私は最近洗礼を受けたばかりの者です。 神父様からのセクハラで悩んでいます。 外国人神父なので、そういうカルチャーの中で生きてきた人だからハグをするのは普通なのかな、と最初は思っていました。 祖母がアメリカ人で親族の数人がアメリカで生活しているので、アメリカにいる親族に会うとハグや頬へのキスをすることがあったので外国人とはそういうものだ、と思い込んでいたのもあり、洗礼の前日に頬にキスをされたときに、そういう文化圏で生きてきた人だから、と受け入れてしまったのが間違いでした。 実際神父様も、そう言う文化で生きてきたから、とおっしゃったので余計にそう言うものだ、と… 聖書勉強会の時に他の人が来られず、神父様と2人だけで勉強会をする事になった時に口にキスをされそうになり、咄嗟に避けるたので実際は口には当たりませんでしたが、口に近いところにキスをされました。 その直前に聖フランシスコがライ病患者にキスをした話や、唇へのキスは親愛の証、と言う話をされていたので、本当に口にキスをするつもりだったんだと思います。 そのあとも何度か口にキスをされそうになりましたが、なんとか口にだけは当たらないように顔を背けたりしています… 頬までは文化だ、と自分に言い聞かせてましたが口は流石に… 最近電話が来る事が多くなり、切る直前に毎回英語で何かを言っていたので、気になってよく聞いてみるとSee you in my dreamsと言っていると気付いて怖くなりました。
「あの神父さんに限ってそんなことは絶対にない」と証言した人がいると記事にありますけれど、セクハラは普通にイメージされるような年輩の男性が行うのではなく、むしろ親しい間柄においてこそ起こることです。それにどんな人も人間ですから、絶対なんてありません。
セクハラは対岸の火事ではなく、教会においても起こることであり、もっと教会はこうした問題への理解を深め、対処しなければならないと思っています。最近読んだ越川弘英編・関谷直人著『「健康な教会」をめざして』キリスト新聞社によれば、こうした問題への対処において、特に教会は自浄作用に乏しいというのが関谷先生の実感のようでした。神父や牧師という職務に対して教会内にも、セクハラを容認する考え方・空気があるために、問題への対処や被害者へのケアが十分になされないそうです。
個々の信徒ができるのは祈りつつ、学びを深め、もし可能なら講習会や勉強会を教会や教区で開くことでしょう。また窓口を機能するようにもしなければなりませんが、まだまだこれはむずかしいようですね。
教会が司祭をトップとしたヒエラルキーになるために、暴走を止められなくなるのは教派に関わらずどこでも起こりうることです。司祭の逸脱を抑えるには信者が献金拒否、情報公開、司法的処置を行うのが有効だと思います。悪いことをしたら献金が少なくなり、しでかしたことを公表され、下手すれば捕まる。このような制裁がなければ司祭は道を踏み外してしまうのかもしれません。
今回の事件は氷山の一角でしょう。教会に通うことでなおさら傷つけられる人がこれ以上増えないことを祈ります。
「司法的処置を行うのが有効」。そうです。しかし、聖職者(助祭以上の叙階を受けた者)を民事で訴えることはしてはいけないという一文が、教会法にあります。でも、今回、あの女性が警察に訴えたことで明らかになった面があると思います。大阪教区に訴えたけれど、埒が開かなかったからかもしれません。
高松教区の問題も信徒が司教を民事に訴えるという結果になり、その後どうなったかは存じませんが、後味の悪いものになるのは否めません。
教区、修道会、宣教会が、きちんと対応すれば、被害者側も納得できる面もあるのかも知れませんが、今までのような対処法では、納得できないから今回のような刑事告発に至ったということを司教達よ忘れるな。
神父が起こした問題には、同じカトリックの者として大変恥ずかしいです。「表沙汰にならなければよかったのに・・・」という気持ちも無いわけではありませんが、今回のようにカトリックの恥部を外部に公開して行かなければ、変わらないものなのかもしれません。
セクハラの窓口にしても全然整ってなく、連絡先も載ってない有様でした。こんな様子ではまた同じような事件が起こり続けるのではないか?と危惧しています。
神父や司教は自分達が特権階級にいると勘違いしているのではないでしょうか。そうでなければ信者の意見をことごとく無視するなんてことはできないでしょう。
信者がいなければ聖書一冊でさえも買えないことを思い出してもらいたいものですね。
カトリック教会の表裏のある体質を変えないと信徒も減るでしょうし、ましてや、神学生になろうとする若者も右下がり一方で、・・・貧しいアジア諸国から神学生や修道女を連れてくるしかないのでしょうね。
私たちは、新聞報道や一連のマスメディアを通してしか、情報を得られませんが、当該小教区の信者さん達から漏れ伝わる声は、・・女性(被害者)が小教区内で問題(I師の入院中の、小教区内の物品の私物化)を起こし、それを聴いた入院中のI師が病床から、それをたしなめたそうです。
その直後女性(被害者)が、友人に何を話したのか存じませんが(今回の事件の一連の内容か?)、それを聞いたその友人(信徒であるのか、否かは分かりません)が警察に訴えた・・というのが今回の経緯のようです。
I師は、当該女性を随分以前から知って、金銭的な援助をしていたようです。その後、I師の転任に伴って、この女性もI師の新任地へ移ってきた模様。正当な理由があっての転出ならば、理解できますが、私的理由から転籍するのは、おかしいと思います。
I師の転任した小教区には、専属の賄いさんがいませんでしたが、小教区の婦人達が協力して、賄いをしておられたそうです。ですから、賄いとして雇う必要もI師にはありませんでしたが、女性の窮乏を見て見ぬ振りの出来なかったI師がパート的に雇う形になったようです。司祭の給与は、10万円程度。そこから女性への給与を支払っていたそうです。
以下は憶測に過ぎませんが、警察に「匿名」で同様な被害を受けたという人も何人かいたように報道がありましたが、「小教区内信徒からの告発」というよりも非カトリック者からの嫌がらせも考えられます。
I師の行為も行き過ぎた感情の表し方だったのも事実です。しかし、私たちは、マスメディアから流される情報を鵜呑みにして、本当にそこで何が起こったのかを知らずに、それが100%だとして批判してしまいます(今回の事件にかかわらず)。これは、注意しなければなりません。批判は簡単ですが、真意や真偽が分かるまで、私たちは、祈って待つことも必要だと感じました。私も当初は、マスメディアの情報を鵜呑みにしていました。
おそらくI師は、取り調べに対しても真実しか話さないと思います。また、女性を庇うことも辞さない方だと思います。
「キスをした」というのも唇にしたのか?頬にしたのか?額にしたのか?詳細も聞きません。
いずれにしても、真相はまだハッキリとは分かりません。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
M神父(?)の行った、今も行っている、明らかな悪行とそれに対するU司教の取り扱い(弁護士を引き連れての信徒への脅迫?信徒活動の停止)とは、ちょっと懸け離れた内容の事柄であるのは、違いありません。
恋愛に抗体を持たない司祭が泥沼にはまってしまい、それを非キリスト者がキリスト教のネガティブキャンペーンに利用した、とも捉えられますね。事実はまだ分かりませんが。
コメントにURLが入れていたのではじかれてしまいました。
URL欄に入力しましたので、***部分にURLを入れてください。
横浜教区の一信徒です。
今回の事件、ニュースで知り非常に驚き、ネット上の卑劣な書き込みに心を痛めていましたが、
本当のことを知って欲しいとコメントを投稿させていただきます。
