奈良

不比等

古都奈良・修学旅行と世界遺産の街(その263)

2017-05-14 09:06:25 | 奈良・不比等
「日本に古代はあったのか(井上章一いのうえしょういち著・角川選書2008刊)」を読んだ。井上章一氏は「中国史(宮崎市定みやざきいちさだ著・岩波書店上巻1977下巻1978)」を読んで以来、中国の時代区分と日本史の時代区分とが噛み合っていないことに気付き、内心違和感が生じてきたそうである。日本史の専門家はどのようにして日本の時代区分を理解して納得しているのだろうかと。-----
もし宮崎市定の中国史の時代区分に日本史の時代区分を合わせるとすると、日本には古代がなくて卑弥呼の時代を最初として中世から始まるとするべきである筈だという。------
また、近世は平安中期の日宋貿易の始まるときが日本の近世の始まりであると云う。------
宮崎市定の中国史はユーラシア大陸の西と東を視野に入れて、大局的な視座から中国史を俯瞰している。西のローマ帝国と東の漢帝国が共に周辺蛮族の侵入により分裂解体して中世が始まるとしている。日本が模範として奈良朝の律令国家体制を整えた隋・唐帝国は既にして夷狄(いてき)に侵入支配された国であり、漢帝国とは異なっている。------
日本史の学統を握っていたのは東京であり、京都ではない。鎌倉時代とか江戸時代を殊更(ことさら)大仰(おおぎょう)に論(あげつら)うのは、明治になって東京に遷都し集まった東国の人士がそれまでの西日本の上から目線を跳ね返すべく日本史の基軸に据えたことによるようだ。------
ユーラシア大陸の西洋諸国はローマ時代には辺境の国であった訳であり、ドイツなども古代には形もなく国自体が中世から始まっている。日本もそれと変わらないと述べている。
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