JKTS

被災地へ医療スタッフとして行ってきました。

短い間でしたが貴重な体験となりました。

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3、赤い旗

2011-03-23 16:51:26 | 皆様へ

陸前高田に降り立ったときの印象はぬかるんだ地面と瓦礫の山。

津波の被害で壊滅的の場所です。
本当に何もなくて
残っている建物も廃墟と化していました。

5階建てマンションの5階にまで泥や船の備品が突き刺さっていて何度も目を疑いました。



何の匂いだろう?
焦げ臭い匂いがつーんと鼻に抜けていきました。


あとすごく静かでした。
報道のヘリや自衛隊のヘリが上空を旋回している音だけが響いている感じ。



雪が瓦礫の山に積もっていて、ずっとしんしんと降っていたけど寒いという感覚よりも恐怖のほうが強かったです。
足が震えていたのは寒さでなく恐怖でだったと思います。




一分間黙祷をしながら
もっと早く来るべきだったと思いました。


避難所や病院に行く前に
ざっと市内を案内される。




ここは商店街でした、
ここは郵便局だよ、
ここはおいしいラーメン屋、
ここは公民館、
ここは幼稚園、、、



ただの瓦礫の山。



15mくらいの真っ黒な津波が往復して全てを飲み込んでいったとのこと。
避難勧告が出て準備をしていたり、逃げる最中にみんな流されて行って
誰かのせいにすれば少しは矛先が出来て醜い感情を出せるけど、天災だから怒りの持って行き場がないと言っていました。


年に数回海を敬うお祀りもあっていつも海に感謝をして暮らしていたんだよ、それなのに・・・と
現地の人は案内しながら涙を流していました。

もうこの時点で私も泣きそうだったけど、絶対泣かない約束だったから
現実から目を背けて曇った空ばかり見ていました。


案内する人の後ろをずっと手をグーにして肩をすくめてついていきました。



風が吹くとどこからか
セピア色の写真や赤ちゃんの写真付きの年賀状が足元に飛ばされてくる。



そして一歩二歩歩くごとに赤い旗がヒラヒラ揺らいでいる。
しかも数えきれないおびただしい数の旗。




「この赤い旗は遺体が見つかった場所に立てられています」




正直つらかったです。





ある旗の前に佇んでいるお婆さん。
私のお婆さんと同じくらいの年だったかな?



「東京の看護婦さん、
ここにおじいちゃんが戦後一生懸命働いて建てたおうちがあったんだよ、
おじいちゃん病気ひとつしなかったのに死んじゃったよ」


人間の感情があるから泣くなと言われても無理でした。


リーダーナースが飛んで来て私の耳を引っ張って車の陰に連れて行かれて
すっごくおこられました。怒られようがもう自分は素直な感情でここでやっていこうと思いました。



テレビで映されているのは報道規制のなかの範囲内でそれでもあの映像。


映されない、テレビで流せない現状をこの目で見てきましたがそれはもう地獄でした。

案内されている隣で
自衛隊の方が瓦礫や木材をどかすと泥だらけになった遺体が必ず出てきて。

この光景は一生忘れないし
忘れてはいけないと思う。

瓦礫や木材と言っても数日前は誰かの生活の一部だった家や道具や誰かの宝物です。

その下から続々見つかる遺体。

そのたびに手を合わせる自衛隊の方々。そして偶然居合わせてしまった私たちも合掌しました。






初日はあわただしく避難所をまわってお年寄りの血圧測定と健康相談でした。

無我夢中で多分、私に笑顔はなかったんじゃないかな。
高齢者が多いな、という印象でした。


電気が復旧していないので暗くなる前までに1人でも多く血圧を測ってあげたくて本当に無我夢中でした。


脈をとっていると私の手を握り返してきて

「孫と同じくらいだな、看護婦さん。あったかい手だねぇ」

とそのまましばらく目を閉じているお婆さん。


両手を合わせて拝んで
何回も何回もお礼を言うおじいさん。


寝たきりなのに飛びきりの笑顔を見せて起き上がろうとするおじいさん。


美味しそうに小さなおにぎりを食べる子供たち。


毛布に包まって眠る赤ちゃん。





健康相談では「体育館では眠れないよ」
「親類と連絡がとれなくて眠れない」
と眠れない訴えが多く
血圧も高めなかたがたくさんでした。



すっかり暗くなる頃には
私の腕が上がらなくなっていました。


10数ヶ所の避難所、それでもまだまだたくさんまわれなかった避難所と救護所だらけでした。



あとから聞いたのですが
私は初日だけでも数百人の血圧を測ったらしい。



でも全然足りないくらい、測ってあげられなかったお年寄りのほうが断然多かったです。



気付けば朝トイレに行ったきり夜更けになっていました。



反省会や明日以降の予定のミーティングを終え、移動の疲れや現地を目にしたショックと
避難所まわりであっという間で忙しく過ぎた1日でした。



避難所だってぎゅうぎゅうで
もちろん私たちは寝る場所もなく
初日の夜は遺体安置所のわきの簡易プレハブに男女関係なく雑魚寝。




疲れているのに眠れるわけがなく、
持ってきたiPodを聞きながら友達と撮った写真を見たり圏外のままの携帯にこの文章をずっと打っていたり
友達がくれたメールを読み直して
1日泣くのを我慢していたのでバスタオルに包まってずっと朝まで泣いていました。

