帆∞翼(セイル バイ ウイング) −太陽そして風と供に− 

研究している教育の事や、普段の生活で思ったことを綴ります。

全日本オープンカップ と フラダンスショー

2012年05月26日 | 研究−教育・育児

丁度、昨年の今頃は、世界大会を目指した娘と一緒に、神戸と埼玉を行ったり来たりしていました。

今年の全日本大会は大人の参加者も増え、高度に積み重ねられたトレーニングから、結構白熱したレースが展開されたようです。

 

日本での戦績によって世界大会へ行けるわけですが、今年はアメリカのフロリダらしく、

「今年は誰が日本代表になるのでしょうかね?」、僕の知っている子達も沢山参加しているので楽しみです。

ちなみにレース結果を見てみてると、上位に大人の名前があがっている。

 

これは小さいからとか、軽いからというのがレース結果とは無関係なことを証明している訳でもあるのです。

また、その日の体調、風、その子の技量に適したコンディションかどうか?、そうした常に変化する状況の中で、平均したポジションを得ているかどうか?という総合判断で本当の実力というのが分ります。

ちなみに、家の子は?と聞かれれば、親が判断すると私念が入りまくりますから、正常な判断が出来るはずが無い(笑)

 

世界大会は18歳になると行けませんから、国内大会でトップ取っても世界大会出場成績としては切られてしまい(表彰はあります)、その下の年齢の子で上位の者がトップとして選ばれる事になります。

 

ちなみに家の娘は今年参加していません。

高三で大学受験、年齢が今年18歳になるということ、親(僕)の経済的事情(大学の学費積立)

等々の理由があるわけですが、それ以上に娘自身がフラと学校活動で手一杯。

 

体育祭実行委員、ボランティア活動、校内ミュージカルの俳優、そしてフラの練習と、ほぼ毎日何かしらの予定が入っている。

そういえばその結果として、今日は某所のでっかい会館でおこなわれるフラのショーに娘は出演しました。

生バンドで、有料のショーですから、ミスは許されないのですが、どこまで観客を魅了できるかです。

 

僕は無料チケットをもらったので、ビデオ片手に見に行ってきます。

プロの生バンドをバックに最前列中央で踊ってる娘の写真です。

化粧すると雰囲気変わるな〜(笑)

 

 

ちなみに、下の写真は昨年娘が戦った世界大会(スイス)の、レース写真です。

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乳児(8ヶ月半)の行動

2012年05月22日 | 研究−教育・育児

8ヶ月半になると、さすがに活発になりますね〜(笑)

このところの大きな変化は、大人の物まねを盛んにするようになった事、大人がしていることを自分でもやらないと気が済まなくなってきているようです。

 

子供というのは大人をよく見ていて、特に僕が家の外と中でやっている作業の一部始終をみてきた孫。

僕が何かしていると、すぐにすっ飛んできて、自分も同じ事をしようとする。

たとえるなら五月人形を片付ける際に、羽のついたハタキで兜をパタパタしていたら、ハイハイのままトコトコやってきて、床においてあったそれを手に持って全く同じ事をやろうとする。

携帯電話の機種変後にオモチャ として与えていた物を持つと、耳に当てて盛んに何かしゃべる。

音響機器やパソコン、リモコン、DVDデッキをよくさわっている僕の姿そのままに、ボタンを押しまくってみたり、しまいにはDVDをトレイから出す方法を覚えてしまい、パカパカやる(そのうち壊れるな〜これ)。

テレビに接続されているPCの、画面にツールバーが出たり、音が出たりするのが楽しいらしくて、お膳の上に載っている無線キーボードをガシャガシャ バンバン!と叩きまくるし、マウスのボタンはめちゃくちゃ押す、気づくととんでもない設定が勝手にされていたりする(ので笑える)。

LANケーブル、USBケーブル、光サウンドケーブル等々を僕がよく持って歩いているせいか、その辺にある電線をつかんでは引っ張ったり、舐めたり?。

好奇心が旺盛で、あちらこちらの扉あけては、中の物を出してしまう。

 

大人と同じ行動を取ろうとすることが、成長には絶対欠かせないわけだけれど、特に携帯片手に持って何かをしゃべっている姿は微笑ましいし、面白い。

 

でもね〜増築で結構大きくなったリビングでの移動は激しく、突然思いもしない処にいたりするので、大人達は常に床を見て歩いている状態で、それも又なんとも面白い光景ではある。

 

そういえばつかまり立ちからそのまま手を離して立っている時間がだいぶ長くなってきたが、

それに関して、このところ思わぬ成長が出ているのに気づいた。

 

以前は立ったり座ったり、何かにつかまった後に、そのままお尻からドスンと腰を落として、頭が重いのっでゴロっと転けることが多々あったが、最近は座る際にまがいなりにも下をみて、慎重に膝から先に付きながら腰を降ろす事が普通になった。

一度、思いっきり転倒して、額をどこかにぶつけて流血したという(嫁さん全く動じなかったな〜)、おそらく”孫にとって”は痛い出来事があったので、

人間らしくきちんとその経験を元にして次の行動をする(まがいなりにも考える)事を学びながら育っているというのがよくわかる。

 

そういえば、ここ最近の孫のオモチャ達が面白い、どんな物かというなら。

 

コーヒーメーカの入っていた段ボール箱。

孫が潜って入ってしまうくらいの大きさで、これを押したり叩いたり、ひっくり返したりしている。

 

使い古しの携帯電話。

ディスプレイを回転させるとテレビが映るもの、手に持って耳に当てて何かしゃべっている。

 

床下の換気口に取り付けるステンレス製のカバー。

倒すとガシャンとでかい音がする為か、何度も立ててはひっくり返して音を楽しんでいた。

*これは現在換気口に僕が取り付けてしまいました

 

エアコンの配管カバー。

エアコン配管が室外に出た部分に取り付けるカバーでプラスチック製。

コロコロ転がって面白いのでお気に入りの様でしたが、やはり僕が工事に使ってしまいました(笑)。

 

ロールティッシュ

よせばいいのに、ちぎって口に入れたりして、お母さんに口の中をほじくられたりしています(爆笑)。

 

その他、僕の部屋の工具箱の中に入っている道具やら配線やら、どこにでもある物全てが孫のオモチャです。  

嫁さんの話だと、売っているオモチャは、与えると初めこそそれで遊ぶけれど、「すぐに飽きてしまう」らしく、反対に普通に家の中にあるもの、高度な機器類だと何度でもさわるし触れている。

そうなんですよね、子供にとって家の中がオモチャ、割れないお椀、お玉、紙皿、

リモコン、ティッシュ箱、ゴミ箱?、電子家電?