真実は全く違います。全文は下記URLに載っています。
***
ご主人が大阪教区の典礼委員長をされてる方でいろんな情報を得られたそうなので、
ほぼ間違いがありません。
報道等で神父様の名前はご承知とは思いますが、ここでは出しません。
真相は下記の通りです。
神父様がS教会におられた8年程前から経済的困窮の為、被害を受けたとされる母子家庭を援助。
この女性(フィリピン人)は S教会でこの神父の賄いをして数千円を受けとっていたそうです。
それは 神父様が貧しいこの女性に 憐れみの気持ちでポケットマネーで お金をあげていたのです。
神父様がS教会からI教会に転任なり、この女性も神父様を追いかけてI教会へ。
転勤になった神父様を自分から追いかけて来るのは
ちょっと異常です。
12月に神父様が脳梗塞で入院。神父様が不在の間、この女性は台所の冷蔵庫を勝手に使うなど
教会を私物化。信者から神父様に苦情が届く。
当然のことです。
入院中の神父様が注意すると烈火のように怒って教会手伝いをやめる!と逆ギレ。
第三者が入れ知恵をし、警察にセクハラと
訴えたという次第です。
セクハラ云々の話は
外国人に対してのただの挨拶のハグでキスも当たり前に頬にです。(決して唇ではありません。)
欧米ではそれが神父様であっても 同じです。
この神父様は長くアメリカで生活をしていましたし、挨拶のハグは普通のことです。
I教会では外国人を対象に英語ミサも担当されていました。挨拶でハグをしただけです。
報道等で”約70回キス繰り返した疑い”とありますが、”こんにちは”と”さよならの”一日2回のハグでキス(決して唇ではありません頬です。)も含め
ほぼ70回と回数も納得できると思います。
警察では”他にも同様の被害が寄せられている”と
言っているそうですが、外国人を対象にミサを担当しておられるんだから挨拶のハグは当たり前のことです。
これが真実です。
今回の事件、ニュースで知り非常に驚き、ネット上の卑劣な書き込みに心を痛めていましたが、
本当のことを知って欲しいとコメントを投稿させていただきます。
真実は全く違います。
ご主人が大阪教区の典礼委員長をされてる方でいろんな情報を得られたそうなので、
ほぼ間違いがありません。
報道等で神父様の名前はご承知とは思いますが、ここでは出しません。
真相は下記の通りです。
神父様がS教会におられた8年程前から経済的困窮の為、被害を受けたとされる母子家庭を援助。
この女性(フィリピン人)は S教会でこの神父の賄いをして数千円を受けとっていたそうです。
それは 神父様が貧しいこの女性に 憐れみの気持ちでポケットマネーで お金をあげていたのです。
神父様がS教会からI教会に転任なり、この女性も神父様を追いかけてI教会へ。
転勤になった神父様を自分から追いかけて来るのは
ちょっと異常です。
12月に神父様が脳梗塞で入院。神父様が不在の間、この女性は台所の冷蔵庫を勝手に使うなど
教会を私物化。信者から神父様に苦情が届く。
当然のことです。
入院中の神父様が注意すると烈火のように怒って教会手伝いをやめる!と逆ギレ。
第三者が入れ知恵をし、警察にセクハラと
訴えたという次第です。
セクハラ云々の話は
外国人に対してのただの挨拶のハグでキスも当たり前に頬にです。(決して唇ではありません。)
欧米ではそれが神父様であっても 同じです。
この神父様は長くアメリカで生活をしていましたし、挨拶のハグは普通のことです。
I教会では外国人を対象に英語ミサも担当されていました。挨拶でハグをしただけです。
報道等で”約70回キス繰り返した疑い”とありますが、”こんにちは”と”さよならの”一日2回のハグでキス(決して唇ではありません頬です。)も含め
ほぼ70回と回数も納得できると思います。
警察では”他にも同様の被害が寄せられている”と
言っているそうですが、外国人を対象にミサを担当しておられるんだから挨拶のハグは当たり前のことです。
これが真実です。
ネガティブキャンペーンへの反論として「単なる挨拶としての額へのキス」と「外国人」と言う情報に付いては新聞各紙を丹念に読むだけで「日本人に対して唇にキスをしていた」のだと言う事は分かります。
ここのHPが別の所にもトラックバックされる等、女性が偽りの訴えを起こした(誣告罪)等と言う「風聞」の出元の1つになってしまっている様なので、あまり品の無い表現ではありますが新聞(web版)から引用させていただきます。
まずは…産經新聞2009.2.7 【衝撃事件の核心】信徒にセクハラ 神に仕える司祭はどこで“博愛のボタン”を掛け違えたか…より
「愛しています」。耳元でそうささやかれ、抱きしめられた女性は思わず身をよじらせた。「おかしいです。やめてください」と抵抗を試みたものの、井上容疑者は意に介さず女性の唇をふさいだ。こうしたセクハラは約2カ月にわたって続き、12月末には女性の小学生の娘にまで及んだという。
そしてやや不明瞭さのある表現ではありますが2/5スポーツ報知では「外国人信者への抱擁やキス等珍しくもないが、日本人相手ではタブー的な行為」と書いてあります。
これは普通に読めば「外国人でもない相手にキスや抱擁をした」から「問題だ」と言う事ではないでしょうか。
そして冷蔵庫の件は詳細は存じ上げないながら様々な考え方があると思います。
脳梗塞で倒れられた神父様に直ぐに食べ物等の差し入れをするのは無理な事だったと思います。
冷蔵庫の食べ物の中にはそのまま於いておいても直ぐに腐って腐敗して冷蔵庫を汚す事が予想されるものもあった事でしょう。
男性の神父様にはピンと来ずお叱りになったのかもしれませんが、神父様の急な入院の後で、そういったものを「賄いをしていた女性」が自分の裁量で廃棄したり、持ち帰ったりして適当に処分するのはそれほど不自然な事ではないと思います。
余程に高価なものでもない限り、お忙しい他の信者さんや病床の神父様に相談するほどの事でもないと軽く考えるのも異様な事ではありません。
昔、友人の家にいた家政婦さんもよくこたつの上の籠におかれたみかん等食べていたものです。
特に毎回雇い主に断って食べている様子もなかったけれど、友達と一緒に私も食べていましたから、その家のものだったと思うのですけどね。
横浜教区の藤が丘教会にしても、今だ新しく来られた主任司祭にことの真相を理解してもらっていず、かえって「信徒が信仰がない、悪霊がいるのではないか。」というような説教まで頂戴しているしだいです。このサイトの存在は知っているので、こんな事をかけば、また悪霊扱いされちゃうのでしょうけれど。
(ご本人はPCだめですが、情報はもらっているようです。)信徒にサタンがついていると司教も言ってましたね。サタンの事は言わず、もっと主の話を聞きたいものです。いづれにしても真実を見ている神様がおられることを忘れないようにしたいものです。すべてを神様は見通しでおれますから。ですから、どんなに神父も真実を知る事がなくても安心していたいと思います。でも、あまり悪霊とばかり言わないでね!心は痛みつけられるから。
ほぼ間違いがありません。
ということは、直接、I神父と被害にあわれた方から
事情を聞いたわけではないのですね。
それでは、「これが真実です」という論拠が
どこにもないことが露呈してるではないですか。
真実は、I神父ら当事者だけにしかわかりません。
ですから、「これが真実です」とか書くべきではないですよ。右向きのブログを書いていられる典礼委員長の奥方のブログの「真実」は、「真実」の論拠を
明らかにしてもらいたいですね。
同じように けれどそれよりも前に
神父の暖かさ、優しさを感じる時が
なかった、おえらいとの勘違いと考え
我慢に我慢をかさねました。キュウな
予定の変更、妙ないじめ。耐えられる
ものを超えていました。私物化をした
このお手伝いの方は、教養がない??
