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オペラ、バレエ、歌舞伎、文楽などの鑑賞日記です

新国立劇場でサローヤンの「君が人生の時」を観る

2017-06-16 18:11:52 | 演劇
6月16日の昼に「君が人生の時」を観る。新国立の小劇場ではなく、中劇場だ。劇場に着いて入ろうとしたときに、思わず驚いてしまった。何に驚いたかというと、普段の新国立の演劇の客層と、あまりにも違ったからだ。オペラなどを観にいくと、いかにも経済的に余裕があって、うまい物や酒を飲んでますとか、マニアっぽい人種が多いが、演劇の特に小劇場などを観にいくと、観客層は自然健康食品を食べて、哲学書でも読んでいて、人生を楽しんでいなさそうな人々が多いような気がする。これはあくまでも、私の主観で、両方に顔を出す僕はどちらに属しているのかはわからない。

今回は圧倒的にぺちゃくちゃと会話している女性陣が大半。普段の演劇よりも年齢層も若い。僕はサローヤンの芝居のつもりで見に来たのだが、観客のお目当ては、ジャニーズ系の主役男性と、宝塚元トップの女性だろう。そのために、普段とは全く異なる客層となったのだ。約1200席の中劇場はほぼ満席。単なるサローヤンの芝居というだけでは、こんなには埋まらないから、人気のある俳優を使うのも大事かも知れない。それで商業的に成り立つのならば何よりだ。

ところで、この芝居の内容は、この戯曲が上演された1939年のサン・フランシスコの港にある酒場を舞台にしていて、その時代の雰囲気をそのまま切り取ったような構成だ。だから、80年近くたった現在の東京で観て、何が面白いと感じることができるのかが問われる気がした。舞台となる酒場はイタリア系の移民(おそらくは2世か)が経営していて、社会から溢れてしまったような人物のたまり場になっている。一人ひとりは、いろいろな背景を持っているが、1939年のアメリカ社会という場所に居場所を失ってしまった人々だ。そうした人々を群像的に、鮮やかに描き出しいるのだが、逆に言うとその時代がどんな時代だったのかが判らないと、芝居の面白さもなかなか判らないかも知れない。そこらをどれだけ伝えられるかというのが、問われるわけだ。

いろいろな人物が登場するが、劇中でタップダンスを踊る男は、「ヴォードヴィル」に出ていたという。ヴォードヴィルは、1910年代までが全盛で、20年代から衰退して30年代には壊滅状態だったと思われる。1939年にヴォードヴィル出身のタップダンサーが残っていたら、確かに場末の酒場がお似合いだろうが、もっと年をとっていた方が良かったかも知れない。タップダンスを踊れる中年がいなかったのかなあ。名前は確認しなかったが、タップダンスは結構ちゃんと踊っていたので、驚いた。

野々すみ花が演じるヒロインは、バーレスクで踊っていたという。バーレスクは19世紀にはパロディ演劇という意味で使われていたが、1920年代後半ぐらいからセクシー・ショーというような意味になり、戦後はストリップ・ショーと同義語となってしまった。10年ぐらい前に「バーレスク」という映画があったが、それを見ると最近はまたセクシー・ショーに戻ったようだ。ヒロインは、昔バーレスク・ショーに出て全米を巡業していたのを、結構自慢げに語ったりしているが、最後の方でその踊りを踊らされると、いかにも屈辱的だというムードで語られる。この格差はどこから来るのだろうか。野々すみ花の踊りは、場末のバーレスク小屋の煽情的な踊りのムードはよく出していた。

他にも、テノールで自慢の声を売り込むギリシャ系の男がいる。なぜかこの男はアイルランドを扱った「君のアイルランドの瞳が笑う時」という歌を歌って見せる。この曲は1910年代の曲だが、トーキー初期の映画に使われてヒットしたので、1930年代にもまだよく歌われていたのだろう。この曲はよく仲間内でみんなで一緒に歌ったりもするような、民謡調で、リズムのはっきりした曲だが、劇中では結構美しく歌いすぎて、何か他の曲を聴かされているような印象を持った。

バブル景気の1920年代が終わり、1930年代というのは前半は大不況の時代で失業者が溢れ、後半は景気は回復したものの、戦争の足音が聞こえてきた時期だ。だから、そうした時代背景が劇の中ににじみ出ている。さらに、不況の中で労働運動も盛んになり、ストも増える、そして台頭するナチと対抗するために、共産主義とも手を組む局面があり、いろいろな意味で、社会の治安や秩序の維持にアメリカは苦しんでいた時代かもしれない。

そうしたことから、この作品はピュリッツァー賞に選ばれたのだろう。この賞は、演劇的にすぐれている作品ではなく、最先端の時代感覚を示した作品に贈られることが多い。最近では、ミュージカルの「ハミルトン」が受賞して話題になった。

結局、この劇では大したことは起こらない。場末のバーで日常的に起きていることが描かれているだけだ。だからドラマとしてみると、いかにも詰まらない。単に、時代と場所のムード、そしてサローヤンの人間的な描き方を味わうだけだ。ちなみに、当時のニューヨーク・タイムスのブルックス・アトキンズの批評を読んでみると、「一幕劇でも十分」みたいに言っている。サローヤンの代表作だが、今見ておもしろいかなあ。

休憩20分を入れて3時間の公演。ちょっと長く感じた。日本語で上演すると、どうしても長くなるなってしまうのだろう。でも3時半に終わったので、家に帰って食事した。
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