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科学と文芸を融合した仮説作品「風雅のブリキ缶」姉妹篇。街で撮った写真と俳句の取り合わせ。やさしい作品サンプルも追加。

『山の音』と『青い山脈』『麦秋』に見る原節子の「正義の意地」

2017年04月19日 14時41分06秒 | Journal
 一昨日昨日今日と原節子が主人公を演じた三作の映画、『山の音』(1954、成瀬巳喜男監督)、『青い山脈』(1949、今井正監督)、そして『麦秋』(1951、小津安二郎監督)をNHKテレビのBS放送で観た。違った監督作だから、違った原節子(1920‐2015)を見られるかと思ったが、やはり、原節子は原節子だった。その点で、監督を寄せ付けない大女優だったのだ。そして、いかなる役になろうと原節子に共通するのは、意地である。よく言われる「女の意地」ではない。原節子のは、「人間の意地」なのだ。あるいは、正義に向けたド根性の意地である。

 『山の音』は、川端康成の小説が原作。原作は読んだことがないのだが、多分、映画とは違った印象の作品だろうと感じた。映画では、嫁(原節子)の義理の父親役の山村聰(1910‐2000)の演技が光っていた。東大卒の山村は、余りに立派な風貌から軍人になることが多かったが(日本映画では、軍人は大抵、美男を使う)、この映画では温厚な老紳士、会社の重役として登場(年齢の設定が62歳と小生と大して変わらないのには驚いた)、この役者の深い持ち味が、この作品で引き出されていた。義理の父を慕う原節子の嫁は、外に女をつくった夫を許さず、自ら堕胎して、実家に戻ってしまう。

 原節子、成瀬監督、山村聰


 『青い山脈』は、石坂洋次郎の小説が原作。例の気恥ずかしいぐらい明るい歌で有名だが、少し漱石の『坊っちゃん』を想起させる「青春小説」。30代の池部良(1918‐2010)が演じた旧制高校生がかえって渋くて良かった。原節子は、保守的な田舎者社会を相手に坊っちゃん以上の正義肌を発揮する先生役だった。

教師役の原節子 池部良と杉葉子


 『麦秋』は、当時としては婚期を逃しかけた実家に暮らす28歳の丸の内オフィスレディー(原節子)が、有力なお見合い結婚相手を蹴って近所の子持ちの男の嫁になる話である。笠智衆(1904‐1993)が原のお兄さん役というのも面白い。原と友人である淡島千景(1924‐2012)の二大女優が競演したところが見どころだった。小生は、幼少のころから、テレビ画面に観る銀幕女優のうち、どちらかといえば、原節子よりも淡島千景に惚れていたから(なんでも、手塚治虫もそうだったらしい)、今さらに、演出上シンクロナイズされたこの二人の演技を観賞できるのは老いらくの果ての果報であった。

原節子と淡島千景 小津監督と原節子


 つまり、原節子は、夫に浮気される妻、独身教師、嫁入り前のオフィスレディー、と違うシチュエーションの役柄を演じながら、一貫して原節子の社会正義を通して、意地っ張りなところを演じていた感がした。家庭や結婚生活にも正義の問題がかかわるというのは、イプセンなど西欧における近代文学の伝統的な問題意識であろうが、日本では、それほど伝統になっていない。今どきのテレビドラマにしても男女間の愛憎の問題として矮小化されてしまう傾向がある。べたべたする煮え切らない男の監督を前に、原節子は、女一代、自分の正義をあっぱれに演じ切って、力尽きて、あっさり銀幕の世界から身を遠ざけたのであろう。
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