けれどいじめは、いけませんよ。
私のブログが話題になっていて、
質問もあるようなので、お答えしたいと思います。
私は真実ですとか自分の言うことが正しいと
主張しているわけではありませんが、
マスコミの一方的な報道についても
確かなことがわからない段階では、
完全に信じるべきものではないということと、
マスコミの知りえない側面があるということを
告げているのです。ご理解いただければと思います
私のブログが右向きかどうかは、読まれた方の感想であり、今回の事件とは関係のないことですしね。
右向きとかではなく いたって普通のつもりです。
左の反カトリックである
共産主義者でないことは確かですよ。
右向きだから真実でないとか
左向きだと真実だという感情論はあまり意味がないと
思います。
私の教会は、当該教会の隣であり、同じ地区として
信徒も交流しあい、助任司祭りの神父様が両方の教会を行き来しています。
また、私の友人は事件の現場に立ち会って
状況を把握している
教区内部関係者の神父から報告を受けています。
警察が事情聴取をした、被害女性とごく親しい方や
当該教会の奉仕をされていた方、冷蔵庫や台所を
管理されていた方々などから話を聞いています。
ですから神父様と女性からはもちろん
直接聞けませんが、
今回の被害者は、当該教区の信徒たちでもあるわけで
その信徒さんたちの話は状況を知る上で大切です。
被害女性だけの話や神父様だけの話ではわからない
こともありますからね。
だからこそ
警察は教会の方々に事情聴取をしたわけです。
セクハラがあるかないかどうだということではなく
被害届を出す前後の教会の状況などの情報は
確かなものです。
ですから そこからどういうように考えるかは
読んだ人それぞれの判断でいいでしょう。
ただ、2たゃんねるやいろいろなブログで
そういう状況を知らずに、強制わいせつということば
がひとり歩きして、カトリックやクリスチャンに対して異常だなどとひどい噂がたっていること、
求道中の方が悩み苦しんでいること
敬虔なクリスチャンが涙を流して悲しんでいることを憂いています。
また私のブログの読者で実際に神父様の教え子であった方や、神父様から洗礼を親子で受けられた方、
神父様に抱擁の挨拶をされていた方などから
いろいろな神父様のひととなりを聞いていますが
それぞれが今回の神父様がそのようなことを
する方ではなく、マザーテレサのように
本当に恵まれない人々に愛の抱擁や額に祝福の祈りの
接吻をされる方だということも聞いています。
判断は人それぞれでいろいろな感じ方があって
いいと思います。
何が真実かは 神様がご存じでしょう。
神父様と女性のためにともに祈りたいと思います
神父様のご健康が心配ですね。
と、言われるけれど御自分のブログで下記(は一部の抜粋、他に多数の問題と思われる箇所有り)のように「確定的」な書き方をして、女性が誣告罪を犯したかの様な告発まがいの箇所を削除した方が良いのではと言う忠告にも耳を傾けはしませんでしたよね。
>そして 神父様はあくまでも 女性のことを悪く言うとか
>いきさつなどをお話しされず 自らが悪者になり
>女性や 教会を守ったのです。これぞキリスト者です
>以上、私の個人見解ですが ほぼ事実に近いものです
>この事件の真相は
>神父様ご自身が おっしゃってるこのセリフの通りです
>「セクハラではない」「わいせつ目的などではない」
>「ハグはフィリピンや外国では挨拶」「恋愛感情などではない」
>これを池永大司教と 松浦悟郎補佐司教は
>そのまま 繰り返してマスコミに言えばよかったのです。
何度も「ほぼ事実に近い」だの「この事件の真相は」だの言っているではありませんか。
私は素人が「この事件の真相は・・・」等と語るのは笑止千万な事だと思います。
「真相を知っている」等と言われる方はどうぞ噂話になどされずに警察に行ってお話し下さい。
そうすれば警察が本当に「真相」なのかどうか確認してくれる事でしょう。
冤罪が証明されれば裁判を待たずして神父様も釈放される事と思います。
そもそも貴方の情報は直接当事者からのものではなく、幾重にも重なった又聞きに因るものの様ですが、情報にバイヤスが掛かっている可能性は無いでしょうか。
貴方はブログに下記のように書いておられますね。
>古くからいる信徒が(ボランティア*)管理している台所に
>いきなり押しかけてきた女性(\2,000-/日*)が 入りこんできて・・・
( *)部分はエリーによる補足。
これは情報提供者の被害女性に対する反感が影響となって貴方の文章に現れた「物言い」なのではないでしょうか。
被害者に取ってはセクハラに過ぎなくても周囲からは目に余る「贔屓」と感じられて、事件発覚前から教会内で女性への反感が生まれていたのではないかと思います。
>ある女性は 井上神父の抱擁や祝福のキスなら
>ぜひ授かりたいとおっしゃいます。
>現代のマザーテレサのような方なのだそうです。
情報提供者がこのような考えの女性であればその情報は客観的なものであるとは、とても言えません。
>神父様と女性のためにともに祈りたいと思います
「女性の為にも祈りたい」と言われる前に「この女性も 貧しさや苛立ちの精神状態から自分を見失っていたのでしょう」だの「不幸な人生で 心がすさんでしまったかわいそうな方なのかも」だのと言った人格を貶める様な表現を貴方のブログから削除された方がよろしいのではありませんか。
貴方はブログに「御世話になった方に 被害届を出すなんて私なら絶対しないよ」とも書いておられますが、セクハラの多くは職場等の上下関係のある所でおこっています。
非雇用者は「恩義ある雇用者さま」「お世話になった上司さま」を訴えてはいけないのでしょうか。
色々神父様の親切に甘える事もあったと新聞等に確かに書かれていますが、だから訴えるべきではないと言うのであれば、その親切に素直に甘える前に「親切な男には用心しな(後から何を要求されるか分からないよ )」と言う俗っぽい考え方を今後は神父樣方の慈愛にも適用して用心しなければいけないのでしょうか。
主の福音
今回の事件で不明なのは「どのような行為がセクハラと思われたのか」「神父に恋愛感情はあったのか」ということです。
前者に関しては今の段階では当該者の二人にしかわかりません。第三者の目撃談がないためです。今はT教区のF教会にいるM神父のように、女性と手をつないで歩いている姿が写真に撮られてたらそれは確実なのでしょうけど。
後者に関してはこれはもう神様と神父のみがわかることですね。
このように現時点ではあやふやなので記事を追加できるのはもう少し後になりそうです。
主の福音
大阪教区の事件については情報を集めている途中ですが、少なくともあらぬ疑いをかけられるようなことをした点において、完全に潔白であるとは言えないと感じてます。まだ調査中です。
梅村司教や小笠原神父から見れば私たちは悪霊にとりつかれており、私たちから見れば彼らこそ悪霊にとりつかれているように見えます。
正直な話、私に要理を教えて下さった神父と比べると彼らは桁違いに霊性が低いように感じられます。初めて梅村司教を見た時、悪だくみに長けた人の顔だと思ったのをありありと覚えてます。
神父もコソコソと探るのではなく、直接連絡をとればいいのになぜ躊躇しているのかわかりません。もっとも、私はポアソノ神父譲りの頑固者ですから一歩も引き下がりませんが。
主の福音
>>私は素人が「この事件の真相は・・・」等と語るのは笑止千万な事だと思います。
私もそう考えてます。確かな情報を得られる立場には無いため、新聞を基にして記事を書きました。
より確かなことは裁判などで明らかにされるのでしょうが、少なくともセクハラ対策を怠ってたという点では神父側に非があると思います。東京教区のある神父は、年齢を問わず今回の様な事件を以前から危惧しており、「司祭館に女性を単独で入れないこと。個人的な相談等は玄関先で扉を開けたままで行なうこと。清掃奉仕などで入館する時は、複数人で同時入館・同時退館を心掛けさせること。」を心がけていたとのことです。これは力の上下関係が生じている学校や職場では基本的な心がけと思われますが、日本の神父全員が守っていることではありません。神父全員に徹底させていないという点では日本のカトリック組織全体の非とも言えると感じてます。
2ちゃんねるでもお願いしましたが、教会維持費を払わないことを扇動することだけは、おやめください。教会維持費の一部は教区に集められ、教区の小さな教会に援助されます。教会維持費不払いの犠牲となるのは、この小さな教会なのです。小さな教会を守っているお年寄りを悲しませることだけは止めて下さい。
主の御旨は私と異なっているのはないであろうかと
考える所です。
苦しいんじゃないですか。私はいつも人には何か良い所が必ずあると信じてます。今はわからないかもしれませんが、全てを主にまかせられますように。
掲示板でも再三書きましたが、意見の交換をしたいのであればメールにてお願いします。記事に関係ないコメントなので次回からは公開しません。2ちゃんねるの方にお書きください。ブログの秩序を守るためですのでご了承ください。
今必要なこと
1. 神父の社会人教育
徹底して行う
2. 社会人としても 誇れる人に
