風月庵だより

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すり切れた白衣

2006-08-18 23:34:17 | Weblog
8月18日(金)晴れ暑し【すり切れた白衣】

久しぶりに二日間の休みができた。どこにも出かけないことにした。いつもの一日の休みでは台所磨きや、風呂磨き、部屋の片付け、洗濯等で終わってしまうが、今日は思いきって白衣(ハクエー白の着物のこと)の繕いをすることにした。

夏の間は着るたびに洗わねばならないので、襟も裾もすり切れたり、綻びてしまう。この頃はなかなか繕いができなかったので、三枚の白衣の襟をかけなおし、揚げをおろして裾を縫い直した。直し終わった樣子を見たら、まだしばらくは着られそうである。

針を持つことは本当に楽しいことである。出家するときは着物だけでなく衣や改良衣も自分で縫ったし、お袈裟も何枚も縫ったのだが、この頃は作務衣を縫う暇さえないような日々であったので、繕い物だけでも実に楽しかった。

さて先日は【若き日の行脚のこと】などを書いたのと、今日は衣の綻びのことなどを書いたので、比較にはとうていならないが、宏智正覚(1091~1157)禅師の略伝の一節を紹介したい。
〈原文〉
時真歇初住長蘆。遣僧邀至。衆出迎見其衣舃穿弊且易之。真歇俾侍者易以新履。師却曰。我為鞋来耶。衆聞心服。懇求説法。居第一座。六年出住泗州普照。(『従容録』「天童宏智禅師伝略」の一節)   
〈訓読〉
時に真歇、初めて長蘆に住す。僧を遣わして邀(ムカ)えて至らしむ。衆出でて迎へ、其の衣舃(セキ)穿弊(センペイ)するを見て、且く之を易へんとす。真歇、侍者をして易ふるに新履を以て俾(セシ)む。師、却(シリゾ)けて曰く、「我れ、鞋の為に来らん耶(ヤ)。」衆聞きて心服し、説法を懇求(コンキュウ)す。第一座に居すこと、六年にして出でて泗州の普照に住す。   
〈解説〉
宏智の兄弟子である真歇清了(1089~1151)禅師が長蘆山の住持であった時、宏智のところに迎えの僧を送って長蘆山にお連れした。大衆たちはこれを出迎えた。宏智の衣も履き物も穴だらけであるのを見て、真歇は新しい履き物を侍者に持たせて、これをかえさせようとした。宏智は「私は草鞋のために来たのではない」と言ってこれをことわったのである。大衆はこの言葉に心服し、説法をしてくれるように懇ろに頼んだ。第一座(首座)を六年勤めてから(長蘆山を)出て、泗州の普照寺の住持となった。*宏智も真歇も丹霞子淳(1064~1117)の法嗣。


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