奈良

不比等

古都奈良・修学旅行と世界遺産の街(その224)

2017-04-05 08:53:05 | 奈良・不比等
「母宮・貞明皇后とその時代~三笠宮両殿下が語る思い出(工藤美代子著・中央公論新社2007刊)」を読んだ。「三笠宮と東條英機暗殺計画・極秘証言からの昭和史の謎に迫る(加藤康男著・PHP新書2017刊)」の前編に相当する内容であり、2007年当時に三笠宮と百合子妃殿下のインタビューは済んでいたが、差し障りのある部分は、三笠宮の他界後に出版するとの約束になり、前編は工藤美代子女史が、後篇は加藤康男氏が執筆した。お二人はご夫婦であり共にノンフィクションを得意としている。------
それでも工藤美代子女史は女性の特質を生かした質問を発し、三笠宮と百合子妃殿下のダブルスの受け答えは息が合っていた。戦前の菊のカーテンの内側が、垣間見えてその実、日本の昭和史にも直結している内容は特筆ものである。------------
兄宮・高松宮と喜久子妃殿下の新婚旅行は世界一周で13カ月掛かったそうであるが、三笠宮と百合子妃殿下の場合は時局が太平洋戦争開戦の昭和16年10月であり、その旅は伊勢神宮・畝傍御陵・桃山御陵を巡る参拝コースであったとか。まるで今に至る修学旅行の定番コースと大差ないので、ご公務そのものではないですかと工藤美代子は返している。------
貞明皇后は4男の三笠宮には長男の昭和天皇や次男の秩父宮、三男の高松宮と違って百合子妃殿下共々気兼ねなく接していらしたようである。些細な日常の事共を淡々とお尋ねして三笠宮両殿下から見られていた貞明皇后の生き様を語って貰うスタイルの本として、読んでいて楽しい仕上がりでした。-------
戦争責任の件で昭和天皇の立場がどのようであったかなど母宮の貞明皇后の苦悩は如何ばかりであったのか、三笠宮存命中にインタビューを収録しておかれたことは、歴史学者・三笠宮の英慮と云わざるを得ない。高松宮日記などとはまた異なった興趣が湧く。
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