忍性が極楽寺への切通しを作るまで、極楽寺坂は鬱蒼と木が茂り、
昼間でも夜のように暗く、このあたりは「星月夜」と呼ばれてました。
坂の上り口には「星の井」という井戸が残ってます。
井戸の近くには虚空蔵堂があります。
成就院の境外仏堂で、明鏡山・円満院・星の井寺と称します
聖武天皇の時代、行基が諸国行脚中、明星の光が宿ると地元民がうわさする
「星月夜の井」をのぞき、現れた虚空蔵菩薩の姿を仏像に彫ってお堂を建てました。
その数100年後、源頼朝はこの菩薩を尊崇し、行基の菩薩像を秘仏とし、
仏師運慶に前立の虚空蔵菩薩を作らせたとか
でも、正・5・9月13日に公開される本尊は江戸時代の作みたい、
昔、子供の13参りに京都嵐山の法輪寺まで行ったものですが、
行基の作った虚空蔵菩薩ならここで13参りできるのにね
境内には「舟守地蔵」も安置され、近在の人々に祟敬されてます
さて、成就院へ向かう極楽寺坂から、由比ヶ浜の眺めです。
現在の極楽寺の切通しは大正時代に掘り下げたらしく、
忍性が作った切通しは成就院のある高さだったと思われます。
鎌倉33観音の札所の成就院です。
空海(弘法大師)が江ノ島を訪れた際、この地で護摩供を修しました。
空海というと、山岳修行中に授かった「虚空蔵求聞持法」を修し、
一度読んだら理解し暗記できるという秘法を身につけました。
遣唐使として入唐、たった2年で密教の正統後継者となる
伝法灌頂を授戒し、帰国して真言宗の開祖となった人、
行基ゆかりの虚空蔵菩薩と聞いたら放っておけないでしょうね。
行基、空海の霊跡のこの地に、北条泰時が1219年(承久元)に僧辰斎を招き、
不動明王を本尊として成就院を建立、鎌倉の守りと北条氏の繁栄を祈ったという
不動明王のレプリカ
文覚上人荒行像のレプリカ
いろんなレプリカが置いてありますが、
札所本尊の観音さまはどこにも見えずでした
いただいた御朱印、次の極楽寺といっしょです
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