龍の尾亭<新統合版>

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ウェルベック『服従』読了(2)

2017年07月14日 06時50分05秒 | メディア日記
『服従』の感想メモ。
興味を惹かれたのは大きく三点。

この作品が話題になったのはもちろん、まず何よりも近未来政治小説の側面だ。
「2022年の大統領選挙で、ムスリム系の候補が当選したら」
という小説があればきょうび手にとってみたくもなろうというものだ。

私はフランスの政治には全く疎いが、既存政党の枠組みを全く寄せ付けないようなルペンとマクロンの対決という 「新たな」対決を見せつけられたら、否が応でもフランス、そして世界の政治について関心を持たずにはいられなくなるだろう。そういう私のような読者に、知的興味を満たしてくれる小説だ。
その上で、
「もしムスリム系政党の党首が大統領選挙に勝利したら」
というシミュレーションをしてくれる。

それだけでも、日本の今を生きる人は読む価値がある。さらに、このフランスのお話は決してよそ事ではない。政治は日本というコップの中だけで動いているわけではない、という感触も味わえるのではないか。

大きな枠組みでの魅力、それが一点目である。

もう一つ興味深いのは、それがこの小説家らしい皮肉の効いた細部のリアリティに支えられている、という点だ。
フランスの通りや田舎町の様子、登場する野心家や俗物、そして女性たちの描写はそれだけで 優れた 「類型」描写になっている。
こういう描写をずっと何冊も続けて読みたいかといわれるとそれもどうかと思うけれど、この小説の主題と見合ったリアルはこの水準だと見定めたテクニックを感じるし、それは有効でもある。

例えば、ムスリム系の大統領が行う施策の内容のリアリティはあくまでもその想定された 「類型」の範囲内でのリアルだ。だからこそ安心して読み進めることができる。

それが二点目。



三点目は、その類型の中の一つの典型として主人公が描かれているところだ。つまり、その類型という 「小さな パッケージ」のなか嵐としてインテリ大学教授の悩みや葛藤が展開していく。
全く無力なまま自己保身と自己弁明を繰り返しつつ、無思考の思考を繰り返したまま流れに飲まれていくその描写は、身につまされるというかありふれすぎているというか。
「類型」が、しだいに形をなさなくなっていく様子をなぞっていく皮肉に満ちた語りは、この小説の楽しみ、といっていいだろう。

以上三点に惹かれた。

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