風竿の「人生の達人」烈伝

愛すべき友、仕事・趣味の磯釣り・ゴルフ・音楽、少しの読書などにまつわるあくまで「ヒト」に重点をおいたブログです

平戸の茂樹と昌樹

2015年06月28日 23時44分04秒 | 風竿の釣り師烈伝

今日は磯釣りの世界で大変お世話になった柴山茂樹さんと昌樹さんのご母堂さまのご逝去に接し、葬儀に参列するために平戸の津吉へ

かって昌樹君が志々伎に居た頃、五島に釣りに行くはずが、時化で船を出せないとなると、ここまでよく飲みに出てきた町であった。

そんな平戸の南

釣りに通った折には、そう感じなかったものの、久しぶりに行くと

いやー遠い遠い。

長男の茂ちゃんとは、宮の浦の丸銀釣りセンターの経営者

ここでしっかりと磯釣りの修行をさせて頂いた、いわば私の道場のような場所。

亡くなったばあちゃんも、いつも釣り宿の店番をなさっていたものだ。奥さんの満子さんとは久しぶりに再会。

長男の久幸君がいい大人になっていて嬉しかった。

宮の浦は、尾上島、高島、中ノ島、頭ケ島、上下阿値賀島、釣り場は全部制覇したほどに通ったものだ。

磯釣りの島の名前をあげただけでも、なつかしさが込みあげてくる。

一方の弟昌樹君は、あじか磯釣りセンターの社長でサムソンホテルの経営もしている働き者。最近は水産会社も立ち上げて陣頭指揮を執っている。

いつ寝ているのだろうかという働き者。瀬渡し船の船長の頃から眠らない男ではあったが、還暦を過ぎ体は大丈夫かと心配になるくらい働きづくめ。

嫁さんのマリ子さんがまた、これに輪をかけた働き者なのだ。

彼の瀬渡し船で渡った五島列島・男女群島は私のホームグラウンド。おそらく500回位は行っているだろうか・・・・。

そして、昌樹君は私の切っても切れない親友なんである。

そんなご縁の深いお二人のお母様も旧知の間柄で、これはどんなに遠かろうと、ご葬儀に参列させて頂かねば仁義を損なうというものなんである。

大勢の参列者の中、厳粛な葬儀は終わり、

私達夫婦は、出棺を見送り、

帰路に付くと家内が「宝亀教会を見たい。」と言い出したので、天気も良いことだしということで、ちょっと立ち寄ることに・・・。

 

 

明治時代に建てられた教会はとても素晴らしいものであった。

その昔一度訪れたことがあったが、狭い道を登っていくと、思わず見とれる素晴らしさなんである。

 

この平戸で一番古い教会の話は、また後ほどすることにして、

お腹も空いていたので、田平の昌樹君のサムソンホテルで何か食べようと寄ってみると・・・・

あの超大型バイキングレストランでは、結婚披露宴が賑々しく開かれていた。

ちょっと私が招かれた結婚式場の中では類をみない素晴らしさ。

帝国ホテルもオークラもハイアットも敵わない素晴らしさである。

実はこの超大型レストランを建てる時に、昼間も稼動するようにウエディングをやったらとアドバイスしていたもの。

そんなことで、佐世保の信金のお取引先のブライダル業者も紹介していたのであった。

紹介の一席で呑んでそんな話が盛り上り、ブライダルがやれるものかテストをしようということで、昨年の9月に再婚して1年以上も経っていた私達夫婦が、テスト披露宴をやることになったのだ。

私も取引先を紹介した手前後には引けなくなったのだった。

ということで、ここの披露宴第一号は、何を隠そう私達実年夫婦なんである。まったく申し訳ない気持ちなのだ。

平戸瀬戸を見下ろす抜群のロケーションのレストランだけに、絶対に流行る筈と云った私の進言は見事に的中

11月など結婚式披露宴が目白押しの大盛況だという。

海側の窓を一枚ものの最大級の特注に換えて、レストランの雰囲気は最高レベルになっていた。

ついでに司会の女性も友人を紹介していて、この日はその彼女がMCで活躍していた。

元々は、海のご縁であった昌樹君との友情、その上で

人がこうして繋がっていくのは嬉しく有難い限り。

この日の花嫁さん、窓越しに撮影させて頂いたが、かなりの美人でございました。

いや、素晴らしい結婚式場だけに、まだまだ人気が上がると思うのである。

 

さて、葬儀の後に結婚式の話で恐縮だが、茂樹さんと昌樹君のお母様は95歳の大往生。

そのお顔は幸せで安らかそのものであった。

改めてご冥福をお祈り申し上げます。

 


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