【ネット小説】FREISEIN(フライザイン)〜死に対して無碍

なぜ生きねばならないか分からない少女と、なぜ死なねばならぬか分からぬ少女が出会い、ニーチェのツァラトゥストラの謎を追う

第2章(53)【夢】-5

2009-04-30 | 小説
「そこで、今後の道は大きく三つあると思う。
 一つはハイデッガー以外にこの大問題の解決が教えられていないか、
 徹底的に調べること。
 二つ目は、我々のハイデッガー哲学の理解が浅いだけで、本当は
 ハイデッガー哲学に答えがあるはずだと希望をもって、なおも探究を続ける。
 そしてもう三つ目は、私たちがハイデッガーを超えた哲学を打ち立てること」

「うーーん、三番目はちょっとどうなんだろう。
 にしのんを信じないわけではないけど。。。。
 他の哲学で答えが見つかりそうな可能性はどうなの?」

「うむ」

にしのんは、クイッとメガネをあげた。

「一番可能性が高いのは仏教だと思う」

「え、仏教!紀元前の教えだよ」

「うん、だが、仏教は凄いのだ。
 今、西洋の哲学者も、科学者も大変注目しておるのだ。」

「へー」

「では、今日は長くなりすぎたので、そのことは明日話すとして、今日は
 これまでにしよう。
 最後、ポイントをおさらいすると」


 ・世界-内-存在とは、一人一人が(別々の)世界を持っていること。
 ・それは、一人一人、別の世界に生きているということ。
 ・それは夢のような世界
 ・死を超克するには、世界-内-存在自体が生死を越えねばならない。
 ・世界-内-存在は夢のような世界であればその可能性を秘めている。
 
「うん、にしのん、本当に有難う!!」

すごい、すごい、すごい!
これは凄いレベルまできたという実感がありました。
生きているうちに、死の大問題の解決をすることは不可能ではないんだ。
それは前向きにとらえるとか、死を受け入れるとかのレベルでなく。
また、そうでなければ本当の意味で生死を超えたとはいえないんだ。
さくらちゃん、ラストスパートで頑張るよ。
さくらちゃんも頑張ってね。
絶対「死に対して自由無碍」の答えを見つけるからね。
『Frei(フライ) zum(ツーム) Tode(トーベ) ,
 frei(フライ) im(イム) Tode(トーベ)
 (死に関して自由、死に際して自由)』
の身になる答えを出すからね。

今日学んだことを長い長い手紙にしました。                    

            
翌日その手紙を郵便局に持っていきました。
手ごたえを感じていた私は興奮しながらポストに手紙を投函し、
さあ、いよいよだ!とアパートへ戻りました。
戻ると、そこには入れ替わるように、さくらちゃんのお母さんがから葉書が
届いていました。

訃報(ふほう)でした_____________。


Hey Jude




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第2章(52)【夢】-4

2009-04-29 | 小説
「もし、世界-内-存在が『物』として存在しているなら、
 一度それを壊して構築しなおすのは不可能だろうが、
 夢のような存在なら、一度、世界-内-存在自体が
 大変革を遂げることは可能、ということだ」
 
「あ、そこにつながるのね」

コクリとにしのんがうなずく。
「『存在と時間』には次のようにも書かれてある。
「OKでは次の文章を見てみよう」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「いったい時間はそもそも『存在』をもっているのでしょうか。
そうでないとしても、いったい時間は幻影のようなものか、
それともどんな可能な存在者よりも『より存在的なもの』なのでしょうか。
80節 P215
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「もし『時間』が幻影なら、『存在』も幻影となってしまう。
 これは大変あやうい状態といえる。
 
 さらにハイデッガーは

『(存在の)意味するところは一つの非現実的な幻である。
 だからニーチェが存在というような<最高概念>は<蒸発する実在の
 最後の煙>だといっているのは、結局のところ至当と言わねばならない。
 (中略)
 <存在>それは幻であり、誤謬(ごびゅう)であるのか?』
          (形而上学入門 p67)
 とまで言っている。
 ここまでくると、存在自体が夢のようなものになってしまうかも知れない。」