 

至る物が好奇心を満たす存在。

本来、おもちゃなんて特別子供には必要ない物なのだ、と孫の姿を見て思ったりもするわけです。

 

 

 

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哲学と数学

2012年05月14日 | 研究−教育・育児

日曜日のこと、携帯電話をそれまでのソフトバンクからdocomoへ変えようとしたのですが。

結局、待ち時間があまりにも長く、無駄が嫌いな僕は夕飯を早く食って休みたい事もあったので、途中で帰ってきてしまいました。 

 くそ〜

日中、取り付け予定だった4台目、最後のエアコンを息子家庭の部屋に工事したのですが、その際に室外機を屋根の上に担いで設置したので怖いのなんの。

やたら疲れていた事もあります。

 

「ビール飲みて〜な〜」なんて思いつつ車を運転、同時に暇でチョコチョコ僕について廻る娘と色々な話をしていたのですが、突然哲学と数学をからめた話に切り替わった。

 

「およよ・・」 と、多少驚き、確かに哲学の不完全さは数学の完全さと真っ向から相対する物で、本来はこの両者は混じるものではないのですが、哲学を数学によって解き明かそうという方向となると、話が変わって非常に面白い、ものなのですね。

 

娘が話しに取り上げたのは、1000個の黒玉の中に3つ(だったかな?)の白玉、それを箱に入れて外部から見えないようにして、玉を一つだけ取り出す。

二人の人を選び、一人はこれまでの人生で99.9%(だったよな〜)嘘をついたことが無い人、もう一人は全くその逆で99.9%嘘をつくひと。

さて、こうした条件にて、とりだされた一つの玉が白なのか黒なのかを、更にその様子が見えない人が訪ねるというもので、

どちらの玉が出る確率が高いか?というものですが、この答えを導き出すのに、この二人の人間に対して答えを求める外部者がどう訪ねるかによって、答えが全く違ってきてしまうというものであった。

簡単にまとめると、確率という視点から伝達の不安定さや言葉の不安定差の中に必ず存在する真実という物が常に有り。

それを哲学として考えるというものです。

 

いきなりの話で 僕は 「は〜?」という感じ。

話をしているうちに「この子はどこまで数学をやっているのだろうか?」と疑問が出てきた。

 

僕の高校時代は一年で数1、二年で数1と数2B、途中から数一が終わり数3だったと思う。

そこで娘に、数3でやる微分積分は始まったのか?と訊くと、 二年生の時にとっくに終わらせたとのこと。

終わらせた????  「誰が?」ときくと、「自分で」とのこと   「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」しーん  

なんでも、数3のメインともいえる微分積分等々は自分でとっくの昔に終わらせてしまい、今は哲学と数学の関係が面白のでをやっているとのこと。

 

「そんじゃ〜 数1の 3元連立法的式とかはどうだった?」と訊くと、全然面白くないし、行列式が分かれば構造が分かるから、特にやりもしなかった ←娘 とのことで、確かにそうなのだけれど・・・

、「だいたいにして数学と哲学を絡ませるようなことをするのは大学の数理学科でやるようなものじゃないか?」と心の中で思う僕。

 

その後も色々話をしたのだけれど、段々と「こりゃ〜完全に僕の方が負けてしまっている」というのが分かってきた。

というか、家でまったく勉強しないくせに何で数学の構造が分かっているのか?   まったく理解できない。

 

だいたいにして娘の部屋には机すらないのだから。

 

僕の頭に残っているのは、中学一年の時に±の考え方を”方向”という概念で考えることを教えたこと、括弧の中の括弧と混ざった四則演算が長い数式で羅列された場合に、どこからどう計算していくのかということを徹底して教え込み、図形ふくめて数学は頭の中に空間を造り上げ、その中で図形などを回転させながら思考すること。

こうした一番の基礎だけを教えましたが、後はまったく干渉しませんし、勉強しろとは言わなかった!

当然以降は、一切教えた記憶がない。

なんで上記のことを中一で完全に教えたのかというと、計算がやたらと遅くて、算数がまったく出来なかったからなのですね。

 

息子の時もそうだけれど、子供が18歳前後になると、確実に親を超えていく。

このあたりから何をするにも親は負けっ放しの連続になってくるわけだ。

 

なんか・・・・、何時までずっと子供だとおもっていたのに、しかも高等数学理論で追い抜かれる等とは思ってもいなかった。

とすこしばかりショックを覚える僕。

 

まあそんな感じで、抜かれた嬉しさから笑顔の僕ですが、反面負けて悔しい僕は心の中で悶々。

 

でも、家に帰ってリビングに行くと、孫が小さな手でほ乳瓶を掴んでコクコクとミルクを飲んでいた。

「おお〜 癒される!」 

 

離乳食後にいつもほ乳瓶からミルクを飲むのだけれど、いつの間にやら他人(親)のペースで飲まされるのを嫌がって、

自分でほ乳瓶を掴んで飲むようになってしまっている。

 

もちろん半横抱っこされてる状態ではあるが、「ぐびぐびぐび・・・」 時折乳首を口からはなして「は〜」と小さく息をつく仕草が

やたらと可愛い。

 

8ヶ月半、早く歩けるようになると、ジジイもさらに楽しいのだけれど(笑)

 

 

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家の嫁さんは本当に偉いな〜 二世帯同居の考えかた

2012年05月13日 | 研究−教育・育児

一昨年の末に結婚した息子。

親方日の丸とはいえ、しがない公職ですから、結婚したとて突然裕福になるわけではない。

そんでもって、僕たち親との同居になっている訳だけれど、お嫁さんにとって何が一番辛いかというなら、この同居だろうと思う。

 

自分が立場を入れ替えてみれば、その大変さというのは想像に難くない。

でも、 文句一つ言わず、ずっと笑顔で接してくれている、これほど義理親として感謝すべき物はない。

 

