龍の尾亭<survivalではなくlive>版

いわきFCのファンです。
いわきFCの応援とキャンプ、それに読書の日々をメモしています。

マッカラーズ短編集を読んだ。

2023年10月26日 12時45分51秒 | 本を読む
『マッカラーズ短編集』を読んだ。
カーソン・マッカラーズは20世紀前半のアメリカ南部のジョージア州で、20才代で小説において圧倒的な才能を開花させた女性だった。
書かれたものは、一見すると互いに理解し合えないまま閉じた生を生きるしかない登場人物たちで満ちあふれていて、当時の時代を考えると非常に奇妙な感じの小説だ。
今で言えばそれはqueer(クィア)な、ということになるのだろう。
今回読んでみて、こんな小説を書いてみたい、という欲望が内側からせり上がってくるのを止めることができなかった。
無論、マッカラーズのような小説が書けるはずもない。
言いたいのは、これは「私のものだ」というその感触だ。
自分の中でその奇妙な(queer)感じを抱かせる、孤独で他者とすれ違い閉じていくしかない登場人物たちが、にもかかわらずこちら側に寄り添ってくるようにすら感じられる感触がある。
読書会のメンバーの一人は、これは「境界線上を描いているんだ」と言っていた。
たしかに、「天才少女」などはまちがいなく、少女から大人へと移ろっていかずにはいられないその境界線の上に立つ極めて微妙で不安定な場所、まるで天使が針の上に立ち得るのかどうかを試しているような危うい描写が、短い作品の中に凝縮している。
もちろんその境界線は、先生と生徒だけではない。子どもと大人、アル中の妻と「正常」な夫、男と男、男と女、女と女、主人公の別れた妻が今の夫との間に倦んだ子と今の恋人が以前に生まれた子どもとの関係(短編だが実に面倒くさい)、境界線はこの作品の至る所に引かれている。
その無数の境界線を描く描写は徹底的に繊細で細部に渡っていて、それが世界の今の閉塞性とその先崩壊を予感させる……。
控え目にいっても、めちゃくちゃ惹かれた短編群だった。
巷では、村上春樹が訳した『心は孤独な狩人』と『結婚式のメンバー』が有名なのだろう。
どれであってもよい、21世紀の空気を吸う私たちは、一度マッカラーズの不自由な描写の中に身を浸してみてよいのではないか。
それは境界線を巡る苦悩の描写であると同時に、境界線が崩壊していく予感や事実の描写でもある。
間違っても、ここにあるのは、村上春樹が描くような物語ではない。物語だけ読めば、不可解な話になる。
村上春樹の本当の才能は、カーバーやティム・オブライエン、マッカラーズを目利きした事実と訳業(誤訳はあるにしても)にあんじゃない?という話も読書会のメンバーから出ていた。なるほどね、という感じ。

(かつて村上春樹の「物語」をむさぼるように読んだ80年代の記憶を持つ自分にとっては、その村上春樹以前を発見する「旅」でもあったのかもしれない……が、それはまあどうでもいい話だ)
文句なく、お勧めです(極めて乏しい外国文学体験の中で、の話ですけど)。

いわきFCがんばれ!(3)

2023年10月26日 11時45分14秒 | いわきFC

ここまできたら、せっかくだからなんとしてでも来季J2でいわきFCを応援したいものです。
これはわれわれいわき市民(風呂敷が大きすぎるのは重々承知で)の課題である、と思うんですよねえ。
少なくてもいわきFCファンの使命でもある。

でも、結局のところ、選手にプライドをもって、いわきらしく、頭を垂れずに胸を張って、闘い続けて欲しい。そこに尽きるのかな。
選手が怖れるような期待や叱咤は不要だろう。
彼らが前を向いて試合に臨み、その背中を押せるような応援を、のこり3戦していきたい。


私の推しである嵯峨理久選手(No.8)は怪我で今季は出場がかないませんが、足が治って、来季J2の舞台で嵯峨選手がまた活躍できることを夢見つつ、そのためにも、千葉にいって応援してきます!


いわきFC頑張れ!(2)

2023年10月26日 10時31分32秒 | 本を読む

BEHIND THE SCENES】いわきFC vs 清水エスパルス|明治安田生命J2リーグ第39節

で試合終了後、田村監督が闘いを終えた選手たちに語っていた言葉が印象的だった。
(実際の動画は上記を参照)