3. 知恵を絞ってやるべきと考えますが。
>少なくともセクハラ対策を怠ってたという点では神父側に非があると思います。
この件でやりきれないのは裁判で詳細が明らかになったとしても
>そして 神父様はあくまでも 女性のことを悪く言うとか
>いきさつなどをお話しされず 自らが悪者になり
>女性や 教会を守ったのです。これぞキリスト者です
>以上、私の個人見解ですが ほぼ事実に近いものです
と言う主旨の事を言い続けるであろうと思われる信者が「相当数」居ると言う事です。
既にマスコミも警察も信用できないと言う立場から、セクハラ裁判は訴えたもの勝ちだから、
神父様は有罪になっても冤罪である可能性に執着し続けると言う決意のみえる方が相当数おられます。
確かにそう言った冤罪も世の中にはあります。
ただ容疑を誤解に因るものだろうと主張するのと、女性の故意による虚偽の訴えと主張するのとでは
発言者の責任の度合いが全く違うように思えます。
後者であれば「女性を誣告罪と名指しする」のと同義ですから主張する側には思い責任が伴います。
そこの所をわきまえないで確かな根拠もなく無責任な発言をされる方達は、
最終的にどこまでいけば「女性の被害」を認め「名誉の回復」に同意してくれるのでしょうか。
真実神父に罪があったとすれば、どこかでそれが全面的に認められ、被害女性にとって教会や
信徒間のおつきあいが「風聞等による苦痛」を伴わないものにならなければいけないと思います。
はるみ様
確かに神父の社会人としての教育は必要とされますね。神父は俗人であってはならないけれど、社会人離れしてよい訳ではありません。一般的な生活に関する知識が無ければ説教も満足いくものではなくなるでしょうし。
今回の件は日本のカトリック組織がちゃんとリスク管理できてなかったために起こったことと思われます。
エリー様
どんなことが起こっても冤罪を主張し続ける方には薄気味悪さを感じます。神父の言うこと、教会のやることが全て正しいのならば歴史上でキリスト教による過ちは起こらなかったことでしょう。私たちはイエス様に仕えるのです。神父は人間であり、過ちも犯します。
確かに自分の信じている宗教組織が間違いを起こしたことは認めたくありません。自分までも悪く言われる気がしますし。しかし見てみない振りをしていては、宗教改革前夜のキリスト教に後戻りしてしまうでしょう。
キリスト者に身内の過ちを認める勇気があることを望みます。
お金でいやな思いをしまして辞めたのです。アイロン
の台を買うように言われ買ったその金は賄い費から
だしたのに、返してもらう約束で買ったのです、何度か返すように頼みましたが、大きな金しかないのでとポケットをたたきました。くずしたら上げるって。私のものでは、ない! 賄い費に入れないと計算が合わない。それと、時間前に入ったらセコムがなり響き
なんで早く来たってどなったこと・
その時の小笠原の勝ち誇ったような顔、夜遅く電話で
どこのカタズケタ?新聞をと言ったこと。左から右に
移しただけだった。これは、とんでもないことになる
と考えやめたのです。立派な神父様に会ってみたい
です。弱い人間をこれでもかと窮地に追い込む人だった。なかなかたちなおれなかった。やっと前に行こうとかんがえられます。聞いてくださりありがとうございました。
はるみ様
教会はセクシャルハラスメントやパワーハラスメントが起こりやすい場とも言えます。被害を受けたとしても訴える場所がなく、失意の内に教会を去る方はたくさんおられると思われます。このブログはそのような泣き寝入りを少しでも減らすために運営しています。
また書き込みに来てください。はるみ様の苦しみを分かち合える人たちがここにはいますよ。
誤解されていらっしゃるようですが、
私は どんなことが起こっても冤罪を主張するなどと
いうことは決してありません。
エリーさんは、茨木や北摂の教会とは
まったく関係がなく、井上神父の事も知らず
どこからも情報が入らないにも関わらず
御自身の過去の男性へのトラウマから
非常に曲解しておられるので かわいそうな方だと
お祈りしています。
心に平安を取り戻してほしいと願っています
エリーさんの書いておられることが
憶測であり 事実がわからない段階で
女性を被害者と決めつけるのもおかしなことです。
現段階では 推定無罪なのですから。
痴漢の冤罪と同じく セクハラというのは
言ったもの勝ちなのですから。
私は 普段から、大阪教区で神父の愚行や
教会の寄付金が政治運動や関係のない市民運動に
流したりしている部分など
また霊的でない信徒を苦しめる神父様のことは
ブログでも取り上げ、ここの藤が丘の方々と
同じく泣き寝入りを減らすためにがんばって
いるのです。
しかし 今回の事件は 藤が丘の神父様が
どのようなことをされたのかは存じ上げませんが
まったく違う霊的に高尚な神父様なのです。
私たち北摂地区の教会、茨木教会、
井上神父様をよく知っていて洗礼も受けた人、
御世話になっている人
よく抱擁やキスの挨拶をされていた人などからも
話を聞いています。
せっかく井上神父様への2ちゃんねるや
心ない書き込みがおさまり、敬虔な信徒たちが
事実の側面を知り安堵していたところに
いつまでも エリーさんという方は
何も知らないのに
いろいろなブログなどに またむし返すような
事を執拗にされていて 本当に困っているのです。
何か神父様が無実という真実が広まると
都合の悪いことでもあるかのように
思えるほど 一日中 パソコンにはりついて
監視しています。
エリーさんがまったく知ることのできない
女性がどういう方か
普段教会でどのように過ごしていたかなど、
詳しい事実もありますが、
私は女性や女性の子供の人権を
考えているからこそ、公にできない、
詳しく書けないこともたくさんあるのです。
そこを考慮していただきたいと思います。
おつる様
過去、藤が丘教会では神父の献金着服と女性問題がありました。その際に出会った、頑として事実を認めない一部の信者さんのことを思い出して薄気味悪さを感じるとコメントを書きました。おつる様のことについて書いたのではありませんが、お気持ちを傷つけたのでしたら謝ります。お許し下さい。
また新たな事実が分かりましたら記事にしてください。期待してます。
信仰上の兄弟姉妹として、互いにいがみ合わずに事件の解明を待ちましょう。
涙がでました。クレマーでもない、けれど傷を負った
しかも心を尽くし、ヘルシーで美味しいものを作って
あげたかったのです。糖尿の薬のせいか電話の切り方
が、早すぎると再電話してきたこと。私の心が汚くなっていくのは、時間の問題でした。企業に育てられ10分前には、仕事に入るようにいわれてきた通りのと
が通じない世界。辞めるとき初老の会計の方は言って
下さった社会のルールにのっとってやってくださったのにと。特別の世界であっても信者と話をするな!の
約束は、守った。このセクハラ問題に端を発し言える
機会に感謝しています。孤独で相談できなかったですから。疑問を聞くとそこにはってあるから、の一言の冷たさ・秘密はどうか貸金庫にでもしまって下さい。
社会に生きているのです。おつかいも安いところ探し
行っていた・豊かにお食事できるように。
辛かった、気持ちを通じえなかったことです。
このことは、のせるかどうかは、管理人さんにお任せ
いたします。お体にお気をつけて、また春がきますね
だれにも愛される教会を作っていってくださいね。
はるみ様
たいそうつらい目にあわれたことと思います。それが信仰のつまづきになりませんように。
藤が丘教会も健康的な教会に戻れるとよいのですが。まだ時間がかかりそうです。
お優しいお言葉、有難うございます。
今回の件については、本日、私の教会の
神父様がメッセージを出されていますので
またブログのほうにも書きますので、お知らせ
しますね。
やはり一番の問題は 大阪教区の大司教・補佐司教に
あるようです。
横浜の教区は、大阪教区や埼玉に比べたら
問題がない教区と思っていましたが
どこでもいろいろ問題があるのですね。
良きカトリックを継承していくために
若い世代が頑張ってくださることを期待します。
あちらこちらのブログや掲示板で未だに続いています。
だから「人を虚偽の罪で訴え陥れる事もしかねない」と言いたい様ですが、それは一方的な見方でしかありません。
確かに被害者側の弁護士ならば法廷でそう言った主張の根拠にするかもしれません。
でも逆に同じ「被害者側の生活態度についての情報」を検事側から観ればどういう事になるのでしょうか。
「被害者側は訴えを起こす前、少し気持が不安定で生活に乱れがあった」と言う情報を「被害はこれほどまでに
被害者を精神的に追いつめ、生活態度を不安定な状態にさせるほどに悪質なものであった」との主張の根拠にする
のではないでしょうか。
そして裁判官はどちらの主張を受け入れるのでしょうか。それはまだ誰にも分かりません。
さて、最近は掲示板運営者の責任が問われる事もあります。
特に運営者による承認・削除が可能な場合は「一定限度の編集責任を担って掲載を許可した」と見なされても仕方ありません。
おつるさんに対して「また新たな事実が分かりましたら記事にしてください」と発言された様ですが
