不合理ゆえに我信ず

文(文学・芸術・宗教)と理(科学)の融合は成るか? 命と心、美と神、《私》とは何かを考える

公明党・創価学会は悪か?

2005-07-02 13:27:13 | 哲学
「森田実政治日誌 2005.6.30」
http://www.pluto.dti.ne.jp/~mor97512/C01080.HTML
これに対する感想です。●印が引用部分です。

●<衆院で250議席の勢力を擁する自民党が、わずか34議席の公明党の下僕であることが明らかになった。こんな誇りのない、だらしのない小泉自民党に政権を任せていていいのか、と言いたい。>

自民党(多数者)の独断専横ではなくて、民主主義が有効に機能している証拠だと思うのですが、なぜ悪いのでしょうか。公明党が不法に内閣を乗っ取っているわけでもないのに。

●<小泉自民党には自立心も独立心もない。ブッシュ大統領と公明党・創価学会の下僕に成り下がっている。>

自由民主党が「自立・独立」する必要などないです。党の名前からして、民意を国政に正確に反映させるのが彼らの使命です。(それを自立というのなら、いいですけど。)首相は国民の総代役であって、独裁者であってはいけない。カリスマ的指導力を過度に期待してはいけない。

●<自民党にも正義の士はいる。郵政事業懇話会に結集している政治家こそ「正義の士」である。自民党内の正義の士は、小泉内閣打倒のために立ち上がるべきである。同時に、ブッシュ大統領のサーバントではなく、少数党の公明党に支配されない独立自尊の政党を結成すべきである。>

●<多数の政治家が外国の政権の手先になり、特定宗教団体の支配下に置かれるように国は必ず滅亡する。政治に携わるすべての人たちが、政治の独立・自主に真剣に取り組むことを強く求めたい。いま日本の政治がめざすべきは、国の独立であり、宗教団体の影響力の排除である。>

うーむ、右翼的ですねえ。それが悪いとは言いませんが・・・。(レッテルはりですみません。)

公明党・創価学会は、悪い団体なのでしょうか? 彼らはオウムのような反国家・反社会集団なのでしょうか? 私も以前は、大作さんの私利私欲を実現するための団体という、偏見の目でみていました。しかし、どうもそれは違うような気がします。国会の場で自宗教を国民に宣伝するようなこともしていないし。

公明党・創価学会の人たちは(日本共産党もそうだけど)、地域社会のために、実に真面目に取り組んで、様々な貢献をしています。(掲示板で悪口を言うだけとは違う。)町内の防犯パトロールやゴミひろい運動や街の活性化運動などでも、積極的に役割を果たし、地域住民に声がけしています。それを市議会に対して訴えてもいる。無関心・非協力の人々も少なくないなかで、地域社会の安全や振興について、真剣に考えています。

その団体活動の場は、人々の社交の場にもなっています。これは私も、町内の種々の集まりに出席するなかで、いつも感じていることです。これを選挙のための宣伝活動の一環だと見るのは、意地悪な見方だと思います。

もっとも手放しで、彼らを全面的に賞賛していいとも言いません。しかし悪と決め付けるのは、絶対に間違っていると思う。思想、宗教、結社の自由の行使を、批判してはいけない。

公明党・創価学会の実態について詳しい方、私の認識におかしい点があるなら、ご意見ください。

(私は公明党員でも共産党員でもありません。・・・自民党員でもない。)


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18 コメント

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私は無宗教で右左どっちでもありません。その上で... (gekke)
2005-07-21 08:05:16
私は無宗教で右左どっちでもありません。その上でのコメントです。
>民主主義が有効に機能している
それは違います。民主主義は多数決絶対優先です。もし、その多数者がおかしいと思ったら、選挙で少数に出来る(正しい意見を民意で反映させる)というのが最大の利点です。その反面、多数になるまでその少数の意見はもちろん通りませんが、最も合理的だと思います。な・ぜ・な・ら、本当に正しければいつまでも少数のはずはないからです。

