炉端での話題

折々に反応し揺れる思いを語りたい

怒りの一票

2017-09-27 11:25:21 | Weblog
衆議院解散をするのだそうだ。

相変わらず、手前味噌のこじつけた解散だ。憲法で定められた、国会を開けと言う野党の要求を握りつぶしたあげく、国会を開く段になったら疑惑に蓋だ。私たちには、自己保身、権力私物化としか見えない。
しおらしく反省のふりをしたのはついこの間だ。しかし、自分勝手で国民をないがしろにする傲慢な姿勢は変わっていない。

高を括られても、愚弄されても、私たちはどうすることもできない。我々にできるの「怒りの一票」だ。「まあいいじゃないの」といい加減に過ごすことはできない。

これまで彼らは私たちに何をしてきたか思い出そう。いかに私たちに対して高を括っているか。いかに論理を捻じ曲げ、勝手気ままな振舞を続けてきたか。

憲法学者の異論に耳をかさず、閣議決定で憲法解釈を歪曲してしまった。十分に問題点を議論しないまま多数の横暴で安保法案を押し通し、自衛隊海外派兵の道をあけた。国会審議のルールを曲げて、テロ法案を押し通し、「計画」と言う拡大解釈可能な根拠で(いや、もっと言うなら、自分たちの疑いの気分だけで)、私たちを監視し、逮捕拘禁できるようにした。

戦前、戦中の政府の基本的な政治手法は「国民に知らしめべからず」と言うものだった。戦後70年あまりを経て、この手法への回帰が眼に余るようになった。国会審議への証人喚問拒否、南スーダンでの自衛隊日報の隠蔽、利権に関わる森友、加計問題をうやむやなまま済ませようとする態度、いろいろな記録文書類の無視、と言うより事実封殺、さらに恐ろしいのは、事実をはっきりさせようとする人の人格を貶めるような情報操作。

私たちに何も喋らないまま、どこかで、復古主義を賞賛したり、お仲間のための便宜供与をしたり。それには知らぬ存ぜぬの完全黙秘だ。

こんな国民への愚弄政治がまかり通っていてよいのか。(織)

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