菱が再開発してすばらしく

 なっています。この次は是非、丸の内へ行って見てくだ

 さい”と言われたので、

 ”思わず奥様は大使館員のような方ですね。 観光客にも

 教えてあげたいです”と言ってしまいました。

 その後直ぐに電車を下りられたのですが、お名残惜しい

 出会いでした。



 思わぬところで、素敵な方と出会い、心が和みましたが、

 また、翌日、囲碁のマナーの悪い方々のことを思い出して、

 しまいました。



 今朝起きて、テレビを見ていて、外国の方々を見てはっと

 したのですが、囲碁ばかりに夢中になっていた自分に気が

 つきました。私が目指していたことは、世界の人と楽しく

 過ごせる未来を子や孫、曾孫に、残せるように例え微力で

 も、自分なりに努力することだと思っていたのですが、最近

 は囲碁ばかりに夢中になり、語学は録画するものになり始

 めていました。

 

今は自分の周りの友達が段々おかしくなっていき、辛いこと

が多くなりましたし、この年齢では何時、何かで人生が終わ

ってしまう事の方へ頭が行ってしまっていたのですが、其れ

でも生きている限り、遠くに目標を定めて努力していかなけ

ればいけないのではないかと反省しました。

私は6年生のこどもさんたちに戦争体験談をするときに、

最後に必ず付け加えることにしているのは、私達は世界の人々

と仲良くするために、心があれば言葉がわからなくっても通じ

合えることはありますが、少しでも言葉を勉強し、謙虚な気持

ちで仲良くしていってくださいと言うのです。 

私の亡くなった親友が何時も中国語なんて私達は漢字を知って

いるから、筆談で大丈夫通じるとよくいっていたのですが、

私はその危険さを知っています。

例えば、手紙と書けば、トイレットペーパーのことになり、

日本語の手紙は信になります。そのくらいはマアいいのですが、

”留守”と言う言葉は留まる所を守るわけですから、中国語

では絶対居ると言う意味なのです。

日本では反対ですから、謙虚な気持ちで確かめてお伺いすれば

いいのですが、さもないと喧嘩になりかねません。

私は今まで長い間、いろいろの言葉を勉強してきたのですが、

段々疎かになってきていました。

今の私の体力ではオリンピックまではとても生きられないと

思ってきましたけれど、今朝は考え直しました。

今までと違い言語の数を減らして勉強しなおそうと思っています。

90歳の私が、お役に立てる場面は難しいかもしれませんが、

それでも、挑戦することの方がずっといいではないかと思って

いますし、健康のことも私なりに研究してきましたので、駄目もと

精神で頑張りますわ!!!”


                   (大笑い?????)

5 コメント

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Unknown (たゆう母)
2016-11-27 22:33:34
有楽町に行かれたのですね。
我が家もよく有楽町や丸の内に行きますよ!
お目にかかれたら、と思いますが、
さすがに広くて偶然は難しそう(笑)。

いくつになっても、
いろいろなことに興味を持って、
目を輝かせていたいものですね!!
ありがとう (80ばあちゃんの戯言 2)
2016-11-29 16:06:27
たゆう母さん

何時も有難うございます。

NHKの語学番組も年々進化していて、本当に面白くなっていますので、楽しくなりました。昔はあまりにも型にはまりすぎていて、普通に使えるチャンスがあるかと思うこともありましたが、今年の4月からの番組をずっと録画していたのですが、とても使えるものが増えていて、楽しくなりました。
ありがとう (80ばあちゃん大戯言2)
2016-11-29 16:09:34
たゆう母さん

追伸

デモ、せっかく覚えつもりでも
本当に記憶できているのかどうか全く自信がありません(笑い)
Unknown (たゆう母)
2016-11-29 23:42:03
私も語学番組を見ています!
フランス語とスペイン語で、
毎週火曜日は深夜まで夜更かししています(笑)

若い時と違ってすぐ忘れますが、
また覚えればいいわ、と気楽にやっています。
ありがとう (80ばあちゃんの戯言2)
2016-11-30 11:17:44
たゆう母さん
コメントどうもありがとうございました。
以前息子達の赴任先がわからないうちに
息子達はフランス語を勉強していたので、もしかしたら、ドイツになる可能性もあると言われたので、私はドイツ語に決め、本やら、テープら買い込みましたが、中々覚えられないうちに息子たちがイタリヤへ行くことに決定し急遽イタリヤ語を覚え孫がイタリヤの幼稚園に入る前に少しは言葉をとおもってはじめたのですが、案ずるより何とかで、孫は直ぐイタリヤ語を覚え親達の通訳もしたそうですが、その後イギリスへ行ったときに息子から、イタリヤ語を忘れて、英語と言われて、今はイタリヤ語なんて一つも覚えていないと言われてしまいました。
空港へいく飛行機の中でナイジェリヤの方が隣に坐りたいと言われて、横浜成田
間楽しいおしゃべりが出来、言葉を少し教わりましたが、その言葉も、フランス語も韓国語も書くのが非常にに難しいので、怠け者の私には適しませんでしたが、イタリヤ語とスペイン語は似ていて
覚えやすいので、楽しめています。

今はバスの中で会うフィリピンの方やインドの方、スペインやネパールなどの
方や特に、中国の海洋進出がだんだんに激しくなっている時には特に中国人の方々が、安心して日本に居られるように発言することにしています。夫や息子達が駐在だったので自分の国に何か起こったとき、海外で仕事をしている方のご苦労がよくわかるので、何とかお助けできる部分があればいいと思うのです。
海外暮らしも楽しいものですが、何か
起こった時には大変ですものね。









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