「責任ある立場の方や団体から公式に何らかの発表・発言があった」と言う、発言内容の当否は問わないにしても
「発言があったと言う事実」についての掲載・転載ならばともかく「にわか素人探偵」の様な人達が持ち込む
「誰がどの程度の検証をしたのか不明な情報」や「証言者がどの程度の責任を持って発言したのか不明な情報」
「被害者の私生活についての(公共性があるのかどうか分からない)情報」についての書き込みに関しては
「掲載を承認をすべき事か、否か」「削除すべきではないか」慎重に判断して頂きたいと思います。
これまで被害者側のプライバシーに関して心ない無責任な風聞(近所のにわか素人探偵らによる根拠無き遺族犯人説等)が
流れがちであった事に付いて社会に反省すべき事であると言う認識が少しずつですが広がりかけています。
「犯罪被害者の会」など関係者が長年運動を続けてこられた実りでもありますが、こういった点にも配慮していただけたらと
思います。
素人探偵達は私についても「正平協の工作員の疑いがある」とか「誰某と言う聖職者の身内ではないか」と言った主旨の無責任情報
を流布していますが、その事から推し量る彼等の「想像力の逞しさ」「検証することもなく思いつきで重大な発言をする無責任さ」
を身を以て知り唖然としております。
被害者についてあれこれ心無い事を書き込んでいるのも同じ様なレベルの考えでやっている事なのかも知れないと思うと、
本当に心痛む思いです。
↓
確かに「被告側の弁護士」ならば法廷でそう言った主張の根拠にするかもしれません。
人間は、弱いもの。心のいきばのない人、そして
日々一人きっりの信者にどのように 門をあけて
いるのでしょう
そのことだけ、教えてくださいませ
むしろ、民族主義者(右翼)やキリスト教の他教派またはキリスト教系新興宗教に、カトリックに厳しい人が多い。
エリー様
第三者から見て疑われるようなことをした点で(ハグなど)神父側に非はありますが、本心がわからず情報も無いために何とも判断ができない状態です。神父が否認を続ければ裁判にならない場合もありますし、ちゃんとした情報を手に入れて記事にするのは私には難しそうです。なのでしばらくは静観していようと思います。
ただセクハラ対策が後手後手になっていたカトリック中央協議会の責任については記事にしようと考えてます。
はるみ様
教会は弱き人のためにあるのですが、教会に通うことでかえって心身が荒れ果ててしまう時期もあると思います。そういう時は無理せずに聖書の言葉を黙想しながら日々を過ごしてみてはいかがでしょうか。神様は一番良い時に必ず教会へと呼び戻してくださるはずですし。一度距離を置いて眺めてみれば、新たな見方もできてより信仰が深まることもあるでしょう。そうなれば教会は本当に「重き荷をおろす場所」となる気がします。
おつる様
共産主義の唯物論がなぜ宗教を受け入れないのかは不勉強なために未だにわかりません。思考構造が似通っていて重複するから駄目なんでしょうかね?今度図書館に行って調べてみたいと思います。
カトリック信者さんはプロテスタントを新教とさげすんだりしている人が多いですね。プロテスタントの人が文句言ってました。
井上神父様 不起訴 釈放になりました。
有難うございました。
やっぱり信じていてよかったです。
神様が私に伝えろと後押ししてくれて
いたような気がします。
本当に信じて 祈り続けていてよかったです。
本当に今は 幸せでいっぱいです。
逮捕前の補佐司教の 記者会見での
井上神父を犯罪者ときめつけるような
謝罪会見のおかしさが
ますます 浮き彫りになりました。
私は、もし共産主義的や
私の嫌いな正平協の神父でも
無実の罪をきせられているようなことが
あれば やはり同じように戦うと思います。
私は そういうまっすぐ人間です 苦笑
井上神父様の心の傷が本当に心配。
祈りたいと思います。
共産主義社会になると、
中国やヨーロッパの旧社会主義国のように
一部の独裁者や中央政府が君臨しつづける
状態になります。
その中央に反する意見は抹殺され、拷問、逮捕など
日常的になります。
チベットやウイグルの民族浄化を見ても
わかることです。
たとえばチベットのダライラマを崇拝し、
仏教を信じる人々にとっては
中央政府の政策や思想・方針に洗脳される
ことがありません。
そこが問題とされるのです。
すべてのひとが同じ思想で 同じ理想で
同じ共同体としての世界をつくるという理想は
それに反するものや 従わないもの
他に数杯するヒーローわ持つものを弾圧することで
しか維持できないのでしょう。
日教組・全教などの学校組合なども マルクス主義や
それぞれ社会主義・共産主義にまみれていますが
目立つ教師、個性的な教師、他の教師と歩調の
あわない教師などを会議で糾弾するようなところが
あります。
統一見解・共通理解という言葉が理想なんです。
個人のほんとうの自由や価値観、権利などは
そこにはないのです。
>松浦司教を受け入れられないのは、井上神父さんを>否定しているのと同じです。
これは井上神父様に失礼だと思います。
不起訴なのですから
神父さんにも間違いがあったのも確かなどと
もう 蒸しかえすのはやめましょうね
確かなことは 不起訴であり
裁判しても無実ということです
松浦補佐司教の言う 重い罪というのは
マスコミに向けていうべき言葉ではありません
カトリックの信徒に向けての
メッセージでもなんでもなくて
対外的なコメントで、朝日新聞の報道です。
一般人にとっては 重い、罪というコメントは
そのまま エロ神父・セクハラ神父という
誤解を招くだけなのです。
そこが おわかりにならない補佐司教は
いかがなものかと・・・
あなたは報道に惑わされましたが
はじめからずっと 報道などに惑わされず
松浦補佐司教のコメントも受け付けず
井上神父様を信じ、涙を流し
誰に言われなくとも 祈り続けて・・・・
不起訴になった今 心を震わせて喜びを感じている
たくさんの信徒さんたちの愛は 尊いです
批判されるものではないと思いますよ。
ナゼに? さんも冷静になって
井上神父様のために どうぞ お祈りくださいね
確かに共産主義国家は一般論としてカトリックに厳しい傾向がありますが、仏教やその他宗教を大事にしている国家が、共産主義国家よりもカトリックに対する迫害の程度が低いとは限らないのです。
偏った見方の人々の意見を鵜呑みにせず、よく歴史を学ばれることをおすすめします。
なお、不起訴であることと、無実(セクハラをしていない)こととはまったく関係がありません。
私も、本人がやっていると自白しており、自白以外の補強証拠がある場合でも、本人が反省しているなどの理由で不起訴処分との判断をしたことなど普通にありました。
私はカトリックを心から愛しており、おつるさんの情熱をすばらしいと思ってみておりますが、事実を捻じ曲げることは看過できないと思い、発言する次第です。
教会にセクシャルハラスメントがあるやら、パワハラがあるやらと声高に主張していた方々の沈黙がなんとも言えないなと思った。
井上神父様のご健康のためにお祈りをしましょう。
司法の面からいうと強制性があったとは言い難いため不起訴となったのであり、潔白が示された訳ではないはずです。しかし、真実は当事者しかわからないためどこまで行っても結論が出ません。そのため色々と推測しても無益であると判断したために議論が収束したのではないでしょうか。
私は真実がどうであれ、少なくとも誤解をされるような行動をとったことについては非があったと思います。外国に長くいたから、などということは言い訳になりません。外国は外国、日本は日本です。サルトルが言ったように私たちは自由を与えられましたがそれと同時に世界に対して影響をおよぼすことへの責任も与えられました。司祭もまた然りですし、それを意識してなかったならば認識が甘いとしかいいようがありません。
最近Blogの更新がなく、
別共同体のものとしても心配しております。
管理人さんがお元気でいればよいのですが…。
(現在は引っ越しして離れました。)
実際の現場を見たわけではないので、真実を知りようもありません。
しかし、私は迷える時期に神父様に支えていただき、
たくさんの手を差し伸べていただき感謝しています。
どんな人でも間違いを起こすことはあるので断言はできませんが、
私には神父様が、報道にあるようなことをする方には思えません。
むしろ、あんな立派な神父様でさえ、このような社会的な苦境に立たされてしまう、今の社会のあり様に愕然としました。
神様の御心に従っていても世からは疎まれることはある、ということを実感しました。
イエス様が、世から憎まれ、弟子たちからも本当には理解されずに十字架にかけられてしまったことのようです。
いまはひたすら井上神父様のご回復をお祈り申し上げます。
むしろ、被害者フィリピン女性が可哀想だと思わないカトリック教会が病膏肓にいたっていると思う。余程辛かったのだと思えないか。感性が足りないのではないか。罪びとたちよ!
井上神父は井上筑後守の子孫じゃないか。凶悪な日本のトルケマダ!日本の教会共々悔い改めるべきだと思う。
これがカトリック青年会の意見だと思うとお先真っ暗ではないか。
カトリック北須磨教会信徒
偽名でごちゃごちゃ述べず、カトリックなら堂々と実名で討論せい!
