バス・船舶硬券切符ジャーナル

主として民営バス・船舶・ケーブル等、普通の鉄道以外の古い硬券切符情報です

硬券追究0052 東海汽船-3

2017年07月23日 | 硬券追究

東海汽船-3 最終回

厳選特殊券(独断なので関連券での普通のもあります)


昭和42年 A型硬券 橙系色HPRてつどう地紋 納涼豪華船乗船券 特1等

東京湾岸内湾を「橘丸」でビアガーデンを兼ねて、就航(周廻)していましたが、就航期間は長い企画船で(今もやっているのかな?)
こういうものにも等級があったのですね。


昭和53年頃? A型硬券 青HPRてつどう地紋 往復券 2等

こういう往復券が硬券で存在したことに、まず驚いたのですが、各港とかでなく、発行は裏面に「京成成田」と判があるのです。
昭和53年に成田空港が開業し、羽田ー大島の航空便があるのに対し、置いたのでしょうか。
しかし、空港に置いたのでもなく、最寄りの新駅からも離れた京成成田(スカイライナーは止まったが)にこれを置いて、
空路で来た観光客に「伊豆大島でもどうですか?」ではあまり効果があるのか分かりませんし、金額が入っているので優待券的なものでもなさそうです。
未だに理解不能な硬券であります。羽田空港駅にも置いていたのでしょうね。


昭和40年 C’型硬券 青JPRてつどう地紋 補充 矢印式 往復 優待乗船券 2等  本社発行

こういうのが東海汽船の優待券です。C型よりも上下が少し短いが、しっかりした硬券で、補充式ですが房総航路で使用のものです。
これも面白い(趣きのある)ものと思いました。


昭和36年 D型硬券 青波型両矢印式 期間指定(企画券?) 小児  竹芝営業所発行

東京港竹芝桟橋と晴海埠頭は、埋め立て護岸の対岸ともいえる場所で、こんなところだけを行き来するというのは何でしょう。
埠頭で「とれとれ市」みたいな催しでもあったとでもいうのでしょうか、何故かHPR地紋でもないのにデラックス感はあります。
これもよく分からない不思議な硬券です。


昭和41年 B型硬券 無地紋 10円桟橋赤線入場券 竹芝営業所(勝山支店から訂正)

勝山港にも桟橋硬券入場券があったことを同時に物語るということでいいのでしょうね。
しかし、このころは勝山が支店で、竹芝がまだ営業所(格下?)だったのですね。
桟橋入場券10円・20円には種類があり、赤線のな10円券、赤線のある20円券とか見たことがあります。
上記の券は、アンダーラインが波線で、航路らしい演出です。
もちろん、竹芝営業所が印刷されているのが一般的な券です。


昭和58年 A型硬券 青JPRてつどう地紋 一般式 2等 大島支店  国鉄連絡運輸

これは、連絡券ではごく普通のもので、まあ当時の東海汽船から国鉄運輸の定番の券です。
下記の不思議な券との比較もあり、まず普通のまともなものをUPしました。


昭和40年 A型硬券 青HPRてつどう地紋 一般式 2等  国鉄連絡運輸

東京港から東京電環って何ですか! 歩いても行けます。
東京港~伊豆大島~湘南港(江の島)~(多分、藤沢から)国鉄連絡で戻ってくるのです。遊び心でしょうか。
東京オリンピックで前年に使った江の島ヨットハーバーの隣に湘南港(時刻表では江の島)を置き、昭和49年まで、江の島~大島の航路がありましたが、
こういう経路で硬券を常備するというのはどういう気でしょうか。
東海汽船自体も伊豆大島で乗り換え、湘南港から藤沢までは経路設定も表示がありませんが、徒歩19分で片瀬江ノ島、小田急電鉄か、選択乗車のできた江ノ電で藤沢へ出て国鉄に乗るものと思います。特に江の島湘南港桟橋からバスの設定をしなかったのは、江ノ電バスを指定してしまえば、江ノ島駅へゆき江ノ電ばかりを優遇してしまうからでしょう。もっとも江ノ電バスなら藤沢直通があったと思いますが江ノ電バスとの国鉄連絡運輸は無理でしょうし。普通は小田急が主の連絡運輸でしょう。
しかし乗り換えが何度必要な経路でしょうか、不思議でなりませんが、こういう切符で湘南港がない昭和30年代に大島・熱海経由の同様の周廻経路をとる切符も見たのです。しかし2等時代でこういうものは訳が分からなくなりました。


昭和30年頃? A型硬券 赤PJR地紋 淳常備式 京浜急行連絡

東海汽船は京浜急行との連絡運輸も古くはありまして、浦賀接続の大島航路の他にも、横浜からの房総航路、大島航路と連絡させていたと聞きます。
この切符が意外と古いものと判るのは、昭和30年代後期には休止・廃止となった塩濱駅が入っていることです。
塩浜駅は川崎市電が乗り入れて、市電側に渡り、京浜急行の廃止区間、市電も後には廃止されています。
この切符は京浜急行横浜接続の復路用の券であったと思われます。