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56 コメント

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Unknown (Unknown)
2011-03-23 23:21:01
ここまで読んで、涙でグショグショな私は、ナースだったら帰らされているなぁ…
本当に辛い…
Unknown (Unknown)
2011-03-27 11:53:04
書いて下さって本当にありがとうございます。
抑えないで。 (普通の母ちゃん)
2011-03-27 12:37:33
人間だから。リーダーのいう事もごもっとも。でも、泣きたかったら夜まで我慢。思いっきり涙流して下さい。
先は永いです。心安定の為にもです。
そして、本当の現地の今を伝えて下さい。
東京から、想っています。空は繋がっています。
抑えないで。 (普通の母ちゃん)
2011-03-27 12:37:33
人間だから。リーダーのいう事もごもっとも。でも、泣きたかったら夜まで我慢。思いっきり涙流して下さい。
先は永いです。心安定の為にもです。
そして、本当の現地の今を伝えて下さい。
東京から、想っています。空は繋がっています。
応援します。 (被爆二世)
2011-03-27 12:48:22
たいへんでしょうが、頑張ってください。

リーダーの言う事も正しいです。そうですね、正しい。

リーダーも人の子、若しかしたら人の親。

一人で、こっそり涙しているのかも知れませんよ。

たいへんでしょうが、とにかく、頑張ってください。

応援しています。
Unknown (マイ)
2011-03-27 13:57:50
ありがとうございます。
私の祖父や叔母達親戚の多数が陸前高田市に住んでいます。
家は流され、助かった親戚や海にのまれてしまった親戚が多数います。
あなた方が居てくれることで離れていても安心です。

怒られるのかもしれませんが、亡くなった方達の為に、どうかその涙を流してあげてください。

本当にありがとうございます。

足元悪いところもあるようですので、気をつけて下さい。
阪神淡路大震災の時は… (RINN)
2011-03-27 15:59:18
赤い旗でなく、瓦礫の中から取り出した木の板やコンクリートブロックに『ここに遺体あり』と書いて立て札にしてあった。
泣いてもいいですよ。 (なほみ)
2011-03-27 21:00:53
仕事上、泣いてはいけないのかもしれない。そのおばあ様は、誰かに思いを聞いてほしかったのではないでしょうか。一緒に涙を流してくれる相手を探してくれていたのではないでしょうか。思いを共感してほしかたのではないのでしょうか…。私も、一緒に泣いていると思います。
そばで泣いてあげてください (hachihata)
2011-03-27 21:56:50
私は昨年、ホスピスで母を看取りました。その際、看護師の方お二人が後かたづけをしながら泣いてくれて、それが本当に心の救いになりました。本心からなら泣いていいと思います。
Unknown (tom)
2011-03-27 23:17:30
どこからここを見に来たのかわかりませんが、壮絶が現状が目に浮かびます。
防災関係の職なのからか、どうかはわかりませんが、現地に行った人からのことは見たり聞いたりしています。
遠い地から、このようにがんばっている人を応援する気持ちしかお手伝いできることしか出来ません。
私が出来ることは、救援物資をまとめて梱包して送り出すことだけです。
もっと現実を伝えて (t7)
2011-03-27 23:19:48
テレビや新聞では伝わってこない現実は、
こちらで読ませていただいて想像以上だったことがわかりました。
もっともっと、日本の人が、世界の人がこの現実を知らなければいけないですね。
そして、現場での活動に深く敬意を申し上げます。
共に泣きました。 (nsoderland)
2011-03-28 06:02:38
色々、聞いてはいましたが、あなたの日記から、はじめて、なまの体験をした気持ちです。私の体全体が泣き叫んでいる。心でした応援できないもどかしさ、あなたのやさしさは忘れません。
Unknown (ゆん。)
2011-03-28 11:49:37
twitterからきました。
報道の中で、あれだけ瓦礫があって、どうして遺体がないのかな。もう捜索が終わってるのかな。と思っていました。
でも、確かに、TVでは流せないですよね。。。

私は、真実はすべて知らないといけない。とは考えていません。
でも、いろいろは手段で長く伝えていって欲しいことだとは思います。
職業柄、大変だと思います。陳腐ですが、がんばってください。
現地の方々は見放されるのが一番つらいと思います。来てもらえるだけでも嬉しいと思います。
Unknown (chatora)
2011-03-28 13:16:14
被災地での救護活動、本当にお疲れ様です。
一番辛いのは被災者の方々、どんなに体を酷使してもこればかりはお救いすることができません。

現地へ向かうことのできない私は本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。
どうか、お体だけはしっかり自己管理してください。
3) Red flags (anonymous translator (English))
2011-03-28 13:26:56
DISCLAIMER FROM THE TRANSLATOR: While I do speak English, I know nothing about medicine. These are rough translations made through tears. Please take all medical details with a grain of salt. This translation has not been proofread and may be revised on a later date.

==================================

My first impression upon setting foot in Rikuzentakata is a muddy ground and mountains made of rubble.

This area was wiped out by the tsunami. There really was nothing left, and even the buildings that were still standing were transformed into ruins.

A five-story apartment building had mud and parts of a boat stuck through its top floor, and I really couldn't believe my eyes.

What is that smell? A sharp, burnt odor stung my nose.

It was also extremely quiet. All you can hear is the echo of news companies and the self defense forces in their helicopters circling in the sky.

Snow had collected on top of the rubble, and it was quietly snowing the entire time but my fear was much stronger than any sense of it being cold. I think my legs were shaking from fear rather than from the cold.

As I spent one minute in a silent vigil, all I could think was that we should have come sooner.


Before going to the evacuation site or hospital, we are given a sweeping tour of the city.

This was the shopping district, this was the post office, this place served great ramen noodles, this was the public hall, this was the preschool…

All nothing but rubble now.

They tell us that a pitch-black tsunami about fifteen meters high went back and forth and swallowed everything whole. There were many people who were washed away while preparing to run or even while running away after the call for evacuation was made. If there were someone to blame, they would have someplace to direct all their harsh feelings, but there's no place to direct their anger because it's a natural disaster, they say.