そういえば、先週の土曜日(こどもの日)に嫁さんのご両親を家に招いた。

孫の初節句という事もあり、一緒にお祝いするためだ。

絶対勘違いしてならないのは、息子の処に嫁いだとはいえ、実親が本当の親であり、こちらはあくまでもう一つの家族としての親でしかないということ。

 

故に親子になったとて、絶対越えてはならないrない壁というのがあるわけだ。

 

そんなわけで、家内、娘、嫁さんの3人で料理を造って もてなしをしたわけですが、

嫁さんのお父さん、途中で酔っぱらってウトウト、少しだけ横になって休んでいってもらったのですが、

こうした崩した姿を見せてくれることは、僕や僕の家族にとってとても嬉しいことなのです。

 

互いの親が対立したり不平不満を言い合ったり、それがどれだけ悲しいことか・・・・

 

来れなかったお婆ちゃんと、お姉さんに見せるのだと言って、5月人形の横でぱちぱち家族写真を撮る姿。

嫁さんの家も本当に良い家庭なのだと思います。

 

そういえば、同居を初めてすぐの頃、家内が「どう接したら良いのかしら?」と僕に聞いてきた事が有った。

その時僕が答えたのは、「一緒に住んではいても、完全に別の家庭である、と考えることだ」と説明した。

 

例えるなら、近所の奥さんのしていることに口を出すだろうか? 近所の家庭のあり方に意見をするだろうか?

普通そういったことをする人はまずいない。

 

これと全く同じ事だ。

 

その理由はと言うならとても簡単で、隣近所という位置的関係があるだけで、あくまで互いが他人でしかないからだ。

 

これは家の様な二世帯同居家庭でも全く同じであり、結婚して家庭を持ったからには、完全に独立した家として尊重しなければならない。

 

その為、それが親としての思いやりや、心配から来る物であったとて、あくまで他人の家と考えて寸分の介入をしてはならないわけだ。

 

もちろん「どうしたら良いのでしょうか?」と嫁さんから聞かれれば、長く生きている人間としての経験則を話すが、それに従えとか、その通りにするべきだ、とかは一切言わない。

最終的には嫁さんの判断が最優先なのだ。

 

ましてや家のしきたり(有ればだが)なんぞをネジ込む様な真似は、嫁さんに針のムシロの上を歩けと命令するに等しい。

 

家族であって他人、そうした意識を持つことが、狭い家の中で二つの家庭のバランスを取るために必要なのだ、と僕は思っているわけです。

 

そういえば、昨年秋から4月頃までやっていた増築も、この切り離しを完全にするためにやっていた。  

これはまがいなりにも家長としての仕事である。

*基本的に僕の考え方は古典的で、維新で日本が世界にデビューし、大発展を遂げた明治の頃の家庭のあり方に極めて近いのです。

 

何故なら、娘の部屋が二階にあると、どうしても息子夫婦の空間近くに異物(当然僕を含め)?が入り込むことになる、これは絶対的に好ましくない。

完全に区切れていなければ息もつけないだろうし、なにより常に気を遣わなくてはならない。

 

故に、汗流して増築を行い、娘の部屋を新しい建物の方へ移動させたわけだ。

 

現在は、アパートの様に階段から上は完全な息子夫婦の世帯であり、上がる際には嫁さんの許可をきちんと取って上がっている。

 

トイレは二階にもあって重なることは無い、共用なのは風呂だが、共同浴場と同じで空いていれば誰が何時遣っても構わないので、問題生じていない。

 

キッチンは食器棚が二つに分かれ、シンクも別に使えるし、冷蔵庫も二つ置ける様に広さを取っており、必要ならガスレンジをもう一つ設置して完全

に切り離せるように工夫をリフォーム時にしてあるが、見ていると、嫁さんと家内で仲良く&得に分け隔てる事も無く使っている。

 

こうして二つの家族が出来る限り重ならないようにしているわけだけれど、唯一家(僕)のポリシーとして、家族としての基本的あり方そのものでもある

事から、夕飯だけは一同に会して食べる様にしている。

 

ただ、息子夫婦が上の部屋で食べたい、外食したいと要望があれば、家は一切口を出さない。 

別の食事を嫁さんが造って息子夫婦が別に食べても、何ら問題はない。

 

こちらはあくまで、一緒にいてもらえるだけでも感謝しなければならない立場でもあるからだ。

 

正直「このままいつまで平穏で行くことができるだろうか?」と不安になることもあるけれど、やがて家を持ち、家から出ることが有っても、それは喜ばしいことであり、

互いに不快な思いや喧嘩して別になるような事だけはしたくない。

 

「しかしな〜」 とにかく一番偉いのは 息子の嫁さんである という事実だけは間違いないだろう。

 

 

 

 

 

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パーパ

2012年05月08日 | 研究−教育・育児

8ヶ月に入ったばかりの孫。

ここ1週間くらいの間に、???という事が多発していたのですが。

昨日初めて明確にパーパという言葉を使いました。

時々、「ママ」というたまたま口から出た言葉を”ママ”と言ったと勘違いしている親も見受けられますが、「ママはどこにいる?」と訊いて、その姿を探すして呼ぶ事等が出来ない限りは、単なる無意味な発声が偶然重なっただけのこと。

言葉と対象がきちんと関連付けられて、行使という行動で示されない限りは、言ったことになりません。

ママという言葉だけなら、4ヶ月の時から言葉にしていますので・・・・・

 

そんでもって盛んに口にしていたバーバとパーパ? なのですが、どっちなの? という感じでして、

孫がおばあちゃん(僕の家内)大好きっこなのも有り、みんなで首をかしげていたのですが、どうやら本人(孫)も混同?していたようで やっと? 昨日まともにパーパという言葉になりました。

初めて明確に言葉な言葉として出たのは、お風呂から上がった湯上がりの時。

その前、三〇分近くもお風呂場でパパと大騒ぎして遊んでいた孫。

 

ママとパパではどちらが先か?な〜んて思っていたところ、やはり?というかパーパでした。

多分次はバーバ、

 

どうやらママとジージは少し先のようで、たいていはママが先、そしてジージ、最後に発音の

難しいオネータン(実娘)という順番となりそうです。 

 

 

 

孫に代わりに、縫いぐるみの恐竜が乗せられています。

え? 側にある巻き尺がオモチャでは危ないって?