参考ですが・・・京浜急行からの往路用で


昭和30年頃 A型硬券 青緑PJR地紋 補充 3等  東海汽船連絡乗車船券

このタイプは横浜接続用かも知れません。
浦賀接続用の航路接続券は、見たことがあるのですが、伊豆大島が印刷され、それは行き先がそこしかないからでしょう。
これが補充なのは、勝山・館山方面、伊豆大島の双方の可能性があったからのような気がします。
発着の入った実券が見たいところです。
京浜急行は東京湾フェリーの金谷港や保田港連絡用もあり、航路連絡を意識した券は多いのですが、「東海汽船」を明記した乗車船券はあまり見ません。

ということで、勝手に分類した3部構成の東海汽船集は一旦終わります。

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硬券追究0051 東海汽船-2

2017年07月16日 | 硬券追究

東海汽船-2

上等券など

東海汽船2回目は、上級などの高級感のあるものをまとめてみました。


昭和35年 A型硬券 緑JPRてつどう地紋 矢印式 旧2等  勝山港

古くは船名が入り、3等時代の2等のようで、地紋色が緑っぽいです。焼けていますが古い様式の引継ぎのようで、
620 00なんていう銭単位も表す表示もあります。これは房総航路の硬券で「椿丸」。
東海汽船では、船名は花の名がつきます。


昭和40年代 A型硬券 黄地紋 矢印式 1等  伊豆大島

熱海航路なので伊豆箱根鉄道から引き継いだ昭和41年以降のものでしょう。
(30年代にも東海汽船としての熱海航路も存在はしていましたが・・・)
もう2等時代になっているときの1等でしょうね。
しかし、特等もあると思っています。地紋は確認しにくいですがJPR以外にはないでしょうね。
勝山の券と比べれば「途中下船前途無効(降りれる途中寄港は伊東・稲取でしょうか)」があるくらい。
しかしこの古そうな時代に4760円とは、流石1等ですね。


昭和55年 A型硬券 緑JPRてつどう地紋 矢印式  1等  八丈島

かなりの長距離でしょうね。50年代の1等は緑色です。


昭和52年 A型硬券 紫?HPRてつどう地紋 矢印式 特等  東京港

「さるびあ丸」の特等で、焼けていて廃札になりますが、多分紫色の地紋です(単に青ではないようです)。


平成13年 A型硬券 緑HPRてつどう地紋 矢印式 緑線縦1条 高速艇乗換券  伊東港

これは2等の乗船券を持っていて、高速艇に変更したいときに発行されたもので、綺麗な図柄です。
自分で購入した当時のお気に入りです。

このように等級別とか変更券に広げると種類は果てしなく、お金がいくらあっても足りないでしょう。
こんなもので精一杯です。

次回は最終回ですが、その3回目になる次回は、厳選特殊券とします。
ではでは。

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硬券追究0050 東海汽船-1

2017年07月09日 | 硬券追究

東海汽船-1

ややこしいところへ来ました。ここは3部構成ぐらいで作成しないとまとめ難いです。

明治22年に東京湾汽船が創立したことが最初ですが、翌年に改組して株式会社になりました。
伊豆大島、浦賀水道の航路を主としながらも、東北への進出が模索された時期もありましたが、これには及ばず、やはり元のエリアが中心となったようです。
大正10年には早くも浦賀において、湘南電鉄との伊豆大島航路連絡運輸も果たします。「芙蓉丸」で就航。
浦賀水道には、多くの船会社がひしめいて航路を行き来します。また戦前から軍の要塞の海保があり、浦賀水道(東京湾出口)からの出入りは、運航の速度も制限を余儀なくされ、三浦半島では浦賀、久里浜は浦賀水道を通らずに外洋に出られる港でした。

昭和17年に東海汽船株式会社に商号変更します。
戦中で、鉄道との連絡も一旦途切れたようですが、戦後大東急から再び分離しとた京浜急行電鉄浦賀での連絡運輸を昭和24年に復活、翌年には品川から浦賀までのノンストップ特急が走るなど、伊豆大島へのアクセスは向上し、さらに自社での東京港(変化しながらも竹芝桟橋に落ち着く)から横浜、伊豆大島、三宅島、八丈島へと伊豆諸島の航路拡大に努める一方、房総航路にも積極的に関わり、昭和30年頃には東京や横浜から勝山・館山への航路も充実させていたようですが、このあたりの時代の詳細な変遷(航路の変化や港別の情報など)はあまりよくわからないのが正直なところで、昔の東海汽船は複雑などと言われます。昭和38年には房総観光という会社(多分、正式には房総観光開発株式会社と思われ、木更津・横浜航路をもっていました)も買収したとのことです。

