風 雑記

建築とその周辺で感じたこと、思ったこと

大川・久留米2

2017-03-07 20:19:48 | 日記

3月4日(土)の最後の目的は久留米市美術館で開催されている「生誕140年 吉田博展」を見ることでした。1月に日曜美術館の放送を見てからどうしても見たくなり、3つの目的が重なった今日になりました。

 

吉田博は1876年(明治9年)に久留米市京町に旧有馬藩士上田束の次男として生まれています。

少年時代について「生来運動や遠足が好きで、紙と鉛筆とを携えて山川を跋渉して、至る処で写生をした。山川の跋渉を好むのも、風景画家として身を立つるに至ったのも、此地の天然の感化に由るものが多いであろう」と紹介されている(美術新報)

14歳の時図画教師の吉田嘉三郎に非凡なる画才を見込まれて、吉田家の養子になる。その後東京に出て不同舎で洋画を学び、東京近郊に日の出から日没まで写生をする日々を送り、21才の夏、奥飛騨への2か月にわたる山籠もりの決死的写生旅行を行い、当時前人未到だった日本アルプスでは熊や狼に遭遇しながら、約150キロを難関辛苦の上踏破している。

前人未到の深山幽谷の経験で、単に自然を見たままで描けばよいというのではなく、自然に溶け込み、自然と一体になってこそ、人を感動させる風景画が描けるのだとする不動の信念を持つようになる。

日本の近代洋画界の流れが黒田清輝率いる派が「新派」と呼ばれ、不同舎は「旧派」と呼ばれるようになる。反骨精神旺盛な吉田博は片道旅費のみで決死の覚悟で渡米する。アメリカではデトロイト美術館を訪れ館長に水彩画を見てもらう機会を得、館長はその素晴らしさに驚嘆し、デトロイト美術館での展覧会開催を依頼、作品も売れ多額の収入を得る。ボストン美術館、ワシントンでも大成功を収め、ヨーロッパへ向かっている。

日本に戻ってからも活躍し、弱冠34歳で洋画家の重鎮の座に列している。

 

50才から木版画を製作するようになり、独自の新しい木版画に取り組んでいる。彫と摺りも自ら行い「大版」と呼ばれる大作も摺りのズレなど微塵もない見事な出来上りで感嘆する出来栄えで、他に例を見ない独自の創造として高く評価され、いまも世界的な人気を博している。版は平均30版以上、「陽明門」では96版重ねててあり、「とても木版画とは思えない」ような写実性は、薄い絵具を何度も摺り重ねたり、細かい版を重ね合わせてするという独特の技法から生み出されている。

 

帆船の木版画はダイアナ妃が書斎に飾っていたものと同じ絵で、心理学者フロイトも吉田博の木版画を所有していた。終戦後占領軍としてマッカーサーが来た時に「吉田は何処にいる」と尋ねている。(吉田博作品集 安永幸一著がら引用)

前置きが長くなってしまいました。展覧会では280点ほど展示してあり、その点数の多さは驚愕です。アメリカでも多数の作品が買われ、日本で買って持ち帰った作品も多数あるとの事ですので、吉田博は生涯の大半の時間を作品制作に注ぎ込んだのだと思います。

展示の一作、一作見ても全力を注いでいると感じます。そこには吉田博が言うように風景画に「感動」を感じます。風景の中に人の営みを感じさせ、吹く風や寒気、湿り気などの空気感も伝わってきます。

すごい人が居るんだなぁと思うと同時に高島野十郎の事も最近知り、自分の知識不足に呆れながらも見れて良かったと心から思いました。


大川・久留米

2017-03-06 20:20:18 | 日記

3月4日(土)大川から久留米へ行きました。目的は3か所と少し欲張りな行程でしたがとても有意義な時間になりました。

実はウォルナットやチーク材を使いたいと言う建て主の希望があり、ネットで調べていたら、大川の高田製材所が様々な輸入木材を扱っているのを見付け、どんな材種をどの程度在庫されているのか見たく見学を申込みました。

大川は家具産業で有名ですが、高田製材所の取扱い材種と量を見て驚きました。問い合わせは日本中からあるそうで、その種類の多さと在庫量は予想をはるかに上回り、たぶん日本一なんだと思います。

2枚目の写真の積まれたのは様々な原木です。チェリー、メジロカバ、ヤマザクラ、ニレ、ヤナギ、センなど、中にはウエンジなど初めて聞く木材もあります。

倉庫に製材され積まれた様々な木材はごく一部で天然乾燥の為外部に置かれた木材が敷地いっぱいに在り、出荷前の木材は別の広い場所の倉庫に大量に保管されています。

扱っている材種は以前100種類程度だったものが要望に応えて行く内に、現在は250種類になっているとのことです。展示場にはサンプルが展示され、そのサンプルピースも25枚から200枚セットで販売されています。

目からウロコです。高田製材所をもっと早くから知っていれば枠、建具材種で悩むことは減ったのにと思いました。

大川から築後川沿いを車で30分程で久留米市中心部に着きました。

次の目的地は日本福音ルーテル久留米教会を見学することでした。1918年(大正7年)に献堂されたW・M・ヴォーリズの初期の建築で九州に現存するもっとも古い建物です。

牧師さんにお願いし、見学させてもらいました。久留米市の中心部に有る為周辺には高層マンションが建ち、ビルの谷間にひっそり佇んでいます。敷地内には幼稚園も隣接し教会の廻りが園庭を兼用している為か、教会のすぐ横が砂場になっていました。来年が100周年とのこと、ビルに囲まれながらもそこには永い時を経て尚大切にされている空気が漂っています。

中に入ると、こじんまりした教会ですが、とても優しく、温かみのある空間でした。シンプルな木造トラスと漆喰壁。2階へ上る階段は吹抜けを円形天井で切り取ってあり、上部にはステンドガラスが見えます。

ヴォーリズの建築はどの建物にも優しさを感じます。建物を使う人、訪れる人への深い愛情を建築設計の基本とし、その思いを形にしているように感じます。とても素晴らしい建築だと思いました。