「本当にこんだけ来てくれたお客さんがどう思ったか分かんないけど、

(そして)今おれがそういう風に言ってその言葉(みんなの心に)入んないかも知れないけれども(オレは、全然)誇らしく思う。

最後までファイティングポーズを取ってやったということ。それは監督のオレがそういう風に(舵を)切ったから、それをやってくれたということに感謝している。」

この言葉に深く共感した。そして、ファンの中の多くの人はこの監督の言葉と共にあって、応援を続けてきたし、これからも応援をしていくと思う(
少なくても私はそうだ)。

思えば、田村監督は「勝ちいく」「点を取りに行く」と、今節だけでなくずっとそう言い続けてきた。

90分走り続け、諦めない、倒れない。
「魂の息吹くサッカー」

①選手の平均年齢も23才ちょっとの若さにふさわしい言葉だし、

②できたてのいわきという地域に根ざして成長しようとするチームだし、

③私たちいわき市民にとって一緒に成長していく身近な地元のJチームだ。

④加えて、年配の方(パートナーとご一緒だったり)でスタジアムに足を運ぶ方の多くは、子どもや孫のような気持ちで、選手たちの成長を応援しているという雰囲気があるのではないか?友人のサポーターが言っていた。

⑤また、横浜FC主催の親善マッチでは、いつもの応援団がいない代わりに、子どもたちの声のリードでスタジアムが応援チャントを唱和する一幕もあった。キッズたちもその親の世代と一緒にスタジアムに来る習慣ができはじめている。

いわきFCは、本当の意味で私たちいわき市、浜通りのチームになりつつある。

そんな風に感じた。

 


いわきFCがんばれ!

2023年10月26日 08時50分02秒 | いわきFC


(写真は清水戦翌日のサイン会於: ラトブ)

久しぶりにいわきFCのことを書きます。
第11節アウェイ戦で宇都宮にいった記事以来ですから、大分間が空きました。

39節終了の現時点(2023年10月26日現在)で観戦は

ホーム18回、アウェイ12回

まあまあスタジアムでの観戦・応援は続けてきました。

ちなみに現状の成績は11勝11分17敗。

そのうちブログ子が観戦した試合で16敗しています。負け試合のフォロー率高っ(苦笑)!

サッカーの中身については素人なので技術的な話はあまりできず、負けウォッチャーがブログを書くとつい愚痴っぽくなりかねず、むしろ黙って応援に専心すればよいと思いつつ書き込みから遠ざかっていました。


しかし!

このホームの清水戦を終えて、

「ここは黙ってはいられない」

という気持ちに!

ここで声を上げなければいつ声を上げるのか!?

そんな気持ちになったのです。

唯一、清水エスパルスにシーズン2敗を喫し、しかも1ー9、1-7の大差で敗れてしまったわけですから、応援する者としてはここでこそ、応援の声を上げねばなりません。

「いわきFCの選手=若者たちはガッチリいわきFCらしい戦いを続けている」

と。


監督の言うとおり、

「私たちはこの戦いぶりを誇りに思っている」

と。

監督のコメントは以下のyoutubeで閲覧できます。

https://youtu.be/ndxr85y2qW4?si=iL1oPWioZlS-D7UD


シーズンを振り返ってから書くつもりだったことを、これからいくつか書き留めて、最後の応援の力に変えていこうと思います。

よろしかったらしばらくお付き合いください。


第17回エチカ福島「水俣の漁師たちと出会う夜」(2023年11月27日(月)

2023年10月26日 08時34分25秒 | 大震災の中で
今回は、第12回に続いて、水俣の方を招いてお話をいただき、その後参加者との討論をします。
詳細は以下の通りです。
平日、しかも福島市での開催になります。前日にはいわき市で別団体でのイベントも開催されるはず。
よろしかったら連絡先までご予約を。


イベントの詳しい趣旨・内容は、下記(エチカ福島を共同でやっているメンバーのブログです)まで。



J2第11節 栃木SC×いわきFC戦もしくは中年男子ファンの、モノローグの醜さについて

2023年04月25日 14時01分54秒 | いわきFC
J2第11節のいわきFCは、栃木SC45アウェー戦だった。
開始わすか2分、フリーキックで福島隼斗決にめられたゴールが決勝点。

まあ、応援する側としても正直ストレスの溜まる試合だった。その後何度かゴールに迫り、栃木の攻撃もギリギリのところで防ぎ、いい展開は見せてくれたものの、勝ち点1は欲しかったなあ、と……(^_^;)

有田が途中出血で交代。
石田も負傷交代となった。
嵯峨選手が左SBで復帰したが、この状況このポジションで本領を発揮するにはいたっていない印象。
なかなか厳しい状況が続いている。

まあでも、まだJ3から昇格して一年目の最初だ。苦しむのは当然ともいえる。
いわきFCラシイサッカーを組み立ててそれを見せてくれる夏以降の「成長」に期待しよう。

まあこの試合はさておき、今日は応援しているサポーターのことについて少し書いておきたい。

今年はホーム、アウェー問わずに都合のつく限りスタジアムで応援すると決めている。
だから、アウェーの岡山戦とホームの群馬戦以外は9試合生で応援してきた。
ピョンピョン飛び続け、声を出して旗を降り続けるガチ応援団の方には及びもつかないが、まあまあ追っかけている方だとおもう。