しかし、他にも東京汽船やら京浜汽船など、似たようなところに同時期に色々あったようで、競争は激しかったと思いますが、まだ房総西線が充実していない時代は海路が主で、鉄道や道路の整備により少しずつ下向きになったようです。後にはアクアラインなんかも出来たのですから、流石に房総航路各社も影響は受けるはずです。
東海汽船は、昭和40年、前年オリンピックで競技地になった江の島ヨットハーバーの傍に湘南港を設けたり、昭和41年に伊豆箱根鉄道から熱海-大島航路を譲り受けます。伊豆半島から各港からのアクセスも増え、伊豆七島各島への寄港も遂げていきます。房総航路も一部残っていましたが、外洋の長距離航路に力を入れていったようで、船舶も大きくなっていったようです。
昭和43年に小笠原諸島が返還されると、日本郵船との共同出資で、小笠原海運も設立させています。
後年は神新汽船にも出資して関連会社ですが、連結子会社ではありません。

さて硬券のみを3部構成でご紹介します、初日は「ごく通常券」です。


昭和28年 B型硬券 JPRてつどう地紋 矢印式 普通席(3等?)  本社発行

ごく普通といっても、これはかなり古い3等時代の券で、いかにも古い様式。
東京湾汽船時代の硬券もどこかで一度見ましたが、まだそちらの流れに近いか。よく見る昭和40年代以降の券とは全然違います。
「港」表示もしていないです。本社発行券ですが、主要港では売っていたでしょうね。


平成13年 B型硬券 青JPRてつどう地紋 矢印式 2等  伊東港

いきなり何故か平成。でもやっぱり矢印式なんですね。もちらん2等時代の2等です。


平成13年 B型硬券 青JPRてつどう地紋 矢印式 2等 神津島

これは日付なしですが、廃札ではなく、上の券と同時期に買っています。
神新汽船も就航しており同額、そちらの券は後日公開します。
このように、利島や新島・神津島・式根島といった小さな島にも全て便はありました。


昭和55年 B型硬券 青JPRてつどう地紋 矢印式 2等  三宅島

このあとの時代、火山の噴火の影響で何年か行けない時期があったのですね。
島が生活に復活したとはいえ、苦労されたことと思います。


昭和48年 B型硬券 青JPRてつどう地紋 矢印式 2等  伊豆大島

伊豆とはいえ大島は東京都、静岡の下田港への切符です。東京・横浜よりもずっと近いです。


平成13年 B型硬券 青JPRてつどう地紋 矢印式 2等  八丈島

東海汽船で当時買える最南端の区間で、古くは存じませんが、青ヶ島便は、「伊豆諸島開発」のエリアに入っています。
友人島の頃の八丈小島とか、どうだったのでしょうね。


平成13年 A型硬券 青JPRしてつ地紋 矢印式 2等 横浜港大桟橋

横浜港~東京港だけは、普通の2等でもこの時期でも昭和30~40年代前期の名残かA型が残っていたのです。
実際にこの区間だけ乗るのは興味のあるファンぐらいかもしれないですね。
関西汽船の大阪から神戸だけ乗る雰囲気でしょうかね。


昭和50年代? A型硬券 青JPRてつどう地紋 矢印式 2等 東京港(竹芝)

平成13年頃では、竹芝営業所ではもう硬券は買えなかったですが、昭和でしょうね、この古い様式からして。
廃札なのかもしれないです。

とまあ、初回は通常券のみ集めてご紹介しました。
3回に分けるため、近日に2回目(上級券など)をUPします。

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硬券追究0049 松本電鉄バス-2

2017年07月02日 | 硬券追究

松本電鉄バス-2

その他のエリアに入ります。実に多くの路線があり、古いものを探求すればもっと線名違いは出てくるのでしょうが、
硬券で存在したものと、ないものはあったとは思います。ここでは、たまたまのものだけ。


昭和 B型硬券 A型硬券 青TTD地紋 金額式

これは明科地区(営業所も過去に存在)のもので、上高地線では見かけなかった金額式。金額式は、塩尻営業所のものも見かけました。


時期不詳 B型硬券 青TTD地紋 着駅式

これは過去、色んな場所で見かけました。


昭和 B型硬券 青(緑系)RTC地紋 着駅式

「しゃくなげ荘」があるのは、安曇野穂高付近で、明科からも近いです。


昭和 B型硬券 緑自社地紋 着駅式

荷物というバス停はないでしょうから「荷物券」?手回り品切符でしょうか。
どこのエリアの切符ということもないのでしょうが・・・。


昭和34年 B型硬券 JPRしてつ地紋 一般式  (会田線)

明科からの会田線表記の硬券です。

 

信濃大町では


昭和35年? B型硬券 赤JPRしてつ地紋 一般式  (葛ノ湯線)

大町からの葛ノ湯線表記の硬券です。

大町では、有名なものとして3社共通のアルペンルートの一端、扇沢駅までのバス硬券がありますが、
そちらにつきましては、また時機を見て「北アルプス交通」の特集時にご紹介しますので、ここでは出てきません。