We have religious ceremonies several times a year to pay respect to the ocean, and we've always lived feeling grateful for the ocean, and still… Our guide was shedding tears as we walked.

I was already on the verge of crying myself, but I promised not to cry no matter what, so I turned my eyes away from reality and watched the clouded sky instead.

I followed our guide with clenched fists and shrugged shoulders.


As the wind blows, a sepia-colored photograph and a new year's greeting card with a picture of someone's baby flying to my feet.

And at every step or two, there is a red flag fluttering in the wind. A whole slew of flags, too many to even begin to count.

"These red flags are standing to mark places where dead bodies have been found."

Honestly, this was rough.


An old lady is standing in front of one flag. She might be about the same age as my own grandmother.

"Dear nurse from Tokyo, there was a house here that my husband worked so hard to build after the war. He never got sick once but now he's dead."

I have the emotions of a human being. It was impossible not to cry.

The lead nurse came flying and pulled me behind a car by my ear. I was scolded severely. But no matter how much trouble I get in, I thought, I'm going to stay true to my own emotions here from now on.


The TV can only show footage that is within their codes of practice, and yet we are seeing all those images.

I saw with my own eyes the real situation there that is not and cannot be shown on television, and it was truly hell.

As we walked with our guide, the self defense forces would be moving rubble and lumber, and there would always be a dead body covered in mud.

I will never forget this for the rest of my life, and I think it is important that I do not forget this.

This rubble and lumber was until just a few days ago the house or tool or treasure that was a part of someone's life.

And beneath them, bodies that are found one after another.

Each time, the self defense forces would put their hands together in prayer. And as we happened to be passing by, we put our hands together, too.


I spent the first day bustling about in the evacuation site, measuring the blood pressure of the elderly and offering health consultations. I was working so feverishly that I probably wasn't smiling at all. My impression was that there were a lot of old people there.

Electricity was still out, so I really lost myself in my work, trying to take blood pressure measurements for as many people as possible before darkness fell.

An old lady who returned my grip as I took her pulse, saying "You're about my grandchild's age. What a warm hand," and kept her eyes closed for a while.

An old man who put his hands together and thanked me many, many times.

An old man who gave me his best smile and tried to sit up, even though he is bed-ridden.

Children eating small rice balls, relishing every bite.

A sleeping baby, wrapped up in a blanket.


During the health consultatio
(continuing from where it got cut off) (anonymous translator (English))
2011-03-28 14:04:32
During the health consultations, there were many complaints about being unable to sleep. "I can't sleep in a gymnasium," "I haven't been able to get in touch with my relatives and I can't sleep." Many people had high blood pressure.


By the time it became completely dark, I couldn't even raise my arm any more.

There are just a dozen or so evacuation sites, and yet there were so many sites and first-aid stations that we hadn't reached.

I later learned that I had measured the blood pressure of several hundred people on just the first day alone.

But even that wasn't enough at all, and there were many, many more elderly people whose blood pressure measurement I wasn't able to take.

It was like I'd went to the restroom in the morning and then it was already the middle of the night.


We held a meeting to evaluate the first day and to discuss our schedule from the next day on, and the day had passed suddenly, like a whirlwind, after the fatigue from travel, the shock of seeing the reality here, and making rounds in the evacuation sites.

The evacuation sites were overcrowded, and obviously there was no room for us to sleep. The first night, we were packed like sardines regardless of gender in a simple prefabricated hut set up next to the mortuary.

I was tired but there was no way I could sleep. I listened to music on the iPod that I'd brought with me, looked at pictures I'd taken with friends, typed these words you are reading on my cell phone that has no reception and reread messages from friends. I'd held my tears in all day, so I wrapped myself in a bath towel and cried until morning came.
Unknown (rabbit)
2011-03-28 14:55:29
被災地にいるわけでもなく、募金くらいしかできない、役に立たない私なんかがオイオイ泣いても偽善のようにしか思えないけど、あなたが流す涙は本物です。

リーダーナースさんの仰ること、もっともです。
だけど・・・これは堪えられないですよ・・・

私も泣くの我慢しながら読ませて頂いていたけど、だめでした。

つらいことを書いてくださってありがとうございます。
これが現実なんですね・・・
どうかお身体に気をつけて、被災者の方の力になってあげてください。

無力な私も祈っています。
ご健勝で (cheekybugger)
2011-03-28 20:56:25
知人から「一読を」と薦められこちらを知りました。
穏やかですが心に沁みる文章に、心うたれました。ありがとうございます。
私の友人達も今、ほとんど寝ることもなくボランティア活動に奔走しております。
後方から物資を送ることしかできないもどかしい日々を送っております。
これからも傷ついた人々に寄り添ってさしあげてください。ごきげんよう。
ありがとう (ゆき)
2011-03-28 21:44:28
私の地元は岩手県です。といっても内陸部なので被害はなかったのですが、岩手出身、東北出身者として、お礼を言いたいです。ありがとうございます。
Unknown (まどか)
2011-03-28 22:27:11
泣いてはいけないは極端な1つの主張でしかないと思います。
自分のことでいっぱいいっぱいになるなということですよね。
正直そんなことで怒られている人や、怒っている人を見る方がずっと、心が暗くなります。
私は泣いてもらって嬉しかったです。
ありがとう (aya)
2011-03-28 22:47:04
伝えてくださってありがとうございます
泣くとかもうそんなこと小さいけど言います。