せっかくアウェーまでくるのだから一生懸命応援してサポートしたい、と思うのがファンの人情だ。
とくに4/12 (水)のアウェー対金沢戦は、寒くて応援の数も約40人程度で、3-0で負けて悲しかったけど、アウェー席の前で挨拶シテル選手を見ていると、ちょっと涙が出そうになって
「おうえんしてるぞ!」
と思わず大声をだしてしまった。
人生をかけて戦ってるプロの若者たちに同情は無用だが、応援する気持ちは伝えたいじゃないですか。特にいわきFCは元来とびきりの高給取りの選手をならべて勝ちをもぎ取るチームじゃない。
若手の選手を育てながら哲学を浸透させていき、組織的に「哲学」のあるサッカーをするチームだ。
だからこそ応援したくなるし、その走りつづけるサッカー倒れないサッカーに共感もしている。

周りを見ると、ぴょんぴょん跳ねつつ旗を振る若者(&大人)のガチファンはもちろんステキ。

そして、子ども連れのご夫婦、年配のご夫婦も、女性が熱心に応援していて旦那さんが黙って見ていると、それをつついて手拍子をうながしたりしている。それはそれは微笑ましい光景だ。

ところが、一つ気になるファン層が。
男の人が独りで応援にやってきて、手拍子もピョンピョン飛びもせずに(もちろんそりゃそんなこと別にしなくていいんですが)、きまったように腕組みをしながら、のべつまくなし試合の批評(と言えば聞こえは良いけど、実質はほぽ悪態)をつきつづけている……
そういう方が散見される。

「コーチかっ」
ってぐらい声出してる。

もしくはそんなふうに「文句たれ」をしないまでも、じっとたって腕組みをしたまま戦況を見つめる……

「監督かっ?!」

と思わず突っ込みたくなる方も。

確かに私も、物好きにも独りでアウェー戦に乗り込み、単身棒を叩いて応援してるわけだから、まあサッカー友だちや一緒にいってくれる友達がいないという意味では境遇に似たようなものを感じないでもない。

でも、わざわざ2h以上かけて(おそらくクルマで)やってきて、ビールも飲まずにぶつぶつとヤジにもならない「つぶやき戦術」でストレスを発散している腕組みおじさんたちは、これで本当に楽しいのかなあ、と思うし、正直その悪態を隣でズッ友聞かされていたらしんどいなあ、と思ってしまう。

そのためいちど席を変えたのだけれど、また同様の方がいて、席があいてるのはそういうことだったか、と後から気づきました。

ホームなら、席ももう少し余裕があるし、熱い人と温度の低い人のゾーンも分かれているから気にしなかったけど、ガチンコファンの横での、「独居中年たちのしらふ腕組み批評」
は、やっぱりしょうしょいいただけない光景ではあったとおもう。

もって他山の石とせねば(苦笑)

彼らを見分けるのは
①しらふ
②腕組み
③仲間なし
④悪態撒き散らし
が特徴なんですが、もう一つありました。
⑤応援アイテム持参なし!

⑤に気づいたとき、わたしは8嵯峨理久選手のユニフォームを着てて良かったーと心から思いました。

ちなみに、応援の仕方はもちろん自由。
文句たれも熱心さの証し、と言ってあげられないこともない。
しかし、悪態は家でDAZNでもみて言ってほしい。
アウェーのスタジアム応援は、もう少し愛に満ちたモノであってほしいな、とおもった次第。

おじさんたち!
批評するなら、突っ込みを入れてくれる友人と楽しく評論しながら見てほしいな。
そういう深い造詣のある批評のやりとりは、勉強になるから隣で聞いていても(蘊蓄も含めて)愉しいし、勉強にもなる。

独りで正しさを主張するごとき、頑固な「哲学者」にならないようにしなくちゃ(笑)

ものろーぐって、地下室でやるもんだよねり




『レヴィナス 移ろいゆくものへの視線』熊野純彦

2023年04月25日 12時40分40秒 | 本を読む
熊野純彦の『レヴィナス -移ろいゆくものへの視線』(岩波現代文庫)

を読み始めた。

なんだか、長年の疑問が「溶けて」きそうな気がしている。

『レヴィナス・コレクション』
の文庫を手にしてから、折に触れて何度もページを開いて読もうとはするのだが、とにかく読めなかった。

もちろん、難しい哲学者の、とくに主著と呼ばれるようなものは素人には全く歯が立たないことの方が多い。

解説書を読んで、本人がさほど力を入れていない小著を読んで、書簡を参照して、(自分が幾分か理解でき始めたと思われる)別の哲学者の言葉をヒントにして、ジワジワと理解していくしかない。

お気に入りのはずのスピノザの『エチカ』でさえ、いろいろな先生の講座を受講し、論文を読み、解説本を並べ、たくさんのスピノザ批判を後追いしながら、ようやく面白さを感じてきたのだ。

だが、数あるスピノザ批判の多くは(当然ながら)近代以降の文脈からのもので、腑に落ちるにせよ、突っ込みどころはそこじゃねえだろうと思うにせよ、あるいはそうだね、そこはスピノザの弱いところかもね(17世紀だし)みたいなこともあるにせよ、まあ理解しやすい。