神戸市 北須磨カトリック教会信徒 トマス大原邦清
噂だけで流されちゃダメですよ。
マウさんの時。確かにマウさんにも非はあったと思います。だけど、信徒に大分非があると思います。怪文書みたいな手紙、信徒の家に送りつけたり。
司教に訴えに行ったのだって、実際にマウさんに苛められていた人達じゃないし。献金の件だって、最初に気付いた財政委員会の方が行くべきだったのに、行ったのは全くの無関係の方だったし。
「私たちは、実際にマウ神父に○○された方達が居ると聞きました。何とかしてください。」これなら、誰でも「そんな噂話持ってくるな!被害を受けた本人を連れて来い!」って怒りますよ。
ぶどう酒を水にすり替えたのを見たと言ってる信徒も、いましたが、信徒達の集まりの時にも出てきてないし、あれは信徒が付いた嘘だと思います。
それに、司教が来た時の信徒の司教に対する暴言。あんな人達を同じ信徒と思いたくありません。
司教に、信仰心が無い!と言われるのも当たり前ですよ。
今の藤が丘教会は多少落ち着いていると思います。またいつか、ボアソノ神父の時みたいな活気を取り戻せる時が来る事を祈りつつ、今日も教会へ行きます。
残念ですが、噂だけではありませんでした。神父が例の女性と手をつないでデートしていたのは多々目撃されていますし、写真にも撮られています。使途不明金も記録として残ってますし。
実際に財政委員会の方も司教に訴えに行ってますよ。噂話だけで訴えたのではありません。そのときの会話の内容は聞かせてもらいましたが司教による恫喝という表現が合ってます。
司教が来た時の件は順番が逆です。「先代の神父は建物は建てたが信徒の信仰心は育てなかった」という司教の発言を聞いて信徒が反応したのです。どちらにせよ、卑しくも教区の長である人物が口にしていい言葉とは思えません。
また活気が戻ることを祈りましょう。
聖職者に対してネコババしたとか、女性関係がどうのこうのとか!
カトリックではない人も見る可能性があるのにどういうつもりなんだ!
君等の一方的な言い分など聞くに値しない。
信徒活動停止は当然の処置。
信徒活動停止処分の重みを考え反省しなさい!
即刻このブログは閉鎖するべきだ!
それならばもう少し丁寧にコメントしようか。
横領にしろ女性問題にしろ聖職者で本当ならば大変なスキャンダル。決して軽々に扱えない大問題。ただし君等に言い分があるようにマウ神父様にも言い分はあろう。思いもよらない複雑な事情があるかもしれないのに一方的に決めつけるのはおかしくないか?冤罪ならば1人の司祭が殺されたのと同じほどのダメージを受けるよ。100%クロだと本当に腹決めできるのか?
司教様とて信徒が押しかけて抗議にくれば、後々の事を考えれば裏をとって調査するはず。その結果がマウ神父様にお咎めは無い。これが真実だ。
君等は、この不見識なブログで、カトリック教会全体への迷惑を省みずに、信憑性が確かではない聖職者スキャンダルの暴露で誹謗中傷の個人攻撃。この子供じみた行為がカトリック教会の名誉を傷つけマウ神父様だけでなく聖職者や信徒全体の顔に泥を塗りたくっていることに気づいていない。先人達が築き上げた信頼をどれだけぶち壊していることか。
普通の信徒がいったいどっちを信用するか明白だろう。
自分たちが絶対間違ってないとするなら教皇様に直訴するつもりで教皇庁大使館に訴えて白黒ついてからブログに書けばいい。
こんなブログを続けてたら信徒活動停止処分は解除されないぞ。
このブログ自体が反カトリック的と言える。
目を覚まして、内容を全面的に改めるか閉鎖して司教様マウ神父様に素直にお詫びすべき。
カトリック教会が信頼できないなら無理に留まる必要はないぞ。プロテスタントに行けばいい。
冤罪ではないのは確かです。
事の経緯について逐一説明するのは大変なので割愛します。
ご意見ありがとうございます。今後はこのブログ以外で意見を述べてください。どこまで行っても平行線でしょうし。
皆さんの言い分はよく分かります。
けれど、この場でいくら騒いだって解決するわけでもありません。
だから落ち着いて、神の御心に任せて祈り続けましょう。
今は、小笠原神父に対して同じ様にメールや電話で同じ誹謗中傷やってる。
藤が丘教会は終わってますよマジで。同じ藤が丘信徒として本当恥ずかしい。
信仰心が育たなかったのは、信徒自身の自業自得ですね。ボアソノさんは何も悪くない。
現神父はことあるごとにこのブログを閉鎖できないかといろんな信徒に相談していて、それに感化された信徒がメールしてきたりコメントしてきて、キリがありません。今後は違う場所でご自身の意見を表現してください。
神父の問題については早とちりではないです。どういうことがあり、どのような状況であったのかを説明するだけで嫌な気分になるため割愛します。興味があるのでしたら古参の信者に聞いてみて下さい。
臭い物に蓋をするような形で教会の不祥事を隠そうとした教区の姿に疑問を感じたので、このブログを証拠として残してます。開かれた教会とは何か?そのためには何をしたらよいのか?という問いかけには色々な答えがあると思います。私は私の方法で頑張りますし、takkさんはご自身の信じる方法で頑張ってください。
ある意味では法王だって間違いをたくさん犯してきたのです。そう考えれば、かなり若くして司教になってしまったおたくの教区の司教が間違いを犯すなんてあたり前のことでしょう。さらに30年近く主任をやってきたP神父に変わったM神父が間違いを犯すなんてまったく当たり前のことでしょう。しかし、カトリックのヒエラルキーのなかに組み込まれてしまった聖職者たちは、信徒に謝るということがなかなか許されない人種なのです。ある意味では大変可哀そうな人種なのです。私もある事で、ずっと私の教区の司教や神父に謝罪をもとめきました(かれこれ10年近く)が、その方向では現実を変えることはできないのです。必要なことは、聖職者も信徒もともに成長できるような関係を築くことではないのですか?まずは、彼等を許すもしくは許そうとする努力から生まれるのではないですか?
私が考える開かれた教区というのは、間違いを犯してもともに許し許されて成長できる教区です。考えて見てください。それが、キリストが示した方向だと思います。
プロテスタントのほうは性犯罪などで結構メディアに出てますけど、カトリックだって不祥事がない訳ないでしょうよ。過去には「黒い福音」の題材になった事件だってある訳で。別にこのブログに限らず、日本のカトリックの児童施設で神父が性虐待を行っていたということを載せているHPだってあります。事実がどうかまでは分からないけど、昨今の性虐待事件ニュースもあることだし、嘘とは思えないなぁと…。
ある意味見切りをつけていたほうが良いとさえ思います。「愛」とか「許し」じゃなくてごめんなさいね。許し、許しってゆるすにも「程度」ってもんがあるわよ…。
あんまり教会外との乖離がある宗教団体なんて、ますます信徒なんて増えやしない。私は部外者の頃、そう思っていました。今でもそうですけどね。
献金使途不明OK、愛人OKなんてさ。少なくとも献金の方はクリスチャンじゃない人の感覚では、絶対ダメでしょうねぇ。
のめり込む程信じるべきなのは聖職者を含む人間のほうではなくて、「神」の方でしょうし…。あんまり神父様、神父様と信用しすぎるのも危ないんだなって、いい勉強になりました。今後もこのスタンスです。
使途不明献金のことでなんですが・・・
うちの教会では組織ぐるみで行われています。
献金袋を持ってきた信徒さんの献金を
そのまま懐に入れてしまう帳簿係の信徒もいます。
私は、そのような状態を黙認することが出来ないのですが
どのようなカトリック機関に相談したら良いのですか?
主任司祭は完全に力のある信徒というか泥棒達の
支配下にあります。
相談するとしたらその教区の司教か、その神父が所属している修道会のトップの人でしょうか。
しかし、藤が丘教会でもきちんと証拠を集めて文書化して司教のもとに持っていったのですが、対処してくれるどころか逆に圧力をかけてきました。修道会にも相談に行ったのですが、のらりくらりとかわされました。やれるだけのことはやってみてもよいと思いますが、改善される可能性は低いと考えておいてください。後はこつこつとこのブログのように地道な活動を続けることぐらいでしょうか。
ご自身の信仰を守るために、所属教会を変える方がいいのかもしれません。
山瀬さんの所属教会は、おそらくO大司教区の
A教会ではないか、と拝察致します。
色々と良くない声が聞こえていますので。
お書きになった内容から、一般法と教会法の二法
に関して、何らかのアクションが取れるのではないか、と思われます。
1.一般法の場合
会計監査による調査の結果如何で、民事訴訟。
手始めに、教会有志で心当たりの弁護士を探して 相談する。
2.教会法の場合
教会法「第6集 教会における制裁」の
「教会の権威及び教会の自由に反する犯罪」、
「教会の任務の侵害及びその行使に関する犯罪」
に触れる可能性が強いです。
教会法で進める場合、ここの大司教はJ会ですので、まず、J会の教会法に強い
司祭と接触することをお勧めします。
三位一体の神のお導きによって、
聖霊の風が吹きますように、お祈り致します。
聖書の教え通り、「産めよ増やせよ」
身をもってやろうとしたのでしょうか?
神父ということが知られていなければ風俗にだって行かれるでしょうし…。どれだけ本当に純潔をまもっている神父がいるのでしょう?そんなことを思うとごミサの聖体拝領がけがらわしくも感じてしまう…。私たちが思っている神父像が偶像なのかもしれないとも思います。はなから神父は人間で、狼にもなる男であるということを信徒が自覚し、また、新しい信者にもそういうことを教育していかなければ間違いのもとなのはないでしょうか?