にしのんは、クイッとメガネをあげる。
 
「しかしね、逆転の発想というものがある。
 つまりさっき言ったように『存在』すなわち『世界=内=存在』である
『わたし(現存在)』が空間的にも時間的にも幻影のようなものであれば、
 その世界を壊して構築しなおし、世界-内-存在自体に大変革を遂げさせる
 ことが可能、ということなのだ。
 ガチガチの世界なら、壊して直すなんて無理。
 でも、夢のような世界なら、まだ可能性がある。

 ハイデッガーは
『現存在が世界を生起させる』(『道標』『全集』第九巻p158)
『世界はけっして存在するものではなく、世界として生起するのだ』
 (『道標』『全集』第九巻p164)
 というちょっと謎めいた言葉も残している。

 考えてみれば2日前の夢は確かに存在したけど、今は文字どおり夢と消え、
 昨日の夢が新たに現れた。
 そのようにこの夢のような世界は新たに生まれ変わる可能性を秘めて
 いる。
 もしかしたら、本当にこの世界が夢で、生死を超克するとは、夢から
 覚めた状態なのかもしれない。 
 つまり、『死に対して自由』は不可能でない!

 とっぴのように思うかもしれないが、『世界=私=夢のようなもの』
 これはハイデッガーだけが言っていることではなく、他の哲学者や思想家
 も論じていることだし、
 ニュートン以降の、アインシュタインや量子学的世界観も、
 一人一人別の世界という傾向が強くあるのだ。
 もちろん、今話してきたことは、世界-内-存在そのものではなく、
 おおまかなイメージだ。

 だから大事なのは、世界-内-存在に大変革を起こすことは不可能ではない、
 つまり、死に対して無碍の身になれるということも不可能ではないという
 ことだ。
 これが分かっただけでもスゴイことだと思う」

「うん、本当に、すごい、本当にすごいよ、にしのん!!」    
 
                  
これだけ真剣に自分の問題として学んでこなかったら、夢物語にしか
聞こえなかったでしょう。
でも、今は違います。
これは、いままで学んできたのとは次元が違う、そして、あまりにも
核心をついた内容だ!

Say. Say. Say - Paul McCartney & Michael Jackson






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第2章(51)【夢】-3

2009-04-28 | 小説
「うん、だいぶん頭が柔らかくなってきたかな。
 では頭の体操3! 
 実際に一生を送った人が大勢、人生は夢、と言っているのを知っている
 かな?

 例えば信長は
 『人生50年、化天のうちにくらぶれば 夢幻のごとくな一期なり』
 と敦盛の舞を舞って死んだと言われる。

 その信長を討った明智光秀は三日天下と言われるが
 辞世の歌は『五十五年の夢 覚め来りて一元に帰す』。

 その明智光秀を倒し、天下統一を成し遂げた秀吉の辞世は『夢の又夢』。

 その他、松尾芭蕉『夏草や、つわものどもが、夢のあと』とうたったよう
 に命のやりとりをするほど真剣に生きた時代でも、
 『人生は夢』と言った人はたくさんあるんだ」
 
「本当にそうね」
              
「ではドンドンいくぞ、頭の体操その4!
 最新の科学を勉強してみよう。
 
『時間と空間は幻である、このことはまず間違いない』
 というのが最先端をいく科学者の言葉だ。
 詩的、芸術的世界だけでなく、科学の世界でも時空は夢幻だという有力な
 説が論じられるようになっているのだ。」

「サイエンさんが教えてくれたことね、予習したおかげでよく分かる」
 
「うむ、ちなみに漢字はよく出来たもので、
 宇宙の『宇』は『空間』を『宙』は『時間』をあらわし、
 世界の『世』は『時間』を『界』は『空間』をあらわしているそうだ。
 つまり、時空が夢幻なら、世界、宇宙自体が夢幻のようなもの、
 ということになる。
 それを少なからず科学的根拠をもって科学者がいっておるのだ。」
  
