奈良

不比等

古都奈良・修学旅行と世界遺産の街(その209)

2017-03-21 09:24:34 | 奈良・不比等
養老孟司(ようろうたけし)先生と建築家で東大教授の隈研吾(くまけんご)氏の対談本「日本人はどう住まうべきか?(日経BP社2012刊)」の中で、お二人の結論は、先ず養老孟司先生は人口減少社会で地方が過疎化しているのなら丁度良いので庶民も別荘を田舎に持てるように法律の見直しをして税を安くすれば持論の参勤交代が出来る。隈研吾氏は「自分は紺屋の白袴で建築家ではあるが日本であろうと世界であろうとどこにでも住める」と仰っている。また頭で考えて土地のことを考えていない都市計画はだめだとこれはお二人とも同じ意見であった。--------
日本人が芝生の庭に白い家の郊外住宅を建て始めたのはそれ程古くはなくて、アメリカが発明したものであるのだとか。石油文明の賜(たまもの)であり、自動車が無いと成立しないが、サラリーマンがそれを手に入れると生涯の幸せが得られるかのように庶民を洗脳した結果、経済成長の推進力となってきた。アメリカはサブプライムで経済破綻するまで郊外住宅を個人にローンを借りさせて建設しまくり内需拡大路線を驀進してきたのだとか。日本のバブル崩壊の頃もそのアメリカの真似であったようだ。日本は最近は郊外住宅は少し落ち着いているが都市部に高層マンションを建てまくっておりそれで経済が何とか保っている部分があり、止められないのだとか。------
対談なので話は彼方此方(あちこち)に飛び交ったが、其の中で、スラムの形成の話は面白い。インドなどで4~5年掛けて大規模ビルの建設工事をすると大勢の労務者が家族帯同で移り住み工事現場周辺に掘立小屋を建てて住み着くのでビルが完成するとペアーでスラム街も出来あがるのだとか。この話は、古都奈良の街の形成の歴史でもあると橿考研の菅谷文則(すがやふみのり)氏が講演会で仰っていたように思った。即ち、大仏造立の時も、鎌倉復興の時も江戸時代の再興の時も工事に従事した労働者とその家族が完成して後も古都奈良の地に住み着いて今の奈良市域が構成されてきたのであると。だから養老孟司先生の造語で云えば細民化された奈良町の様子が有る意味スラム発祥と云えるのではと考えられるのである。もっと解り易い例で云えば、夕張のような炭鉱の町で産炭が活発な時、山奥の嘗てのダム建設の佳境に有った頃は、労務者の街が出来上がっていたのだ。近年においては産業構造の変化に労働者の雇用がミスマッチすることもあるが、政府の何らかの対策により現地にスラム街の儘(まま)残ることは無くなっているが、インドにしても世界中労働者を集めるということは食いはぐれた連中が集まる訳であるから、工事が終わっても帰る処が無いのである。従って、スラムになってでもそこに留まるしかないのである。古都奈良では、江戸時代末期の奈良奉行・川路聖謨(かわじとしあきら)が古都奈良の庶民の貧窮振りを案じて観光振興であるとか様々な雇用創出に腐心していたとのことであり、これらの奈良町に住んでいた数多くの町人は江戸時代の大仏復興工事に従事した人々及びその子孫が住み着いていたのである。門前町として興福寺や東大寺が養える人口の比ではない労働者が全国から集まったとみて良いだろう。
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