思いつき日記

思ったことをかいてみよ

知識の化学反応についてちょっと考えてみた。

2008年10月04日 | Weblog
「これはえがい」の人には興味がないけど、WEB時代の知識というものには興味があります。

自然科学によって何が共有されるようになったか
WEB時代の知性と「これはえがい」の人
情報社会で知識の価値は減ったのか これは私の記事です。

人の体験など、たかが知れているので、たくさんの人の経験(の一部ではあるけど)を知識として溜め込むことは非常に有意義なことだと思います。私も、tikani_nemuru_Mさんが書かれているように知識が一人の頭の中に積み込まれることで化学反応のような事が起きて新たな見解が出てくる、ということがあると思いますし、それを文書としているのが論文であると思うわけです。

Lhankor_Mhyさんは、そうではないのではないか?と思われているようです。
>個人の脳内でおこる「知識の化学変化」というものは、集団による「知識の化学変化」に及ばないのではないかと思うのです。

まったく反対というわけではありませんが、「知識の化学変化」は意図してできるものと、意図しないで化学変化してしまうものとがあることを考慮されていないかと。

引用しますが、
> たとえば、挙がっている孫子とハンニバルとナポレオンの知識の例をとります。Aという孫子に造詣が深い人物が孫子について述べ、それを受けてBがナポレオンを引き出して意見を述べ、そのやりとりを見ていたローマ史好きのCがハンニバルを引き合いに参考になる事例を出す、などという集団があれば、個人レベルの化学反応は容易にはそれに及ばないのではないでしょうか。

BさんがAさんの叙述を受けて意見を述べた時点で、Bさんが必要と思うことだけを表に出しています。すなわちBさんの中で化学反応が起きて、結果が出ています。Bさんは孫子についてAさんがしゃっべったことしか知らないので、本来おきるべき化学反応がおきず、不十分なままの反応でBさんが発言しているのではないか。十分な化学反応を起こすためには一人の中で、それぞれの知識を蓄えないといけないのではないか、と思うわけです。

知識の化学反応というのは比喩だけど、触媒というものもあるでしょう。「孫子とハンニバルとナポレオンの知識を化学反応させるのに触媒があるといい反応を起こすかもしれない。たとえば経営戦略に関する知識とか。軍隊に関する知識とか。
この触媒というのは化学反応を起こさせる(この場合なら孫子とハンニバルとナポレオン)対象とはまったく反応しないから、それぞれの知識を別個の人が持っていても化学反応にならない、あるいは不十分な反応にしかならない。

知識の化学反応は、既にわかっているような反応ではなく、反応することがわかっていないものが反応してしまうようなものだと思います。思いもかけず、知識の関連性が見つかった、というようなもの。

複数人で知識を共有するほうが化学反応がよりよく反応するだろうということはあると思いますが、とんでもない発見といったようなものは個人の中での「知識の化学反応」でも起こりうる、と思います。


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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (Lhankor_Mhy)
2008-10-07 16:45:14
トラバありがとうございます。興味深く読ませていただきました。
 
私の考えは「自分が思いつく考えは、誰にでも思いつける」ことを前提にしています。であるならば、他人にも一部負担してもらった方が効率的であろうということです。
ですから、その前提が崩れるような「自分にしか到達できない考え」については、分散的な知性は個人の知性に劣るでしょう。
そして、すべての経験は郵便的であるならば、原則的に分散的な知性は個人の知性に劣るということにもなるのですが、実用上、その誤差はスピードを落とすほどのデメリットにならないと考えています。
Lhankor_Mhyさんへ (ふるふる(管理人))
2008-10-07 23:22:25
分散的な知性については、知識の共有によってさまざまな「知識の化学反応」が起きるようになるため、より広範囲な可能性があり、知性の向上に貢献すると考えられます。
問題点は、個人の中にある知識を共有しようとするときに、個人の中の知識を100%外に出すことは不可能であるということであり、またさらに知識を受け取る側も、100%理解することが不可能である、ということでしょう。
知識を理解する、という過程において、そこには個人個人の経験が関係してくるからです。

「知識の化学反応を促す触媒としての知識」というものは知識の化学反応が起きなければその知識が触媒になりうることはわかりません。そのため、その触媒となる知識を共有しえないという問題がある、という問題提起が本エントリの骨子です。
Unknown (Lhankor_Mhy)
2008-10-08 14:55:21
体験や知識が郵便論的であることが、分散的知性のボトルネックになるであろう、ということは完全に同意です。異論はありません。

ただ、実用上は分散的知性のスケールメリットの方が上回るであろう、という認識です。もちろん、これは環境によるかなという思いもあります。(犬とか宇宙人相手にコミュニティを作るより、自分で考えた方がマシ)
Lhankor_Mhyさんへ (ふるふる(管理人))
2008-10-08 16:41:56
スケールメリットが上回る、という境界がありそうですね。
おっしゃる手法はブレインストーミングじゃないか、と思うのですけど、同じことしか考えない人がたくさん集まっても果たしてスケールメリットが上回るのでしょうか。
・・・つまり環境によるということになるから、同じ認識のようですね。

「これはえがい」の人については、ここ数日の流れでちょっと興味がでてきました。
私はPHPでサービスを作ったことがないのですが、他人が作ったAPIをただ呼び出しているだけ?のものだとしたら元のAPIを作った人に対して失礼じゃないか、と思いますね。

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