「なるほどー!」 
   
「さらに世界の三大文豪の一人シェークスピアは、
 自分一人で書きあげた最後の大作「テンペスト」の中に
 『人生は夢と同じ材料でできている』
 と書いているが、けだし名言だな」
   
「にしのん、なんでも知ってるね」

クイッとメガネをあげてにしのんは続けた。

「では、だいぶん頭の体操が出来たところで、
 世界-内-存在の話にもどるぞ」
 
「了解(ラジャー)!」                         



John Lennon - Starting Over



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第2章(50)【夢】-2

2009-04-27 | 小説
「うん、ではまず『夢』について考えてみよう」

「夢?」
 
「そう、最近夢は見たかな?」

「えーと、遅刻する夢を見たわ」

「あまりにも現実的な夢だな(笑)。
 では、その夢の中にそなた以外の人物やら、生き物やら建物は
 出てきたかな」
 
「うん、出てきた出てきた。
 っていうか、にしのんと一緒に遅刻する夢だった」
 
「吾輩も一緒か、ますます現実的な夢だな(苦笑)」

「それで、えーと勿論、道を走ってたから、道路もあったし、
 建物もあったし、木もあった。
 そして、途中から犬に追いかけられた!」
 
「うむ、ではその時、そなたは、自分自身と吾輩と違う人間と
 区別をつけてたかな?」
 
「それはもちろんそうよ、にしのんはにしのん。私は私」

「犬とか建物とかは?」

「当たり前じゃない、私が犬だったり建物だったりしたら大変だわ」

「うむ、では夢が覚めたら、吾輩とか、その犬とか、建物はどこへ
 いったかな?」
 
「どこへって、ただ夢で見たんだから、どこにいったとかそういう問題
 じゃないような気がするんだけど」 
   
「うむ、つまりその夢はそなた自身が生み出した夢であって、
 その中に登場する人も生きものも建物も、いってみれば、
 そなたが生み出したものだということだね」
 
「そうね、そういうことになるわね」
          
「OK、では頭の体操2に移ろう。
 今度は、過去の出来事について考えてみよう。
 そなたには小学生時代は存在したね」
 
「もちろん、小学生の時があったわ」
 
「では、その過去はどこにある?」

「どこにって、過去だからもうないわ」

「せいぜい、写真と記憶の中くらいかな」

「そうね」

「それもかなりあいまいな記憶で、いってみれば夢のようなものでないかな?」

「うん、そうね」

「5歳の今日、何をしていたか、覚えてもいないだろうし、
 覚えていたとしても昨日見た夢の方がよっぽどリアルでないかな。
 いや、1時間前だってすでに夢と消えている。
 今はどこにもない。
 1秒まえすらそう。
 なら今の一瞬一瞬も夢のようなのかもしれない」
 
「はー」


John Lennon stand by me




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第2章(49)【夢】-1

2009-04-26 | 小説
  【夢】

 にしのんは、ちょっと一息いれて、続けた。
 
「では問題の、『死に対して無碍という幸福』いわゆるニーチェが
 ツァラトゥストラに書いた

 『Frei(フライ) zum(ツーム) Tode(トーベ) ,
   frei(フライ) im(イム) Tode(トーベ)
  (死に関して自由、死に際して自由)』

 の身にはどうすればなれるのか。
 この問題だ。
 この答えを出すために今まで頑張ってきたのだ」
 
にしのんの大きな目がキラリと光る。

私も一言ももらすまいと真剣になった。  
 
「どうすれば、死に対して無碍の幸福になれるのか。
 それは、前向きに生きるとか、プラス思考だとか、死をうけいれる、
 というような
 心がけをかえるだけでは、死を超えることは出来ない。
 それは死を超克した存在可能性ではない」
 
「確かに」 
 
「死に対して無碍の幸福になるには、世界-内-存在自体に、大変革が起きなけ
 ればならない。
 世界-内-存在自体が生死を超えなければならない。
 言葉をかえれば、生命自体が生死を超えなければならない」

