聞思(もんし)の部屋

浄土の祖師や先生から教えていただきお育ていただいた尊いお言葉から、私の味わいなどを中心に書き残していきたいと思います。

法を聞くということ

2017-07-15 22:37:15 | 日々の味わい
私の人生、私の心身には限りがあります。私たちは、生きている限りさまざまなものを求めて生きています。
しかし、現実は、この人生でさまざまに手につかむものも、私自身の心身もみな、変わり通しのものなのであります。
聞法、法を聞きお念仏申すということは、この変わり通し、本当の拠り所のない人生において、決して変わらぬ真実まことの拠り所を知らせていただくことだと思います。

井上善右衛門先生は仰っていました。

「およそ、この世の事はすべて限りがあります。限りある体と、限りある心をもっているのが人間です。身体の限りあることは老病死という姿となって現れます。心もまた限りあるもので、目の前の事は解ったといっているが明日の事は解らない。人間の見通しが如何にはかないものであるかは、われわれの嫌応なしに体験するところです。
ところが、ただ一つ真実の宗教は、この世で終わらないものを知らせてくれます。この世で終わらないということは、限りあるこの世を超えた世界が開かれるという事です。限りないものが限りある世界に宿り来たって永遠の寿(いのち)と光を与えてくださる。それが念仏に外なりません。南無阿彌陀仏とは永遠の光寿がわれわれに通う言葉に結晶して、この世に顕れたものです。そこには限りない悲智の仏心が本願となって脈うっています。この本願を聞き南無阿彌陀仏の徳の大海に浮かばしめられることこそ聞法であります。」

(『蓮如上人聞書に学ぶ』井上善右衛門先生)
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