奈良

不比等

古都奈良・修学旅行と世界遺産の街(その302)

2017-06-22 08:08:35 | 奈良・不比等
TVでお馴染(なじ)みの「経済ジャーナリスト・須田慎一郎(すだしんいちろう1961年生れ)」氏が「奈良県宇陀郡(うだぐん)御杖村(みつえむら)」に行った時の話をなさっていた。近鉄大阪線(大阪上本町~近鉄名古屋)の名張駅から南に舗装もされていない砂利道を数時間掛けて御杖村役場に漸くたどり着いたとのこと。海外の安い木材が輸入されるまでは吉野杉の産地として賑わっていたそうである。今では過疎化し「人口1700人」であり近隣の市町村に併吞(へいどん)されるしかないのだろうが、北隣の曽爾村(そにむら・人口1500人)と共に村を何とか続けている。古代からの歴史の古さを云えば「御杖村」の「御杖」は神武東征伝に登場する神武天皇が残された「杖(つえ)」を意味するそうであり、伊勢本街道の通る宿場としても江戸時代までは賑わっていたのだろう。------
奈良県北東部にあった「月ヶ瀬村(つきがせむら・人口1800人)」や「都祁村(つげむら・人口6700人)」は2005年に奈良市に合併して残っているのは「山辺郡(やまべぐん)山添村(やまぞえむら・人口3700人)」のみである。------
「高市郡(たかいちぐん)明日香村(あすかむら・人口5400人)」の場合は、観光振興で暮らせるでしょうから、近隣の高取町や橿原市・桜井市などと合併する必要は今のところ無いでしょう。------
奈良県の僻地(へきち)を眺めていると、農林業により暮らせる人口だけが残っているのだろうと考えられる。生活出来なければ都市へ出て働いて暮らすしか無いのだからはっきりしている。「老兵は去りゆくのみ」あるいは「サヨナラだけが人生だ」と云う台詞(せりふ)と同様に、過疎の村で暮らしを立てようとすること自体に無理があるのだろう。現在大部分が農林業で暮らしている老人の後継者として若者を定住させようとしても都市部に働きに出ればもっと楽な暮らしが出来そうな場合残って呉れる訳がないし、教育の面でも地元に農学校を設立することも出来ないだろうから山村定住構想(奥大和移住定住のすすめ)は絵に描いた餅の様なものである。基本は地域の特性を活かした農林・牧畜・養鶏業への就業となる訳だから。
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