中高年の山旅三昧(その2)

■登山遍歴と鎌倉散策の記録■
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奥州街道(白河の道);第4回;1日目(3);社寺史跡を廻って鍋掛宿へ

2017年07月01日 10時54分45秒 | 奥州街道

                           <葛籠石と八幡太郎義家の馬の蹄跡>

      奥州街道(白河の道);第4回;1日目(3);社寺史跡を廻って鍋掛宿へ
           (クラブツーリズム)
       2017年5月17日(水)~18日(木)
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http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/68ee7bfe4bd7d77c619df504990459cf

<ルート地図>



                          ↑ 上の地図に続く

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<那須塩原市へ>

■十九夜塔
 13時10分,うーめん庵での昼食を終えて,午後の部のウォーキングを開始する.湿度がやや高く,午後も相変わらず蒸し暑い.
 13時23分,愛宕神社に到着する.
 神社前の広場には「十九夜」の刻字のある石塔など数基の石塔が立っている.
 十九夜塔は月待塔の一種である,資料1によると,「月待塔は、日本の民間信仰,特定の月齢の夜に集まり、月待行事を行った講中で、供養の記念として造立した塔である。月待信仰塔ともいう。」,また,十九夜塔は,同資料によると,「旧暦19日の月待の記念として、十九夜講中によって造立された塔である。十九夜講のほとんどは女人講、念仏講である。子安講といい、安産を祈願することもある。「十九夜塔」「十九夜念仏供養」などと刻まれた文字塔と如意輪観音の刻像塔があり、山形、福島、茨城、栃木、群馬、埼玉、千葉などに分布する」とのこと.
 なお,同資料によると,月待塔には,十九夜塔の他に十三夜塔,十五夜塔,十六夜塔,十七夜塔,十八夜塔,二十夜塔,二十一夜塔,二十に夜塔,七夜塔があるらしい.昔の月待行事に何となくノスタルジーを感じるのは私だけだろうか.そんな気持ちを持ちながら,十九夜塔の写真と取っている内に,またまた,一行から遅れそうになる.


<石塔群>

■愛宕神社
 赤い鳥居の先にある石段を登ると,小振りで質素な感じのする愛宕神社の社殿がある.
 愛宕神社の由来など,帰宅後言った-ネットで調べたが,今のところ,良く分からない.
 13時42分,愛宕神社の参拝を終える.

<愛宕神社>

■明治天皇御駐輩記念碑
 13時32分,明治天皇御駐輩記念碑の前を通過する.原っぱのような丘の麓に碑が立っている.

<明治天皇御駐輩記念碑>

■那須塩原市に入る
 13時39分,那須塩原市に入る.辺りは広々とした田畑である.
 那須塩原市の人口は約117,000人,栃木県北部の最大都市で,首都機能移転先の第1候補となっている.生乳生産が盛んなところである(資料2).私には自然環境が優れた保養地,温泉地というイメージがある.

<那須塩原市に入る>

<樋沢の不動明王>

■平野と丘陵が連続する
 この辺りの風景には特徴がある.それは丘陵と平野が交互に現れることである.これが歩いていて結構面白い.
 13時40分頃,この繰り返しパターンの登り坂に差し掛かる.自動車道にしては道幅が狭い.ときどき自動車が通るので結構緊張する.私たちは道路の右端を一列にあって,粛々と歩き続ける.

<緩やかで気怠い登り坂を歩く>

■不動明王の案内板
 14時07分,沿道にある「なす屋」というコンビニの軒下で日差しを遮りながら立ち休憩を取る.この様子をデジカメで写したはずだが,何故か写っていない.ただ,数秒で書いたポンチ絵で,なす屋の姿は十分に思い出せるが,ブログに投稿できるほどの体裁の良いスケッチではない,
 立ち休憩を終えて,14時15分,また歩き出す.
 14時23分,樋沢の不動明王(お不動様)の掲示板が立っている場所に到着する.
 お不動様の概要は,下の写真の通りである.明応2年(1656年)に作成されたというから,かなり古いお不動様である.

<お不動様の案内板>

■畑中の土道
 舗装道路から,”不意に”という感じで左折して土道に入る,私が土道に入る頃には,先頭はもう土道の先でさらに右へ曲がって歩いている.
 ”一体,どこへ行くんだろう…”


<畑中の道を行く>

■小さなお堂にお不動様
 右に曲がった路地の突き当たりに小さなお堂がある.不遜な話で恐れ多いが,私はこのお堂を見た途端に,一昔前の公衆トイレを連想してしまう.罰当たりな話で恥じ入るが…
 お堂の中に入って見る.
 中に入って右を見ると,ちょうど格子戸のある側にお赤い衣裳を着た不動様が祀られている.

