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同窓会便りvol.498 続・祝コンドルズ20周年&先生からのお便り

2016年09月11日 | Weblog

行ってきました!

NHKホール!

AKBが、さぶちゃんが、小林幸子が立った紅白のステージで、勝山くんが踊ってコントを繰り広げる、夢のような2時間半でした!

ほんと、夢は言い続ければ必ず叶う、継続は力なり、でした。

これからもがんばれ!勝山社長!

 

そして、まだまだ続く、同窓会の余韻。

先生方から頂いたメールやお手紙をご紹介しますね。 

 

まずは、ビデオ参加してくださったキョン2こと山村先生!

「藤枝東高校は私の初任校でした。しっかりとした教員の自覚も実力もまだまだ整っていなかったはずの私を、このようにみなさんが覚えていて大切にしてくださって、ほんとうに思わず涙が出そうになるほど嬉しかったです。みなさんの温かい気持ちに心から感謝しています。

写真ですが、35HRの人たちの集合写真は、ほぼみんなすぐわかりました。でも首をかしげて、しばらく考えてしまった人も…。また全体の写真では、随分たくさん集まって盛会だったことがわかり、杉本先生など懐かしい先輩の先生方のお顔もあり、楽しく拝見しました。

田中君は、急にやっかいな頼みごとをしてしまったのに、快く引き受けてくれて、ちゃんと説明してくれたようで助かりました。でも、後から考えてみれば、楽しい宴会の席にはそぐわなかったかな、と反省もしました。

次の機会には参加させていただきたいと思っています。」

 

そしておさみ先生からも、おさみ先生らしいメールをいただきました。

 

「朝晩は爽やかになり、光もやや澄んできて初秋の気配が感じられます。まもなく澄明な季節となりますが、どこかこころ侘しい季節の訪れでもあります。

先日は、教え子たちと心行くまで話し合うことができ、満ち足りた時を過ごすことができました。ありがとうございます。

先日、長野県の縄文遺跡を訪ねる旅から戻ってきました。八ヶ岳山麓の尖石遺跡と尖石縄文考古館は特に印象に残りました。

5000年前、山麓の1000m以上の豊かな自然の中に繁栄した縄文の人々の暮らしぶりが発掘品からも想像され、国宝の土偶「縄文のビーナス」をはじめ「仮面の女神」からは黒曜石の交易に関わる関東一円に及ぶ縄文文化圏までが心に浮かび興奮しました。また、中山道の和田峠に近い「黒曜石体験ミュージアム」もおとずれましたが、黒曜石に関する資料展示と情報があの時代を理解する参考になりました。また近くにある(徒歩20分以上)の星糞(星屑)峠には約3万年から8,000年前までの旧石器・縄文(従来のこの区分がおかしい)人々が掘り続けた黒曜石の採掘跡と、加工の際に生じた大量の黒曜石の屑が残っていて、太陽や月にキラキラ反射するようすから星糞(星屑)とも呼ばれたのでしょう。本県の御前崎にも星糞(星屑)の地名があるそうで、発掘がなされていたようです。約2万年にわたる先人たちの黒曜石採掘の営みが、遺跡に立つと実在感をもって感受されます。時間的な経過は受け入れるしかないが、同じ場(空間)に「立つ」ということはこういうことだと思いました。

話は飛躍しますが、沖縄・福島・バングラディシュ・パキスタン・シリア・グアティマラ・中国(ウルムチ・トルファン)etc・・・旅するとはその国や地域の歴史を知り、過酷な現実を生き抜こうとする現地の人達と同じ場に「立つ」(不可能だが)ことができるように全感覚を研ぎ澄まして受け入れることではないか書きながら思いました。生きてある限り「傍観者」でいることは許されない場合が多いのですね。せめて「心が動き、感じる」ことでもいいのだと呟いています。

小林秀雄が語る、「歴史とは思い出すことである」にも通じるものですね。

安曇野にも立ち寄り、田淵行男記念館で静かな時間を過ごしました。北アルプスの山々を愛し、山岳写真を撮り、そこに生息する氷河期からの生き残りの高山蝶の生態を観察した孤高の人物です。ここ数年、NHKの放映の影響でしょうか、来館者も多く、こうした人に光が当たるのも好ましいことなのでしょう。また、豊科近代美術館に常設展示されている高田博厚の作品も懐かしく見ました。学生時代に西欧かぶれで、森有正(仏哲学者)を読み込んだ時期があり、彼の著作から彫刻家高田博厚を知り、彼らの著作を通して文化的刺激を受けました。西欧への『片思い』といったところで、若かったのですね。後にパリ滞在型の旅を繰り返す中で、経験を伴わない観念的・情動的な思い込みの愚かさを厳しく知ることになりました。後年、帰国した高田博厚氏から『ポーレット』と名付けられた作品を青春の思い出として購入しました。この作品について、先年亡くなった吉田秀和が朝日新聞の夕刊文化欄に書いていました。この『ポーレット』について、銀座の画廊のショーウィンドウの前を通るたびに、出会いの喜びを感じる、と。彫像を「繰り返し出会える喜び」の対象として表現していました。音楽評論家の彼にとって、演奏会での音楽は一瞬一瞬の音の展開の流れの中に一回的なものとして現れ消えていく。しかし、彫刻は繰り返し出会うことができると。 

朝晩目にするポーレットから彫刻家の、いやボーレットそのものからあふれ出すものが、慈愛に近い癒しをもたらしてくれる。ふと私も、高田博厚も、吉田秀和も男性であることに気づく。母性的なるものへの根源的な憧憬はいたし致し方ないのでしょうか。話はギリシャ神話に飛びそうなので自制します。             

おしゃべりをしすぎました。それではお元気で。」

 

なんだか、高校の午後の教室に戻ったような気持ちになりました。

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