それは今のところ歴史が証明しています。間違いを犯してもそれをある程度民意で正せるのが民主主義の利点です。その意味、公明党という宗教団体(絶対権威主義)に基づく政党の意見が少なからず働いている現状は、非常に危惧すべき状況です。宗教(もしくはそれを基盤とする団体)自体が駄目とかではありませんが、民主主義と相反する思想の団体が政権に参画しているのは好ましくないと言わざるを得ないと私は考えます。

共産主義国家や宗教国家は理念的には遥かに民主主義を凌駕します。(国粋主義はその点稚拙ですが) しかし、それらの最大の弱点は神聖不可侵な領域(共産党や神)があるということです。それらを内包した団体が政権をとる・関与するというのは非常に危険です。結局は彼らにとって正しいのはその神聖不可侵な領域だけだからです。また、それらはそれ自身ではなく、常にそれを代弁する者によって語られます。その者が間違っていてもそれを指摘する事すら許されません。(カルトや北の状況を見ればわかるでしょう)

今すぐに公明党が危険とは思いませんが、少なくとも民主主義に現状が反していると私は考えます。

>国会の場で自宗教を国民に宣伝するようなこともしていないし
それは現在憲法20条で政教分離の原則があるためです。それをやったら憲法違反です。万が一彼らが政権を自由に出来るようになったら、憲法を変えるでしょう。まだ今はその前段階であり、憲法上出来ないだけです。その為に一歩一歩彼らは政権に近づいているのです。
何故、政教分離なるものがあるかと「個人の自由の権利」をまもるためです。つまり、宗教は神聖不可侵な領域を持つために、それをないがしろにしてきたという歴史及び将来の危険性を持つからです。

>地域社会のために、実に真面目に取り組んで、様々な貢献をしています。
確かにコミュニティで活動されている方々は個々にいい方が多いです。
基本的に大概の宗教は哲学としては優れていますしね。しかし、それが団体・国家レベルとなれば話は別です。ナチスドイツや北朝鮮やカルトの人たちでさえ、家庭やコミュニティではいい人が多いはずです。それが国家・絶対不可侵のものの前では人格が変わります。
個人的に私も、学会の方と何人かと知り合いで、勧誘を何回も受けました。個々で話はばらつきがありますが、彼らの意見をまとめると、今の姿はかりそめで、一般に浸透させている段階。柔軟な姿勢はポーズである。真に日本の政権をとった暁には、我々の理念を実行する。。。と大筋で一致しますね。それが一般の方々にとっての幸せだとは私は思いません。

最後に、どの宗教団体が善でどれが悪であるかと言う事は全く問題ではないと言う事です。一番大事なのは、この国家が民主主義であるかないかということです。
宗教が何故憲法で政治と分けられているか、ということと、民主主義の基盤となる選挙をもう少しまじめに考えるべきであると私は考えます。
gekkeさん、コメントありがとうございます。 (mori夫)
2005-07-30 13:40:07
gekkeさん、コメントありがとうございます。

●<民主主義と相反する思想の団体が政権に参画しているのは好ましくないと言わざるを得ないと私は考えます。>

公明党と自民党の両党は、政策において合意できるから、連立政権を組んでいるのです。公明党が少数者の意見を国政の場でゴリ押しするようなことは、起こっていないと思うのですが、どうですか? 公明党の打ち出している政策的意見は、創価学会とは何の関係もない私であっても、十分に「まともな意見」と思えるものです。(全面賛成ではありませんが。)

●<共産主義国家や宗教国家は理念的には遥かに民主主義を凌駕します。しかし、それらの最大の弱点は神聖不可侵な領域(共産党や神)があるということです。それらを内包した団体が政権をとる・関与するというのは非常に危険です。結局は彼らにとって正しいのはその神聖不可侵な領域だけだからです。>

共産党や公明党が社会の多数派になって憲法まで変えてしまうとは、ちょっと考えられないです。健全なマスコミ活動と、国民への情報開示が正しく行われる以上、国民全体がカルト化することはあり得ない。私はそこまで人間不信ではないです。

