奈良

不比等

古都奈良・修学旅行と世界遺産の街(その201)

2017-03-13 10:03:18 | 奈良・不比等
興福寺・仏教文化講座で瀧浪貞子・京都女子大学名誉教授の「興福寺を巡る藤原氏の人々(飛鳥奈良時代から平安初期まで)」の連続講話(12回シリーズ)の最終回(平成29年3月11日)を受講した。最後を飾る人物は藤原冬嗣(ふじわらふゆつぐ)でした。南円堂を建立したことで知られており、藤原北家の以後の隆盛を父・藤原内麻呂(ふじわらうちまろ)と共に盤石の物とした。南円堂では藤原氏(北家)の繁栄が続くようにとの願いを込めて、法華会(ほっけえ)が藤原冬嗣の時代から始まるそうである。将(まさ)に藤原北家(ふじわらほっけ)の「北家」と「法華会」の「法華(ほっけ)」の発音がピッタリと合うのは偶然だろうか。-----
藤原内麻呂が二人の同母・男子の藤原真夏(長男)と藤原冬嗣(次男)をそれぞれに平城天皇と嵯峨天皇の皇太子時代の春宮亮(東宮職)として側(そば)近く仕える官職に就(つ)けている。平城天皇は薬子の変で失墜するが、次男の藤原冬嗣が藤原内麻呂の跡を立派に継いでいくのである。-------
藤原四家の権力を巡っての確執は奈良時代から平安初期に掛けて様々に争われるが最終的には藤原不比等(ふじわらふひと)の次男・藤原房前(ふじわらふささき)から始まる藤原北家が平安時代の摂関家を務めて行くことになる。平安時代初の左大臣に藤原冬嗣は就くのである。-------
瀧浪貞子女史の講演は日本史の人物が眼前に生きているかのように現前し、毎回1時間半の講演を短く感じたくらいでした。この藤原氏の奈良時代の活躍はそれぞれにとても面白く、また記紀を始め六国史(りっこくし)が揃っているのでその解釈を含めて興味津々(きょうみしんしん)と成りました。
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