「生命自体、世界-内-存在自体が。。。」

「そう、意識レベルではどうにもならないのが死の問題なのだ。
 だから、生命自体、世界-内-存在自体が何らかの形で生死を克服しなければ
 ならないのだ」
   
「ニーチェも、
 『自分自身をいつでも超克しなくてはならない』とか、
 『自分のことに悩んでいるのは十分ではなくて、人間そのものに悩まねば
 ならない』ということを書いてた。
 そのレベルの問題なのね」
 
コクリと、にしのんがうなずく。   
    
「理論からいうとそうなる。
 しかし、そこまで厳密に考えていくと、『死に対して無碍』となるのは
 不可能ではないかと思えてくるかもしれんな」

「確かに、ちょっと難しそう」 
   
「ではここで再び頭の体操をするか」

「よろしくお願いします!」


John Lennon - Jealous Guy




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第2章(48)【究極の存在可能性】-3

2009-04-24 | 小説
 
 だからハイデッガーは『死』を重視する。
 人間を『死への存在 (Sein(ザイン) zum(ツーム) tode(トーベ))』といっているの
 もその為だ。
 ハイデッガーは繰り返し死の大問題を警鐘乱打するのだ。

「死からの絶え間ない逃走」 (存在と時間 52節 中巻p240)

「死は確かにやってくるが、当分はまだやってこないと、ひとは言います。
 この『なになにだが』でもって、<ひと>は死の確実性を否定します。
(存在と時間 52節 中巻p246)

「もし『生』が問題とされ、そのついでにたまたま死を考慮されるのなら、
 視野が狭すぎます」
(存在と時間 63節 下巻p33)

「難しいのは死ぬ(いつか死亡する)ことではなく、現在において死の
 そなえが出来ていることなのです」(カッセル講演p95)

「死がいつ来るかは、現存在にとってまるで未定なのです。
 しかし同時に、この可能性は確実に、それも私たちが思い浮かべられる
 どんな確実な事柄よりも確実に差し迫っています。」
              (カッセル講演p96)

 まだまだあげればキリがない。
 ここでハイデッガーも言っているように生があって、離れたところに死が
 あり、その死に生が近づく、ということではない。
 生きているということは、常に死が妨げられている状態にすぎない。
 生と死は紙の表と裏の関係なのだ。  
 そして死を前にした時、世界は意味を失う。
 真っ暗になる。
 闇に覆われる。

 実は今も覆われていたのだが、それに気づくことは難しいだろう。
 それはまたあとで話そう。」
 

jhon lennon - give peace a chance





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第2章(47)【究極の存在可能性】-2

2009-04-22 | 小説
にしのんはまたクイッとメガネをあげて続けた。

「究極の存在可能性、それは『死ぬ』ということ。
 普通の存在可能性は、生きているのが大前提。
 しかし、死によって、その大前提がくずれてしまう。
 死を前にして、すべての存在可能性が意味を失う。

 そして、この『死』を通して人は初めて『生』に真正面から向き合う。
 それは『道具』の場合を考えても分かる」

「道具?」

「そう、ハイデッガーはこう書いている。

『仕事道具は、こわれたときに初めてわかり、材料が不適当なときに
 逆にその存在がハッキリします』

『使えないということを発見することによって、道具は目立ちます。』
 (存在と時間16節・上 p142)

 つまり『道具』は、無いときや、失うときに初めてその存在が明らか
 になる。
 普通にある時は、当たり前すぎて気にもとめない状態だったわけだ。
 『生』も同じ。
 生きていることがあまりにも当たり前に思いすぎて、『生きている』と
 いうことがどういうことか全く分かってなかった。
 その『生』が失われようとして初めて、『生』とな何か、何のために
 あるのかを考えるようになるのだ」

