風 雑記

建築とその周辺で感じたこと、思ったこと

本震から3か月

2016-07-13 11:56:58 | 日記

    

熊本地震の本震発生からもうすぐ3ヵ月が経とうとしています。この間気持ちが落ち着かずブログも書けませんでした。

隣の慈愛園パウラス記念館(有形登録文化財)も外壁、内壁に多くの亀裂が発生しました。ただ、総2階建てに近く、コーナー壁があり、窓の配置も揃っているので、決定的なダメージは受けていません。外壁のドイツ壁、内部の漆喰天井、壁は腕の良い左官がおられるので、元通りに修復できると思います。

この3ヵ月、これまで手掛けた建物や知り合いの建物の被災確認やアドバイスに出かけることが多く、震度6強だった熊本市内と震度7の益城町の被害の差に大きなショックを受けました。特に益城町役場から益城総合体育館の間の道路沿いの建物はどの様な地震動がこのような被害を引き起こしたのか、信じられないくらいでした。

熊本市内でも構造的弱点のある建物は大きな被害を受けていますが、全体的には部分的な損傷が多く、6強の地震に耐えられることを証明してくれています。ただ、今回の地震で何らかのダメージを受けていることも確かです。

設計者としてはこれまで一つ一つ頑丈な建物を造り、積み上げて来たとの思いが、大きく揺す振られ何とも言えない不安も生まれました。建築設計する魂の根幹が揺れているような感じです。

本震から暫く震度3~5の余震が10分おきに来ていた時は、また本震と同じ6強、7の地震が来るのではないかと思わずにはいられませんでした。徐々に余震回数は減ってきていますが、今も日に1、2度余震が発生します。震源も熊本市内、阿蘇、松橋、八代方面と断層に沿うように広範囲に渡っています。余震は延べ1900回に迫ろうとしていて断層がグズグズと動いているような感じがしています。

    

本震があって数日後、被災状況を見て耐震判断してほしいとの依頼で阿蘇に行きました。国道57号線は大規模な崩壊で通れなかったので、唯一通れるミルクロードから行きました。前日の通行止めと阿蘇内に避難指示も出ていたためか、拍子抜けするほどスムーズでした。

自衛隊の車が多く、なみの高原やすらぎ交流館は100人規模の九州電力災害支援基地になっていて、屋内運動場に沢山の布団が敷いてありました。6か所程設計した建物の被災状況を確認しましたが、全て部分的な損傷で大きなダメージはなく一安心、帰りに阿蘇YMCAでお風呂に入れてもらいました。自宅はガスがストップしていたので本震後2度目の入浴、無理して行ったご褒美でした。

建築関係は復興工事で暫く異常事態が続くでしょう。2年なのか3年なのかわかりませんが、震度7、6強の地震と多くの余震を経験して、設計者として考えなければならない事は多いです。普段の生活に戻るには「住まい」が有って初めて成り立つ訳です。耐震性や迅速性も大切ですが、永い時が育てきた街並みや風景も大切にしたいと思います。


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