一つのものの見方をある程度体得して、自分のものの見方が「変換」される体験をくぐると、三つ目以降のものの見方についての理解のしやすさが「変化」する。そういうことを学んだような気がする。

たとえていえば、全く別のOSについて勉強することによって、自分が今まで思考してきたその思考を走らせている自分のOSについても認識できるようになるというようなことだろうか。

ところが、レヴィナスについてはそれがうまく行かなかった。

たとえばフーコーはあの大著が読めない、デリダの考え方の大枠は理解できても、テキストが本当に読めない、ということはある。カントの3批判、解説を読んで分かった気になっているとか、ホッブズのリバイアサン、途中で挫折したままだ、とか、そういうことは素人の自分にとっては当たり前のことだ(残念!)。

文学作品なら、ある程度商売だから無理にでも読み切るということはある。
大江のだらだらながい小説でも、100ページまで乗りきれば面白くなる、と思って読めたし、その経験は(順序はぎゃくなのだろうが)ガルシア・マルケスの読破にも役に立った。苦手なドストエフスキーでも、大人になってから(遅い!)修行だと思って読んだりもしている。そして、文学作品はどんなに読むのが難しくても、読んでみればそれはそれで面白い。

ところが、レヴィナスは全く違う。
根本的に、何がなんだか分からないままなのだ。

「顔」とか「他者」とか、何かに取り憑かれたようなこだわりが尋常でないものを感じさせられるキーワードがそこにあるのに、何か今ひとつつかめない、もどかしさを覚える。

スピノザと「OS」が違う、というのは分かる。

そして、よく分からないけれどスピノザ批判の論調はきわめて厳しい。
ここを理解できるようになりたい、と思いつつ何年もそのままにしてきた。

この熊野純彦さんのレヴィナス論は、それ(読めなさあ・分からなさ)を「手触り」から説き起こしてくれるような気がしている。

レヴィナスは、弟子に対して

「問題はこうです。<自分が存在していることで、ひとはだれかを抑圧しているのではないか>このようにして、まさにそのとき、じぶん自身のうえに安らい、<私>は存在するという同一性のもとにとどまりつづけていた、自己同一的な存在者が、じぶんには存在する理由があるのだろうか、と自問することになるのです。」

と語っているという。

なんと受動的というか強迫的というか、とにかく自己と他者の関係を極限まで突き詰めようとする身振りが見えてくる。
熊野純彦さんは、それを丁寧に丁寧に解きほぐしながら説明していく姿勢を止めない。
ありがたいことだ。

ホッブズが発明した「コナトゥス(自己保存の傾向性)」という概念を根本的に問い直すのがレヴィナスだという説明も、腑に落ちる。
そうか、そりゃホッブズを継承しつつある面で書き換えながら思考していったスピノザにもこの「コナトゥス」を称揚する姿勢は間違いなく顕著に存在する。
合わないわけだ。

スピノザは、世界=自然=神を唯一の実体と捉え、その外部を断固拒否する。神=自然、以上、である。
レヴィナスは、徹底的に世界と自己の隔たりにこだわり続ける。
もちろん、意識以前の欲求の享受レベルでは、そんな隔たりを動物と同様生まれたての子供は感じてはいない。
しかし、動物ならぬ人間が「生きる」ということは、その世界と自己の隔たりおよびその結節点となる身体の関係について、向き合い直し、捉えなおしてこそ、初めて成立することに違いない。

自分として納得のいく結論はまだまださきだが、いろいろ考えるきっかけにはなりそうだ。




2023年J2 第10節まで終えての感想。

2023年04月21日 14時26分49秒 | いわきFC
いわきFCは第10節までを終えて、
3勝2分け5敗で現在16位。

各カテゴリーを昇竜の如くに駆け上がってきたいわきFCとしては、始めて迎える最大の試練の一つ、かもしれない。

J3の洗礼を受けたということでもあるだろう。

ここまで、アウェー岡山戦と、ホーム群馬戦はDAZNで、それ以外の8試合をスタジアムで応援してきた。
J2での9試合を終えての感想を、まとめて書いておきたい。

 今年度になってから、日高選手の抜けたところをどうするのか、というのは課題だったし、海那選手、有田選手がレギュラー出場になったときに、前線に有馬選手・岩淵選手ではない誰を途中投入していくのかも興味深いところだった。