おばあさんの前で泣いたことは
おばあさんは、きっと救われたと思います。

ニューズで流れている情報なんて本当に極一部なのですね。

助けられる、素晴らしい仕事に感謝し、敬服いたします。
ありがとうございました。 (august)
2011-03-29 00:02:30
ほんとうにお疲れさまでした。
当地へ行けない私のようなものは、こうして少しでも情報を得るしかありません。
書き残すのもお辛かったことでしょうに、書いて下さってありがとうございました。

忘れないために、勝手ではございますがリンクさせて頂きました。
ありがとう、心を休めてください (まき)
2011-03-29 00:17:51
地震から10日ほど経ち海外メディアの写真を見ました。
瓦礫の山から突き出た体の一部分、
遺体安置所に整然と並んだお顔が汚れたご遺体、
TVからは伝わらない現実を垣間見ましたが、
切り取られた光景はごく一部にすぎません。

あなたの使命感、気力ではね除けた疲労感、
手を尽くしてもまだなお足りない無力感、
過酷な状況の中で見つけた小さな幸福感、
現場に入った人にしかわからない恐怖と悲しみ。
命に向き合い、多くの方の助けとなって下さってありがとうございました。
そして、手記を公開して下さりありがとうございました。
ありがとうございます (まんまる)
2011-03-29 00:29:08
直接の支援は何も出来ない私ですが、本当に現地を支援されている医療関係の方々、ありがとうございます。お体は大丈夫ですか?


この日記を拝見しながら祖母の事を思い出しました。今96歳になりますが、元看護師で戦時中はビルマへ行ってたそうです。私は小さい頃からそんな話を聞かされていたので、看護師には絶対ならない、なれば戦争にいかなければならないんだ、それより自分が大事。そう思いながら生きてきました。

でも、実際にこういう状況になったら何か役に立ちたいと思うものなんですね。恐怖も大きいと思います。
でも、やっぱり貴方も祖母もすごい!と思います。未来に繋がる命がまだまだあるはずです。ありがとうございます!
ありがとう (前川保子)
2011-03-29 06:20:29
はじめまして、趣味ーとの知人から教えられここへきました。
勝手にきてごめんなさい。
テレビからは事実が本当に伝えたれていないと思っていました。昔は死体なども写っていましたが今は規制があるのでしょうか?事実を教えてくださってありがとうございました。これからも大変でしょうが身体に気をつけて頑張ってください。私も出来る事はしたいともっています。
お疲れ様でした。 (ermochan)
2011-03-30 00:17:13
北海道のとある病院で病棟勤務をしている13年目のナースです。私の病院でも派遣要請依頼がきました。しかし、派遣に志願するスタッフは私の他にあと一人だけでした。まだ確定の連絡は来てませんが、テレビなどの報道をみる限りではきっと医療スタッフは足りないと思ってます。たまたまmixiからきてこのブログを知り拝見させていただきました。
もし派遣要請がきたら私も涙を流さず、被災された皆様の看護に徹したいと思っています。本当にお疲れさまでした。
ありがとう (東北出身のななし)
2011-03-30 07:30:18
辛い地獄絵図のなかで頑張ってくれて、本当にありがとう
Unknown (初めまして)
2011-03-30 10:37:05
医療チームの皆さま、本当に有難うございました。ブログ、FaceBookで紹介させてください。被災地の方々、思いを忘れてはいけません。
ありがとう (りか)
2011-03-30 11:50:12
現場にいってくれてありがとう!
記事を発信してくれて、ありがとう・・

高校生でできることは限られるけど、毛で斬ることを継続していきたいとおもいました
ありがとう (あき)
2011-03-31 02:48:17
大切な文章を読ませて下さってありがとうございます。
たっくさんのコメントの中に、リーダーナースさんの泣いてはいけない発言を非難するものも見られたので、一言。私はリーダーナースさんのおっしゃることは間違ってないと思う。勿論勿論執筆者さんのおっしゃるように涙はでるし、泣くのは当然だし、執筆者さんは全然悪くない。ただ、リーダーナースさんはリーダーとして怒るの辛かっただろうなって思います。
阪神大震災の時に、大学が休みに入る時期、沢山の学生ボランティアがきてくれました。女の子がきて「支えにきてあげたからね」といってイキナリ号泣しました。私は泣かれるのも「~てあげる」といわれるのも嫌でした。だって、私だって友達死んじゃって悲しいのに、泣かずに頑張って近所の人と支えあってるのに、やたら興奮した化粧バッチリの女子大生にいきなり泣かれて抱き着かれても。それも「~てあげる」って。
届いた支援物資を仕分けするためのボランティアだったんです。当時は今みたいに物資ごとに段ボール別れてなかったから整理が大変で、学生ボランティアがたくさん。若い男女が数日泊まり込みですから当然恋愛してキャッキャやってて、、、。休憩時間もたくさんあったから、ま、若い学生さんだからイロイロ。キャンプにきた感じ。
それで被災地が明るくなるならいいんですが、子供にあうと女子はかなりの確率で泣くのです。「大変だったよねぇ」って。中学三年生思春期まっただなかの私には、男子学生に対するアピールにしかみえませんでした。
家族をなくしてない私が泣いてちゃいけない、みんな頑張ってるんだから私も頑張ろうって泣かずに頑張ってきたのに、なんでこんなに悔しい思いをしなきゃいけないんだろうと思いました。多分、その女の子の言葉で、私は震災後初めて涙を流しました。悔し涙です。
だから、リーダーナースさんの発言すごく解ります。
だけど、執筆者さんはあの学生ボランティアとは全然違うから、そんなのは来て貰ってる側にはすぐ解るから泣いていいんです。全然違うから。「泣いちゃいけない」ってのは、本当に泣きっぱなしな人がたまにいるから作られた規則なんじゃないでしょうか。リーダーさんだって、自分がリーダーじゃなかったら執筆者さんを怒らなかったんじゃないかな。泣きたかったんじゃないかと思います。
この文章絶対忘れません。遠い神戸ですが長期的支援します。大事なことを伝えてくれてあり
Unknown (haz)
2011-03-31 22:40:42
素直な感情を話されること辛かったのではないかと思います。
私も看護師です。何も出来ないことに歯がゆい毎日ですが、すぐでなくとも何かつながることはあると思いたい。。そんな気持ちです。
現地に行かれた方は、その後のお気持ちの持ち方も気を張っていらっしゃるのではないかなと思います。ご自愛下さいね。
このブログに・・そして、コメントをしている皆様に出逢えてよかった。
また、みんなで笑える日本になりますように。
ありがとう (あい)
2011-03-31 22:42:13
赤い旗・・・ショックでした。

