誰もいないし、ゆったりと暖かい陽射しを感じながら、書斎に使われた部屋で、子規がかつて曲がらなくなった左膝を立てて執筆したため板をくり抜いた愛用の机の前の座布団にどっかりあぐらをかき、ガラス窓が開け放たれた先の庭を眺めた。驚いたのは、大きな糸瓜(へちま)が画に描いたようにたくさん軒下にぶら下がっている光景。写真を撮ってはいけないそうだから、黙って眺めていたが、まさに『病状六尺』や『仰臥漫録』の子規を独り占めした気分だった。庭の向こうを山手線か京浜東北線か、電車が通る音が聞えるが、それも邪魔にならない。
小生の作品の第2巻に、こんな記述がある。―― 『仰臥漫録』は糸瓜づくしの日記である。「庭の棚に夕顔三つ瓢(ふくべ)一つ干瓢(かんぴょう)三つ、それより少しもふえぬに糸瓜ばかりはいくらでもふえる。今ちよつと見たところで大小十三ほどあり」(九月二十五日)とあるから、子規庵の庭には、慥かに、目立って糸瓜がたくさんぶら下がっていたらしい。シキは、やや羨望をもって、時々刻々の糸瓜たちを眺めていた。
〔約55坪の敷地のうち、庭は20坪で、シキの「小園の記」(明治31年)には「我に二十坪の小園あり。園は家の南にありて上野の杉を垣の外に控えたり。場末の家まばらに建てられたれば青空は庭の外に拡がりて雲行き鳥翔る様もいとゆたかに眺めらる」とある。昔の造園学の学生(東京農業大造園科学科専任講師服部勉氏門下の古山道太氏)の研究(2003年)によれば、シキの病状末期に、竹を組んで庇(ひさし)の先に延ばすように設けられた糸瓜棚は、日よけとしてだけでなく、仰向けのままでも眺められるという配慮があったのではないか、とする。〕
中から、明らかにロツウの「ソラマメノ・ツキハナラヨリ・イデシカモ」を彷彿させる缶中2句目の「エダマメヤ・ツキハヘチマノ・タナニアリ」を含む、七句ばかり。
棚の糸瓜思ふ処へぶら下る
糸瓜ぶらり夕顔だらり秋の風
糸瓜には可も不可もなき残暑かな
秋の灯の糸瓜の尻に映りけり
枝豆や月は糸瓜の棚に在り
黙然と糸瓜のさがる庭の秋
成仏や夕顔の顔へちまの屁
(中略) 十八日午前、シキは絶筆となる三句を詠んだ。缶中3句目の「ヘチマサキテ・タンノツマリシ・ホトケカナ」はこの三句の初句だ。
糸瓜咲て痰のつまりし仏かな
痰一斗糸瓜の水も間にあはず
をととひの糸瓜の水も取らざりき
十九日の午前一時頃、シキは誰にも気づかれぬうちに静かに息を引き取った。遺体を整えるために我が子の肩を抱いて起こした母のヤエ(八重)は「サア、も一遍痛いというてお見」と強いマツヤマ弁で催促したという。
*上掲の写真は、財団法人・子規庵保存会のパンフからコピーした。写真は撮れず、されど文章だけでは感じが分からないと思ったので、悪しからず。まさに、この写真のような光景を、眺めたのである。庭の中央、赤い花は、鶏頭(けいとう)である。子規の句に「鶏頭の十四五本もありぬべし」がある。
小生の作品の第2巻に、こんな記述がある。―― 『仰臥漫録』は糸瓜づくしの日記である。「庭の棚に夕顔三つ瓢(ふくべ)一つ干瓢(かんぴょう)三つ、それより少しもふえぬに糸瓜ばかりはいくらでもふえる。今ちよつと見たところで大小十三ほどあり」(九月二十五日)とあるから、子規庵の庭には、慥かに、目立って糸瓜がたくさんぶら下がっていたらしい。シキは、やや羨望をもって、時々刻々の糸瓜たちを眺めていた。
〔約55坪の敷地のうち、庭は20坪で、シキの「小園の記」(明治31年)には「我に二十坪の小園あり。園は家の南にありて上野の杉を垣の外に控えたり。場末の家まばらに建てられたれば青空は庭の外に拡がりて雲行き鳥翔る様もいとゆたかに眺めらる」とある。昔の造園学の学生(東京農業大造園科学科専任講師服部勉氏門下の古山道太氏)の研究(2003年)によれば、シキの病状末期に、竹を組んで庇(ひさし)の先に延ばすように設けられた糸瓜棚は、日よけとしてだけでなく、仰向けのままでも眺められるという配慮があったのではないか、とする。〕
中から、明らかにロツウの「ソラマメノ・ツキハナラヨリ・イデシカモ」を彷彿させる缶中2句目の「エダマメヤ・ツキハヘチマノ・タナニアリ」を含む、七句ばかり。
棚の糸瓜思ふ処へぶら下る
糸瓜ぶらり夕顔だらり秋の風
糸瓜には可も不可もなき残暑かな
秋の灯の糸瓜の尻に映りけり
枝豆や月は糸瓜の棚に在り
黙然と糸瓜のさがる庭の秋
成仏や夕顔の顔へちまの屁
(中略) 十八日午前、シキは絶筆となる三句を詠んだ。缶中3句目の「ヘチマサキテ・タンノツマリシ・ホトケカナ」はこの三句の初句だ。
糸瓜咲て痰のつまりし仏かな
痰一斗糸瓜の水も間にあはず
をととひの糸瓜の水も取らざりき
十九日の午前一時頃、シキは誰にも気づかれぬうちに静かに息を引き取った。遺体を整えるために我が子の肩を抱いて起こした母のヤエ(八重)は「サア、も一遍痛いというてお見」と強いマツヤマ弁で催促したという。
*上掲の写真は、財団法人・子規庵保存会のパンフからコピーした。写真は撮れず、されど文章だけでは感じが分からないと思ったので、悪しからず。まさに、この写真のような光景を、眺めたのである。庭の中央、赤い花は、鶏頭(けいとう)である。子規の句に「鶏頭の十四五本もありぬべし」がある。