それよりも「支援団体が宗教組織である政党は締め出すべきだ」、という意見のほうが、悪しき統制主義・潔癖主義だと思います。

●<一番大事なのは、この国家が民主主義であるかないかということです。>

私は日本の民主主義は十分に機能していると思います。誰も、自分が誰に投票するかを強制させられたりしていない。国民が自分の判断で投票しています。

もっとも「世話になっている人から○○○さんに投票してくれと頼まれたから」「○○○さんは地元の利益になることをしてくれるから」、○○○さんに投票するという行為を、民主主義的でない、ということはできます。でもそれは国民の意識や体質の問題です。民主主義とは、そういうものまで全部ひっくるめて、個人の自由な投票や発言を認める主義のことです。そしてそれでいいのです。

そのような投票行動をする人たちに対して、「お前は民主主義国家の国民として失格だ」みたいなことを言うのなら、それはファシズムと同じです。
●公明党と自民党の両党は、政策において合意できる... (gekke)
2005-08-02 05:16:43
●公明党と自民党の両党は、政策において合意できるから、連立政権を組んでいるのです。
★それは違います。公明党は政権に参画したい。自民党は公明党の数が欲しい。この利害関係の一致で連立政権を組んでいるのです。これ自体は(政治的な動機としては最も国民を裏切る形ですが)手法としては違法でも何でもありません。しかし、自由民主党も主義主張(民主主義に基づく国家経営)よりも利害(政権にかじりつく)を選択したことは大きな罪です。政策における不一致は、連立政権を組む前までは公明党の支持母体である学会が自民党の有力者の多くを「仏敵」として非難していたことでも分かります。連立している現在は、当然公明党は自民党の政策に合わせます。公明党にとって今は自分たちの理念(支持母体の都合)をごり押しする段階にないのです。いかに自分たちが害のない組織であるかをPRし、浸透させる段階なのです。諸外国政府からでカルト認定されていたり、強引な勧誘(折伏)という様な数々のマイナスイメージを正す戦略として非常に効果があります。しかし、まともな意見を言っていたところで、やっている事が変わらなければその本質や事実が何ら変わることがありません。いずれそのイメージの向上と共に議席数が増え、公明党=創価学会の主張が前面に反映させる時が必ず来ます。なぜなら、彼らだけでなく、政党を創るということは政権に自分達の意見を反映させることを意図する事と同義だからです。
●共産党や公明党が社会の多数派になって憲法まで変えてしまうとは、ちょっと考えられないです。健全なマスコミ活動と、国民への情報開示が正しく行われる以上、国民全体がカルト化することはあり得ない。
★過去の歴史を振り返ってみてください。ナチスドイツや北朝鮮の勃興は何百年も前の話ですか?日本の戦前は?ナチスは反ブルジョワ・反ユダヤ・国粋主義を掲げ、北朝鮮は共産主義を掲げ、日本は万世一系の天皇の国(神国)を掲げました(過去形?)ね。今の世界で発生しているテロは?イスラムの少年兵が神の為に命を捧げるとして、銃を持って戦場に出る姿は?それらに共通するのは「絶対者(主義)」を盲目に信じて、何人もそれらを否定する事が許されない状況に強制的に追い込まれていると言う事です。自分がカルト化してから、もしくは騙されたと分かった時には既に手遅れです。国民への情報開示がオープンですか?マスコミが何を聞いても答えをはぐらかす首相。それに対してなんら有効なけん制が出来ないマスコミ。財政がここまで逼迫しているのに、みせしめ程度の摘発で根本的な改革をやらない政府。郵政民営化の茶番のようなやり取りを見ていて何も感じませんか?ゼロとは言いませんがマスコミに期待するのは他力本願もいいところです。少し脇にそれましたが、マスコミも公明党=創価学会に対するけん制力はかなり落ちてきています。マスコミが全ては本当と言いませんが、それに実際に関わっている人間・またそれを直近で見てきている人間から、かなり彼らが現在主張しているきれい事とは違う強引なやり方を直接聞いています。むしろ自ら雑誌・新聞を発行し時には芸能人を取り込んで、自ら(擬)マスコミ化していっています。それらでは現名誉会長を賛美する記事のオンパレードです。まるでどこかの首領様とやらを見ているような気になるのは、私の勘違いでしょうか?その様なやり方が非難されにくくなっている事は、政権与党に参加していることが間違いなく大きいです。