でも、

1日、少しずつでも1歩1歩前進している。
昨日よりちょっとでも進んだ事を喜ぶ気持ち。
被災地の人たちは頑張りすぎるほど頑張っているんだから、今は被災地以外の人々に甘えちゃっていいんですよね。

綴ってくれて本当にありがとう
ありがとうございました (サム)
2011-03-31 23:09:34
大切な記録 読ませて頂き感謝です。
一緒に泣いてくれる、家族のように触れ合ってくれる看護師さんがいて、被災地の人たち、どんなに励まされたことでしょう。
激務お疲れになったことと思います。
心も体もゆっくり休んでください☆
本当に本当にありがとうございました。
お疲れ様でした。
ありがとうございます (chako)
2011-03-31 23:17:26
あなたの自然な言葉で、メディアで見ることのできない情景の中に引きづりこまれて、一気に全部読ませて頂きました。
本当に頭が下がります。
何もしていない自分が情けないです。
せめてできる事といえば、普通の生活ができることに感謝し、協力できる募金に協力し、自分の仕事を一生懸命やること、ですね。
そして、笑顔を絶やさない努力をすることでしょうか…。
本当に、ありがとうございました。
Unknown (Unknown)
2011-04-01 00:07:50
同じ医療従事者として感じたこと。

リーダーナースの行動には憤りを感じました。

陶酔してんじゃない。

こういう状況だからこそ 言葉で悟らせるべきだ。

あなたが もし リーダーに反射的に 怒ってビンタをしていたらどうだろう?

リーダーははたして 冷静にあなたをさとすことができただろうか?

それができるなら 耳を引っ張ればいい。

暴力で示すっていうのは そういうことだと思います。
ありがとう (RURI915)
2011-04-01 00:29:11
twitterからきました。

報道以上に大変な状況だとは思っていましたが…
涙が止まりません。

日記を書いて下さって有り難うございます。

たくさん感じて思うことがあります
でも言葉出来なくて
「ありがとう」の言葉しか見つかりません。

本当にありがとう。
ありがとう (もっち)
2011-04-01 01:46:29
貴重な体験、教えていただいてありがとうございます。

私も泣いてしまうな、きっと・・・。
冷静に、公平に・・・という気持ちは必要だから、感情的になって泣かないという気持ちは必要だけど、
同情でなく「人の心に沿った」結果出た涙は、そんなふうに怒られる類のものじゃないと思うんですけどね・・・・。

被災者の人もきっと聞いて欲しい、解ってほしいと思ってらっしゃると思うし、
あまりにも感情出さずにいると、
どうせ他人事と思っているんだろうと思われそうだし。

仕事柄、人の死に接することがあっても
被災地での人の死は無念の気持ちが強すぎて
とても言葉では言い表せない感情が沸き起こるんでしょうね。

笑顔が見られたり、本音で話してもらえたりして、一瞬でも被災者のかたの心が軽くなり、そこからもう一歩頑張ってみようかなと思ってもらえたら幸せですよね。
そんなことがあったであろうエピソードもあって
うれしかったです。

医療でなくても、笑顔でいろんなかたの気持ちを
救うことができたのではないかと思います。
何かをしたいけどできない多くの人の代わりに現地にいってくださったと感じています。

本当にありがとうございました。
忘れません… (バレン)
2011-04-01 02:18:06
友人がmixiでつぶやいていたので、読ませていただきました。
お疲れ様でした。そして、ありがとうございました。
私は、神戸で大震災を味わいましたが、多くの方々がかけつけてくれたのを思い出します。
実家は、宮城県。友人の多くが東北にいます。
だから、まずは、お礼を言いたいのです。
めいいっぱい、尽くして、愛してくれた…
涙でいっぱいになりながら、読ませていただきました。
こうして懸命にしていただいた事、現場を伝えてくれた事…伝えていきたい
どんなに不安な夜を過ごし、なんとか前を向いて歩こうとする人がいる事…

電波が届く被災者の方が今も不安で携帯でつぶやいたりしてる…
そうした人に声をかけてあげる事も私達にでもできる事です。

心の支えになりたい…

本当にお疲れ様でした。
応援してます。
Unknown (す)
2011-04-01 15:35:54
つらい現実ですね。
Unknown (haru)
2011-04-01 22:55:25
くるりの岸田さんの日記から来ました。
全然わかってなかった自分がすごく嫌です。
気づかせてもらって本当にありがとうございます。私もできることを探して進んでやっていきます。

そして、facebookに英訳を載せてもいいですか?
外国の友人から日本のために何かしたいと言っていたので、知らせたいと思いました。

本当にこれからも続きます。
ずっと消えないでしょう。だからこそ、やることに意味はあると思います。自分のやれることを探します
よし (たな0123)
2011-04-02 20:10:56
あなたは、えらい。

