ごんごんの  遍路のみちは一歩から 同行三人

リタイア後、近場のウォーキングで健康増進に努めています。年々歳々四国遍路が遠のきます。

車で四国遍路 同行五人3の③

2017-05-08 11:21:31 | 四国遍路 二巡目その3

3日目 2016年4月12日(火)晴れ

 

 屏風浦の七ヶ寺参りの一日である。捨身ケ嶽禅定を組み入れてあり、どの程度時間を要するか不確実のため、連泊するホテルにお願いし朝食を早めにとって出立する。

 

 ホテルから浜街道を利用し、別格海岸寺の傍をぬけ、穏やかな瀬戸内の海を右手に眺めながら七十一番弥谷寺をめざす。下の駐車場から歩いて24分ほど、540段を超える石段が断続的に続く。

 

 早朝から本堂前には団体のお遍路さんがいた。大師堂は屋内にあり、獅子の岩窟前でお詣りをし、姉たちは七ヶ寺参りの彩色御影を頂戴する。長姉とカミさんは帰りに「俳句茶屋」で草餅を購入した。

 

 弥谷山の山裾を下り、国道11号を左折し善通寺市に入る。鳥坂峠には、名物の「鳥坂まんじゅう」の店があるが、この日はあいにく休業日であった。国道11号を右折し、我拝師山の遍路道を登り、先に七十三番出釈迦寺を目指す。姉たちを参道前で降ろし、僕は上の駐車場へ。参道沿いには三鈷松もある。

 

 参道を登った境内は狭く、本堂・大師堂がとなり合っている。納経を済ませ、奥の院捨身ガ嶽禅定へ詣るため、参道への通行を願い出る。

 

 参道通行の鍵を預かり車で7分ほど、予想より狭く急勾配な坂道を駆け上がると山門下の駐車場に着いた。好天の日であり、多くのハイカーが参道を登っている。山門からも勾配の急な参道を登る。次姉が代表で鐘を衝く。

 

 本堂をお参りし、さらに鎖場を登って大師修行の地へ進むも、体力の限界を感じ断念する。一人の青年が果敢に鎖場を登って行った。(合掌)

 

 毎日登られる地元の方とお話をしていると、何やら往路の鍵の締め方に支障があったようである(謝辞)。急坂を転げ落ちるようにして再び出釈迦寺に戻り、鍵を返還し、奥の院の納経をいただく。途中で断念したので、15分程短い時間で参拝を終え、予定していたすべての別格の納経も完了した。

 運転にはそこそこ自信があり、カミさんや姉を乗せての見栄もあって実行したけれど、捨身が嶽禅定への車での挑戦は、今回を限りにしたいと思うほどの車遍路最大の難所であった。

       

 道を下ると次の札所七十二番曼荼羅寺は目と鼻の先。門先屋の跡地が駐車場になっており、境内は広々と見える。西行ゆかりの寺で西行の昼寝石もある。仁王門で写真を撮る直前に、僕の前に立ちはだかって写真を撮っていた鹿児島の御仁とは、このあと結願寺まで何度か遭遇することになる。

 

 七十四番甲山寺は県道48号に右折し、しばらく進むと左折の案内があり弘田川沿いを進むと広い駐車場の先にある。駐車場からの山門を通って境内に入る。寺は大師が満濃池完成の功労金により建てたと言われている。

  

 昼時となるので、近くの有名な「宮川製麺所」でさぬきうどんの昼食とする。11時半だが、駐車場にはかなりの車がある。白衣を来ていたので、食べ終えて出てきた地元の方が「おいしいから食べて行って」とのたまう。少し食べてから写真に撮ったので、美味しそうには見えないね。本当はおいしいんだけど、宮川製麺さんごめんなさい。

 