●私は日本の民主主義は十分に機能していると思います。誰も、自分が誰に投票するかを強制させられたりしていない。国民が自分の判断で投票しています。
★今の状況で大丈夫と安心して、強い人間にまかせっきりになっている。それを衆愚と言います。はっきり言って今の日本は民主主義の末期症状である衆愚政治に近づいています。もし、そうでないのなら、選挙に半数の有権者が行かないなんて事ありえませんよね。あなたは選挙に行かれていること自体は民主主義を守るために当然だと思います。前森首相の2000年の発言「(衆院選に関心のない有権者は)寝てしまってくれればいいが、そうはいかない」が現在の自民党の残念ながら本心なんです。はっきり言って自民党は政治権力にとどまり、利権を独占する事が命題になっています。そんな腐った理念に人は賛同しません。その点、道半ばの公明党のモチベーションは非常に高いでしょう。選挙のお誘いも相変わらずですしね。しかし、それが公明党=創価学会の理念を反映させるという事を前提においている事は明白です。冒頭でも述べましたが、そうでなければ彼らが党を結成した意味がないからです。現在の自民党の状況・公明党の状況を比較すれば勢力的に今後どうなるかは分かりますよね。それが私の持っている最大の危惧です。その状況下では、反対票を投じづらい状況になってきます。もし、あなたが今、路上やお勤めになっていたらその会社で「自民党反対」もしくは「公明党反対」と大声で叫ぶとします。どちらが言いにくいでしょうか? あえて言いませんが、大体の人は同じ答えを言うはずです。その理由も合わせて考えてください。
★長くなりましたが。そろそろ私の書き込みを終りたいと思います。私がそもそもあなたの意見に大して私見を書き込んだのは、多分あなたが日本人のごく平均的見識の持ち主だと思ったからです。いや、選挙には毎回御自分の意思で行かれているようなので、平均以上でしょう。あなたが思っている事は、一般的な風潮になりつつあると思います。しかし、私にはそのロジックが表面的な現象のみをとらえて、過去の歴史や何故そうなっているかという本質を見られいない内容に思えてならなかったのです。しかも、その意見をネット上で公開しているということは、多くの日本人を楽観的に安心させる可能性があると考えました。だって、自分の国が間違った方向に行っているなんて、考えたくないじゃないですか。もちろんあなたは私の意見に対してある程度、もしくは大部分反対意見があるかもしれません。しかし、それはそれでいいことなのです。更に重要なのはそれらの意見を大声で言える社会でなくてはならないのです。その様な社会づくりのためには、絶対に民主主義と相反する思想を根幹に持つ団体に主導権をもたせてはいけません。以上
gekkeさん、長文のコメントありがとうございます。 (mori夫)
2005-08-03 13:15:52
gekkeさん、長文のコメントありがとうございます。

民主主義とは「皆が皆のためを思って政策を考える」という主義のことではないと思うのです。それは間違っていないです。美しいです。でもそんなことは実現不可能です。人々に強制できる性質のものでもない。

民主主義は、各人が自分の意見を自由に述べて徹底的に議論する主義です。各人の意見は、自分勝手なものであっても、いっこうにかまわない。そしてとことん議論が出尽くしたところで、代議士による議会で多数決で決める。こういう主義です。

人々はどんな宗教を信じるのも、どんな宗教組織に入るのも、自由です。宗教組織が政党の支援をしたってかまわない。天理教だって、立正佼成会だって、創価学会だって、行動の自由はあります。政治的主張をしてはいけない、などということはない。