「怪我すりゃ〜いいじゃないですか」、痛い目に遭う度に、どうしたら危ないか?どうあつかうと怪我するか?

幼い頃から少しずつ痛い思いをすることが、どれだけ将来役に立つか、そして身を守ってくれるか。

基礎的危険性を知ることが、走り回る年齢になる頃に基本的危険性から身を守る術に繋がるのですね。

痛ければ、考えます(知能を爆発的に伸ばします)から・・・

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気性の強さ、そして難しさ

2012年05月03日 | 研究−教育・育児

このところ、孫の気性の強さというのが段々分ってきた。 

そうしたものはだいたいこの月齢あたりから明確になって来るのですが、例えば離乳食の時間等、

自分の気になるものを見つけると、お座り椅子からそちらに向かおうと結構激しく動いて抜け出てしまうらしい。

親が後追いして食べさせるような真似をしていると、小学生になる頃は授業中に座ってられない子になってしまうので、

何度でも根気よく座らせて食べさせねばならない。

ところが、これがなかなか言うこと聞かないし、椅子から無理やり立ち上がった挙げ句に後ろにひっくり返って、思いっきり頭をぶつけたり。

ても全く泣かず、お母さんに抱っこされるのを嫌がりながら、それでいて足元に突っ伏して痛みが引くまでじっと耐えている。

娘が一連の様子を見て、なんて気性が激しい子だろうと呆れていた。

「お前も同じだったろう(笑)」と、僕は思うのですが、孫は娘より遙かに上をいっているのでして・・・・

 

他にも父親がハイハイしていた孫を抱き上げたときに、やはり頭をコツンとぶつけた時等、普通ならそこでギャーギャー泣くのが当たり前なのですが、降ろせとばかりに動き、仕方なしに床へ降ろしたとたんに親の胡座(あぐら)かいたところに来て、やはり突っ伏して耐えている。

生まれたときから驚くほど泣いている時間の少ない子でもあるのだけれど、訳の分からないことで泣かないのは気性という面から来ていたのが分かってきた。

いつも大きな声をだして相手を呼ぶのだけれど(名前は当然に無理なので「あー!とか あ!!」というでかい声)、それが母親、父親、僕や家内、娘等に向けられ、自分の方を注目してもらうまで明確にやる。

返事すると「ニコ〜」っとするから憎めないのだけれど、自分が触りたいもの、触れたい物を見つけるとそちらに向けと声を出して要求するようになってきた。

この声にこちらが気づいて孫の顔をみると、その首の向いている方向に希望の物がある。

そんでもって、そちらに行くと喜ぶし、無視すると再び声を出す。 

何度か声をだして、こちらが行かないと、今度はこちらを振り向き、「じ〜」と抱っこしている者の顔をみるが、こうしたときの表情は心なしか怒っている様にも思えるのは気のせいだろうか?

当然外に出かけているとこうしたことが多々あり、要求によって声を出し、自分の思うようにならないときにも結構大きな声をだす。

それはいいのだれど、公園や病院等で自分より大きな月齢の子にも同じ事をやらかすので、その大声に相手の子が驚いてしまい、仲良くなったり、遊ぶどころが殆ど泣かせてしまう。

初対面の一度くらいなら相手の親も好意的なのですが、泣き止んだ相手に向かってすぐ大声をだして相手の子を泣かせてしまう事が多く。

これを何度か繰り返せば相手の親が困って連れて行ってしまうこと、多々あり。

喜怒哀楽の表情が明確に出て、笑顔の時は良いが気に入らないと相手を叩くし、意志が明確なのはいいけれど、余りに激しい気性の子は育てていくのが難しい。

人は愛情を注いでさえいれば健全な子に育つ約束などされている事などあり得ず、その子を取り巻く環境、すなわち親や学校の先生、友達、その他多くの要因が作用しながらその子の人生が決まっていく。

男女の差という事だけ明確にして育てた以外は全く同様に育てているうちの子も、

一人は何の問題もなく? もう一人は一時激しい不良行動をしていた。

上の子は大学卒業し親方日の丸の下で働き、すでに結婚し子供がいる、下の子は今年大学受験?

 

子供を育てるというのは、親の思うとおりにいかないことそのものであり、本当に大変な事なのだと、二人めの子がほぼ巣立つ直前を迎えつつある今でも、強烈に思うわけだ。

 

 

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ボランティア

2012年05月03日 | 研究−教育・育児

ゴールデンウィークに入る少し前、娘が自主的にボランティア活動をしていたらしい。

なんでも今年卒業した高校の先輩達と供に、老人ホームへのふれあい活動とかで、

フラの踊りを披露したり、世話したりと色々な活動をしていたようです。

 

そんな事などまったく知らない無頓着な僕、「帰宅が遅いな〜?!」と、少しばかりご機嫌斜め、

「なにやってんだ〜?」と家内に聞いて初めて分りました。

 

「あ〜あ」、「又やってしまった・・・・・」

息子の時もそうだったのですが、だんだん年齢を重ねてくると物事の判断が固着してくるようで、

「こうなら こうではないか?」という様に考えてしまう。

 

”子の心、親知らず”(普通と逆です)が増え、後で「バカな事をやったな〜」と反省することが増える一方なのですね。

 

 

 

 

 

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二人でゴソゴソ

2012年05月01日 | 研究−教育・育児

孫とジジイ、二人でゴソゴソと床を這い回り〜!

