三島史学

歴史を中心に日本を論じるブログです。卒業生のみなさん、御参加下さい。

第二外国語教師の天国

2017-04-21 06:27:26 | 日記
 大学では英語を第一外国語、その他の外国語を第二外国語という。

 英語は中学校1年以来、6年間学んでいるから、評論や小説をテキストにしても大丈夫だろう。ただしわたしは、小説は苦手だった。

 第二外国語は、英語の中学校1年と同じく、ABC(アーベーセー)から学習する。つまり第二外国語の教師は、中学校の英語教師と同じレベルなのである、。
 そこから退廃が生まれる。なにしろほとんど研究業績がないのだ。

 こうして停年に至るが、助教授になれない、教授になれないのも多い。しかし教養部に属しているから、昇任は甘かった。

 わたしの在任校では、教授には5本の研究業績が必要であった。教養部廃止後、新しい学部に所属したが、5本のうち2本は、他の論文の続編で、業績は3本と認定された。大学院修士課程を卒業して40年近くになって、たった3本の業績なんだ。これでは名誉教授になれない。

 教養部で第二外国語から社会思想史に転じた人もいる。若いころは社会思想史の論文を書いていることはたしかだ。しかし教授承認申請の時、わたしは疑問を感じた。5本のうち、2本は、ある準学術雑誌に連載された別人の作品ではないか。あるいは当人が変名で会のかもしれない。しかもその2本は続編ではないか。わたしはその雑誌を創刊号から購読していたので、記憶がある。ただし昇任教授会には、わたしはまだ助教授で出席できなかった。

 教授になってから、その人は1本も書かなかった、毎晩酒におぼれ、女に溺れた(子供も作ったらしい)。プライパシーには触れないが、論文は盗作なのか、本人の変名なのか、疑いは今も残っている。

 最初の勤務校でも、おかしなことが多かった。
 わたしが就職した1960年代にはⅯ、大学進学率は同一年齢の15~20パーセントくらいだった。それが1990年代に、50パーセントに達した。
 博士獲得も、きわめて少なかったが(わたしも持っていない)、文部省の予算削減の脅迫で、激増した。今や、バカばっかりだ。


 (わたしは、あちこちで書いているが、学生時代の指導教官が、あれはハカセではなくて、バカセというんだ。夏目漱石も拒否したんだといわれた。生涯、博士を拒否をつづけている東大の西洋史の先生で、論文ゼロの先生がいた。ところが、博識随一だそうで、ある賞を受けられることになり、教え子たちが困ったという話があった。ところが別の西洋史の先生で、名著を書いている人がいた。ところが全編翻訳だった。わたしはこの2冊の翻訳を愛読している。前任校で、詳細なフランス史の研究史を書いた人がいた。引用文献が多数で、わたしはよく勉強されていますねと、西洋史の同僚に云った。するとかれは、これは翻訳ですよ。日本に輸入されていない文献もありますといったので驚いた。多分、この先生は上記の「翻訳」で、学位を取られた。)
 博士の話はまた書く。
 


 

 
 
 
 
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