中高年の山旅三昧(その2)

■登山遍歴と鎌倉散策の記録■
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ペルー周遊記(19):第6日目(2):マチュピチュ遺跡見学(1)

2008年08月19日 09時15分49秒 | ペルー:ブランカ山脈ピスコ山登頂

                     <深い峡谷の道を登る>

   ペルー周遊記(19):第6日目(2):マチュピチュ遺跡見学(1)
          2008年7月6日(月)(つづき)

<マチャピチュ遺跡の概念図>


                 <マチュピチュ遺跡の概念図>

<マチュピチュ遺跡に入る>

■九十九折りの坂

 私達を乗せたシャトルバスは,アグアスカリエンテス駅前を9時27分に出発する.
 出発後,バスは,すぐに川沿いの道を下り,橋を通って対岸に渡る.その後,日光のイロハ坂思わせる九十九折りの坂道を登りつづける.道の両側には,殆ど垂直かと思われるほど急峻な山が屹立している.
 9時48分,バスはマチュピチュ遺跡(以下たんにマチュピチュ)入口に到着する.さすがに有名な観光地だけあって,入り口付近は,沢山の観光客でごった返している.
 ガイドのアレックスから入場券を貰って,入口から中に入る.入口には,若い係員が2人いるが,なんとなく上の空で仕事をしているような印象を受ける.私達はアレックスの先導で,まずは遺跡の見所を案内して貰う.

                 <マチュピチュ入場券>
         ※この入場券があると,当日,何回でも出入りできる.

■マチュピチュに到着
 これまで,いろいろな機会にマチュピチュの写真は,何回も見ている.実際に,目の前のマチュピチュを,自分の目で見ても,何となく「ああ,これか・・・」と,既知のものを確かめているような気分になる.それだけ,あまり新鮮な驚きがないのが残念である.
 アレックスはとても博識である.まずは,歩きながらアレックスからマチュピチュの歴史を教えて貰う.
 「・・・ここは,1911年にエール大学のハイラムビンガム教授が発見したんです・・・教授は,別にマチュピチュを発見することが目的ではなかったんですが,たまたまこの辺りを調査していたときに,地元の子どもから,山の中に石垣があると教えられました.これが切っ掛けになって,この遺跡が発見されたんです・・・発見されたとき,この辺りは鬱蒼とした密林に覆われていて,これほど大規模な遺跡があるとは想像もできなかったようです・・・」

■マチュピチュの概要
 ここで,アレックスの話や文献を参考にして,マチュピチュの概要を整理しておこう.
 マチュピチュは.クスコから西北西に約130キロメートルに位置している.聖なる谷を流れるウルバンバ川峡谷に聳えるマチュピチュ山の尾根にマチュピチュの遺跡が存在する.マチュピチュは“老いた峰”を意味する.たまたまマチュピチュ山に存在する遺跡なので,この遺跡のことをマチュピチュと呼んでいるが,本来の名称は分かっていない.
 マチュピチュがどこかに存在することは,ハイラムビンガムが発見する以前の植民地時代や共和制時代から分かっていたようである.
 マチュピチュは,インカ帰属や神官など特権階級の人達が住む所だったようである.また,地形的にも,マチュピチュへのアクセスは非常に困難だったこともあって,スペイン軍にも攻撃されることはなかったという.

マチュピチュ遺跡以外にも遺跡がある
 マチュピチュは,住民に捨てられた街だと言われている.ここの住民は,スペイン軍の存在を知って,ジャングル地帯に逃亡したと考えられている.マチュピチュの周辺には,マチュピチュと同じように,ウィニャイワイナ,サヤクマルカ,チョケキラオなど神殿,段々畑,宮殿,軍事施設などが完備した廃墟が幾つかある(ホセミゲル他,2005,pp.64-65).
 アレックスによれば,この地方には,まだ発見されていない遺跡があるかもしれないとのことである.

<マチュピチュ遺跡の全景>

■全景の写真
 
月並みな写真だが,マチュピチュの全景写真を掲載する.
  

■マチュピチュ遺跡の構造

 マチュピチュは,大別して農業区域と住居区域に分けることができる.
 建造物群の南は農業区域で,段々畑が広がっている.
 居住区域は,1本の溝と,壁によって囲まれていた.この壁に出入り口があった.居住区域には,神殿,宮殿,ピラミッド上のインディワタナがある.アレックスによると,マチュピチュの人口は約500人だったという.
 街の中に石切場が3箇所ある.また,マチュピチュで使われている土は,ウルバンバから運んだものだという.
 ビンガム教授は,これらの建造物の調査に,長い時間を費やしたが,発掘によって発見された173の遺体の内,150体が女性だったという.また,さまざまな場所から略奪された跡が見付かっているという.
                        (つづく)
参考文献
ホセミゲル他(著);川又(訳),2005,『ペルー発見』イボカンポ出版
 

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2 コメント

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夢のまた夢 (suzuka)
2008-08-20 14:43:41
4年前のペルー旅行、「まあ、写真どおり」と感嘆したツアーの人が言った。私はすでに、高山病。へろしろした体と頭を、もう2度はくることはないだろう、遺跡を歩いた。川も汚染し、疫病が流行たのではないだろうかと、とにかく、勝手に、私は考えていた。雨にならず、写真どおりの晴天にめぐれたのは幸運のようです。地上絵は残念でしたね。感想は案外線が薄く、だんだん消えかかっているような印象でした。現役時代の夢は、3月まで現役だった私もすでに、すべてが夢のごとく、そう、秀吉さえ、難波のことは、夢のまた、夢と。間違いなく夢でなかった記憶がよみがえりペルー記をたのしんでいます。
コメント有り難うございます (flower-hill\2005)
2008-08-20 22:08:33
suzukaさま
何時も丁寧なコメント,ありがとうございます.
マチュピチュで高度障害を起こす方々が,意外におおいようですね.
私どもは,気儘旅でしたので,時間を掛けて,徐々に標高の高い所へ登っていきましたので,高度障害にならずに済みました.
つたない私のブログをご覧頂き,心から感謝しております.
今後とも,宜しくお付き合いの程,お願い申し上げます.

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