ハイハイでそこいら中を冒険しまくりの孫、ついでに僕も腹ばいになって匍匐(ほふく)しながらリビングとキッチンを二人で歩きまわってみました。

端から見るとへんな爺さんですよね〜 (笑)

手当たり次第に、手に出来る物をいじったり動かしたりと、とにかく物に触れられるのが楽しくて仕方ないらしい孫と、幼児の目線に立ち戻って室内を散策するジジイ。

まったく同じ目線で上を見渡すと、「ほ〜」と思うことがある、普段なら絶対見えない椅子の裏側の様子や、床の角に玉になった埃、冷蔵庫のでかさ、そびえ立つ食器棚等。

コンセントは目の前に不思議な穴を開けて存在しているし、普段似ている世界とは全く違った感覚である。

床より5cmから20cm位のところをみているわけで、その高さから見ると、大人はまるでガリバーのようにでかい。

小柄な我が娘でさえも、とんでもなく大きく見える。

二人でゴソゴソ歩き回るが、自分が幼い頃に見ていたこうした世界を、人は忘れてしまう。

三〇分くらい、二人で色々といじくり回したりしたけれど、あんな小さな体でどうしてこれだけ動き回れるのかと思うほどパワフルに行動する。

体重が軽い事もあるとは思うけれど、飽くなき好奇心と探求心の固まり。

子供ってすごいな〜。

 

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後もう少し?で歩くかな もうすぐ八ヶ月 

2012年04月30日 | 研究−教育・育児

後もう少しで八ヶ月になる孫、この一月の変化ですが、相変わらず昼寝の時間が極端に短い。

 

ここ数日でつかまり立ちし、こたつテーブルにつかまっている場合だと、そのままテーブルの上の欲しい物を取るために横へ移動していきます。

ハイハイはお手の物になってきていますので、広いリビングを自由に這い回っては手にする物全てに触れている。

 

他に絵本が大好きになり、特に音に関する単純なのが大好き。

もちろん絵本をさわったら音が出るような無機質な物ではなくて、僕が絵本の中に表現されている音を手と足、色々な小物をつかって再現するわけですが、

メチャメチャ喜びますので、何度でもやってしまう僕←バカじじい(笑)

 

僕が指で指す方向と物をすでに認識できており、それゆえ色々な物を指し示して名前をやたらメタラと教えますが、分かるはずもないだろう・・

なんて思いつつも、絵本もそうですが、分かろうが分かるまいがまったく関係なく、こっちが楽しいからやっているというか(笑)

 

そう言えば、だいぶ前から始まっていた人見知りは、相手を見て単なる泣くから、自分の仕草で相手がどんな顔をするかを見極めながらやっている段階に移行したようです。

*乳児ですから別に高度な目的を持ってやっているはず等ありません。

人の顔色から相手がどんな感情をもっているかという、人が社会生活を営んでいく上において絶対に欠かすことの出来ない読心訓練を本能がさせているという、

きちんとした(正常に育っている)証拠ですが、これが豊かな喜怒哀楽に結びつく。

 

親の顔色を常に見て育つことは何より大切で、特に叱られる際に向けられる親の顔に存在する心の中の怒り(怒り無く叱る事は、なんら読心訓練になりません)を通し、

何を考えているのか?感じているのか?を微細に読み取る訓練(教育)をきちんと受けて育たなかった子はかならず将来不幸になる。

六ヶ月から一〇ヶ月の間に必ず起こる人見知りはその為の基礎中の基礎をはぐくんでいく時期でもあるのですね。

 

ただ、この時期は自分に向けられる愛情だけしか学べません(当然です)ので、虐待を受けるような訳の分からない怒り(暴力)にさらされながらこの時期を過ぎると、

健全な精神はまったく育ちません。

 

人は、まずあたたかい心を含んだ笑顔とやさしさ、これが一番初めに学ぶべき事であり、その次に悲しみ、最後にもっとも難しい怒りを理解していくという段階を踏んで成長するわけです。

そのなかでももっとも大きな段が、まずは第一次反抗期、これにより怒りの存在という物を完全に認識し、以降さまざまな形のストレートな怒り表現に接しながら成長していく。

 

第二次反抗期は、一時反抗期との間で学んできた、人のもつ基本的な怒りの種類を総轄整理するために有る。

同時に、冷たい怒りや、隠された怒り、いわゆる面従腹背的怒りの様なさらに高度な怒りを学ぶために存在し、

これによって”人の持つ最も本能的”でありながらも大脳新皮質が織りなす非常に複雑になった感情 ”人間としての怒”を理解できるようになり、

またそれを上手にコントロール出来るようにもなる。

 

よく叱らない教育を推し進めているおかしな教育評論家や、学者、精神科医がいますが、

これは上記に書いた大切な心のトレーニング時間を奪うことそのものであり、こうして育てられてしまうと 人の心の中にある 怒りに際限ない恐怖を覚えるだけとなり。

初めは”すぐに切れる子”、そして結果としての 無気力や引きこもり となって現れる。

何ら難しくはなく、心の闇でも何でもなく、単に有るはずだったトレーニングを親がさせなかったというだけのことでしか有りません。

 

さて、余計な話は置いておいて、八ヶ月間近の子でも怒りの感情という物が存在しているんですよね。

ハイハイして自分の思う方向に行こうとするのを背中つかんで阻止すると泣いて怒る。

目の前におもちゃをおいて取りに行ってつかむ寸前にさっと取り上げる(意地悪なので一度限り)と、やはり泣いて怒る。

単純ながらも、泣きながら相手を叩いたりもする。

怒り=攻撃 ですから、これを上手にコントロール出来るように親は育てていくのですが、叩いたことを叩き返すような育て方は厳禁ですから、何度でも根気よく「駄目なんだよ」とさとしていくわけです。   

*上の例はこちらの悪戯でこちらが悪いよね 

でも、こうした教育は新米パパとママの仕事。

”僕は一切口を出しません”、というか、ジジイはどうも甘やかすだけになりそうでして、自分が子供達にやってきた当時の厳しさはどこえやら(爆笑)

 

 

 

 

 

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キンピラゴボウ と 手造り料理

2012年04月20日 | 研究−教育・育児

だいぶ前の事ですが、娘がテレビを見ていて呆れていた。  ん???

 

「どうしたん?」と聞くと、なんでも番組に出ていた女の子(大体25歳位らしい)がキンピラゴボウを

造れず(作り方を知らない?)、スーパー等で惣菜を買ってくるとかなんとか? らしく、

それに対してピキピキ反応。    お〜怖!

