風月庵だより

都会の雑踏に埋もれて生きている老庵主です。消えゆく前の雑音です。

亡き兄の手紙 貧困時代

2017-06-18 10:01:59 | Weblog

6月18日(日)曇り【亡き兄の手紙 貧困時代】

母のベッド周りが、汚れているので片付けていたら、亡き兄の手紙が出てきました。日付はありませんが、おそらく私が12歳の58年前のものです。昭和34年、日本全体がまだ経済的に貧しい時代ではないでしょうか。兄は大学生だったと思います。私は中学生になるとき、弟は小学4年生から故郷を離れて兄たちとともに東京で暮らすことになったころの手紙です。故郷の両親に向けての手紙です。

「拝啓 お手紙大変遅れてすみません。お二人ともお元気でしょうか。こちらはY男もM代も元気すぎて困るほどです。(略)二人の教科書代が二千五百円くらいかかるらしいのですが、お母さんから来るお金を待っていると間に合わないので何とか買ってやるつもりです。二人の服などは予定通りにゆかず五百円くらい出てしまいました。それに二人と一緒にいると目に見えないお金がでるものです。Y男の服(上下)1000円、靴下(長いのとソックス)270円、M代の長靴下250円、ズック(二人分)440円(上ばき)、靴(二人分、ビニール)750円(下ばき)、下着285円、靴入れ100円、以上です。これでみると1100円ほど予定より超過しています。

僕のバイトのお金が入るのも今月分は今月末ですし、申し訳ありませんが、あと最低三千円、四千円か五千円送っていただけないでしょうか。部屋代も足りません。どうぞよくご理解下さってご送金下さい。お米の方もどうぞ送って下さい。

ではまたお便りいたしますが、どうぞ、お元気で。お身体に充分お気を付けてお働きください。」

このような手紙です。このころ母は40歳ごろです。兄たちは、幼い妹と弟を抱えて、東京で一緒に暮らさなくてはならなくなり、少ない仕送りの中で、苦労していたのですね。両親ももちろん大変でしたでしょう。

しかし、私も弟も、この頃、言うところの「子どもの貧困」に当たると思いますが、全くそんなことを意識したことがありませんでした。貧しいとも思わなかったような気がします。おやつやお菓子というものを知ったのは、小学校時代営林署に勤めている人の家に遊びに行ったとき、はじめて食べさせてもらった記憶がありますが、中学時代、ほとんどお菓子を食べた記憶はありませんし、食べたいと思ったこともありませんでした。中学時代はお金持ちであろう同級生の上落合のお家に遊びに行ったとき、たしかおいしいお菓子とお茶をご馳走になった記憶があります。

ほとんど、公園に遊びに行ったり、勉強に燃えていましたので、貧しいと思う余地もありませんでした。テレビが普及したのは高校時代だと思いますので、他の生活や世界を観ることもありませんでした。

しかし、兄たちが、幼い妹や弟を抱えて、お金の苦労をしていたことを改めて知りまして、亡き兄に感謝しました。

母も、いつも子供から来る手紙は、もう少しお金を送って下さい、という手紙ばかりで苦労したと思います。家族の苦労のお陰で、育ってきたのだと感謝している朝です。今朝は、兄が好きだったじゃがいもと玉ねぎのお味噌汁をつくって霊前に供えました。

皆さんは、どのような少年少女時代を過ごされましたか。

(竹の緑がとても美しいです。しばらく切らないでおきたいと思っています。)

 

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2 コメント

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Unknown (春女)
2017-06-19 19:33:32
読み始めたら涙が止まりません。このような手紙を残しておられた、お母様の心境は想像もできません。

生物は生まれながら飢餓との戦いです。人類もしかりだったでしょう。しかし人類は支配者と被支配者に分かれて行き、飢餓と無縁の階級が生まれました。

飢餓とは即ち貧困の結果。現代では都市で貧困が増幅されるようです。日本でも戦後、田舎であぶれた人が都市に流入。そこで待っていたのが更なる貧困。都市は貨幣経済ですから、お金がないと何も手に入りません。

兄妹の為に奮闘するお兄さんの頑張り、そしてやはり頼りはお母さんと言う手紙。
唐突ですが歴史を作っているのは、教科書などに載っている人物ではなく、その他大勢の一般人だと痛感します。お兄さん有難うです。
春女さんへ (風月)
2017-06-20 11:32:39
母もよくこのような手紙を後生大事に持っているものですね。しかし、お陰で、自分の中学時代がわかりました。たしか父がいつか机を買ってやると約束してくれたのですが、なかなか買ってもらえなかったことを突然思い出しました。田舎から出てきたばかりの少女が、東京の中学校で一番になったことを思い出しました。自慢ですが。

それも兄たちが支えてくれていたから、できたことなのですね。
兄が50代で亡くなったことは、つくづく残念に思っています。

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