 第1節の藤枝戦は、そういう意味で今シーズンを占う重要な試合になったと思う。
 J3ではいわきFCの早い攻撃と早い戻り&ねばり強い守備で勝利した対藤枝だったが、立ち上がりから3点連続で取られるという状況。
後半いわきらしい攻撃で2点を返したが、立ち上がりから前半終了までの守備が十分に機能していないように見受けられた。
3点を取られたこともショックだったが、前から強く守備をし、ボールを奪ったら全員でゴールに向かって走るあの試合運びが前半戦みられなかったのが正直ショックだった。
いわきFCの守備は、極めてラインが高い。
抜かれて攻められた場合は素早く駆け戻ってゴールを固めるけれど、基本は敵の前線でパスコースを消しながら範囲を狭めて厳しくプレスをかけつつセカンドボールを競り勝ったら、全員でダッシュするという極めて攻撃的な守備基本だ。
だから中盤ガチンコでぶつかる肉弾戦が見物だし、奪ったらみんなで走り出すその速度と迫力が爽快だ。

裏をとられたら、という心配はもちろんあるが、中盤で出たボールを回収すればよし。それができない場合はダッシュで戻る。

だから、分かりやすいサッカーで楽しいのだが、それが成立するためには攻撃と守備がいったいとなって真ん中から向こう側、センターから敵陣にかけてで守備をしなければ良さがでない。
その連携が十分でないうちに立ち上がり速度を持って抜けられると、自分たちのサッカーができないうちに失点を繰り返すということにもなる。藤枝にはそれをやられてしまった感じだった。

対して第2節、第3節は前半0ー0で落ち着いた試合展開になった。

第2節の水戸戦は取られたら取り返す形で、粘る力も見せられるようになる。

第3節山口戦は、0-1だったものの、失点は3,2,1と少なくなり、前半失点もなくなって、しだいにJ3に対応してこれてようにも見えた。

第4節仙台戦は、念願の初勝利!しかもベガルタ仙台のファンがスタジアム全体を黄色で染めているなかでのあぅえーでの格上に勝利、ということで、ファンとしては幸せいっぱいになった。
失点も3、2,1,0と着実に進歩しているのがうれしい。

 右側の守備と攻撃は、加瀬と嵯峨の動き(最初嵯峨が前に配置されたこともあったが、やはり嵯峨は後ろからオーバーラップするのがよいと思う!実際そうなっていったし)もしだいによくなり、これからが楽しみというイメージができてきた。

第5節徳島戦も1ー0で勝利。これでペースがつかめてきた、と思ったのだが。左SBに入っていた山口がこの試合途中退場。以降、出場できていない。
やはり左側の守備と攻撃は、難しい側面が残った。

第6節は、町田に0-1で惜敗。いわきらしいサッカーはできていたと思う。前半は無理をせず、後半1チャンスをものにする町田のサッカーとの差はあると思うが、攻めがどこかで結実すれば戦える、そんな印象を持った。
第7節は対岡山戦。これは本当に惜しかった。最後の最後、アディショナルタイムでの失点は残念だが、J2で戦えている手応えは積み重ねられてきた。後は勝ち点3が手にできれば、というところまでは来ていると感じられた。
第8節は、また厳しい試合に戻る。
先発していた山口に続いて江川、そして嵯峨、復帰した有馬もメンバーからはずれ、レギュラーが左右ともに盤石とはとても言えない状況が続く中、中盤でも競り合いになかなか勝てない。反転してボールを保持する大分に、少し手をやいている印象があった。また、大分がサイドチェンジして斜めに入るパスも的確で、サイド圧縮してコンパクトにボールを取りに行く攻撃的守備がなかなかうまくいかない。
何より、立ち上がり7分、そして後半にも早い時間に2点と取られてしまったのは、じぶんたちのサッカーができていないということだろう。
けが人も多く、苦しいところだが、前半、前のプレスを抜かれたときに中盤でボールがとれないまま押し込まれるシーンが多くみられた。
(山下キャプテンも試合後にそのあたりをコメント)

加瀬が定着し、後半FWの近藤投入は定番化してきた(得点もゲット)。
石田、辻本、もがんばってくれているが、嵯峨の欠場はどうにも痛い。復帰した有馬のけがもつらい。

夏に戦力が整うまでに経験を積んで、厚みのあるメンバーで90分前からの強い守備→と、当たって奪ったらみんなでダッシュ!というあのいわきらしいサッカーの再来を望みたいという感想を持った。

そして第9節。金沢まで応援に来た平日のファンは約40名。寒いけどがんばって応援!
結果は金沢が熊本戦から全員メンバーを変えてきた(ために?にもかかわらず?)、FW杉浦のハットトリック。
特に最初の2点は立ち上がりのふわっとした時間帯、手間をかけずにいわきの左側を持ち上がり、前にはいってきた選手にボールを縦に出すと、ペナルティエリア中央に待ちかまえていた杉浦にきれいなパスを出してゴール。
6分、14分、と立て続けにやられてはしょうがないところでした。
37分に3点目を入れられた後、後半は立て直せたかな、と思うけれど、連続3失点はしんどいところです。特に立ち上がりに注目。
前からの守備は特に、相手の動きをよくみて合わせる必要があるだろうから、なんとかそこを無事に切り抜ければ自分たちのサッカーができてくるはず。今後に期待したいところ。
ちなみに、金沢は美味しい!これで勝ち点が入ればいうことなかったんだけどねー。

収穫はルーキー坂元の先発。近藤に続いて定着してくれれば楽しみがふえる。

この時期は、主力選手の故障もあり、夏にめがけてチームを作っていく期間と捉えて応援しよう!

