今日はちょっとブレイク!
毎朝NHK テレビの”カーネーション”を拝見していて、
戦後の私のちょっとしたおしゃれをご披露したくなりました。
当時の横浜はテレビで拝見した大阪ほどまだ物資ががあったわけで
はありませんでした。
戦後、二年ほどして、女学校を卒業した私は、母が進駐軍で翻訳官
として働いていたので、まだ学齢前の弟の面倒見とか、家事とかをす
るという条件で近くの学校ならと、散々、親に頼み込んだ挙句やっと
進学を許されたのですが、夏休に英語の勉強をしたいと言うことで、
友達と二人で当時の横浜の中心街の伊勢崎町にあった進駐軍の横浜
メインP.X.(焼け残っていたデパートを占領軍が接収して、アメ
リカ兵や家族のためのデパートとして使っていた)へ夏休だけのつも
りで就職したのです。
初めてのお給料を渡した時の母の喜び、私は進学して親不幸をしたのだ
と思いましたし、お金をいただいて家に入れると言うことと、私が学
費を使うのではえらい違いだと思い、一つ年下の弟がどうしても慶応を
受けたいと言い出してから、P.X.からの帰り道、学校を辞めなけれ
ば、弟の進学が無理だと思い、毎日毎日、そればかりを考え、涙を
流しながら桜木町の通りを歩いて帰りました。
それで、夏休の終わりには、英語は何とか自分で勉強しようと思って学校
をやめることを決意したのです。本来は津田女子大へ行きたかったのでし
たが、津田は遠くて家からは通えず、弟妹の面倒見もできなかったのです。
人生二度目のあきらめでした。
そこで、私は、終戦後すぐに進駐軍の兵隊さんから、チョコレートを
ジープの上から、”ヘイ! ベビーさん”と投げられた時、それに群が
って、我先に拾った周囲にいた情けない大人たちのようなことはすまい
と心に誓っていたので、何時も日本人としての誇りを持って毅然として
外人さんに接することを心がけました。
店内一の大男のブルドックのようなお顔の副店長とか、すぐ直属の
上司であったドイツ系で何時も額に皺を寄せ腕を組みながら、売り子
たちを睨みつけておられたディビス夫人でも、そして、確かマッカーサー
将軍の次の次の総司令官夫人にも、(当時、店の前にお車が止まったと
いうだけで緊張が店中に走ったくらいの怖い怖いご夫人でしたが、)
その方々にも臆せずものを言いましたので、信用を売ることができまし
た。
オット、当時の様子をちょっとご紹介しておかないと思って、ツイ行き
過ぎました(笑い)
その後一年3ヶ月で何も勉強することがなくなったので、転職すること
にしましたが、学校へ戻るか、病気でもなければやめさせられない。
貴女はここに必要な人よと、言われ、それでもやめたかったので、母の
お友達に頼んで、”神経衰弱”と言う証明書を作ってもらったのですが、
ディヴィス夫人は、そこまで貴女が、やるのなら、認めてあげるより仕
方がないと笑って承諾してくれたのです。それで一年5ヶ月で辞め、毎日
英字新聞の求職欄のお世話になることにしました。
結局、次の年の年頭から、丸の内の三菱仲九号館の、Caltex Oil
Japan Ltd,Tokyo で働くことになったのですが、戦後の
こととは言え、一応丸の内のオフィスガールですから、ちょっとはおしゃ
れをして行きたかったのですが、何せ、物もお金も十分ありませんでした。
当時アメリカの日系二世の浅野七之助さんのお蔭で、アメリカの方々の
古着を送っていただいたララ物資と言うのがあって、婦人の既製服が
多かったのですが、中には、しゃれた物や、しっかりとした生地の物まで
いろいろと入っていたのです。我が家では母の関係の方からの贈り物
などもありましたが、母が帰宅するのを待って箱を開けるの常でしたが、
当時高校生だった妹が一番最初に自分が好きなものを何点も取ってしま
うのです。
母が見かねて、
”貴女は学校の制服があるのだから、お姉ちゃんにもっと上げなさいと
言ってくれたのですが、妹は頑として聞かないのです。
母が何度言っても聞かず、最後は泣き落としで、結局、私が、
”私は是でいいわ。”と言うことで毎回決着することになりました。
で、その中から、どういう風にしたら私の体に合うのか、どう
いう風に着こなそうかと苦労したのですが、或る時いただいた
ウールの赤と黒の大きなチェック柄の男性用のシャツと、襟先の
三角になった白いブラウスと、濃紺のボックスプリーツのスカートを組み
合わせることにしたのです。本来ならば、黒いスカートが欲しかったの
ですが、仕方なくそれを合わせることにしたのですが、(勿論染料は
ありませんでした) それでも、何か飾るものが欲しいと思って闇市に
行きましたら、今なら子供さんでもお使いになるかならないかぐらいの
安っぽいブローチを見つけました。
材質は何だかわかりませんが大きさは直径2、3センチほどの丸いブローチ
で黒地に赤いバラが黒い縁取りで浮き上がっているように見え、その周り
に、てかてかした金色の縁飾りがついていました。 どうにも安っぽいと
は思いましたが、選んでいられる状態ではありませんでしたので、とに
かく、目に付いたら、ちょっと気に入らなくても買わないともう何も買
えない時代でしたから、買ってきたのです。
それでも、何か足りないと思って、そこで考えたのは、2センチ幅の黒
いリボンを買ってブラウスの襟元に一回り載せ、手前で左右を組み合わせ
その上をそのブローチで押さえることにしたのです。リボンの先は3セン
チぐらい重なるようにし、端は三角に綺麗に切り落としました。
翌日、その格好で、混んだ電車に乗っている時に、近くに乗ってきた女性が
”あらっ!”とちょっと驚いたように思ったのです。
数日後、又同じ電車に乗り合わせた彼女はリボンを使った襟元のおしゃれ
を真似していたように思いました。
心なしかその後、だんだんそういう方が増えていきました。
半年後、ラジオでこんな着方がいいのではと批評家の方が仰っていました
っけ。
もしかしたら、私のアイディア何て思ってしまいました。(大笑い)