 

17歳の我が娘ですが、殆どの家庭料理はつくれ、最近ではもっと請った料理を研究したり、工夫したりするようになってます。

そういえば少し前に食べた、ほうれん草とホワイトソースをベースにしたパスタは「最高の味だっな〜」 なんて思い返したりして(笑) 

 

娘は、どちらかというと料理の基本を僕の方から教わっています。

夫婦共働きの我が家であっても、”食事を作るのは女の仕事”という絶対に崩さない僕の基本姿勢のうえに家は成り立っておりますから、

普段僕がキッチンに立つことはありません。

ただ、家内が病気、旅行、仕事で遅くなる等、どうしても駄目な場合だけは僕が分担する。

 

女性というのは不思議なものでして、「なんで手伝わない?」と娘に文句を言うのに、やり出したらやり出したで面倒くさい?のと邪魔?なのかしれませんが、

不可解なことを結構やります    むむむ? (爆笑)

まあ、忙しいから手早く終わらせたいのもあるのでしょうが、手伝おうとするその姿勢だけで満足してしまうのか?は分りませんが、

どこの家庭でも話を聞くと似たようなものらしい・・・・

 

そんなわけで、僕が作る時は、割と時間に余裕をもってやっていた事もあって、娘を呼びつけては包丁を持たせつつ、調理の基礎を一つ一つ教えながら

一緒にやってましたね。 

と言っても、これはもちろん、親としての完全強制。

 

なぜなら、将来 子供と伴侶に旨い物を食べさせていなけばならない以上、幼い頃からこうして基礎を教え、

高校生になる頃には完全に出来るようになっていなければ、ただただ親として恥ずかしいからだ。   理由はそれ以外に無い。

 

その為に「女の仕事だと言って強制するのか?」と もしフェミニズム丸出しの男女同権団体なんぞから問われれば、「そのとおりです!」 ときっぱり答えます。

これはトイレ掃除、部屋の片付け、清掃、生活のすべてに共通するうちの子育てです。

 

娘に包丁を持たせ始めたのは小学校低学年の頃からですが、何度も指を切りつつも(僕は絆創膏貼らせてそのまま調理続行を強制します)次第に腕を上げていき、

今では家内がいないときの料理人?になってくれています。

 

故に娘は、男の料理&調理方から入り、そのあと(いっぱしに出来る様になってきた頃から)家内が細やかなことを教えるという、少し変わった方法で覚えている。 

高校生時代に飯場の飯炊きバイトをして基礎を叩き込まれて以降、さまざまな食事を子供たちに出していましたが、僕の造るのは材料がいちいちデカイし、

中身をガンガン入れて、見てくれより味とボリューム重視。

そんなわけで、娘は僕と家内の良いとこ取りという感じかな〜。

 

こうした娘の姿をみて嬉しく思う時があります、それは外で(学校含む)なんらかの調理するようなことが事が有ったとき等ですが、

「同性の子が包丁をもっておたおた戸惑っている事が多いのに、自分は何の問題もなくスムーズにこなせる」、 という話。

友達から聞かれれば即座に教えるし、そうでなくて出来上がってしまった友達の料理を味見し、足らない部分が有れば即座に調整できる。

「そんな事が、そつなく出来てしまう」ということを話してくれた時など。

 

「でも、逆にそれで困ったことがあるだろう?」と聞くと、明らかに間違ったやり方をしていて、しかも、自分の話をなかなか聞いてくれずにやってしまった料理フォロー

というのが大変らしく、相手を傷つけない為に大変な神経を使うとも言っています。    女性は本当に面倒ですから・・・・

 

例えるなら、マッシュポテトを作る場合等ですが、これはまず先に皮をむき、出来るだけ細かく切って電子レンジ加熱するのが短時間で仕上げるコツなのですが、

友達はそのまま皮ごとお湯で茹でてしまったりして・・・・  「う〜ん」

 

それだと茹で上がるのにやたらと時間がかかるのと、その後にあつあつ状態のジャガイモ皮を手で剥く事になってしまい、アッチチ!アッチチ!となり、

当然に少ない調理時間のなかでは間に合わない・・・

 

ジャガイモは皮をとるか残すかで風味が当然に変わって来るわけですが、オーブンなどで多少の焼き目をいれたポテトを肉料理などに添えて出す場合等には、

香ばしさとスパイスが重要なので皮は剥かない。

しかしながら、マッシュポテトの場合はそうしたことは全く不要なので、とにかく早く火を通し、熱々状態のまま適量なミルクをまぜつつ温度を落として行き、

同時に塩をベースに味付けしていく。

上にかけるソースの種類により、スパイスを変えるわけだが、友達はそうではなかった・・・・

 

でも一生懸命やっている友達の姿に、「間違っている!」と横槍をいれるのはいかがなものか?と

できるだけ、自然に悟ってもらえるように話を展開したりするらしいのですが、やっぱり難しいようでして・・・ 

 

他にも、後片付け等で、油物、それ以外の食器を全部混同して洗ってしまったり、二人作業でやる場合は片方が洗剤で汚れを落とし、

もう一人がすすいで、水を切っていくというのが出来ず、皆でゴチャゴチャになってやっていたり、と

 

そうした際には、途中からその仕事を自分で買って出て、友達が気が付くのをまってみたり(大抵は男の子のほうが効率のいい方法にすぐに気が付くそうです)。

「友達(とくに女の子)の持つ自尊心とプライドに触れることなく、分ってもらえるようにするのが本当に難しい」と、言ったりしています。

 

幼い頃より、人前にシャシャリ出るな、一歩下がったところから補佐しろ、偉ぶったり見せ付けるようなまねは厳禁。

そうしたポリシーで育ててきた娘は、相手にはっきり言うことを避けるために、ある面で大変なことが多いようです。

 

ただ、こうした事は、世の中に出て、見る人が見れば必ず分る。

 

能力の高い男性ほど、女性をよく見ていて、当然それに応じた相手を選ぶわけですから、最低限の気配りと出来ねばならないことが出来ないようでは、

その程度の男としか結ばれないわけです。

 

人間関係に理想という言葉は馴染まず、あるのは現実だけ。

父親として、”当たり前の事が、当たり前に出来るように強制し、社会という型にはめて子供を育てねばならない”、なぜならそれを基礎として型を破りつつ

さらには上手く利用しつつ、自分を伸ばすことができるようになるのですから。

 

「えっ?」、 「型にはめたり、強制してはいけません! だって?」、 バカを言うな、”何一つ出来ず、社会に適合できない非常識人間を育ててどうするというのだ!?” 