さて、直近の第10節。中央の早い遠藤からの縦パス→海那→有田のフィニッシュは、久々にいわきらしい速度のある、しかも中央からの突破によるゴールを2つ見せてもらった。
流れるようなアクションからのゴールは、これぞいわきFCって感じ。

以上、とりあえず10節までの振り返りでした!











2023/04/04

2023年04月04日 16時51分08秒 | メディア日記
スターダストレビューのライブにいってきた。
友人に好きな人がいて、なんとなくいこうかなと思い、チケットも取りやすいことだし(笑)。

予約を早くに済ませて発券すら忘れていたけれど、LIVEが近づいてきたのでせっかく7,000円余りもかけるのだからと、自分を盛り上げるために知人が調べてくれた他公演のセットリストに則ってSpotifyのリストを作成、折りよく届いた水俣の甘夏(低農薬無ワックスでマーマーレードが作れるのです!)の皮を刻み、煮込みをしながら聴きました。調べてみるとどの公演をとっても一つとして同じセットリストはないということに気づき、これはなかなか「手練れ」だぞ、印象が変わってきました。

そして当日。

いやあ、行ってみてビックリ。



MCが楽しいとは噂に聞いていたけれど、そーゆーことではなくて、エンタテインメントとしてのライブの真髄をみた気がしました!!

予習がばっちり当たって、全く知らない曲は2つぐらい。そのうちのひとつはなるほど選考セットリストになく、
「この曲はシングルなのにみんな知らないんですよ(笑)」

と要ちゃんが念押ししたりして、そーゆーこと一つでツボに入っていきます。

ロックあり、アカペラコーラスあり、ブギウギあり、ジャジーなナンバーあり、すがすがしいまでの高音をたっぷり聴かせてくれる定番曲アリ。

(予習が大切、というのは実感しましたが、予習なしでも楽しめそうです)

ネットに転がっていた「名言」に、

「初めてライブを観に行くならスタレビがお薦め」

という言葉があったけれど、観て納得。2日曜日経っても脳内でスタレビが鳴り響いています。
セットリストはこちら。
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J2第7節岡山×いわき(DAZN)

2023年04月04日 15時20分45秒 | いわきFC
結果は1-1の引き分け!
前半 開始直後の 得点は、 本当に素晴らしいものだった。 その1点を 守り切って 勝利できるかと 思った 後半の アディショナルタイムに 痛恨の ペナルティキック。 そこが いわき FC の 現在地 ということだろう。 岡山は 選手層が暑い。 それに対抗するために いわき FC が 必要なのは 何か といえば 去年 ずっとやってきた 自分たちのサッカーを より 徹底して 磨き上げること 以外にないと 一人のファンとしても 納得している。

幸いなことに 成績は 必ずしも 上位に 食い込んではいないものの 低迷する 他のチームとは違って 選手たちも ファンも 求める サッカーに 寸分の違いもない。 そうであればこそ 何の迷いもなく いわき FC の 応援ができる。 これって 同じような 勝ち点で 解任される 監督さんや 似たような 順位で ファンの ブーイングを受ける チームとは わけが違う。。 実績があるからこそ 不満も出てくるのだろうし 迷いがあるからこそ 監督解任ということにも なるのだろう。

それはそれでプロの世界だから 当然なのかもしれない。 しかし いわき FC のサッカーには そういった 迷いはない。 力が及ばないということはあるだろう。 勝ち負けだから 負けることも あるに違いない。 しかし 求めるもの 願うことは ブレない。 ファンとして これほど 嬉しいことはないのじゃなかろうか。 勝ち点さんが取れなかった 負け惜しみ だけではないと 思っているのだが( 笑)。

いずれにしても 勝ち点1は取れた。 次が楽しみだ という いわき FC のファンは 多いんじゃないかな。 j 2 に 弱いチームはない。 J 3から 上がってきた いわき FC の ファンだから 当然それはわかる。 それでも だからこそ やっているサッカーを 信頼し 共有できることが どれだけ 嬉しいことか。 次 節が楽しみだ。

スピノザの『エチカ』仏語対訳本が届く!

