聞思(もんし)の部屋

浄土の祖師や先生から教えていただきお育ていただいた尊いお言葉から、私の味わいなどを中心に書き残していきたいと思います。

心得たと思ふは心得ぬなり(『蓮如上人御一代聞書』)

2017-08-13 02:10:16 | 日々の味わい
「心得たと思ふは心得ぬなり、心得ぬと思ふは心得たるなり、弥陀の御助あるべき事の尊さよと思ふが心得たるなり。」(蓮如上人)

蓮如上人のお言葉です。
「心得たと思う」とは、知的理解にとどまっていることです。

「心得ぬ」とは、本当に如来の大悲をいただいた信心ではないと申されています。

自分は、「心得た」と解った、知識として承知する状態」が、最初の「心得たと思う」です。

一方の「心得ぬと思ふは心得たるなり」とは、直接、仏心に値遇して頭の下がった状態を指しておられます。

人間は、まずは知識や知性による理解から入る必要がありますが、それはそれで大切なことですが、知識として知った理解したことが、宗教的な魂の開眼と誤解する、それが大悲の領受である信心と思うのは誤りです。

蓮如上人のご指摘は、知識や知的理解が信心であると心得ているあり方への戒めだと思います

本当に、心得ているお方というのは、ただ、自分が知っている心得ているという思いでなく、ただ、ほれぼれと、己を空しうして、本願のお救いを仰ぐばかりだと思います

親の心を知的に理解しているのが親の心に出会っているのではない、ただその心にまみえるばかり が 親の心に出会っているのと同じだと思います
浄土真宗の聴聞は、それを聞くのだと思います
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