「よく失って初めてその大切さがわかる、とかいうけど、
 実際さくらちゃんのことがあって、身にしみて感じる。。。」

「うむそうだな。
 失ってはじめて強く認識されるというのは皮肉なものだがな。。。
 で、最も強い、究極の存在可能性は『死』だ。
 死以外の存在可能性はみな共通して生きているのが前提。
 すべて生が大前提で意味づけされていた。
 しかし、人間は死ぬ存在。
 そういう意味では生きることは死ぬことを意味している。
 生と死は離れたものではないのだ。
 それをハイデッガーはこう書いている。

『死はどこかから私にふりかかるのではなく、私自身がそれである
(存在する)何ものかです。
 私はみずから、死の可能性であるのです。』
               (カッセル講演p94)

 では、死んでいく私の生きる意味は何か、
 生きることに意味を問うのであれば、死ぬ時でも変わらない何かでなけれ
 ばならない。
 いや、死ぬ時には全部意味がなくなるのだというのなら、生きる事に
 も意味がないことになる。
 生きることに意味があるというのなら、死ぬ時でも意味がなけ
 ればならない」

「なるほど」

「しかし、物をいくら増やしても、テレビ、車、別荘、ボートがあると言っ
 ても、死ぬ時に全部無に帰するのなら、生きることは意味が無くなる。
 あらゆることの意味が見えなくなるのだ。
 たとえば、身近のところからいうと、もし明日死ぬとなったら、3日後の
 宿題をするか?」

「しない、絶対しない。」

「うむ、そうだよな、今死ぬとなったら、目の前にある札束も紙切れになっ
 てしまう。ましてや3日後の宿題の意味を消失する。
 『死』という存在可能性に没入したとき、すべてのものは意味を
 失い、この世界は不気味な世界となり、『不安』になる。
 癌の宣告を受けた時、眼の前が真っ暗になるとか、
 大地が崩れるような気持ちといわれるが、そのような状態になる。
  
 だから『死』は他の存在可能性とは次元が違うのだ。

THE BEATLES - PS I LOVE YOU LIVE BBC



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第2章(46)【究極の存在可能性】-1

2009-04-20 | 小説

「うん、だいぶん分かってきたよね。
 そしたらもうちょっと別の角度から見るよ。
 今度は心について」

「心」

「うん、心もまた実体がないんだ」

「うーん、心に実体がない、分かるような気もするけど」

「うん、ちょっと考えてみよう。
 たとえば、これは何?」

「チョークでしょ」
「うん、でも白い円柱でもいいよね」
「確かにそれはそうだけど。。」
「うん、確かに白い円柱ではるけど、普通そんな風にはいわないよね。
 なぜか?
 黒板に書くものとして見ているから。
 そういう用途がある。
 『書く』という『行為』に関わってくるから。
 そういう『道具』として『意味づけ』られる、『関係づけ』られる、
 だから、白い円柱とはいわず、チョークという。」

「なるほど、チョークという言葉自体に、『書くもの』という意味が
 込められているわけね」

「うむ、言われてみればそうだけど、言われないとハッキリしてないことが
 多いが、これもその例の一つじゃないかな。
 本も、“紙がたくさん束になっているもの”とか言わない。
 CDも“直径12cm厚さ1.2mmの円盤”とか言わない。
 道具としての意味づけがあるからだ。
 人間はすべてのものをそういうものとして認識し、名前をつけている。
 だからこの世界は、私の心との関係性で認識される世界なのだ。
 心自体や世界自体が単独で存在しているのではなく、心と世界が
 関係しあっている世界、それが世界-内-存在であり、
 そういう意味でこの世界全体が私なのだ。
 そして、そういう意味で私の心が生み出しているのが、この世界。
 ハイデッガーは

