Zooey's Diary

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トプカプ宮殿、ハーレムの悲劇

2008年09月17日 | トルコ旅行2008
トプカプとは、「大砲の門」という意味なのだそうです。
宮殿の面積は、70万㎡にも及ぶという広大なものです。
1453年にコンスタンティノープルを征服したマホメッド二世が、やはり数年のうちに造らせたといいます。



歴史の本によると、ここは単なる宮殿ではなく、行政府でもあり、帝国議会の場所でもあったのだそうです。
宮殿内には、公務員養成の訓練校、病院、兵器庫、貨幣鋳所からハーレムまであって、常時4~5千人の人々が暮らしていたのですと。

ここは何しろ広く、貴重な展示品の数も多く、目もくらむような宝石もごろごろあり、本気で見学しようと思ったら、一週間通っても足りないくらいだと思います。
宝物館のエメラルドの短剣、86カラットのダイヤモンドなど本当に素晴らしかった。
が、ここで私が心惹かれたのは、なんといってもハーレムでした。

ハーレムの建物は六層からなり、三百の部屋、通路、中庭、階段が入り組んで迷路をなしているが、私達が見学できるのは、そのうちわずか20室なのだそうです。
ハーレムというと、酒池肉林の桃源郷のようなイメージを抱きがちかと思いますが、少しばかりそれについての本を読むと、そこにいかに阿鼻叫喚の歴史があったかということに感じ入ります。
例えば、ハーレムの女達が、世界中から略奪されたり売られてきたということはよく知られていると思うのですが、そこには宦官という者たちもいた。
スルタン以外、普通の男たちの出入りは厳禁であったハーレムを取り仕切っていたのは、皇太后、そして黒人宦官長(クズラール・アーシ)であったのです。

オスマントルコのハーレムでは、最初、コーカサスなどから連れてこられた白人奴隷による宦官が中心だったのが、次第に、エチオピア辺りからの黒人奴隷による宦官が勢力を持ち出したらしい。
一説によると、それは、去勢手術の成功率が黒人のほうが高かったからだというのです。ちゃんとした外科手術なんてある筈もない当時、一体どうやって去勢したのか、私は興味を持って色々読んでみたのですが…
そのことにはっきり言及している書物は少ないようで、どうやら分かったことは(信憑性は定かではありませんが)、当時、イスラム社会では、去勢そのものは違法であった。なので奴隷商人たちは、アフリカで黒人を捕まえ、その場で性器を切り落とした。そして熱い砂漠の中に、その犠牲者を首まで埋めたというのです。 出血多量や破傷風などで亡くなる黒人も少なくはなかった。
そこで生き残った頑健な者だけをトルコまで連れて来て、ハーレムに売り飛ばしたと。
エチオピアで毎日自由に駆け回っていたのに、ある日奴隷商人に捕まり、チョン切られ、熱い砂漠に埋められ、鎖につながれて遠いトルコで売り飛ばされるなんて…
私だったら死んだ方がマシだと思ってしまいます。
人間は何処まで残酷になれるのでしょう?



   
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2 コメント

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トプカプではないのね (matsubara)
2008-09-19 19:28:27
長い間トプカプ宮殿と思っていました。日本で度々宝物展がありましたが、日本語訳ではトプカピではありませんでした。日本人が正しい発音でない場合はよくありますが・・・例えばツタンカーメンと言っても日本人以外は分からないみたいです。トォタンカモンと言わないと・・・
それにしてもあの凄い宝石の裏に残酷な歴史があったとは驚きです。宝物展を見て何年もたっているのにあの豪華さがまだ記憶にあります。
matsubaraさま (zooey)
2008-09-19 23:48:05
うわあああ…
す、すみません!単なる思い違いです。
「トプカプ」です!原語はTopukapiなので間違えちゃいました。。
ご指摘ありがとうございます。早速直します。

>日本人が正しい発音でない場合はよくあります

いえ…
英語に比べれば、日本語の方が現地表記にまだ近いのではないでしょうか?
英語だと、ウィーンはヴィエナだし、パリはパリスだし、ミュンヘンはミュニックだし。

トプカプ宮殿の中に、物凄い規模の宝物展があるのです。
ダイヤやエメラルドやルビーが、おもちゃとしか思えないような大きさと数で転がっていました…

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