60歳からの眼差し

人生の最終章へ、見る物聞くもの、今何を感じるのか綴って見ようと思う。

定年後

2009年04月10日 08時34分10秒 | Weblog
以前の会社の同僚が集まった。
63歳(定年後無職)、61歳(定年後嘱託)、59歳(現役、あと1年で定年)と私の4人である。
昔の仲間は、しばらく会っていなくても、会ったそのその時から、昔の間柄で話せるのがいい。
しかも、今はお互いの立場も違い利害もないから、現状の悩みや問題を訴えても何ら問題はない。
それぞれの頭は白く薄くなり、40年間働いてきての衰えと疲れとが体全体に漂っている感じである。
口を突いて出てくる話はここが悪い、あそこが悪いと体の異変のことが多く、昔とは話題が違ってくる。
私が目に糸くずが飛んで眼科で硝子はく離と言われたとことを話すと、一人は「俺は網膜はく離で
手術したばかりだと」言い、もう一人は「緑内障で、いつ失明するか分からない」と言う。
「お前など全然大した事はない」そんな風に慰められる始末である。

4人の中で退職後何もしていないのは63歳の Yさんである。
Yさんは60歳の定年後、一切の活動を辞め、郊外のマンションで夫婦2人で暮らしている。
定年前にYさんに会った時には、「もう、仕事はうんざり、定年が待ち遠しいんだ」と言っていた。
日々ストレスの中で仕事をしていて、「早く楽になりたい」そんな思いが強かったのかもしれない。
そして今の心境は「働きたくはないが、一日中何もやることがないと気が狂いそうになる」と言う。
朝食のあと新聞を読み、今はそのあと市内のスポーツジムに通う毎日だという。(月3000円)
ジムでランニングマシーンなど使ってたっぷり運動し汗をかく、そしてシャワーを浴びてから家に帰る。
毎日これをこなさないと1日が始まらないと言う。それからパチンコをしたりテレビを見たりで過ごす。
今までは毎日仕事のために通勤していた。今は毎日ジムに通うことが仕事のようなものだそうだ。
人は日々何をやるかを考えるのは苦しい、やはりある習慣の中で暮らす方が楽なものであろう。
彼の場合のそれは運動なのである。それが軸になって毎日が成り立っている、そんな感じである。

私の父は旧国鉄を60歳で辞め、その後国鉄の外郭団体に勤めて65歳で完全にリタイヤした。
退職後の父を見て母が言う。「仕事を辞めたんだから、少しはゆっくりしてれば良いのに、あの人は
ちっともじーっとしていないんだよ。朝は新聞を読み、株価をノートにつける。それから散歩に行く。
何処を歩いているのか、お昼まで帰ってこない。昼からは庭の植木をいじり、歴史の勉強をし、
推理小説を読む、夕飯を食べてからやっと落ち着きテレビを見る。勤め人と変わらないんだから」
「男は走るために生まれてきたサラブレットのようなものなのよね。走ることを止めたら狂ってしまう」
じーっと落ち着けない父を見ていて母はそんな風にも言っていた。

競走馬は走るために生まれ、早く走るために調教され、その優劣を競ってきた。
サラリーマンも働くために生まれ、働くたために学び、そして競争を繰り返してきたのかもしれない。
早く走ることが目標のサラブレッドが走ることを止められたら、その血は騒いで抑えようがないだろう。
父もまたその「働く」という血が収まり、家でくつろぐようになったのは70歳を超えてきてからである。
その頃は膝が痛み始め、次第に歩くことが辛くなってきていた。そして徐々に不活発になっていった。

40年以上も仕事に明け暮れてきて、それを明日からスパッと行動様式をテェンジすることは難しい。
Yさんがスポーツジムに通い汗を流すことは、今まで「仕事」に向けていたエネルギーの発散であろう。
本当はスポーツジムでエネルギーを使うより、自分の好きなこと、やってみたいことにエネルギーを
使う方が好ましいように思う。しかし悲しいかな我々凡人は仕事と趣味を両立させるのは難しい。

Yさんの話を聞く我々も早晩仕事への道は途絶えるだろう。それからどう過ごすかが問題である。
今まで仕事に使っていたエネルギーの使い道を考えねばならない。さあどうしよう。
幸い私の場合はサラリーマンと違って、一応は会社経営なので、年齢による強制終了はない。
今は細々とやっているがまだ成り立っている。成績が落ちてくれば、自分の収入を落として行く。
自分の収入がなくなり、家賃等の固定費が払えなくなるまでは自分の意志で続けることもできる。
しかし、それでは病人の衰弱を待つようなものでハタ迷惑な部分もあり、自分としても面白くない。
今後も会社を続けるならやはり自分の目的や意志持っていたい。そう思うのである。

今考えていることは、今日集まったメンバーのように、まだエネルギーを残してリタイヤして行く人や、
意志があって働きたくても、この不況下で職場が見つからず、力を発揮できない人は多い。
そんな人達の今までのネットワークや知識やエネルギーを活用できないものだろうかと思っている。
今の社会は個人として活動するのは難しい。だからと言って営業的な成算がないまま個人が
起業していくにはリスクは大きく、今からチャレンジするには歳を取り過ぎているように思う。
では、私の会社に雇い入れられるかといえば、かろうじて成り立っている会社だからそれは難しい。

彼等にまだ働ける、まだ活動したいという意志があれば、それらを手助けすることはできるだろう。
具体的には私の会社の名刺を持って活動してもらうのである。そして商売として具体的になれば
私の会社が介在して商売を成立させる。そしてルーチンの受発注や伝票の発行等はこちらでやる。
当然仕入れ先に対しての金銭的な保障もこちらで負うことになる。
会社は販売手数料としてなにがしかの金額(5%)を取って後の儲けはその個人に還元していく。

ただ、この仕組みが成立するには前提がある。一応会社として商売はするが、あくまでその責任は
組み立てた本人が持たなければならない。自己責任が前提でないと、こちらのリスクが過大になる。
当然、正規の社員ではないので、保険も金銭的な保証もない、100%出来高払いの形である。
したがって、本人の仕事に一家の生活がかかっているという状態だとなかなか難しくなる。
退職者や主婦など生活の基盤は持っていて、まだまだ今までの実績やネットワークの中で社会に
通用するビジネスが構築できると、意欲を持てる人が対象になる。
当然会社が持っているネットワークも活用できるものがあれば大いに活用してもらえばいい。
それぞれがそれぞれの責任の元に有機的につながって行き、自分の可能性を試していければいい。
会社はその人達のサポートをビジネスとする。言わばインターネットのプロバイダーの役割である。
こんなことが成立するなら自分自身の目的もできるし、会社を継続させる意義もあるように思う。

今日会った仲間は体には少しガタは来ているようだが、まだまだ意気軒昂である。
今から自分の友人を勧誘してみよう。はたして何人が賛同し、何人が活動してみたいと言うだろう。

最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
有機的ハブ (社員1号)
2009-04-10 10:25:48
ハブみたいですね。
有機的に、形を自由自在に変えながら、いろいろな人を呑み込んで、つなげていくというのは、とても面白いビジネスモデルのように感じます。

さまざまな職種、業種、世代、価値観、に人たちの出会いの場に、御社がなることが、とてもいま必要とされていることのように感じます。

Fさんの個性、人柄でしかできないことだとも思います。
そういう点で、オリジナリティあふれるビジネスプランだと思います。
ぜひ賛同者を広げてください。

よろしくおねがいします。

コメントを投稿