 『現存在が存在するかぎりでのみ、存在は与えられる(生じる・ある)』
         (存在と時間43節 中巻p163)」
  
 と言っている。
 私なくして私の世界はない。
 一人一人が私の世界に生きている、もっというと一人一人が私の世界を
 もっているということ 」
 
「なるほどーまったくイメージできなかった世界-内-存在が大分
 イメージできるようになってきたわ。
 まだまだ全然だと思うけど」

「うん、なんとなくでもイメージできるのは大事なことだよね。
 それから段々厳密にしていけばいいんだからね。
 では『存在可能性』について今一度勉強しなおすか。」

「存在可能生ね」

「うん、人はいろいろな自分の可能性(自分がどうありうるか)を
 もっている。
 ちょっと難しい言い方をすると『人間の在り方』がある。
 人間のあり方とは人間の状態のことと思えばいい。
 人間はいつも同じ状態ではないな。
 歩く、食べる、寝る、遊ぶ、書く、スポーツをする、などなど
 いろんな在り方、つまり存在可能性がある。」

「うん、そうね」  

「ではたくさんの存在可能性がある中で、
 究極の存在可能性、最強の存在可能性は何かな?」
 
「えー究極の存在可能性?」

「うむ、この状態になると、他の存在可能性の意味が失われて
 しまうような、そんな究極、極限、最強の存在可能性だ」
 
「えー、『死』かな」

「ビンゴ!!
 その通り!
 ハイデッガーは
 『死は、私の現存在の極限的な可能性です』
        (カッセル講演p94)
  とハッキリ書いている」

The Beatles - Baby It's You





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第2章(45)【存在可能性】-2

2009-04-19 | 小説
「つまり『こうありたい、かくありたい』という目的から始まる。
 今の場合だったら、
『雨に濡れずに生活したい』という私の願いから出発し、
 それには、雨漏りするところを板でふさがねば
 板でふせぐには、板を天井に固定しないと、
 板を天井に固定するには、金づちで釘を打たないと、
 で、釘はどこだ、金づちはどこだとなる。
 つまり、私の『ありたい』という目的があってこそ、道具一つ一つが
 意味を持ち、道具関連が形づくられるわけだ。」

「なーるほど、たしかに私の『こうありたい』という思いからそういった
 秩序が生まれるともいえるのね。気付かなかった。」

「うむ、この『ありたい』、もっというと『こうなりうる、ありうる』
 だから『(そう)ありたい』という言葉、これをハイデッガーはドイツ語で
 Seinkönnen(ザインケネン) と言った。
 英語で言うと can be 。
 日本語では《存在可能》」とか《存在可能性》」

 という。
 つまり人間(現存在)が自らの可能性(存在可能)を求めるからこそ、
 道具連関のような『秩序』が現れる。
 ということは私の『世界-内-存在』において、世界の秩序は私によって
 もたらされていっている。
 ここ、分かるかな?
 私にとって、私を離れた世界というものはないのだ。」

「うん、なんとなくかも知れないけど分かるよ。
 私の世界は、たどっていくとどこかで私につながっているのね。
 そして、そもそも私が出発点で私の世界の秩序がつくられていって
 いるんだ」

「うむ、確かに物理的にいうと、私は広い世界の中のちっぽけな一人の
 ように見えるかも知れないが、現実として、私にとって、私は世界の
 中心というか、世界そのもの。
 私との関係によって、私の世界が在る。
 もちろん、だから自分のやりたいようにすればいいというのは大変な
 間違いだがな。
 ここで言っているのは私が『こうありたい』と願い求めることによって
 生み出された秩序の世界がある、ということなのだ。
 念のためいっておくが、すべて『こうありたい』という願いどおりに
 世界がなるという意味でないぞ、『こうありたい』という願いから
 出発して形作られた世界ということだ。
 で、道具連関と存在可能の関係を図示するとこういった感じ」


         ← 道具連関
 (私の為)        ← (〜の為に)
    ←←←←←←←←←←←←←←←←
(私)                 (金づち)
     →→→→→→→→→→→→→→→→
  (私が、ありうる・ありたい)
     ★存在可能   →  道具連関

「なるほどー、図で書くと良くわかるね」

「私のこうありたいという存在可能から、道具連関が生み出され
 道具までたどり着く。
 そして、その道具は何のためにあるかということを逆にたどって
 いくと、必ず『私のため』にたどり着く。
 当然といえば、当然だよね、出発点が『私』なんだから、
 逆から見ていけば必ず『私』にたどり着く。
 これがいろいろと複雑に絡み合って、私の世界が『在る』わけなのだ。
 無論かなり大雑把な図式で厳密ではないがな。
 道具連関と存在可能は表と裏のような密接な関係にあるのだ」

