奈良

不比等

古都奈良・修学旅行と世界遺産の街(その476)

2017-12-13 08:15:00 | 奈良・不比等
歴史ミステリー小説 北円堂の秘密

「キリスト教は宗教ではない~自由・平等・博愛の起源と普遍化への系譜(竹下節子著・中公新書ラクレ2017刊)」を読んだ。竹下節子(たけしたせつこ1951生れ)女史は東大教養学部(フランス文科)卒で、同大学院博士課程・パリ大学博士課程を修め、比較文化史家としてフランスに在住し、研究・評論活動と一般向け教養書の執筆を続けている。------
グローバル世界の中でキリスト教の始原となったキリスト者の生きる物差しとなっている自由・平等・博愛の由来を易しい言葉で何回も繰り返して説明をしてくれている。私達は社会科で習う自由・平等・博愛がフランス革命により宣言された人類普遍の原理であると教わるが、実際はキリスト教文化の中に胚胎していたのであると分からせてくれる。------
フランス革命では王政とカトリックの両方を追放したのであるがその後の揺り戻しでナポレオンもカトリックを一部復活させて人心の安定に寄与する効果を求めたのだとか。「キリスト教は宗教ではない」では、グローバル化する世界の中でキリスト教の果たせる役割が必ずあるのではないかとも問いかけている。ローマ教皇もミャンマーを訪れたり、ロヒンギャの問題に耳を傾けてみたり、カトリックの信者のみの福音を説くのではなくて、全世界の人々の上に平和が訪れる事を願っていると行く先々で所信を述べている。------
以前、春日大社に初詣に行く時に、奈良公園にプラカードを持った男が立っていて、拡声器を遣って「貴方がたは原罪を持つ罪人だから神の御前にその罪を悔い改めよ。」と説教を繰り返していたが、正月気分を損なわれて余り良い気持ではなかった。このように、日本人一般は江戸時代の切支丹禁教令の影響を今も潜在意識下で脱し得ず、明治の開国時にキリスト教の布教に勢い込んだ宣教師たちは当てが外れたと云われている。それでも一部の日本人はキリスト教に入信し洗礼を受けた有名人も多い。でもそれは西洋かぶれではないが、其れなりの家柄の人々であって檀家制度のキツイ縛りの中で育った人々には違和感があった。それでもキリスト教文化の恩恵だけは暦法然り、七曜然り、西洋音楽然り、西洋絵画然りで何でも気に入った文化は取り入れて来た日本である。-----
世界宗教となったキリスト教とカルト宗教を較べると、その歴史の深さも然る事ながら、曝され続けて人間社会に必要不可欠な普遍的な価値基準が示されてきたのだなと「キリスト教は宗教ではない」を読んで思った。
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