風 雑記

建築とその周辺で感じたこと、思ったこと

W.M.ヴォーリズと大同生命

2017-10-03 19:30:50 | 日記

 

ハイド館(旧幼稚園)

ヴォーリズ邸(現ヴォーリズ記念館、兄弟社寮を改造)

9月28日午後豊郷小学校から近江八幡の近江兄弟社を訪問しました。近江八幡に来たのは2度目です。(2011年2月2日のブログ)その時はヴォーリズ記念館は催しがあり内部見学は出来ず、近江兄弟社ヴォーリズ学園も外から眺めただけでした。それで周辺のヴォーリズ建築や重要伝統的建造物群保存地区の町並み、豊臣秀次が作った運河周辺などゆっくり散策、落ち着いた町並みと運河の緩やかな曲線に寄り添うような建物景観に心惹かれました。そんな中にヴォーリズ建築のコロニアルやスパニッシュスタイルのデザインがあり、日本伝統の街並みとヴォーリズ建築の共存を大切にしている近江八幡に不思議な魅力を感じました。

近江八幡の街並みからJRの駅が離れています。明治時代の頃出来たと思うのですが、駅を古い町並みまで引き込む計画もあったそうですが、駅が近いと若い人が町を離れていくことを心配して離れたところに造ったとのことです。そのお蔭でしょうか保存地区には高い建物がなく、伝統的な日本の街並みが多く残っています。

W.M.ヴォーリズが日本に来た時の木製のトランクが飾ってあります。頑丈に見えますが意外に軽いです。(中身が無ので)このトランクは近江八幡駅に届くはずが北九州の八幡に行ってしまい時間が経ってから届いたと言うことです。

幼稚園の時使っていた籐の子供椅子、とても軽くて小さい子供でも自分で持ち運べるようになっています。またおもらししてもすぐ分るので、子供たちの衛生にも良かったとのこと。

講堂兼運動室

 ヴォーリズ学園礼拝堂

 

屋内体育館

ヴォーリズ学園には中学校、高校があり、多くの生徒が行き交っていました。本館の最上階には礼拝堂、最近できた木造屋根の体育館、他にも多くの建物が在りコンパクトに纏まっています。高校は普通科と国際コミュニケーション科があります。

  大同生命本社

 2階ホール

29日は午前中に大阪中之島にある一粒社ヴォーリズ建築事務所を訪問、原図の借用のお願いや展覧会の協力をお願いしました。そしてすぐ近くの大同生命本社ビル(ヴォーリズ事務所設計)を訪問。NHKの朝ドラ「あさが来た」のモデルになった「加賀屋と広岡浅子」の展示を見学。

広岡浅子の娘婿、広岡恵三氏は加島銀行、大同生命、大阪電気軌道の社長になっています。自宅設計をヴォーリズに依頼し、そのとき妹の一柳満喜子と運命的な出会いをしますが、一柳家は子爵の家柄で当時外国人との婚姻は認められなかった為、華族から平民戸主になって結婚されています。周辺の反対もあったそうですが広岡浅子が結婚を強く後押しして結ばれています。一柳満喜子は9年のアメリカ留学経験があり聡明な女性で津田塾大学を開いた津田梅子は満喜子に後を託したいと思っていたとのことです。ヴォーリズの義兄となる広岡恵三との関係から大同生命本社ビルなど大阪の商業建築を多く手掛けますが、どの建物も評価がとても高かったようです。広岡浅子はキリスト教の洗礼を受け、YMCAやヴォーリズ建築とも強く繋がりが出来ています。

浅岡浅子がキリスト教の洗礼を受けた大阪教会は大同生命本社から5分ほどのところにあります。重厚なレンガ造りで圧倒的な存在感があります。周辺に建物が建て込んで来ていて、知らなければ通りすぎてしまうかもしれませんが、教会正面横から入ると正面に鐘楼が見え、一瞬イギリスの教会に迷い込んだような気分になりました。

1922年(大正11年)にヴォーリズ事務所設計で建設、1995年の阪神・淡路大震災で半壊し、復元工事の上登録有形文化財になっています。周辺に建物が無かった頃は全景が見え、その存在感は凄かっただろうと想像できます。急な訪問で残念ながら葬儀があっていたため内部は見れませんでしたが、いつか必ず見に来たい建築でした。

 

 


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