Re:SALOON & VBA

005:並(折口弘)

お父さんいつ死ぬのかと問う息子 ベンチに並んでお茶を飲む春

コメント一覧

はっちん
死生観
「死生観」といっていいのかどうかは分かりませんが・・・、息子にとって、「死」は不思議なこと、あるいは、そういう決まりことであって、どうも怖いものではないようです。自分とは結びつかないもののようです。淡白なのでしょうか?
彼の姉も、同じくらいの歳に、「死」の存在を知りましたが、姉の場合は、自分か死ぬということに、連想が行って、怖がってました。いつ、自分は死んでしまうというような予言をして、こちらまで、怖がらせましたが、予言が外れて、親としては、ほっとしたのを覚えています。
もっとも、カミさんも、それを聞いてもケロッとしていたので、息子の生死に対する淡白さは、母親譲りなのかも知れませんが・・・
末松さくや
四歳
私も「息子」のほうがいいような気がします。
「死」がなんなのか、わかっているのかわかっていないのか、その曖昧な感じがより出ると思うので。

私は、「息子」は小学校にあがるかあがらないくらいの歳なのかなぁと思って読みました。四歳だったのですね。
いつ死ぬの、って率直にきけるのは、幼くないとできないような気がして。
でも、そういうふうに死と向き合えば、怖くないのかもしれません。
折口弘
生あれば死あり
「息子」を「稚児」にしようかと・・・思ったりもしてました。
その方が、何故、「いつ死ぬのか」などと問うという意味が分かるかも・・・と
でも、「稚児」や「幼子」と替えてみても僕の表現では、言い切れないものがありますね。
「世の中に死というもののあることを知り初めし児父はいつと問う」とすると、意味は伝わっても、「ベンチに並んでお茶」の雰囲気は出てこないでしょう・・・
鑑賞で取り上げてもらっているBLOGの評は、「息子」を自分で、「父」を老父ととる見方が多かったような気がします。意を決して、あなたは自分の死期を知っているのかと・・・問うていると。

四歳の息子が問うた、死期を僕らも無邪気であれば、問いかけているような気がします。
そして、いつ死ぬのか分からないから生きている部分もあるのでしょうね。
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