昭和37年 B型硬券 赤RTCしてつ地紋 一般式  (小谷線)

これも大町からで、小谷線表記の硬券です。
このあたりは観光ムードも高く、事業者も集中し、バス路線も多いです。

 

松本へ戻って、東側へ


昭和39年 B型硬券 青RTC地紋 一般式  (諏訪線)

松本からの諏訪線表記の硬券です。


昭和39年 B型硬券 灰色JPRしてつ地紋 補充式

これはまた東の山中への別線です。線名は入っていませんが、本来入る場所が空いている感じです。


最後ぐらい、少し華やかなものを


昭和39年 B型硬券 赤JPRしてつ地紋 一般式 赤線急行 (みすず急行券)

みずず急行バスは、飯田から長野まで、4社(松本電鉄バス・川中島バス・信南交通・伊那バス)で運行され。昭和53年に廃止、
昭和63年に、みすずハイウェイ(高速)バスで復活します。このときは諏訪バスが加わって5社です。
その後も形は変化していっています。

上の硬券は、高速道路のない時代の初代の「みすず」で、各社それぞれが特色のある急行券を出していました。

 

 

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硬券追究0048 松本電鉄バス-1

2017年06月25日 | 硬券追究

松本電鉄バス-1

ここの路線は実に多かったので、二部構成とさせていただきます。
ここでの分け方としては、「有名な部分の上高地周辺エリア」と「それ以外」の区域に分けるのがいいでしょう。

さて、共通事項で沿革は、まず大正10年筑摩鉄道開業時にバスがどうであったのかは不明ですが、
昭和7年に松本電気鉄道になり、直営のバス事業として運行は開始されています。昭和18年に松本自動車も合併しています。
鉄道とともに生活・観光と発達し、昭和59年には実に多くのバス路線を有し、松本・新島々・明科・大町など11のバス営業所を抱えますが、段々と路線網は縮小、譲渡などされて、現在は、松本と新島々の二箇所だけになりました。
冬季運休の上高地ターミナル内事務所は、元々から正式なものではないものの営業所を名乗りますが、乗務員が常駐している訳ではありません。

平成4年にGI(グループ・アイデンティティ)を導入して、アルピコフループに参入します。
平成23年に、アルピコグループでありました川中島バス・諏訪バスとともにアルピコ交通として合併・再生・社名変更しますが、旧愛称名の松本電鉄バスも並記されたりしています。

初回は上高地線関係だけです。ここは廃札になったものが沢山放出されているエリアですが、同じようなものは極力買ってはいません。
やはり古いものが好みですが、珍しいものは出てきますかどうか。


平成5年 B型硬券 青BJR地紋 一般式

平成4年にアルピコグループを構成しているので、この時代あたりは旧地紋、新地紋が入り混じっていました。


平成? B型硬券 青TTD地紋 一般式

これは上記よりも古いでしょう。後の平成8年頃に乗鞍岳に実際に観光で行った時には、乗鞍岳で硬券を打っていなかった気がします。
季節規制はありましたが、マイカーで乗鞍畳平(標高2700mを超えます)、車で行ける最高所として行けた時代で、混みました。


平成9年 B型硬券 青ALPICO地紋 一般式

新地紋のアルピコGI地紋になったものです。
鉄道の方はアルピコ交通名義になった後も硬券があったのですが、バス硬券は社名変更時に全廃だったのでしょうか。
それとも暫くは新社名のものが出たのでしょうか。


平成13年 B型硬券 青ALPICO地紋 一般式 小児用

これなんか、自分で購入しています。


平成13年 B型硬券 青ALPICO地紋 一般式 小児用

これもですね。
平湯経由とありますが、経由違いがあるのか、乗り換えがあるのか、まあ乗鞍へはどちらの県からもアクセスできますが、
県境のトンネルが出来て、行き来し易くなりました。


平成 B型硬券 青ALPICO地紋 清算済券

これは、この路線に限ったものではないですが、こんなのも出回りました。

他にもD型往復とか、区間も色々有りすぎて興覚めして集めていません。そのうち廃札シリーズ買いますかどうか?

他には


平成9年 A型硬券 青BJR地紋 一般式  直通又は乗継ぎ券

バス直でも鉄道乗り継ぎでもよいという切符。ALPICOのチケッターが押されていますね。


昭和60年 A型硬券 青TTD地紋 一般式 小児用  直通又は乗継ぎ券

これが小児用mたまたま昭和時代。なんかBJRよりTTD地紋が好きですね。


もう少し古い切符に遡ってみます。

 
昭和50年 B型硬券 青(緑系)RTC地紋 一般式

古いものは段々よく見えてしまいます。


昭和47年 B型硬券 青RTC地紋 一般式


昭和44年 B型硬券 青RTC地紋 一般式 バス電車通し

これは時折見ますが、選択なしの電車連絡ですね。


昭和28年 B型硬券 青自社地紋 相互式  (上高地線)入り

島々が上高地の入り口としての役目をしていた頃でしょうか。
やはり、こういうのが一番で古い切符には線名が入っていたのです。
上高地線ではあまり見ないのですが、これには明記されています。