2023年03月27日 11時52分22秒 | 本を読む

本当は英語の対訳本だともう少しわかりやすいんたが(苦笑)。
それでも、ラテン語のテキストが一冊の本になっているのはありがたい(ネットにはラテン語のテキストも転がってますがね)。

物質的にこれがあると、挫折続きのラテン語学習のモチベーションもあがるのでは、という淡い期待を抱いて。
せめて辞書が引ければ!
今度はそこまでがんばるぞー。
(なにせラテン語は文法的など語形変化野「あたり」がつかないと辞書引くのにも手間ですし、それをやってくれるサイトもあるにはあるけど、自分の頭の中にある程度入ってないと効率悪すきて)。
 退職後の一番の遊びはこれ、になりそうです。
10年かかるか、20年かかるか……。


J2第6節いわきFC×FC町田ゼルビアの試合を観てきた。

2023年03月26日 18時55分31秒 | いわきFC
J2第6節 いわきFCのホームで、対FC町田ゼルビア戦の試合を応援してきた。
スコアは残念ながら
0-1
で町田の勝利。
しかし、後半ギリギリまで、いわきFCは自分たちのサッカーをやりきっていたと感じた。

トラウマ気味になっている第1節節枝との初戦前半のサッカーから見たら、えらい進歩だ(笑)。

いや冗談でなく、一戦目の前半以外は、すべての試合をスタジアムで観戦してきたが、基本的にはコンパクトに端を圧縮し、出たセカンドボールを奪って前へ蹴りだし、皆で走るサッカーを見せてもらえた。
だからフラストレーションは溜まらなかった。いわきFCをスタジアムに見に来るのは、そしてパワーをもらうのは、勝ち点のため(だけ)じゃない。
もちろんスタジアムで勝利したときの喜びは深く大きい。

けれど、今のいわきFCは、J2で勝てないからとブーイングするような対象じゃないと思うんだよね。
どれだけいわきらしいサッカーを見せてもらえるか、そして新加入の選手たち、去年レギュラーではなかった選手たちが、どこでいわきFC的サッカーのピースにはまっていくのか?
私たちはそれを楽しみにしているんじゃなかろうか。

試合についていえば、町田の守備力はすごかったと思う。加瀬&嵯峨の右サイドでも自由にさせてはくれなかったし、人数をかけた中盤でセカンドボールをとる仕事もできていたと思うが、その先ボールをゴールに向かって運ぼうとすると、ディフェンスか思いの外に固く、いつものように無数のシュートを打つという感じにはならなかった。

一つ一つの仕事はいわきらしく出来ていたと思うのだが。

町田の監督は
「前半は0-0でいい」
というらしい。後半攻撃のギアを上げることが可能だ、ということでもあろうし、今日試合を見ていると、かなり守備い出していた(^_^;)。
0-1のスコアは残念だけれど、今の実力はここ、ということだろう。
夏までにどれだけ自分たちのサッカーをさらに精度高くできるようになるのか。
後半戦に向けて期待できる試合ではありました。
頑張れいわきFC.

それにしても町田は、さすがでしたね。

映画『対峙』の感想。

2023年03月26日 18時18分49秒 | メディア日記

映画「対峙」公式サイト

映画「対峙」公式サイト

映画「対峙」高校銃乱射事件で共に息子を失った家族。

映画「対峙」公式サイト

を観てきた。
(まちポレいわきで3/4に)

心と身体に沁みる映画だった。

ほぼ、犯罪の加害者家族と被害者家族が対面して話し合う場面のみに絞り、主要登場人物家族2人×2の息苦しい「対峙」が続いていく。

様々な層の言葉が浮かんでは沈み、また底から上ってきては拡散していく、その力に引き込まれた。

独りの親であってすら、様々なことばが胸の内に、あるいは唇をついて、顕れては隠れる往復運動をしつつ、同じところに戻ることはできない。二組、四人の加害者家族(両親たち)の感情や思考、振る舞い、関係が錯綜しながらせめぎ合うところに私たちは立ち合うことになる。

作品のテーマとは別に、ある瞬間までは私は観客の一人としてずっと加害者の親の立場に近いところで映画を見ていく。
そういう風に作られているのだと思う。被害者家族の辛さがツラいという場面が続くわけだから。
(もちろん、だからこそ被害者家族の視点でこの映画を観るということもあり得る。このあたり、感想を聞きたいところだ。)
しかし、あるところからそれが変わっていく。
そこが1つのポイント。
カタルシス(浄化)というのではないが、ある種の到達点がほのかに示される。

だが、それで終わりではない。もう一つは、その先にもう一つの転換のポイントがある。

そこは、もう一度観てみないとはっきりとは論じられない。
簡単に論じることはできない種類の課題を抱えて観客は席を立つことになるのだろう、とも思った。

訴訟放棄の書類にサインをして、率直に加害者家族との対話を求めるという社会的なシステムがある、んだろう。
(これは実際にあるんだろうねえ)

宗教的フレームにも触れているが、そこは主題というわけではないだろう。

教会の一室を借りて行われるこの設定も、さまざまなことを考えさせられる。教会の職員も、それを手伝う青年も、具体的には何も言われないが、何か弱さを抱えた描写になっている。

