風雅庵の日々

園芸、屋上、近所の散策を中心に記録します

成就院

2011-10-01 14:13:40 | 鎌倉33観音
第21番 普明山・法立寺・成就院(真言宗大覚寺派)【聖観音】

忍性が極楽寺への切通しを作るまで、極楽寺坂は鬱蒼と木が茂り、
昼間でも夜のように暗く、このあたりは「星月夜」と呼ばれてました。
坂の上り口には「星の井」という井戸が残ってます。

井戸の近くには虚空蔵堂があります。
成就院の境外仏堂で、明鏡山・円満院・星の井寺と称します


聖武天皇の時代、行基が諸国行脚中、明星の光が宿ると地元民がうわさする
「星月夜の井」をのぞき、現れた虚空蔵菩薩の姿を仏像に彫ってお堂を建てました。
その数100年後、源頼朝はこの菩薩を尊崇し、行基の菩薩像を秘仏とし、
仏師運慶に前立の虚空蔵菩薩を作らせたとか

でも、正・5・9月13日に公開される本尊は江戸時代の作みたい、
昔、子供の13参りに京都嵐山の法輪寺まで行ったものですが、
行基の作った虚空蔵菩薩ならここで13参りできるのにね


境内には「舟守地蔵」も安置され、近在の人々に祟敬されてます


さて、成就院へ向かう極楽寺坂から、由比ヶ浜の眺めです。
現在の極楽寺の切通しは大正時代に掘り下げたらしく、
忍性が作った切通しは成就院のある高さだったと思われます。


鎌倉33観音の札所の成就院です。
空海(弘法大師)が江ノ島を訪れた際、この地で護摩供を修しました。

空海というと、山岳修行中に授かった「虚空蔵求聞持法」を修し、
一度読んだら理解し暗記できるという秘法を身につけました。
遣唐使として入唐、たった2年で密教の正統後継者となる
伝法灌頂を授戒し、帰国して真言宗の開祖となった人、
行基ゆかりの虚空蔵菩薩と聞いたら放っておけないでしょうね。

行基、空海の霊跡のこの地に、北条泰時が1219年(承久元)に僧辰斎を招き、
不動明王を本尊として成就院を建立、鎌倉の守りと北条氏の繁栄を祈ったという


不動明王のレプリカ


文覚上人荒行像のレプリカ

いろんなレプリカが置いてありますが、
札所本尊の観音さまはどこにも見えずでした


いただいた御朱印、次の極楽寺といっしょです

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