 
上高地では季節限定での国鉄連絡運輸もされていました。


昭和53年 A型硬券 青TTD地紋 一般式  国鉄連絡券

行き先以外に色んなバージョンはないと思いきや


昭和49年 D型硬券 青JPRしてつ地紋 準常備式  国鉄連絡券

これには、いくらか種類があったのでしょうね。これも記号「ろ」ですから。

上高地線エリアの紹介は以上ですが、実に色々な地紋、様式があったものです。

次回第二部は、その他エリアへ後日続きます。

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硬券追究0047 大井川鉄道バス

2017年06月18日 | 硬券追究

大井川鉄道バス

バス事業は、元々よりごく近年まで鉄道会社直営でありました。

昭和3年 大井川鉄道の乗合自動車事業として、新金谷-島田3丁目-島田7丁目、5.6kmでバス運行を開始します。   
時期が不詳ですが、寸又峡線・閑蔵線のバス路線も行われるようになりました。
後年、いつの間にか新金谷接続の路線はなくなっているようで(平成12年頃?)、

平成12年、系列会社の合併で、改組された「大井川鐵道」のバス部門となり、
平成27年、子会社化による大鉄アドバンスへ路線移譲されました。

硬券の切符で魅力的なものはあまり知らず。


平成14年 B型硬券 黄自社地紋 矢印式 新社名直営時代

これが鉄道線から離れた寸又峡温泉までの硬券で、旧会社の時代から扱われていました。
奥泉までは、ほぼ鉄道線に沿っていますが、奥泉から北上して分岐した川の奥地へ向かいます。
大鉄アドバンスになってからのものは存じません。


平成8年 B型硬券 黄自社地紋 矢印式 旧社名直営時代

こちらが古い元々の「鉄」の旧社名のもので、昭和50年代の旧様式のものも拝見した覚えはあります。
これは、温泉地側からの発行なのが良いです。

様式的にはイマイチ感はあるのですが・・・奥泉駅前までの切符です。

行き先はこのように、千頭、奥泉、寸又峡温泉の他、途中の白沢温泉のものも見かけます。


平成8年 B型硬券 黄自社地紋 一般式  鉄道連絡券  旧社名直営時代

直営ですし、鉄道連絡の硬券もありましたが、様式は特記するようなものはなく、沢山集めてなくてもいいか、という感じでした。


平成14年 B型硬券 赤自社地紋 着駅式 乗換乗車券  新社名直営時代

これはバスに乗れる切符ではありますが、通常用でなく、恐らく鉄道切符を持っていて、千頭ではバスに乗り換えず、奥泉まで鉄道で行ってからバスに乗り換えるといった経路変更券のような性格の硬券だと思います。当時使い方をちゃんと聞いていましたが、記憶が薄れました。金額表示は差額なのでしょうね。


寸又峡関連よりも、まだ新金谷から島田市内へのバス路線に興味を惹かれるのは何故でしょう。


平成 B型硬券 淡緑自社地紋 一般式 鉄道からバス連絡  旧社名直営時代

旧会社時代にこのバス路線は終わったのでしょうか、廃札シリーズでも時折ついてくるので、昔の現役時からこういう券を知っていましたが、珍しくもないと思いますが当方はまだこういったものが面白く思います。島田駅前も併記された別様式も見ました。
つまり金谷町の中心、本社もあった新金谷でバスに乗り換えて東進すれば、島田市街にショートカットできるのでした。
もっとも、金谷まで乗っての国鉄連絡もありますが、国鉄金谷はへ西側へ蛇行したところにあたり、少し遠回りになって島田に戻らないといけません。
上記の券は、あくまで鉄道側の発行券で、バスからのものは・・・


昭和44年 A型硬券 黄自社地紋 補充式往復券  特別乗車証  旧社名直営時代

バスからというよりバスだけのもので、またこれはバス駅というよりもおそらく会社で出したものと思われ、優待券的なものでしょうか。
島田7丁目は、島田駅をさらに東への島田市街東側で、このあたりまでが繁華街だったのでしょう。
「山」に見える印字は「ヨ」ですね。島田7丁目~島田(駅)間の利用切符のようです。

最後のバス切符が一番好みだったりします。

現在は合併で金谷町も島田市に統合されているようですね。

 