茨城が住まいです。
おらは移植をしているんですけど
地震の時にまず考えたのは、自分の事です

薬。 透析が出来る病院では3時間で無理やり回しながら他の病院の患者さんも透析している病院もあります。

健康第一
Unknown (mini98)
2011-04-02 23:28:02
広島です。


記事を拝見し、愕然としました。
ボーッと過ごしていれば、テレビからの情報しか入ってきません。



ただ、ただ、涙が出てきました。



貴重な記録をありがとうございました。
ありがとうございます (Erina)
2011-04-05 07:26:02
被災地に向かわれたこと、そしてその経験をこうやって書き残してくださったこと、無力の私からですが、感謝いたします。
海外に住んでいますが、日本で実際に起こっていることを英語で発信しようと思っています。
どうかこのブログ内容を使わせてください。
どうやって連絡をとったらよいかわからないので、もしお目に留まれば、こちらまでよろしくお願いいたしします。
myvoice4japan@gmail.com
どうかお体に気をつけて。
ありがとう (じゃ。)
2011-04-06 20:07:23
友人からtwitterで教えてもらって読みにきました。

きっと報道規制で見えないだけで、現場は遺体がごろごろしてるに違いない、と思ってはいたけれど、その目で見た文章で初めてわたしなりに「実感(のような感覚)」を持ちました。
泣くのも当然。
叱るリーダーナースも、職務上当然。
それは他のみなさんのコメントのとおりだとわたしも思います。

わたし自身は今、静岡県でぬくぬくと過ごしています。
そんなわたしがくだらない野次馬根性であなたの文章を読むのは、という気が、正直ないではありません。

が、それでも、自分なりに「現実」を知って、その上で専門的なスキルも何もない自分でもできることがあるかどうか、少しでも冷静に判断して適切な行動に移すことができれば、と思って読ませていただいています。

大変な中これだけの文章を書かれていることに、心から感謝します。
Unknown (anonymous translator (English))
2011-04-07 20:41:59
My translations are now available at: jkts-english[dot]blogspot[dot]com
ご苦労さんでした! (Swing MASA)
2011-04-08 08:26:55
ご苦労さんでした。やはり陸前高田は、目も当てられない状態なんですね。友人に陸前高田市の方がいて、New Yorkにいるんですが、連日入って来るニュースに本当の事を伝えににくいくらい悲惨なので私は、何をすべきか又何ができるのか悩んでいます。出来る事を、少しずつやっていこうと義援金カンパなど、自分の生活の一部をシェアーしようと毎日、カンパ箱を見かければ少しでも必ずカンパしています。その友人の家族は避難所にいらっしゃる事が確認できたのですが、お父さんが癌をわずらっているらしく、寒いのにつらいだろうなあと私は何をすればいいのか本当に自分の無力さを悔やみます。子供もかかえている友人になんと言ってあげればよいのかわかりません。
本当にご苦労さんでした。私の思いつく出来る限りの事をしていこうと思います。
現場からのもう一つの声をお届けします… (有難うございます(_ _))
2011-04-18 05:22:54
看護婦さん(かんごふさんという響きの方が好きです)有難うございます(_ _)。まず、即戦力でお役に立てるのは、自衛隊、消防隊、救急隊、お医者さん、看護婦さん…と等いったような方々だけ。私達みたいなのは、お役に立てるとしても、しばらく立ってからでないと邪魔になるだけ…。今はひたすら節約して募金するしかありません…。現場に救援に行って下さった皆様、本当に有難うございます。書いてお知らせ下さって有難うございます(_ _)。…先日、東北の方へお弔いのお手伝いに行かれたお坊様のお話を伺う機会がございました。…確かにこれは報道出来ないだろうなと思いました。お坊様のお話によると、もう「ご遺体」なんてものではなくて、固い自動車ですら、まるでキャンディーの包み紙を丸めたようにクシャクシャになっているのですから、実際には、軟らかい人間の身体など一溜まりも無く粉々になっており、もう、数も膨大な数で、身元確認もどうしようもなく、膨大な数のバラバラの腐乱死体がビニール袋に詰められ、それが発酵してガスが溜まって袋がパンパンに膨らんで来て…量とか状態からいって、もう、確認とか、そんなもの出来るレベルではないとの事。ご自分のご家族のご遺体を確認出来、お弔いをする事の出来た方達は、本当にまだ幸せだった…という事。…もう、言葉もありません。傷つくとかそういうレベルではありません…。『想像を絶した向こうに』生き残られた被災者の方々は居られると思って下さい…という事。テレビ等で笑顔を見せられる強さに「凄いなぁ…東北の人は本当に強いなぁ…」と、つい、思ってしまいますが、本当は、深い処に、哀しみや辛さを、ずっしりと抱き抱えておられると思います…。かける言葉が見つからないのなら、邪魔にならないように、黙ってそっっと寄り添って、倒れないように支えてあげたいと思います…。これから良くなって行くのに長い時間がかかるし、お金もまだまだ沢山必要になります…。私達が無理して潰れたら、支えてあげられなくなるので、どうか皆さん、それぞれのペースで、それぞれに出来る事を(可能な事を)、無理し過ぎないHELPをし続けて行きましょう…長丁場になりますからネ…('ω`)/
ありがとうございます (ゆき)
2011-05-03 22:01:51
mixiからたどりつきました、私は 大船渡病院救命救急センター看護師です、DMATでもあり 地震直後から トリアージPost 救急センター 集中治療室を 行ったり来たりでした。
精神的にも肉体的にも 限界を超えていました でも 乗り越えられたのは 支援者の方々のおかげと 私自身の家族が無事であってほしいという 気力でした。


