奈良

不比等

古都奈良・修学旅行と世界遺産の街(その291)

2017-06-11 08:55:01 | 奈良・不比等
興福寺仏教文化講座(第399回・平成29年6月10日)があり、「元興寺文化財研究所」の狭川真一氏が前回(5月13日)と2回に亘り「玄昉(げんぼう)さん、興福寺とならまちを護る(上・下)」との題名で講演をして下さった。------
玄昉さん所縁(ゆかり)の頭塔(ずとう)・肘塚(かいのづか)・眉目塚(まゆめづか)・胴塚(どうづか)の他に5箇所目の塚が西城戸・厳島神社付近にあったであろうと推定し、この玄昉塚の意味合いを「興福寺」ならびに「ならまち」を囲む平城京の外京エリアの守り神として外周の五箇所に祀られたのではないかと結論付けた。-------
平安時代末期(11世紀)には興福寺の建物火災(1017・1046・1049・1060・1096年)が続いたが、その後1180年の平重衡の南都焼打ちまで大きな火災記録は無かったことにより興福寺僧であった玄昉の復権が災いを暫く遠ざけて呉れた事になるのではないかと述べられた。
「公益財団法人・元興寺文化財研究所」は平成28年11月に「総合文化財センター」を開所した場所が「奈良市南肘塚町146-1」であり「南肘塚町(みなみかいのづかちょう)」となっており、玄昉僧正とは関係が深いのかも知れないと思ってしまいました。
元興寺が世界遺産・古都奈良のリストに登録されたについては「元興寺文化財研究所」のこれまでの地道な研究成果が勘案(かんあん)斟酌(しんしゃく)されたのではないかと、狭川真一氏の講演を聴いて考えた。江戸時代まで残っていた元興寺・五重塔も消失し過去には厖大(ぼうだい)に存在したであろう文化資産が少ないにも拘らず立派に世界遺産を名乗ることを承諾させた力量は半端ではないのだろう。
ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 古都奈良・修学旅行と世界遺... | トップ | 古都奈良・修学旅行と世界遺... »

コメントを投稿

奈良・不比等」カテゴリの最新記事