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硬券追究0046 北鮮のバス駅

2017年06月11日 | 硬券追究

北鮮のバス駅

日本統治時代に狭軌私鉄でありました鉄道区間(大正10年までに開通の沙里院~信川)は、大正12年に他の私鉄と合併し、
朝鮮鉄道黄海線(現在の長淵線)となりました。

その後、路線を西進させ、昭和4年に水橋駅まで、昭和12年になって長淵へ到達させました。

下の切符はその全通前の硬券です。


昭和8年 A型硬券 黄地紋 一般式 並等  自動車汽車連絡

この時代は、長淵~水橋はバスに乗り、水橋から朝鮮鉄道へ連絡させたものです。
ただバスが国鉄バスのような直営のものか、他の事業体によるものかは分かりません。
一見、上級色に思えましたが、並等であれば多分通常は3等相当を意味するものと思います。異級表記もありませんし。

この4年後には、長淵駅まで鉄道が開通して終着駅となります。

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硬券追究0045 近海郵船

2017年06月04日 | 硬券追究

近海郵船

近海郵船という会社は今もあるはずですが、何度かの改組がありますので、ここでは切符を所持している初代近海郵船のことが主役です。
こんなところの古い硬券が出てくるとは、時の運です。

大陸や統治下の地へと交通の便を図りたかった我が国の政策として、昔は命令航路というものがありました。それは、結構日本海側を主として全国にありました。
陸上交通の整備されていない時代、海岸を点々と寄港しながら海路が活躍しました。最後の命令航路の名残りは「雄冬海運」だとか(平成に入って廃止)。

さて樺太の南側を統治下に収めた日本は、命令航路のひとつとして、日本郵船に小樽~樺太大泊(現在のコルサコフ)への航路を設けさせました。
このように補助金を出す代わりに航路を設けさせることを命令航路といい、船会社独自の設定したものを自由航路といいました。
日本郵船が樺太航路を明治38年に就航させ、昭和39年に命令航路に指定され、その一環で運航が始まっているようですので、これは、稚泊航路(鉄道連絡船)ができる(大正12年)よりも前です。当時から貿易港として栄えた小樽から大泊までの航路は、大正12年に設立された近海郵船㈱に承継されました。
航路は、函館~小樽~(樺太真岡)・樺太大泊を結んだものであったようです。


大正末期or昭和初期 D型硬券よりも短いもの 補充式 三等  省線連絡運輸

焼けていますが、よくよく見ると赤地紋があるようでした。裏にはしっかりと近海郵船発行とあります。

小樽で接続しての室蘭までの切符ですが、鉄道連絡駅は?小樽(現.南小樽)駅でしょうか、まさか手宮駅?
(その昔、元々日本郵船・近海郵船の会社の建物は手宮駅付近にありました。)
また時期はもっと古くなりますが、手宮から室蘭までの急行列車があった時代もありました(おそらく北海道炭礦鉄道時代)。

小樽港は炭鉱の積み出し港で賑わい栄え、小樽から利尻四村・礼文への航路も元は命令航路です。
結構興味深いです。

近海郵船はその後は、昭和14年に日本郵船と合併しますが、昭和24年に解散、二代目の近海郵船が設立されます。
昭和47年、東京~釧路航路フェリー(のちに十勝にも寄る形)を設けますが、それも平成11年に廃止して、物流貨物船就航に代えます。

平成25年からは現在三代目となる近海郵船に改組されています。

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硬券追究0044 高尾登山電鉄

2017年05月28日 | 硬券追究

高尾登山電鉄

戦時に不要不急線として休止、資材も搬出されてしまったケーブルカーでありましたが、戦後の昭和23年に高尾観光と社名を新たにします。
昭和24年には、ケーブルカーが清滝~高尾山を運行再開しまして、昭和27年に高尾登山電鉄に社名変更されました。
昭和39年には、ケーブルに平行して、エコーリフト、山麓~山上が開業しています。
同じ場所にケーブル・リフトを併設してあるのは珍しく思います。

戦後の硬券も早い時期に通常券が消えたのか、世に出回るしっかりとした硬券は団体用ばかり。
少ししか集めていません。


昭和 B型硬券 黄JPRてつどう地紋 往復  団体補助券

黄色の地紋ですが、ほとんど色あせてしまっています。往復の団体補助券です。


昭和 B型硬券 緑JPRてつどう地紋 相互矢印式 片道 小児 リフト印  団体補助券

これは小児片道用ですが、わざわざ「リフト」の印があります。リフトに限ったものでしょうか。

リフトは昭和39年までありませんでしたので、昭和40年代以降の補助券でしょうか。

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硬券追究0043 高尾登山鉄道

2017年05月25日 | 硬券追究

高尾登山電鉄

教徒の多い高尾山薬王院への参拝は、かつて鉄道駅からの徒歩によるもので苦難を要しておりました。
このため、大正10年に高尾索道という会社が設立され、大正14年に高尾登山鉄道に社名変更されました。
昭和2年に、ケーブルカーで清滝~高尾山が開業しました。
昭和17年、腐食による事故、昭和19年の戦時に不要不急線として休止となり、資材が搬出されました。