お時間があればぜひ。そして感想もききたいところです。

フォーラム福島では3月下旬に上映かな。観るべし。

J2第6節 注目のいわきFC×FC町田ゼルビア戦2023/03/26

2023年03月26日 12時07分48秒 | いわきFC
J2第6節注目のいわきFC×FC町田ゼルビア
は、あと2hちょっとでキックオフです。
スタジアムに近い駐車場に車を止めようと早め(10:00過ぎ)にイン。
雨足もだんだん強くなり、試合の頃には本降りになりそうな気配です。
さすがにお客さんの出足は鈍く、シーズンチケットの会場待ちの列は別として、スタジアムグルメのところもおおむね行列列なしで購入可能。
当日の自由席チケットのところもあまり待ち行列は長くありません。

私と同様、車の中で待機しつつスタジアムグルメを賞味してるんでしょうかね。私はかつ丸のソースカツ丼(¥1,100)




さて、この試合は、首位町田(土曜日に東京ヴェルディの試合があって得失点差が変わったから正確には暫定2位かな?でも、5試合で勝ち点13。好調です)がどこまで負けなしで勝ち続けるのかという興味と、2連勝で勢いを得つつある我がいわきFCがJ2でどれほどやれるのかの試金石という意味とがあり、どちらにとっても大切な試合です。

ここで勝ち点を取れれば、いわきFC はJ2でも間違いなくやれる!と確信が持てますし、見事に跳ね返されるならば、J3最初の頃のように、後半に向けて力を伸ばしていく時期なのだ、と納得することになるでしょう。

昨年度J3では、実はいわきFCは前半戦、藤枝、松本山雅、今治、鹿児島など、上位を争うことになるチームに対して、引き分けはあるものの、まったく勝てませんでした。

確かに怒涛の攻めを下位チームにはできていましたが、守備が不安定で、決定力もいまだし、というところでした。 

しかし夏前ごろから確実に力を伸ばし、後半戦、結果としてダブルで星を落としたのは確か今治のみ、だったと思います。
今日の試合はもちろん勝てればそれに越したことはありませんが、たとえ引き分けでも、あるいは分けたとしても、ここからさき、若いいわきFCの選手たちがぶれないチームの方向性に向かって伸びしろを出してくれる、そのきっかけになれば意義あるものになれると思います。

今年度最初の試合、藤枝2押し込まれて3点先取される、みたいな試合だけは勘弁してもらいたい。
いわきらしいサッカーを90分間してほしい、そう思います。



映画『生きる』 大川小学校 津波裁判を戦った人たち を観てきた。

2023年03月25日 21時39分34秒 | 大震災の中で

フォーラム福島で、

『生きる』 大川小学校 津波裁判を戦った人たち

https://ikiru-okawafilm.com/

を観てきた。
たくさん涙を流しながら見た。

小学校で亡くなられた児童の遺族の方々の、

「本当の最後の様子を知りたい」
「他にも津波被害を被った学校はたくさんあるのに、大川学校なぜ子どもたちが亡くならねばならなかったのか、その本当の理由が知りたい」

その真っ当な願いと、当時の校長(出張に行っていて無事だった)・市教委・石巻市長などの態度との間にある、おそろしいまでの乖離に言葉を失った。

短くない教員経験をそこに重ねてみると、校長出張時に起こった大災害に対応する場合、教頭がリーダーシップをとる必要があるだろう。

とくに、教務主任の先生をはじめ先生方の中には山に避難すべきだと主張していたというし、映画でも、子どもたちの中でもそういう声は出ていたのではないか、というシーンもあった。

それなのに、50分近く経っても山への移動ができなかったのは、管理職の制止があったとみるべきだろうと容易に推測ができる。

そのことを、アフタートークに来てくださったご遺族の方に問いかけたところ、

たしかにそういうこと(教頭が山へ移動する決断をしなかったということ)はあるだろう。
ただ、教頭が誰の指示も仰がなかったのか、と考えた場合…………

というお話もあった。

なるほど、と腑に落ちた。
本当のことは裁判でも十分には明らかにされていないのだ。

学校は子どもたちが命を落とす場であってはならない、という判決のことばは重い。
自分は果たしてそのことを十分に考えて生徒と向き合ってきたのか、といえば決して十分ではなかったといわざるをえない。
自問しつづけなければならないことはたくさんある。

だが、それにもまして、誠実さのかけらもなく、また信頼を前提としない当時の校長、市教委、市長、そして第三者検討委員会のそらぞらしい(と私には感じられる)応対の全てには、心が凍えた。

裁判記録は別にまとめられていると聞く(書籍化されているとのこと)。

映画の最後の部分、もしこの画期的な判決がなければ、大震災によってこれだけ多くの方々の命が奪われたのにもかかわらず、そのことの意味や原因が十分に問われることなく終わってしまう、ここから初めていかなければならない、という記者会見の言葉が身体に染みてくる。

弁護士の方々が繰り返していた「困難な裁判だ」という言葉の重さも改めて厳しいものだと思わされる。

「本当は裁判なんてやりたくない」

という遺族の方々が口にする言葉もまた、深く、重い。

とうてい受け止めきれないが、忘れないために当日のまとまらない感想をとりあえず書いておく。

 

 

は市教委か校長に打診をする