劇場と映画、ときどき音楽と本

オペラ、バレエ、歌舞伎、文楽などの鑑賞日記です

吉右衛門の「伊賀越道中双六」

2017-03-23 20:13:33 | 歌舞伎
23日に国立劇場で「伊賀越道中双六」を観る。国立劇場50周年の最後を飾る作品としての上演だ。2年ほど前に上演して、読売演劇大賞を受けた公演だった。今回は2年前と殆んど同じキャストによる再演だが、「円覚寺」の場面が追加になっている。

「伊賀越」は文楽ではよく出るし、「沼津」は有名だが歌舞伎での「岡崎」はしばらく上演が途絶えていたので、それを復活したことはなるほど意義深いと思う。

「伊賀越」は全十段の長い芝居だが、今回の上演は半分以下の通しで、いわば「遠眼鏡」のチャリ場と「岡崎」に絞った上演だといえる。だから、この場面が面白ければそれはそれで成功だといえるのだが、「円覚寺」を追加したのはどういう意図かと思った。まず、観ていて全く面白くない。それは役者が弱いせいもあるが、股五郎の母の出番を全くカットして単純化した内容だけでなく、チョボも全く入らないような上演であれば、「円覚寺」を入れる意味はあまりないのではないかと思う。

今回の眼目の「岡崎」については、チョボは入るのだが、前半の御簾の中の太夫の語りは全く弱く、力を欠いていた。後半の奥はさすがにエースが登場してしっかりと締めたが、歌舞伎で語る義太夫の質も一定以上のものが求められると思う。

唐木政右衛門役の吉右衛門はさすがにうまいが、体力的には限界で立ち回りを演じるのに体が動かないのは仕方がないと思うが、台詞に力を欠く。しかし、ここぞという時にはきちんと決めていたさすがだと感心した。周りを固めた東蔵、雀右衛門、歌六、又五郎らが、達者な演技を見せる。また、菊之助、米吉の演技もそつがない。

こうして、全体でみると上演の質も高く、岡崎を復活した意義も大きいのだが、「通し狂言」と謳うからには、「沼津」や「饅頭娘」、「伏見船宿」なども合わせて上演してほしいと思う。特に、「岡崎」では政右衛門が自らの子を殺す場面があるので、その前段として「饅頭娘」を入れておくのが良いのではなかったかと思った次第。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