奈良

不比等

古都奈良・修学旅行と世界遺産の街(その288)

2017-06-08 09:28:46 | 奈良・不比等
平成27年4月に淡路島の「南あわじ市・松帆(まつほ)地区」で発見された7点の銅鐸の内の1つの「松帆・銅鐸」に付着していた植物繊維を使って放射性炭素年代測定法により埋納年代を調べたところ、「紀元前4世紀から同2世紀の頃(紀元前391年~同169年)と判明した」と南あわじ市・教育委員会が発表(平成29年6月6日)した。------
従来は銅鐸の様式の時代区分から埋納年代を推測していたが、松帆銅鐸(1号は菱環鈕式銅鐸であり古い時代の銅鐸である)では使える植物片が付着していたことから科学的な検証が出来た。これまでは弥生時代中期末(紀元前後)の銅鐸であると考えて居た処、150年以上古く紀元前に遡(さかのぼ)ることが明らかとなった。-------
日本各地の弥生遺跡から出土する青銅製品には銅剣・銅鉾・銅鏡と銅鐸があるが、中国大陸で発見されるような大型で精巧な鼎(かなえ)などの青銅器は発見されていない。-----
奈良国立博物館・青銅器館(坂本コレクション)で中国古代青銅器を観れば日本の青銅器の出土品との時代の古さとレベルの違いに唖然(あぜん)とさせられる。-------
邪馬台国の卑弥呼が中国・魏から景初3年の銘入りの道鏡100枚を貰ったとして、同様の銅鏡が肝心の中国大陸からは殆ど出土しないと日本側の歴史学会では不思議がっている様であるが、もっと不思議なのは日本には青銅器文明の時代がそもそも存在しないのではと考えられる位、出土する青銅器の種類と品質が中国本土のものと懸け離れて劣っているとしか考えられない。一部の学者は日本には青銅器時代は無いと云う方も居られるとか。-------
仕方がないので、縄文時代と弥生時代と云う土器の形式による時代区分を使って、世界史的には金属器(青銅器)の時代である筈の年代区分を日本独自に仕立て上げて分かり難くしているとも見える。------
世界遺産・古都奈良などでは、銅鏡でさえも奈良市あたりでは1枚しか出土確認されていない。------
ひょっとしたら、大仏造営のときに手当たり次第に金属供出をさせてしまって姿を変えて大仏様(毘盧遮那仏びるしゃなぶつ)のお身体になって仕舞っている可能性も否定は出来ないだろうけど。

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