もっと議会というものの価値をお認めになってはいかがでしょうか。「創価学会が日本を独占支配する」などということは、ありえないです。

ナチスドイツや北朝鮮や軍国日本は、国家による情報統制があった時代の話です。民度も非常に低かった時代のことです。

もっともgekkeさんのような、絶えず警笛を鳴らし続ける方の存在も非常に重要と思います。だからHPやblogでも開いて、発言を継続なさってください。
状報(あえて情報とはしません)は、現代において... (きすぎじねん)
2005-08-04 00:14:48
状報(あえて情報とはしません)は、現代においては、国家といった既存権力以外の力で統制可能な状態に陥っているといってもいいかもしれません。
特に、ネットの過信は危険を増長させうると思います。
結局のところ、なぜ、状報統制をおこなうか?という背景を考えれば、簡単なことなのかもしれません。
要するに、汎化という方向ではなく、特定の思想へと集約されうる方向を有する集団が、ある一定の権力、特に状報通信関連を掌握しうるだけの力を有したならば、いとも簡単に統制状態に陥らせることが可能だと思います。
宗教・思想の自由とは、対立しうる相手とのバランスが絶妙に保たれているときにこそ成立しうる概念であり、バランスが崩れたときには、自由という概念は、不自由と同義になってしまうと思われます。
moriさんの発言は「今」だからこそ、成り立つ概念であり、gekkeさんの発言は「今出ない状態」であればこそ、成り立つ概念だと思います。
荒唐無稽な話をしていると思われるのも何なので。。。 (きすぎじねん)
2005-08-04 04:56:32
荒唐無稽な話をしていると思われるのも何なので。。。
1.インターネットは電話回線を含め多くの状報伝達経路になっている。
2.ウィルス・ワームを潜り込ませてリモートでの特定コンピュータへの一斉攻撃が可能になっている。
→サイバーテロが現実味を帯びてきている。

3.公共メディア自身が自分の首を絞めるような行動に出ており、またネット産業によるメディアの吸収合戦も本格化すると思われ、メディア産業も市場原理から逃れられない。
4.大手検索システムがその気になれば、ある特定の用語については、検索が不可能な状態にできることは実証済み。
→メディアの中立性という理念が危うくなってきている。

5.ゆとり教育や社会システムの高度化による子供の二局分化、また少子高齢化で社会の二局分化が加速度的に進む危険性がある。現に「勝ち組・負け組み」という言葉が浸透してきている。
→なんらかの社会的ないし世界的な恐慌に近い状態が生み出されると、メディアを統括する特権階級が、保身に走りやすい状況が構成されている。

と、「夏の夜の夢」を綴ってみました。。。

あ、前回投稿で「今出ない」は「今でない」の誤りです(^^;)
「検索不可能な」ではなく、「投稿不可能な」でした。 (きすぎじねん)
2005-08-04 05:00:38
「検索不可能な」ではなく、「投稿不可能な」でした。

http://www.i-mezzo.net/log/2005/06/15011930.html
mori夫さんは私の意見の根本を誤解されているよう... (gekke)
2005-08-04 21:41:01
mori夫さんは私の意見の根本を誤解されているようなので。その部分だけはどうしても話しておきたいと思います。しつこくてすいません。

●民主主義は、各人が自分の意見を自由に述べて徹底的に議論する主義です。各人の意見は、自分勝手なものであっても、いっこうにかまわない。そしてとことん議論が出尽くしたところで、代議士による議会で多数決で決める。こういう主義です。人々はどんな宗教を信じるのも、どんな宗教組織に入るのも、自由です。
宗教組織が政党の支援をしたってかまわない。天理教だって、立正佼成会だって、創価学会だって、行動の自由はあります。政治的主張をしてはいけない、などということはない。
★そもそもmori夫さんのその前提が間違っています。確かに前段は合っていますね。但し、後段が根本的に間違っています。

正しい前提は以下の通りではないですか?
前提1.各宗教団体がどの政党を組織として応援するのかは全く問題なく合憲です。
前提2.しかし、宗教団体自らが政党を組織することは違憲です。

