奈良

不比等

古都奈良・修学旅行と世界遺産の街(その522)

2018-01-28 08:15:00 | 奈良・不比等
歴史ミステリー小説 北円堂の秘密

「続・一日一生(酒井雄哉著・朝日新書2014刊)」を読んだ。酒井雄哉(さかいゆうさい1926~2013)氏は比叡山飯室谷不動堂長寿院住職として務め、千日回峰行を80年と87年の2度満行したことで有名であった。39歳で得度するまで特攻隊基地・鹿屋で終戦を迎え、その後職を転々とするが上手くいかず、結婚しても2カ月後に奥様が自殺されるなど人生の苦労を重ねていた。-----
「続・一日一生」は大阿闍梨(だいあじゃり)になられた後の日々の暮らしの中の生老病死について語っている。朝日新聞記者のインタビューは他界される3日前にまで及んでおり、個人的な動静が一般人の関心事となる稀有な人材であったと云える。--------
千日回峰行を一人で2回こなした例は、比叡山400年の歴史の中で2人だそうで3人目となるそうだがそういう人は居るには居るようだ。宗教行事的な山岳マラソンのようであり、戦国時代以前ならもっと大勢記録保持者が居たかも知れません。織田信長の叡山焼打ち以降の文献記録が存在しないので分からないだけであろう。仏教の修行は心身を鍛えるのであるが、千日回峰行は主に身体を鍛えるものであり、江戸の東叡山・寛永寺に心(脳)を鍛えていた賢い僧侶が根こそぎ叡山から出て行ってしまった後には、体育会系の僧侶ばかりが残って仕舞った叡山では心(脳)ではなくて身体を鍛える能力に秀でた僧侶たちが巾を利かすようになってしまった。明治になり江戸幕府に仕えていた江戸の僧侶たちが比叡山に戻っても昔のようには上に立つことが出来なくなっていた。それだから千日回峰行が事更に立派だと褒めそやされてきた。酒井雄哉師はそのことにも触れて大阿闍梨など大したことではないと仰っていたようである。謙遜でなく自身が比叡山で生を全うできたことに感謝すると云うのが辞世の言葉であったようだ。------
「続・一日一生」を読んでも仏教のことは何も書かれておらず、朝日新聞の若き女性記者が初対面の際、自分には学が無いので仏教教義などは聞かないで下さいと云われたそうである。飾らない人で人気があったのだと思われた。
コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 古都奈良・修学旅行と世界遺... | トップ | 古都奈良・修学旅行と世界遺... »

コメントを投稿

奈良・不比等」カテゴリの最新記事