さて、ここの硬券と言われますと、恥ずかしいほどに少なく、戦前なので見かけても高価で取引されます。


昭和10年 A型硬券 青てつだう地紋 一般式

発行所、片・往・大人・小児など、一通りありますが、一枚一枚が入手し辛く、一般券はこれだけを・・・

しかし下車1回とあっても、片道で一駅なので、降りる駅はないですね。
昭和10年の25銭は結構高いほうなんですかね。

あとは、偶然ながら、こういうものもありました。


昭和戦前 A型硬券 青てつだう地紋 団体員ノ章

戦前はこのタイプの方が少ないですが、戦後の「電鉄」で出る(見かける)券は団体補助券ばかりです。

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硬券追究0042 函館バス

2017年05月21日 | 硬券追究

函館バス

函館バス㈱は、前回の「函館乗合自動車」が昭和26年に称号変更した会社です。
昭和32年からは、東急電鉄傘下・グループに入っておりましたが平成15年に東急グループからは離脱。
平成18年には、観光貸切の部門は連結子会社に分離しています。

函館バスの硬券は営業所も結構散らばっていたため結構残っており、昭和30~40年代は、結構バリエーションもありました。
硬券末期は、函館市内の松風町の営業所で金額式だけが平成5年頃まで生きづいていました。


昭和33年 B型硬券 赤自社旧地紋 一般式  函館営業所

函館乗合自動車時代の流れは、あまり見られないもので、こちらの様式が主流になります。


昭和36年 B型硬券 赤自社地紋 一般式 金額補充  江差営業所

上の券とは、あまり変わらないのですが、地紋と左の縦の注意書きに違いがみられます。


昭和39年 B型硬券 赤自社地紋 一般式  函館営業所(発駅は松風町より)

一見、同じような地紋ですが、羽根が上下しており、微妙に違うのです。


昭和38年 B型硬券 赤自社地紋 一般式  松前営業所

原口はさらに海沿いの奥ですね。


昭和39年 B型硬券 赤自社新地紋 一般式 線名入り  函館営業所(発駅は松風町より)

これまた、地紋は羽根上下に別の絵文字が入ったものです。同じような時代に地紋が異なって入り交じり、一体どうなっているのか訳が分かりません。
また、この券では経由線名記入と、会社名が下蘭にきています。縦書きの注意事項は、横になっています。
川汲温泉は低い峠を越えた太平洋側になります。


昭和45年 B型硬券 赤自社新地紋 着駅式  函館営業所

この券は、同金額で行ける場所を、ひとまとめにしています。随分思い切ったものです。
水堀・長万部・江差と全然方向が異なります。


昭和39年 B型硬券 赤自社新地紋 地図式  函館営業所

地図式も種類違いで複数出ていたようでして、まま見かけます。


昭和47年 B型硬券 赤自社新地紋 金額式  松前営業所

やはり、地紋は昭和39年途中以降、これに落ち着き長く使われたようですね。
しかし、営業所からの金額式、末期への先駆けが垣間見えます。

ここで変わり種を



昭和30年代 A型硬券 赤自社地紋 御乗車順番券  大沼営業所

どういう使われ方をしたものか判りませんが、ほぼA型で硬さも硬券といえるものでした。
大沼は観光地なので、多客時のバスの順番取り用にでも人数を制限して用意されたのでしょうか。


硬券の末期は、こればかりになり実に金額式の口座のみ85種とかあったようです。


平成 B型硬券 赤東急グループ地紋 金額式  松風町営業所

一枚だけでいいですわ。でも社名も大きく表示され、悪い券とは思っていません。

一番多く出回る路線バスの一般式では、この他「北桧山営業所」のものとかもあって、場所的にはバラエティーに富んでいました。

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硬券追究0041 函館乗合自動車

2017年05月14日 | 硬券追究

函館乗合自動車

渡島・桧山地区のバス事業者は戦前から既に多かったが、太平洋戦争による物資の不足を受けて、北海道の統合要綱に基づき、
乱立14事業者統合により昭和18年に函館乗合自動車㈱が設立されました。実際の営業開始は昭和19年6月からでした。
昭和26年に、函館バスに改称されます。

函館乗合自動車の年代に合致したものではないのですが、あまり売れない区間だったのか、旧社名の残券を使っているものがありました。


昭和33年 B型硬券 赤PJR地紋 区間式  旧社名残券 旧字

社名変更後7年も経過して、「函館乗合自動車」の残券を訂正せず使っていました。
通常券だとは思いますが、運賃表示もありません。

実際は「函館バス」時代のものです。たまたま。これだけありました。

次回は、その「函館バス」を特集します。

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硬券追究0040 小川久回漕部

2017年05月13日 | 硬券追究

小川久回漕部

古く大正の頃から石崎汽船の回漕取扱店でもありましたが、東予運輸会社の尾道(東予桟橋)~鞆経由~多度津、
多度津~東予(新居浜・今治)~宇品の航路にも参入していた回漕店でありました。