 七十五番善通寺は食事処からほど近い場所にある。駐車場は西院側にあり、弘田川を渡って境内に入る。境内は広大で400m程歩いて東院へ。一旦境内を出て改めて南門から入り直し、先ず東院の立派な本堂をお参りする。本堂内の薬師如来(オン コロコロ センダリ マトウギ ソワカ)が圧倒的である。五重塔などの伽藍を見た後、西院に戻る。名物の「カタパン」の熊岡菓子店も休業日であった。

 

 西院では立派な御影堂で参拝を済ませ、姉たちは七ヶ寺参りの大師の御影や台紙を頂戴する。名物を二つも買い損ねたので、駐車場売店で「大師まんじゅう」を買い求める。

 

 県道4825号を経由して金蔵寺西口の交差点を右折し、七十六番金蔵寺仁王門前で皆を降ろし、車は旋回し駐車場へ。僕は駐車場側から皆は遍路道の仁王門から境内に入る。南北に広い境内の北端に本堂がある。

 

 金蔵寺を出ると県道33号沿いに有名なうどん店「長田in香乃香」がある。食後2時間も経っておらず、うどんは食べられそうにもないが、名物うどんを土産にするため立ち寄ることにした。

 県道25号に出て道なりに北に進む。県道を右折して遍路道に入り、さらに北に進む。七十七番道隆寺仁王門前の駐車場には14時過ぎに到着。この道の途中では、自作の地蔵さんをお遍路さんにお接待する方がいる。屏風浦の七ケ寺参りの最後の寺となり、これで七ケ寺参りのお御影が揃った。

 

 駐車場を出て県道21号を東に進み、県道33号に入りホテルの前を抜けて、道なりに進む。宇夫階神社を過ぎて右折すると七十八番郷照寺の案内がある。山門を車で抜けると寺は宇多津の海が望める山の中腹にあり、段差のある境内の高みに大師堂があり、万体観音洞の地下堂もある。

 

 郷照寺からは遍路道大東川を渡ってから県道33号を経由し、坂出の街を東進する。JR八十場駅を過ぎて右折し、遍路道へ入りしばらく進むと七十九番天皇寺の鳥居型山門に出る。寺は保元の乱で讃岐に流され、この地で崩御した崇徳上皇の神宮寺となっている。狭い境内には崇徳上皇を祀る白峰宮もある。

 先に白峰宮を参拝した我らに、鹿児島の御仁は本堂は何処かと尋ねたとのこと。カブに乗って現れた御仁に、姉は地元の酒屋か八百屋の注文取りかと思ったようである。

  

 16時前である。もうひとつ札所を予定通りお詣りできる。八十場駅まで戻り、県道33号へ右折し、間もなく国道11号に進入して道なりに南進する。ガソリン補給のサインが捨身ケ嶽の登りから点灯しており、加茂川石油で給油する。

 R11号を左旋回しながら登りつめ、国分駅方向に左折する。道なりに案内に沿って走行すると八十番国分寺仁王門前の駐車場に出る。夕刻だが、県道沿いの駐車場はバスや乗用車で満車状態である。幸い仁王門前の一角に一台の空きがあり、そこに滑り込ませていると神戸の車がクラクションを鳴らして走り出ていった。モタモタするなの合図だろうか。

 四国の国分寺としては、今も広大な寺域を有し境内や隣接地に当時の礎石などが累々としている。大師堂は納経所の中にある。

 

 来た道を打ちもどる形でホテルを目指す。国道11号を丸亀方向に向けて走行していると、富士のような山容の大小の山が連なっている。どれが「讃岐富士」か県外の者には判別が難しい。坂出ICからは昨日と同じ道を走る。

 「丸亀プラザホテル」への連泊で、昨日より少し早い到着であり、小休止して丸亀城を探索することにした。

 

 丸亀城本丸へは厳しい勾配であったが、夕闇迫る丸亀の市街や讃岐富士も一望することができた。さくらまつりのぼんぼりが灯る道を下り、ホテル近くの穴子棒ずしの「天勝」で軽い夕食とした。

 


3日目(13,594歩) 走行距離 77.9km

 

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