●もっと議会というものの価値をお認めになってはいかがでしょうか。
★その民主主義議会の前提となっている憲法をないがしろにしてですか?前にも述べましたが、何故、政教分離なるものがあるかと「個人の自由の権利」をまもるためです。それを破壊する危険性を憲法という国の骨子レベルで否定しているのです。

公明党の公式見解では「公明党と創価学会の関係は政党と支持団体の関係です。各政党を労働組合や各種団体などが支持する関係と同類です。」とのこと。
これはmori夫さんの主張する理論と同じです。mori夫さんは苦しくも公明党が自らを正当化するロジックを語っています。
しかし、そうでしょうか?創価学会党は公明党の支持団体の一つではなく、イコール(というより公明党は創価学会の一部といえる)であることは誰の目から見ても明らかではないでしょうか?
何度も述べますが、政教分離の目的は「個人の自由の権利」を守るためです。その点をmori夫さんは全くないがしろにされていますね。
では、本来違憲であるはずの公明党が、何故現在の地位にいれるのでしょうか?それは今までの政権与党のおごりでしょう。今まで、批判あるごとに単なる支持団体であるというロジックで切抜けてきました。
なぜ切り抜けられたかというと、たかが一宗教団体の基盤である公明党が政権に影響出来るわけがない、という政権与党ひいては、国民の油断があったのです。
真剣な論議がされないまま、自由民主党の分裂により非常に政権が安定しないものになった。そこに選挙率低下もあり組織票が確実に見込める公明党にすがらざるを得なかった(根本的政策の一致ではなく、利害関係の一致を優先)そして政権与党に参画することになった。これが現状です。

●「創価学会が日本を独占支配する」などということは、ありえないです。
★では公明党が政権与党に参画するということをそれ以前に想像できた人はどの位いたでしょうか?しかも、公明党が与党にとどまる事自体に皆すでに慣れてきていますね。これは非常に怖いことですね。普通に考えれば出来ないことをしたのです。その政治手腕には正直感服しますが。
それにすぐに単独で政権をとる必要はないんですよ。現在も政局で自民党が揺れていますね。ゆくゆく自民党が割れてさらに細かい連立政権になったら、公明党が頭という可能性すら現実味を帯びてきてますね。
昔のこととおっしゃいますが、ナチスとて最初からその危険性を指摘されていたにも関わらず(浸透スピードと世情が違うのは私も理解しています)民衆の支持を得て独裁体制までつくりあげましたね。
mori夫さんはそれらを「民度も非常に低かった時代のことです」とおっしゃっていますが、では現在のイスラムテロはどうでしょうか?
9・11の実行犯を含め、西欧の文化にも通じ、西欧に留学経験まである人間が大勢います。当然彼らはマスコミを通じ世界中の情報を知っています。しかし、自らの絶対主義=宗教のために、多くの人間を戦いへとテロへと導いています。
さらに日本においてあのオウム事件です。クローズアップされて報道されましたが、彼らが育ったのは近代日本であり、高学歴者が多いのは周知の通りです。
つまり、文化・民度・時代に関わらず、宗教というものはその様な危険性を多分に内包しているのです。ですから憲法ではその危険性を事前に否定しているのですよ。
きすぎじねんさんが私の考えを「今でない状態」前提とおっしゃていますが、確かにそうかもしれません。しかし、今はその瞬間であり、今である今はないと思います。
実際に公明党の存在は自体が日本の中で大きくなり続けているのは明白でしょう。日本人自体が鈍感になっているとしか思い様がありません。
現在の事象を冷静に分析すれば、悪しき方向に向かっているのは間違いないでしょう。