「うーん」

「だから一人一人、世界が違う。一人一人存在可能も道具連関も異なって
 いるからな」

「なるほどー、確かに世界が一人一人違うわね」

「だから固定的な『世界』という実体はないのだ。
 あるのは、私との『関係性』だけ。
 さっきの言葉を少し使えば連関があるだけ。」

「なるほど、世界といったら共通の一つのものと思いこんでいたけど
 これも偏見からくる間違った常識だったのね。
 一人一人、別々のネットワークで作られた世界を持っているのね。
 だから世界は固定的なモノとしての実体はなくて、あるのは、
 その人その人との関係性なのね」


The Beatles - Get Back



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第2章(44)【存在可能性】

2009-04-18 | 小説
「では今一度、『世界-内-存在』ということを考えてみようか。
 世界-内-存在とは、おおざっぱなイメージでいえば、世界=私 ということ。
 細かいところは専門家に任せて、まずザックリとしたイメージが出来る
 ようにならねばね。
 
 つまり、肉体はあくまで、私の肉体であり、私自身ではない、ということだ。
 私の手、私の足、私の内臓。。。
 すべて“私の”もの
 だから“私の”がつけれる。
 ちょど、『私の時計』とか『私のノート』とかいうように。
 時計や、ノートは『私自身』ではないよね。
 あくまで『私の』もの。
 手足や内臓といった肉体も同じことなんだ。
 だから私=肉体ではない。        
 将来的には万能細胞が応用されれば、全臓器や身体がいれかえることが
 可能かも知れぬしな。
 では、全部入れ替えても変わらない『私』とは何か?
 『私の』といっている『私』とはなにか、これが問題になってくる。
 わかるか?」
 
「うーん、何とか大丈夫、だと、思う。
 少なくとも私=肉体と安易に言えないことはよくわかった」
      
「OK。
 では進もう。
 私たちは、ただ単独に存在するのではない。
 いろいろなものや人とかかわりあって(慣れ親しんで)生きている」
 
「うん」 

「で、世界があるのでなく、あるのは物を見ているという関係性」

「関係性?」

「うむ、ここでハイデッガーのいう『道具連関』という言葉を勉強して
 みようか」

「道具連関?」

「うん、まず道具はふつう何かのために存在する。
 これをハイデッガーは『道具は、<のために(ウムーツー)>という
 性格をもつ』(存在と時間・上p152)と書いている。
 たとえば、金づちは何のためにある?」

「金づちは、たとえば、犬小屋をつくる時に釘を打ったり、こわれた屋根を
修理する時に釘を打ったり、そんな為にあるわね」

「うむ、そうだな。
 つまり道具はふつうそれだけで単独して存在したりはしない。
 たとえば、金づちで釘を打つのは板を固定するためであり、
 板を固定するのは、雨漏りの修理のため。
 こんなふうに『なになにの為』というのがドンドンつながっていく。
 こんな『なになにの為』というつながりを、ハイデッガーは道具関連
 と名付けたのだ」

「なるほど、ここまでは大丈夫」

「それで、この道具関連をさらにたどっていくと最終的な目的にたどり着く。
 今の場合だったら
 金づちで釘を打つのは板を固定するため、
 板を固定するのは、雨漏りの修理のため、
 雨漏りの修理をするのは、私が雨に濡れずに生活するため
 となり、最後は自分にたどり着くのだ。
 つまり、すべての道具関連は最後必ず自分自身にたどりつく」
 
「確かにそうかも知れない」

「これが道具関連。
 では、これを逆から考えるとどうか。
 道具関連は最後自分にたどりつくということは、逆からいえば、すべては
 自分自身から始まるといえないだろうか?」

「なるほど」


The Beatles - Paperback Writer / Rain



The Beatles Day Tripper - Music from Lennon-McCartney


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