「そんなもの糞くらえだ!」

 

 

 

 

 

 

 

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6ヶ月半 の 乳児

2012年03月29日 | 研究−教育・育児

ほぼ、お座りが出来るようになった孫。

以前から始まっていた人見知りは、更にはっきりし、夜鳴きらしきものも激しくは有りませんがポツポツ。

「このところの大きな変化は?」というなら、離乳食で好き嫌いが出始めてきた事や、感情変化が著しくなってきたこと。

自己主張が明確になり、例えるなら持っていたおもちゃを取り上げたりすると大泣きし、返すと喜ぶ。

少しでも親(母親)の姿が見えなくなると、大きな声で呼び、それでも来ないと泣きはじめる。

僕が現れると腕を伸ばして抱っこをせがんだり、家族の中でも遊んでくれる人と甘えられる人、楽しい人、等々を

明らかに見分けていて、自分の気持ちにそぐわないと嫌がるそぶりまで表れてきた。

「人間らしくなってきましたね〜」

 

言葉の理解も進み、例えるなら、家族全員で夕飯を食べ、大抵は一番初めに僕が寝るために席を立つのですが、

その際に「おやすみ!」と言う言葉を口にしたとたんに、やおら泣き出す。

トイレに行く為に立ち上がっても、そうしたことは全く無いのですが、 「じゃ〜ね、おやすみ」という言葉を出すと、ピクリと反応してそうなるわけで、

「は〜 ジジイの心は乱れる」(笑)  で可愛くなりますから抱っこしてあげると、途端にニコニコ。

でもこちらは眠たいのでお母さんに渡すと、また泣き出す。

 

家族相互の関係と立場がどんなものなのかも解り始めているようで、例えるなら機嫌の悪い時に(滅多に有りませんが、家では一度僕が荒れ始めると大変なのではないか?と自分で思います、息子の方が遙かに穏健ですから 恥ずかしい・・・)言葉尻がすこしでもきつい方向へ変化したりすると。

驚いたように、じーっと僕の顔を不安げに見たりする。

 

こうして人間というのは成長してくるわけですが、自分が育てていた時とは全く違って、落ち着いて観察?できるのがおもしろい。

 

毎日が楽しみですが、少しずつ成長していく姿を見れる、と言うのは、本当にすばらしいものですね。

 

ひたすら息子夫婦に感謝!

 

 

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プロダクション  又ですか・・・

2012年03月28日 | 研究−教育・育児

家内から話がありました。

また家の娘がプロダクションから誘われているとか・・・・

始終こうした事が有るのですが、訳のわからないところは、いかにもと言う感じですからすぐに排除?可能なものの、割と大きくて名の通ったところだと色々な面でややこしくなる。

正規の手順を踏んで、親にコンタクトを試みて来ようとするからだ。

以前も書きましたが、スカウトマンと言うのは現実に存在しており、一線で活躍している娘の殆どは、そうした専門家の目で発掘されるのが実情。

プロダクションでもそうでない方法、すなわち タレント募集、モデル募集と看板を掲げて始終募集をしているところはあれども、その実情はおいしい話をちらつかせてデビューの為のレッスン費用だとかぶったくる、いわゆる”反”詐欺(そうダイレクトには表現しませんが)と言ってよいところです。 とはそうした業界の人の話。

まともなところは、そうした手法を取らないのですぐに判別が付く。

当たり前だけれど、レッスン料、宣伝活動費等というのは、本来はむこうが持つものであって、こちらがお願いして出すものではないし、そもそもそれが変だし、請求=詐欺ですと自分で言っているようなものです。

あくまでも原石を磨いて商品(になってしまうんですよね・・・・)とする行為は、それにより収益をあげるところが行うのが前提だからです。

当たり前ですが、少しでもお金の話が出たら”一発でお断り!” それで娘を守ってきた。

逆に、娘がお世話になる様なことが万が一でもあるとするなら、普通のマクドナルドバイト程度時給以上はもらわせないのがこちらの考え。

まかり間違って、バカみたいなお金等を手にでもすれば(有るとは思えませんが)、娘自体の人生が100%破綻方向へ進んでいくのが目に見えてるからです。

 

そういえば、一般公募的に集めている中堅のところは毎日数百から多い時だと数千も売り込みがあり、募集を殆どしていないところでも数十から数百くらい、メールなどで勝手に売り込んできたりするそうだ。

しかしながら、プロダクションとしてはそうした自分で売りこんで来る子はほとんど門前払いらしく、募集しているところでも99.99%くらいは写真と書類でOUTで、殆ど鼻にもかけられないものらしい。

たまに書類が通っても面接で駄目、というのが現実。

 

やはりスカウトマンが足を棒にして、何かを持っている娘(オーラみたいなものらしいのですが)を歩いて捜してくるものらしい。

 

名刺をもらった話を聞くたびに(というか家内と一緒に出かけているところでいきなり出現したりもする)、「なんで家の娘なのだ?、そこいらじゅうに可愛い子はいるじゃないか!」と僕は言いたくなるし、ほって置いてもらいたいのだけれど、こちらの意思とは無関係の場所で、突然「すいません」と名刺を渡してくるので困る。

親としても、きちんと娘がこうしたことを報告してくれるのはいいが、やはり慌てふためく。

 

今は17歳と言う年令が守ってくれているけれど、18歳になると大人として、自らの意思で契約も可能になる。

何が心配かと言うと、プロダクションと言っても、下はAV系から始まり、正規のモデル系、芸能系もあるわけで、正攻法で親に連絡してくるようなところはほぼ大丈夫と思えるのだが、そうでないところも多く。

つまらんことで身の破滅を招くようなことにならねば良いと、親としてはひたすら願うわけです。

 

もう少しで高校3年生、ひたすら心配な僕です。

18歳という年令を過ぎれば、子供の行動に制限をかけられなくなるし、責任というものをもたせねばらなず、同時に自主性と、信頼を与えねば、何時までたっても独立した人間になることなど出来ないからだ。

 

自分の思いと、子供の成長との間に存在するジレンマ。

ますます悩みと心配は多くなりそうです。

 

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絵本  ”特別な日”  

