あの年の夏、ひとりドロかきに出かけた陸前高田には、特別なシンパシーがありまして。
三たびの訪問。
ちょこなんと、奇跡の一本松。
その孤高は、なかなかにしびれるものがあります。
こちら、震災直後で生きてた頃の一本松。
この頃は、海岸沿いにがれきの山脈が延々と、延々と・・・はるかそびえて連なってたのですよ。
世界の終わり的風景でした。
これが震災3年めとなると、がれきは撤去され、砂漠の清潔とも言うべきまったくの真っ平らな、家の土台がむき出しの平原になりまして・・・
さらに5年めの今夏には、こうなってました。
山を切り崩して、土を採取し、それを運ぶベルトコンベアが町の四方八方に張り巡らされてます。
その威容っぷり。
その長大っぷり・・・
どこまでも、どこまでもつながってます。
この中を、土が走ってるわけですよ。
自然の猛威もすごいけど、それに対抗する人間の営みもすさまじい。
んで、運ばれたその土はどうすんの?っつーと、土地のかさ上げに用いるのです。
いたるところに土の山を築き、整地して、標高自体を上げちゃうわけですよ。
で、高台移転(こうだいじゃなく、たかだいいてん)、というのを進めるわけ。
その規模にはドギモを抜かれます。
ここから徒歩パトロール開始。
ちょっとこの看板、よく見てちょうだい。
・・・
水が通り抜けたアパート。
最上階は・・・無事だったのか?
さて、盛り土の上にいちはやく営業を開始したキャピタルホテルさんで、一夜のお世話になりました。
海辺に建ってた「南三陸の表玄関」とも言われた立派な建物が被災して、移転を余儀なくされたホテルです。
ウッドデッキからの眺め。
はるか視線の先に、なにもなし・・・
部屋の窓からも、見えるのは土の垣だけ・・・
この草むした眼下には、かつて普通に町があり、多くの住民の往来があったのですよ。
考えさせられます。
窓からの、陸前高田の夜。
森閑の光景。
こんな場所で、ものすごいおサシミからフカヒレの姿煮までの目くらむようなごちそうでもてなされてしまいました。
これでいいのかな?
これでいいんです!
翌朝、また歩いて歩いて、市役所前へ(ホテルの近くからもバスはあります)。
役所もまだ、仮設で業務をこなしてます。
がんばれ、東北。
また二年後におとずれるつもりです。
この町がどう発展してくのか、見守るのさ。
だってほら、なにもかもがなくなった後、最初のスコップを入れさせてもらった町だし、やっぱその先はちゃんと見届けないと。
だけど、小むつかしくシリアスなことなんて考えないで、気楽な観光気分でいいんだよ。
いってみるか、見てみるか、と。
うまいもんでも食いにいくか、と。
それが町のためにもなるし、被災者さんたちの助けにもなるはず。
気張らず、心はニュートラルに。
だけど、合掌も忘れずに。
東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園