まだまだ こちらも長期戦になりますが
皆さんの支援で本当に助かってます。心から お礼と感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございます。
不戦大学においでいただきたいです (大野幸正)
2011-05-10 06:13:02
80過ぎの戦争体験がある人々が23年前に立ち上げた「不戦兵士・市民の会」の理事をしております。
私たちが7月に予定している「不戦大学」においでいただきお話を伺いたいのですが、いかがでしょうか?
tokyoriver@f00.itscom.net
趣旨は以下の通りです。
2011年3月11日、東北地方太平洋沖地震により、甚大な津波災害を伴う「東日本大震災」が引き起こされた。死者、行方不明者が数万人規模という未曽有の災害である。私たちは災害の犠牲となった人々に深く哀悼の意をささげるものである。
66年前に終決した第2次世界大戦では、日本の戦没者は民間人を含めて数百万人規模であった。その悲惨な戦争を体験した元兵士たちが23年前に「不戦・平和」を目的として設立したのが当会である。
東北から北関東にかけての大災害のことを見聞きして、私たちには「災害であれ、戦争であれ、人の死には変わりない」という思いが強い。愛する人が突然にいなくなることの悲しみや人間の死を身近に感じた時に、人々は失われたことの重要性に気付いて、これを「あってはならないこと」と感じて、再発の防止に努めるようになるのではなかろうか?
平和な状態が65年続いている日本においては、「戦争が他人事」となり、国家間の対立の際の「軍事力の保有、武力の行使の容認論」が頭をもたげ始めているようである。戦争の時代を体験した人々が多数派だった頃は、「戦争体験が戦争の抑止力」であった。
私たちの「不戦兵士」は90歳前後で、戦争の悲惨さを体験して記憶にある世代も70歳を過ぎた。実体験を語り継ぐ機会も残りわずかである。子供、孫、ひ孫たちを戦争から守るために、「東日本大震災で感じた人々」と語り合いたい。そして、伝えたい、わかりたい。
2011.5.10
ドイツ語圏より (Unknown)
2011-05-23 07:55:30
3. Rote Fahnen

Schlammiger Boden und Trümmerhaufen prägen den Anblick von Rikuzentakata.

Der Ort wurde durch die Wucht des Tsunamis vernichtet. Es gibt dort nichts mehr.
Die übriggebliebenen Gebäude sind nur mehr ein Trümmerhaufen.

Haus war bis nach oben hin voll mit Schlamm und Teile von Schiffen ragten aus den Stockwerken. Ich konnte meinen Augen nicht trauen.

Was für ein seltsamer Geruch?
– Ein unangenehmer angebrannter Geruch steigt in die Nase.

Es herrscht eine beängstigende Stille. Man hört nur die Helikopter von den Nachrichtenreportern und vom Militär, die in der Luft umherschwirren.

Schnee fällt auf die Trümmer, doch statt Kälte empfindet man Furcht. Die Beine zittern nicht vor Kälte sondern vor Angst.

Eine Minute lang bete ich still, ich hätte schon viel früher kommen sollen.

Bevor wir zu den Notfalllagern und Spitälern fuhren, zeigte man uns die Stadt:

„Hier war das Einkaufsviertel...,
da war ein Postamt...,
an dieser Stelle gab es ein hervorragendes Nudel-Lokal...,
dort stand das Gemeindezentrum...,
und an diesem Ort war ein Kindergarten...“

Es waren jedoch lediglich Schutthaufen.

Die Stadt wurde von dem etwa 15m hohen schwarzen Tsunami komplett verschluckt. Der Evakuierungsalarm wurde ausgelöst, aber der Tsunami hat alles weggespült, als die Bewohner gerade dabei waren, zu fliehen. Es sei leichter, wenn man jemanden beschuldigen könnte, weil man somit negative Gefühle aussprechen könnte. Da es sich aber um eine Naturkatastrophe handelt, kann man seine Wut an niemandem auslassen.

Der Bewohner, der uns durch die Stadt führte, sagte mit Tränen in den Augen: „Einige Male im Jahr feierten wir ein Fest zu Ehren des Meers. Wir lebten mit dem Meer in voller Dankbarkeit. Trotzdem ist diese...“

Ich war damals auch den Tränen nahe. Da wir jedoch versprochen hatten, auf keinen Fall zu weinen, versuchte ich, die Realität zu verdrängen und stattdessen den bewölkten Himmel anzusehen.

Ich riss mich zusammen und folgte dem Bewohner.

Egal woher der Wind wehte, trug er sepiafarbene Fotos oder Neujahrsgrußkarten mit Babyfotos umher und legte sie mir zu Füßen.

Als ich weiter ging, sah ich eine unzählige Menge an roten Fahnen, die im Wind flatterten.
Der Bewohner erzählte mir: „Diese roten Fahnen kennzeichnen die Fundorte der Leichen.“

Ehrlich gesagt, war es unerträglich, das zu sehen.

Ich sah eine alte Frau, die vor einer roten Fahne stand. Sie war wohl ungefähr gleich alt wie meine Großmutter.

Sie sagte zu mir: „Eine Krankenpflegerin aus Tokio... Schauen Sie, da stand unser Haus. Mein Mann hat nach dem Zweiten Weltkrieg hart gearbeitet, um dieses Haus zu bauen. Er war immer kerngesund, war nie krank. Trotzdem ist er nun tot...“

Obwohl uns gesagt wurde, wir sollten nicht weinen, konnte ich das nicht mehr. Ich bin auch Mensch, habe Gefühle.

Dann kam die leitende Krankenpflegerin der Gruppe laufend zu mir, zog mich am Ohr hinter ein Auto und wies mich streng zurecht. Sie war wirklich böse. Da beschloss ich, während des Dienstes hier trotzdem meine Gefühle ehrlich zu halten, auch wenn ich mir dadurch den Unmut meiner Vorgesetzten zuziehen würde.