★率直な話、公明党を結成する前に創価学会が憲法20条自体を改正する動きをして、合憲にしていれば私は公明党の存在自体に何も言う
つもりはありません。もし、それが民主主義の基で認められた以上、納得するしかないんです。私個人として絶対に支持はしませんが。
しかし、彼らはそれが認められないと分かっていたので、一支持団体というロジックを隠れ蓑にして政治的影響力を強めていったのです。
後出しジャンケンですよこれは。私はその様なやり方をする団体を信じることが出来ませんし、それを擁護する意見を「公明党員でも共産党員でも自民党員でもない」という方が支持する風潮に非常に強い危惧を抱きます。
今までの世界の歴史は血にまみれた歴史です。それは一部の狂信者(宗教とは限りませんよ)とそれを深慮なしに認めてしまった大多数の歴史なのですから。
今・現在そのものが、まさにgekkeさんが危惧されて... (きすぎじねん)
2005-08-04 23:35:43
今・現在そのものが、まさにgekkeさんが危惧されておられる状態への入り口なのかもしれません。
株の大暴落を目の当たりにした人々は、なぜ、大暴落の前に株を売り払うことができなかったのか?
何かを為し、何かを主張するという力は、その人の意思・思想・信念の強さの裏返しと思われます。
逆に、常に複数の視線を保ち続けることは、その人の意思・思想・信念を対外的に弱めることになります。
すなわち、自由であり続けようとする力は、不自由になろうとする力に対して弱いのだろうと思います。
一億層中流意識から勝ち組・負け組み概念への知的切断面の推移を見るだけでも、現在が曲がり角(?)にある危険性の高さを物語っていると思います。
gekkeさん、再コメントありがとうございます。 (mori夫)
2005-08-04 23:43:06
gekkeさん、再コメントありがとうございます。

●<宗教団体自らが政党を組織することは違憲です。>

■<憲法第20条 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。2 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。3 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。>

これのことですか? しかしこれは、宗教団体員が政治に関わってはいけないという意味ではないです。特定の宗教組織に属する者が選挙に立候補してはいけないとか、政治家になってはいけない、という法律はありません。また、特定の宗教組織に属する者たちが、政党を作ってはいけない、という法律もありません。公明党の政治家でかつ創価学会員に対しては、「公私のけじめをつけてください」と言えばすむことです。(創価学会員としての行動は私的行動だから。)

●<創価学会党は公明党の支持団体の一つではなく、イコール(というより公明党は創価学会の一部といえる)であることは誰の目から見ても明らかではないでしょうか? 何度も述べますが、政教分離の目的は「個人の自由の権利」を守るためです。その点をmori夫さんは全くないがしろにされていますね。>

公明党が政権党である立場を利用して、個人の権利を侵害しているのですか? 具体例を知っているのなら教えてください。もしそうでないなら、いまのところ公明党を批判する理由はないです。たしかに大臣の人事は、宗教組織の最高権力者が、首相に推薦しているというようなことが、あるのかもしれません。しかし大臣任命の権限は首相にあります。だから大きな問題ではない。

憲法を変えるには国会議員の2/3と国民(国民投票)の1/2の賛成が必要です。たしかに公明党が大躍進して多数派与党になり、国民の半分以上が創価学会員になって、憲法も変わるということは、あり得ます。そしたら私は家族を連れて海外へ移住します。それも法律で禁止だということになったら、私は反国家組織を作って、国家転覆運動をします。でもそんなことは杞憂です。杞憂でないというのなら、前にも書きましたが、どうぞblogでも開いて発言を継続なさってください。

●<今までの世界の歴史は血にまみれた歴史です。それは一部の狂信者(宗教とは限りませんよ)とそれを深慮なしに認めてしまった大多数の歴史なのですから。>

非常に失礼な言い方かと思いますが、gekkeさんのご主張のほうが、頑なな非寛容を感じます。そういう潔癖主義こそが、血にまみれた争いを生むのではないでしょうか。公明党の政治主張はごくまともなものです。政治と宗教を国会の場で混同しない限り、問題ないと私は思います。混同し出したら、そのときは声を荒げて批判すればいい。そんなに心配なさらなくても、他党の議員もマスコミも大騒ぎをしますよ。

ちなみに、繰り返しになりますけど、私は創価学会とはまったく何の関係もありません。

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