常に各教会で話し合い、信者からも神父を挑発するような行為を避けるように。そういう教育活動をしているという事実が神父に対しても防衛になりますよね。そして、一番の効果は維持費とか金銭に関しての拒否でしょうね。生活がかかれば神父、司教だって背に腹は代えられませんから。とにかく、悲しい限りですね。
お世話係の人に根も葉もないうわさをたてられて
本当に悲しくなりました
私は教会に行って間もないので
誰にも訴えることができません
教会の神父さん、シスター、お世話係の人や
案内係の人は聖書の教えを守ろうとしてるひとかと
思ったら違うんだとショックを受けました
お世話係の人って教会の中で威張ってる為に
いるのかと思いました
神様の教えを伝えるためではなく
権力をふるうためにいるのでしょうか
神父・シスター・信徒(お世話係も信徒です)は
聖書の教えを〝守ろうとしている〟人です。
守った人ではありません。
守ろうと日々生きている人々です。
たまにあきらめる人もいます。
そして、戻ってくる人もいます。
私は洗礼を受ける際に
「皆、求道者なんです」と言われました。
その通りと思います。
でも、教会の外の人たちはそうは思わないようです。
完璧を求めているようです。
お世話係とか、教会のいろんなお仕事をしていると
何か勘違いする方もいらっしゃるようです。
本当は神へのご奉仕なのに、
私たち信徒に「してあげている」と誇っている人もいます。
それで、してもらっている信徒側は傷つくこともあります。
根も葉もない噂を立てられるのは悲しいですね。
しかも、教会に行って間もないと、
誰にも苦情を打ち明けられないということがありますよね。
今私は神父とシスターに誤解されて、寂しい思いをしています。
私の思い違いでは…とも思っていたのですが、
そうではないようです。
洗礼を受けて1年は経ちましたが、
別に悩みを打ち明ける人はいません。
これも信仰生活の一部だと思っています。
でも、こう思えるのは私が神との関係を築けるように
手助けしてくださった方(人間)がいたからなのです。
名無しさんにもこういう方との出会いがあれば…と祈っています。
M神父の件はもうあきれてものも言えません。
お金の横領、女性とのあからさまな交際。
しかし、現在の神父も「職業」として司祭を
されているにすぐないという印象を振りまいている。現神父からは「アガペ」を感じられない。
信者に大して、感情・時には敵意までむき出しにして
従わせようとする。
神父といえどもしょせんは、弱い人間であるということを、身をもって証明してくれているのだと
感じてやまない。
司祭の霊性についてあなたは何がわかるというのですか
教会は祈りの場ではないのでしょうか
カトリック教会は、単なる仲良しサークルではないのです
信徒活動を停止されたからといって、ブログで一方的に司祭を非難することが本当に主の御意思でしょうか
ひょっとして教会当局は愛人関係なら結婚でないからと認めているのか?もともと純潔が大事だからでなく(もちろんそれに清さを認める人もいますが)、教会財産が司祭の家族に相続されるのを防ぐために生まれたのが独身性です。
それにしても、教会内の不正を告発する人が悪魔扱いっておかしいですね。共産主義国家と変わらないのでは?一応共産国も建前として人権の尊重をうたっています。教会もしかり、建前はいいことばかりです。
隠ぺい体質をどうにかしてほしいです。学校の先生も悪いことするば社会に対して責任をとりますよね。カトリック聖職者は高みにたっているつもりなのか?ほんとうにどうしようもないです。
もう、月日もしばらくたっているので 落ち着いてるのかとおもいますが、どこでもそうです同じようなことがあり、驚いてます。
どこの教会でも被害者は泣き寝入りです。被害者 本人が 司教様に訴えにいったところで
聞いてくれないとおもいます。私は、そんな誠意ある教会組織なら現代のようになってないと思います。
藤が丘教会の有志の皆様のように ひどい仕打ちをうけながらも教会を一新しようとする姿は、天国では喜ばれていると思います。そのすがたが、神々しく感じます
私は、傷が深く 教会にはいきませんがU+2022U+2022U+2022U+2022
セクハラ どころかパワハラ 心なき暴言 飛び交う界隈で。黙ってると、ものすごくエスカレートしていくので、卑怯な返答もどるにしても一区切りの意味でハッキリさせるのも必要なんです。どこのせかいにも、手遅れのありますから
まぁ横浜司教も責任をちゃんととってませんし、あんな対応の仕方はひどいといますけどねぇ。
何でも、基本や土台がきっちりしていれば大丈夫です。戻れますから。そうおもいました
僕にはいつ教会に呼ばれるのかがわかりませんがそれでも毎日祈りは辞めておらず、いつか時期が来たら、と軽く考えております。人生長いですからね。
ところで、信徒 使徒活動停止処分と聞きましたが、実は私は洗礼頂いた 子供を教会へつれていくこと 辞めました。 このブログとちょっと関係ある出来事からです
とても辛いですが、普通に真面目に育った子供をみて、よかったのか?ん~?? と、頭をかかえてしまいます。母として子供に何を停止したのか。悩むところです。
今 まだ そのまま 使徒活動停止処分が続行されているなら、マリア様も母として悩み、悲しんでいるのでは?と思いますけど U+2022U+2022U+2022 我が子を気にしているのは確かなことだとおもいます
このプログ の 以前のもの読んでいて、思わずイソップ童話思い出します。
はだかの王様。 しってるとおもいますが、子供がひとり、王様は裸だ!といって、茶化しましたが、その時、王様は 騙されていたことに気づきました。
ところが、今、そんな子供がいたら、どうなるとおもいますか?
U+2022U+2022U+2022U+2022 もう答えはでるとおもいますが、そんな時代です。
優しい母はかなしみで病気になってしまいますね。なぐさめてあげましょうね。
教会を離れてからの方が信仰心が強くなった気もします。これも皮肉な結果ですね。
主の福音がいつもあなたのそばにありますように。
イエス様が福音を伝えるために、神殿にいきませんでした。返って、イエス様を必要とする人々のところにいかれました。
今も同じだと思います。教会に、福音とか隣人愛 感じたことあまりないです
教会という組織や建物による信仰には、福音も愛もないようなきがしています。
一人一人のこころのなかが、イエス様のお住まいになりますように
お互いにお恵みいただけると思いますよ
人の命や魂(というか心?)には、いくら完璧な人と思えてもどうしても闇があるみたい。弱くなると自分のその闇に出会うようですよ。赦せない自分と出会うみたい
煉獄の霊魂も同じように 闇から抜けられないのかな?と、感じたので、私たちも、イエス様の赦す。という、み言葉と実践を受け入れお祈りしたら、生きている人も、煉獄でお祈りす待つ魂も皆救われるのでは?イエス様のみことばにより 現実になるとおもいます。
昨日、主の昇天の祭日に嫌だったけど、どうしても行かなきゃ後悔しそうで ごミサに与り、説教で神父様がそんなこと言ってました。また、イエス様は、天に昇るとき ここにとどまっていなさい。父が聖霊送るから。といったそうです。来週は聖霊降臨です。足のとうのいていた方、ぜひ、遠いところでも 足を運んでくださいね。ご聖体に任せて、みこころのままに力を頂きましょうね。と、それしか、自分には行く先ないと感じるほど、実はよくわからなくなってしまっているだけなのですが U+2022U+2022U+2022U+2022いい案でしょうか?
久々にミサに授かろうかなあという気持ちになってきました。こういう投稿者さんとの出会いも神様からのご啓示なんでしょうね。
イエス様のみこころは、私から離れないでください。天の父が下さる聖霊を受けてください。ということだそうです。弱っている人には特にイエス様はそう呼び掛けているみたい
私は、日曜日主の昇天の祝日のごミサで感じたことは、回りに操られてはいけないし、振り回されてもいけない。ただ、イエス様が与えてくれた心をイエス様とともに育てていくこと。それだけが、毎日の日課みたいに感じました。 そんな気がしませんか?
教会にいかれましたか?私は、先に亡くなられたひと、また、他の人々の思いとともにお祈りしました。でも、その事について思う人は多分いなかったでしょうね。ほとんど。官公庁のようでした。
大丈夫かな?と、気になりました
外からみればいいけど、中に入ればどこも同じ。と言っていました。
私も、傷深いところを、隠してやっとの思いでミサに与かっているのですよ。実はね!