Im Fernsehen werden aufgrund der Informationskontrolle nur ausgewählte Aufnahmen gezeigt. Trotzdem sind die Bilder sehr bewegend.

Wir haben die Bilder gesehen, die im Fernsehen nicht gezeigt werden. Es war die Hölle.

Als wir die Stadt besichtigten, sahen wir überall die Hilfsmannschaften der Selbstverteidigungsstreitkräfte arbeiten. Jedes Mal, wenn sie Schutt und Holzstücke wegräumten, fanden sie ständig vom Schlamm verschmutzte Leichen.

Ich werde diese Szenen nie vergessen.
Sie dürfen auch nicht in Vergessenheit geraten!

Dieser „Schutt und die Holztrümmer“ waren bis vor wenigen Tagen noch Häuser und Geräte gewesen, die jemandem gehörten, ein Teil eines Lebens, oder vielleicht Erinnerungsstücke waren.

Unter solchen Trümmern wurde eine Leiche nach der anderen gefunden.

Jedes Mal wenn eine Leiche gefunden wurde, falteten die Mitglieder der Hilfsmannschaft die Hände zum Gebet. Auch wir, zufällige Zeugen dieser traurigen Momente, beteten für die Opfer mit.

Am ersten Arbeitstag besuchte ich verschiedene Notlager, maß bei älteren Menschen den Blutdruck und führte Gesundheitsberatungen durch.

Da ich fieberhaft arbeitete, zeigte sich wohl kein Lächeln auf meinem Gesicht.
Ich hatte den Eindruck, dass es sehr viele alte Menschen hier gab.

Nachdem wir noch keinen Strom hatten, strengte ich mich sehr an, den Blutdruck von möglichst vielen Menschen zu messen, bevor es dunkel wurde.

Als ich den Puls einer alten Dame maß, drückte
ドイツ語圏より (Unknown)
2011-05-23 07:57:01
Als ich den Puls einer alten Dame maß, drückte sie mir die Hand und sagte leise: „Sie sind ungefähr gleich alt wie mein Enkelkind. Oh, Sie haben ja warme Hände...“ Sie schloss ihre Augen und hielt meine Hände für eine Weile.

Ein älterer Herr, der sich bei mir mit andächtig gefalteten Händen abermals bedankte.

Ein bettlägeriger alter Mann lächelte mir strahlend zu und versuchte sogar aufzustehen.

Kinder, die genüsslich kleine Reisbälle aßen.

Ein schlafendes Baby, das in eine Wolldecke eingewickelt war.

In der Gesundheitsberatung klagten viele Menschen über Schlafstörungen: „In der Turnhalle kann ich nicht schlafen.“ „Ich kann nicht schlafen, weil ich meine Verwandten immer noch nicht erreichen konnte.“
Es gab auch viele Leute mit erhöhtem Blutdruck.

Als es dann dunkel wurde, konnte ich meine Arme vor Erschöpfung gar nicht mehr bewegen.

Ich besuchte mehr als 10 Notlager. Das reichte mir aber nicht. Ich wollte noch viele andere Notlager und Rettungsstationen besuchen, doch ich konnte einfach nicht mehr.

Später habe ich erfahren, dass ich bereits am ersten Tag den Blutdruck von mehreren hundert Menschen gemessen hatte.

Trotzdem hatte ich das Gefühl, dass ich zu wenig getan hatte. Denn es gab viel mehr ältere Menschen, die von mir nicht betreut worden waren, als jene, deren Blutdruck ich tatsächlich gemessen hatte.

In der Nacht fiel mir auf, dass ich den ganzen Tag nur gearbeitet hatte. In der Früh ging ich aufs Klo, aber dann hatte ich nichts anderes mehr gemacht als zu arbeiten.

Nach einem Reflektionsgespräch und einer Besprechung über den Plan für die weiteren Aktivitäten ging der erste Tag zu Ende. Der verging wie im Flug: Ich hatte mich kaum von den Strapazen oder dem Schock erholt, als ich das Katastrophengebiet das erste Mal mit eigenen Augen sah, da begannen schon die arbeitsintensiven Tage.

Das Notlager war dermaßen überfüllt, sodass wir nicht einmal einen Platz zum Schlafen fanden.
Die erste Nacht verbrachten wir in einem provisorischen einfachen Fertighaus neben der Leichenhalle. Alle, egal ob Mann oder Frau, schliefen dort nebeneinander.

Obwohl ich müde war, konnte ich nicht schlafen.
Ich hörte Musik auf meinem iPod, schaute die Fotos mit meinen Freunden an, und schrieb diesen Blog auf meinem Handy, mit dem ich immer noch keinen Empfang hatte. Ich las die Mails von meinen Freunden noch einmal. Ich hatte mir den ganzen Tag mit Mühe die Tränen zurückgehalten, doch jetzt konnte ich das nicht mehr aushalten. Ich wickelte mich in ein Badetuch ein und weinte bis es Morgen wurde.
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2011-08-01 10:47:07
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2011-08-01 10:52:22
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UGG (UGG)
2011-08-16 02:58:45
UGGは悩んだら少し小さめで基本的には普段履いているサイズで問題ありません。試着ができるようなら足に隙間なくピッタリくるようなサイズをお選びください。迷った場合は小さい方を選ぶといいでしょう
Unknown (KEN)
2011-12-24 03:21:09
泣くのをリーダーナースが止める理由が分からない。
この記事を読んでいる人のほとんどは医療とは関係ない人の可能性が高いと思われるので、文面で説明してほしかった。
Unknown (Unknown)
2012-10-14 10:33:04
改めて日記を読ませて頂きました。
震災を忘れていく首都圏に住んでいる自分を戒める為

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