2012年03月21日 | 研究−教育・育児

僕の娘が書いた絵本です。

なんとなく面白いのでアップします。

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言葉の理解

2012年03月03日 | 研究−教育・育児

今日はひな祭り、 といっても、孫は男の子で関係有りませんね〜 (笑)、 

とりあえず二人の娘と家内のためにひな人形なんぞを出したかったのですが、

増築の完成が間に合わず、結局出せませんでした。

 

さて、めでたく6ヶ月に突入した孫ですが、本当に子供の成長というのは早い。

ここに来て言葉の意味をいくつか理解し始めたようで、その理解した言葉による簡単なコミュニケーション等も

出来ようになってきた。   見ていると面白い

 

代表的なのは ”ちょうだい” という言葉と”ネンネ”。

ちょうだいの方を書いてみますが、これは孫が”カミカミおしゃぶり”を持って遊んでいたときに、家内が横に来て「それちょうだい?」と言葉をかけた時に確信?したらしい。

しばらく じ〜っと 家内の顔をみると、持っていたカミカミを手渡した。

受け取った家内が、今度はそれを「ありがとう!」と言って差し出すと、ニコニコ顔で腕を出して受け取る孫。

そしてその後で、今度は違う言葉で話しかけてみると(例えば おじいたん 何処?)と言うと、おしゃぶりを渡すのではなくて、頭を動かして僕を探すしぐさ。

そうしていくつか言葉をかけた後、ふたたび「それ、ちょうだい」というと、又カミカミおしゃぶりを手渡してくれる。

何度やっても同じで、こうしていくつかの言葉をすでに理解し始めているのですが、ほかに自分の存在を強くアピールする行動も出始めました。

例えるなら、息子が孫を抱っこしている時等に、誰かが来ると奪うように抱っこしたり、「げんき〜!」等と必ず声をかけたり、頭撫でたり、頬をつねったりと必ず誰かが孫に触れていく。

そんなハードな扱いにもめげずに終始ニコニコ顔の孫ですが、このところ、まずはこういった自分を意識(存在を認める)してくれる行動を取ってもらえないと、自分で声を出してアピールする。

例の「あっ!」「あっ!」という呼びかけだけれど、急いでいたりなんかして、こちらがかまえない上に声かけを忘れ、なおかつ「あっ!」という声に反応しないでいると、それまでのニコニコが消えて「突然泣き出す」。

みんな驚いて、「ごめんごめん!」と抱っこし頬ずりしたりするのだけれど、そうすると泣き止んで機嫌の良いときに発する声を出しはじめる。

ったくね〜 ・・・・(爆笑) 

 

子供は、家族全ての愛情を独占し、それを糧として知能を発達させていくが、本当にその通りなのだと実感する。

 

ネグレクト、虐待、言葉が分らないだろうと伴侶の悪口を乳児の前で口にして子育てする母親、家庭内でいつも争い合う夫婦の声等々。

これらは全て子供に聞かれており、それがむなしい物で有ればあるほど、自ら知能発達を子供が押さえ込んでしまうのは

、本能を元に成長を研究してきた僕には当たり前の様に分ること。

しかしながら、こうして24時間観察可能な孫を通し、知識の再確認することは、本当に多いのです。

 

番外編

僕は抱っこしていると、解ろうが解るまいが、孫相手に普通に会話をし(それゆえ結構一人でしゃべっていますが)、絵本なんぞも見せながらお話をしますが(解ろうが解るまいが関係なくやります)、目を見て話している時等に膝の上でピョンピョン跳ね回るので結構危ない。

まだお座り出来ないので、一度油断した瞬間に、バランス崩して頭をコタツテーブルにゴッチンコ。

盛んに謝るも大泣きで手に負えなくなったので、いそいそ嫁さんに渡してあやしてもらうが、「母親にはかなわんな〜!」と実感する僕でもありました。

 

 

 

 

 

 

 

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バカじじい(笑)

2012年02月26日 | 研究−教育・育児

今日は朝から一階のフローリング貼り。

途中で、天井のシーリングファンライトを取り付けたりなんかもしていたのですが、朝10時半頃になって息子夫婦が起きてきた。

昨晩夜泣きで大変だった(鳴き声が聞こえていました)ので、ノンビリというか、いつもと同じというか?(笑) 

まあ、昨日は偶々みんなが揃ってましたので、ずっと揉みくちゃにされてたので、その影響でしょうね〜 やはり 

 

降りてきたのは、リビング横で作業しているのですぐに分るのですが、僕は孫を抱っこしたい気持ちを押さえてそのまま作業を続行。

しばらくして、家内が孫を抱いて現れたのですが、思えば孫は僕の作業している姿、もしくは酒のんで酔っぱらっている姿しかみたことないな〜 

な〜んて思うのですが、時折チラ見をしながら手を振って見せたりなんかして、そのまま脚立の上での穴開けなんぞやっていたのですが、「あっ」!」、「あっ!」という声が・・・・・

これ、実はまだ言葉が喋れない孫が僕(家族の誰か)を呼ぶときに出す言葉なのですね。

 

当然声かけられれば無視は出来ませんので、孫の方を向いて「あいよ〜」なんて」手を振ったりなんかして。

バッカじゃなかろうか 俺?

 

でも振り向いて、孫と眼があうと「ニコ〜」っとしてくれるので、つい・・・・

手が離せない状態だと振り向けないので無視していると、何度も何度も「あっ!」を繰り返す。

根負けして「あいよ!」と返事するとまた ニコ〜。

 

そうなると作業なんてやってられない。

脚立を降りて抱っこしに行くが、目一杯の笑顔ですから、こりゃ〜ある意味 

悪魔だべ。

 

そういえば、この子は生まれてすぐの頃から寝ている時間がとにかく短い。

赤ん坊と言えば一日中寝ているのが普通なのですが、大丈夫かよ?と心配するほど起きている。

誰かしらが家にいて、始終バタバタしているうえに、てんで勝手に寝ているのを起こしたり、起きていると分ると皆で取り合い抱っこしては、お話したり、歌ったり、パソコンで映像見せたり音楽聞かせたりと、それぞれ勝手にやるので、そのせいも有るだろうけれど、逐一付き合わされている孫はさぞかし大変だろうな〜 

なんて思ったりするのです。

 

でも、いつもニコニコして、一切何も言わない嫁さんが一番、偉いよな〜やはり   ウンウン

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