教会では傷つけられた人が、一言でも訴えたら、被害者と思った時点で同時にあんたは加害者になるんだとか、ほかの教会ではどこでも尋問されるように試されて、その上噂だけがひとり歩きするという現実に、どこに真実あるのか?と疑問に思うほどです。
でも、信じて亡くなられた方々、純粋に信じて洗礼受けた方々の霊魂はかなしいはずです。そんな、人が多分お祈り待っています。それだけが、ミサに与かれる活力かもしれないですね。きっと、聖霊降臨のお恵みfuji-chu さんにも注がれていますよ。
私は、数々の司祭の暴言の中で、まともに お前なんか認めない。というニュアンスのことばは、聞いています。あんたは違うよ。という、嫌味もしょっちゅうです。
ある司祭には、聖霊降臨に神様により追い出されることを楽しみにしているような嫌がらせを言われました。親子揃って、教会について嫌な経験ばかりです。大嫌いです
でも、そうして 神様の聖霊とはどんなものか教えてくださいます。試されながらが繰り返されて、イエス様だけがのこりますから、ご安心ください。大丈夫だから。
この記事が教会に来ようとする人の足を引っ張らないことを望みます。私は信者生活を50年近く送っていますが、藤が丘のボ神父の後任の神父様のような方はほかにはいませんでした。ボ神父様はじめ皆、生涯や自身の栄光をも神に捧げ、神様からの知恵を授かっている方がほとんどでした。
2008年まで藤が丘教会にいて、フィリピンに引っ越しました。藤が丘でボ神父様から息子も初聖体を受けました。教会の皆さんも親切にしてくださり、良い思い出がいっぱいです。嫌な事我慢しないで。町田、鷺沼ありますよ。ミサは楽しく!
教会やミッション系大学の図書館においている場合も多いと思います。
国会図書館と、国会図書館の関西分室にもあります。
その雑誌の2009年10月号に山内継祐氏が書かれた記事をお読みください。
あまり一般的な雑誌でないので当時もあまり人目に触れる事はなく、ネットでもこの雑誌の記事は話題になりませんでした。
山内氏はヨハネパウロ二世の来日公式記録の執筆者でもあり、一定の信頼をおいて良い記事だと考えます。
記事でも「ネット上の暴走」を「差別問題や人種差別と絡めた暴論」としているように、事件後の風聞で不当に貶められた母子の名誉が回復される事を願います。
神父様からのセクハラで悩んでいます。
外国人神父なので、そういうカルチャーの中で生きてきた人だからハグをするのは普通なのかな、と最初は思っていました。
祖母がアメリカ人で親族の数人がアメリカで生活しているので、アメリカにいる親族に会うとハグや頬へのキスをすることがあったので外国人とはそういうものだ、と思い込んでいたのもあり、洗礼の前日に頬にキスをされたときに、そういう文化圏で生きてきた人だから、と受け入れてしまったのが間違いでした。
実際神父様も、そう言う文化で生きてきたから、とおっしゃったので余計にそう言うものだ、と…
聖書勉強会の時に他の人が来られず、神父様と2人だけで勉強会をする事になった時に口にキスをされそうになり、咄嗟に避けるたので実際は口には当たりませんでしたが、口に近いところにキスをされました。
その直前に聖フランシスコがライ病患者にキスをした話や、唇へのキスは親愛の証、と言う話をされていたので、本当に口にキスをするつもりだったんだと思います。
そのあとも何度か口にキスをされそうになりましたが、なんとか口にだけは当たらないように顔を背けたりしています…
頬までは文化だ、と自分に言い聞かせてましたが口は流石に…
最近電話が来る事が多くなり、切る直前に毎回英語で何かを言っていたので、気になってよく聞いてみるとSee you in my dreamsと言っていると気付いて怖くなりました。
別の教会へ行けば良いことなのかもしれませんが、田舎なので近場にはそこ以外教会がありません…
小さな教会で、在籍している信者も少なく皆高齢なので、相談してもわかってもらえない気がするし、なんせ新米すぎて誰に相談すれば良いのかもわかりません…
教会側の事情で数ヶ月しか準備期間を設けないまま洗礼を受けたので、相談できるほど仲が良いと言える信者さんもおらず八方塞がりというか…
今は、一歩近付かれたら私は一歩下がるなどして物理的に距離を取るようにしたり、男性の信者さんと話している時はしないと気付いたのでなるべく男性の信者さんと話しているようにしたりしていますが、それはそれで変な誤解を与えそうですし…(どういう違いがあるのかわかりませんが、女性の信者さんの時はわざわざ手を引っ張って人のいない所に連れて行かれたりするので…)
父よりも歳上の神父様なので口にキスをされるなんてすごく気持ち悪いです。
歳が近ければ良いということではないですが…
定期的にそういう文化だからと言われますが、口にキスは文化の域を通り越していると思います。
聖職者がセクハラなんてするわけがないと言う先入観や自分の認識の甘さ、危機意識の甘さが招いた結果なので自分が悪いのですが、週に2回も聖書勉強会へ行かなければいけなくて、その時に隙あればハグやキスをしようとしてくるのが苦痛で…
多分、最初にハグ程度は外国人だから、と受け入れてしまった時点で私の泣き寝入りは決まっていたのだろうと思います…
性格上強く出られるタイプでもないし…
長文乱文にて失礼しました…
東京教区所属でなくても構いません。躊躇しないで!
東京教区子どもと女性の権利擁護電話相談窓口
03-3943-2301 月~金 9:00~12:00、13:30~16:00
担当:前川
神父って逮捕されるんですね。クビにはならないけど。
私自身カトリック教徒ですが、神父に反抗する=神に反抗する、という図式ではない、神父=人間、で、神父=神ではない、と、考えですが、助祭、叙階のときに何らかの防止指針を求められないのでしょうか。
私は、一応プロテスタントの者です、と言っても、宗派は拘っておらず、組織に属さずイエス様のみ信仰しています。聖書の神と神社の神が同じだと信じている者です。
この事件、絶対でっち上げでしょう。嘘です!!!
昔、カトリックの友人が武庫之荘教会に通っており、礼拝やイベントに何回か誘われたことがあります。
ですので、井上神父様に何回もお話させて頂いてます。
井上神父様、本田神父様、素晴らしい信仰者です。
井上神父様に限って、あ・り・え・な・い!!!
悪霊が人を使って嘘をでっちあげ、妨害しているのでしょう。
昔、信仰が強く誰からも愛されていたフィリピン人の友人いました。自宅で、フィリピン語聖書の学びを導いていた程、熱心な主婦で、行く先々で伝道したり教会に誘ったり、女性にはなかなかいない大胆な伝道の賜物を持っていた女性でした。元気で明るく、また柔和で、老若男女から愛されていました。
しかし、彼女が乳児の託児所でアルバイトをしはじめ、しばらく経った時、問題が起きました。
彼女は時々、赤ちゃんが眠っている時、頭の上にそっと手を置いて祝福を按手していたようです。
しかし、信者ではない白人女性が彼女の信仰をウザく思ったのか、“赤ちゃんの頭を叩いていた”と嘘を広めました。
彼女は容疑が晴れる迄職場に行けませんでした。大きな誤解だと毎日泣いてました。しかし、彼女自身、悪霊が彼女を陥れようとしており、霊的闘いが起きているのだと よく判っていました。
イエス様も誤解され十字架につけられました。ですので、同じように、信者が誤解されることも起きるのは、ある意味、稀なことではないと思われます。
終末時代、キリスト教徒は皆から嫌われ迫害されるとあります。
私自身、艱難前携挙説を信じるディスペンセ―ション主義者たちから、動画で間接的に何度も嫌がらせを言われました。
"お前みたいな性格の悪いのが、伝道しても無理だ"と知らない青年信者からコメで罵倒されました。他にも、携挙を煽る動画主から、"私のように顔を出して伝道しないのは卑怯!私のように顔を出しなさい!"と、顔を出さないブログ伝道が卑怯だと非難されました。ありとあらゆることを言われ悪人呼ばわりされました。
ですから、外からだけではなく信者内からも妨害が起きるのは常かも知れません。
プロテスタント牧師、バチカン聖職者の中には、悪魔に自ら魂を売ってしまった聖職者たちが大勢います。ですが、ホンモノ信者たちは、逆に悪魔から攻撃され闘っています。
乗っ取られてしまったバチカン勢力は警戒しますが、カトリックの本当の信仰者を、心から応援します。
噂を信じるのではなく、霊を識別し真相を判断して欲しいと願います。
このことを知り、とても悲しくなりましたが、祈りに憶えさせて頂きます。井上神父様の体調がよくなりますように。
もう一度、言います。
井上神父様に限り、絶対にありえません!!!