硬券は尾道~松山(三津浜か)航路の、同じようなものが時折みられます。


大正5年 A型硬券 赤ベタ 補充片道 3等  連絡券  裏社名

三津浜港からは、直接伊予鉄道へ連絡して、古町へ行ったのでしょうね。
右書き時代の古いものです。


陸上交通も不充分な昔は、廻船問屋が多く存在して、統合前は下請け的な会社の活躍も活発だったのでしょうね。

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硬券追究0039 石崎汽船

2017年05月07日 | 硬券追究

石崎汽船

文久2年という1862年に愛媛の新浜村の庄兵衛氏が廻船業を起こすことに端を発します。
明治6年に、県内で外輪船を使った旅客船業でありましたが、明治23年11月から三津浜~広島間の定期航路を開始させます。
明治36年8月には三津浜~尾道航路も開始します。大正7年になり、石崎汽船㈱の設立に至ります。

昭和40~44年のかけて、フェリーを導入していきました。
また昭和50年には三原航路ができますが、これは瀬戸大橋開通時の再編でなくなっています。
平成11年に、しまなみ海道開通による再編で、松山・尾道航路も廃止されました。

平成16年に、中島町営汽船(高浜港から出ていた)の経営を引き継ぎ、傘下に中島汽船㈱を設立し、新たな営業を開始させます。

さて、硬券として昔よく見かけたのは、廃札で


昭和時期不詳 A型硬券 青JNRこくてつ地紋 補充片道券  国鉄連絡用


昭和時期不詳 A型硬券 青JNRこくてつ地紋 補充片道券 小児  国鉄連絡用

ともに高浜港を駅として戦前から連絡運輸しており、連絡が無くなって不要になったのでしょうか。

こういうのは実券で見ないのが残念です。


社航路内のものは実券でのものを少し所持しています。


平成12年頃 A型硬券 赤BJRてつどう地紋 上陸券付 2等

これは、硬券が無くなる確か平成12年の実券で、広島~呉~松山観光港を、瀬戸内海汽船との共同運航しており、裏に二社並記になっていますが、石崎汽船の様式を組む流れの硬券です。広島~呉間を船に乗ることは実際は少ないでしょうね。

同航路で裏が石崎汽船のみの表記のかなり古い券があります。


昭和42年 A型硬券 緑TTD地紋 補充式 上陸券付き 1等

流石は1等で、この時期でも1080円しています。
インク汚れはあるものの、色合いが程よく残っていてました。

広島港は宇品港、高浜は旧港から出ていた時代ですね。

 

 

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硬券追究0038 全但交通

2017年05月04日 | 硬券追究

全但交通

全但交通は、大正6年に(現在の)養父市内大屋町で南但自動車として創業され、事業が開始されました。本社は程なく八鹿へ移されました。
昭和13年から但馬各地の事業者を合併し拡大され、昭和14年に社名を全但交通㈱に称号変更しています。

全但交通は、旧出石鉄道の鉄道線休止後、自動車運輸も昭和27年に譲り受けています。

昭和50年以降、路線バスの他に長距離高速バスも運行されるまでになり、昭和53年5月に社名を全但バス㈱に改めました。
但馬地区の人口減少、マイカー化により、平成20年から路線の一部が自治体などに移管されたり、平成21年には主要株主の神姫バスとの経営統合の噂も立ちましたが、これは両社共に否定しています。


昭和35年 A型硬券 赤RTC地紋 一般式 3等  国鉄連絡  出石バス駅

これは、出石鉄道が休止(実質は廃止)になって、それに沿う路線バスを走らせ、国鉄連絡運輸もしていました。
この券は豊岡経由ですが、江原連絡も設定としてはあったとのことことでした。


昭和37年 A型硬券 青RTC地紋 一般式 2等 国鉄連絡  湯村温泉バス駅

こちらは、元々鉄道線もない温泉観光地のものですが、ここも国鉄連絡運輸が設定されており、他に但馬村岡などにもバス駅が置かれていました。
硬券ではこの湯村温泉からのものをたまに見ます。
陰経由は「山陰」の意味で、他で見る券もそうなっていることから印刷漏れではないようです。
諸寄などという極近い駅でも常備券で、逆に硬券での補充片道券を見ていません。(後年の軟券では見ましたが)
JR連絡運輸は、平成初期の補充券で見ましたが、現在は取り扱いは終わっていそうですね。


国鉄連絡もそう出回っている硬券ではないのですが、社バス内の硬券も今のところあまり見ません。
ですが、あることはありまして、


昭和33年 A型硬券 赤RTC地紋 矢印式 急行乗車券(指定券)

表記は「全但バス」ですが、正式にはまだ全但交通です。昔から愛称・通称では全但バスで通っていましたね。
なかなか良い様式で、これは急行乗車券なので、券種のバリエーションはもっとあったと思うのですが、まだ見る機会に遭遇しません。
姫路方面への急行路線だったはずで、これの区間違いは一度見た覚えはあります。

 

 

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