<お不動様のお堂>

<八幡神社>

■左折して急坂を登る
 14時24分,お不動様の参拝を終える.再び舗装道路に戻って,続きを歩き始める.
 14時27分,バス停樋沢公民館前で左折して,急な登り坂の草道に入る.
 ”一体何処へ行くんだろう…”
と少々不安になる.

<バス停樋沢公民館前で左折する>

■八幡神社
 道幅が狭い階段道の突き当たりに小さな社殿が建っている.旅行社が配布した資料には八幡神社と書いてある.
 講師が,私たちを社殿に向かって左奥へ誘導する.
 ”一体,何があるんだろう…?”

<八幡神社>

■葛籠石と八幡太郎義家の馬の蹄跡
 社殿の左側に狭い平地がある.一度に全員が入ることができないので,私は後ろの方で辛抱強く順番を待つ.
 やっと順番がきたので平地に入る.鬱蒼とした杉林の中のジメジメしたところに巨石が幾つか置かれている.その先に数基の石塔が並んでいる.
 どうやらここが,葛籠石と八幡太郎義家の馬の蹄の跡が付いている石のようである.詳しいことは下の写真参照.


<葛籠石と八幡太郎義家の馬の蹄跡>

<樋沢の大沼>

■草道に入る
 14時32分,左折して轍のある草道に入る.
 ”こんな枝道に入って…一体,どこへ行くんだろう…


<草道に入る>

■樋沢の大沼
 14時35分,樋沢の大沼に到着する.ただ,現在は,この沼は干上がっていて水はない.
 ここは坂上田村麻呂の伝説があるところである.詳しくは下の写真参照.
 14時37分,沼の見物を終えて,往路を戻る.



<柿沢の大沼>

<いよいよ越堀宿へ>

■越堀宿の概要
 資料3によると,「越堀宿は江戸時代初期の寛永12年(1635年)、仙台藩の藩主伊達家が参勤交代で仙台の帰国途中に大雨となり那珂川が増水し渡れなかった為に仮の宿所を設営したのが始まりとされ、正保3年(1646)に正式に奥州街道の宿場町となりました。
 江戸日本橋からは24番目にあたり、江戸時代後期には本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠10~11軒、総戸数113軒が軒を連ねていました。享和2年(1802)旧暦6月19日(西暦7月18日)には第三次伊能測量隊も越堀宿を利用しており本陣河内屋源蔵邸で宿泊しています。
 越堀宿は黒羽藩領に属するものの、天領に属した鍋掛宿と距離も近く2つの宿で1つの宿場の役割を担い、藩領が入り組んでいた為、江戸時代後期には数箇所に藩の境界石が建立され、その内の1つが浄泉寺の境内に移築保存されています。現在は緩やかな曲線道路ですが宿場の出入口は枡形だったようで越堀公民館前には「此の地 奥州街道越堀宿 枡形の地」と彫り込まれた石碑が建立されています。明治時代の大火により多くの建物が焼失し、道路の拡幅工事などで当時の宿場町の雰囲気は失われています。」(以上コピペ)

■鍋掛愛宕峠の一里塚跡
 14時35分,鍋掛の一里塚入口に到着する.
 道路から左折して急階段を少し登ったところが(下の写真で手すりが見えている場所),鍋掛の一里塚跡である.
 ここは江戸日本橋から41番目の一里塚である.詳細は下の案内板の通りである.


<鍋掛愛宕峠の一里塚>

<愛宕神社(鍋掛神社)>

■鍋掛神社鳥居

 一里塚脇からさらに石段が続いている.石段の先に鳥居がある.
 どうやら,この神社までは登らないようである.私はこの神社の写真だけでも撮っておきたいと思う.そこで,講師に,
 「…ちょっと神社の写真を撮ってきて良いですか…すぐ皆さんの後を追いかけます…」
と了承を得てから,数十段の石段を駆け上がる.
 14時40分,石段の上にある愛宕神社鳥居に到着する.
 鳥居の先は昼なお暗い杉林が続く.その先に社殿らしい建物が見えている.
 ”うわっ!,まだ先だな…”

<鍋掛神社鳥居>

■鍋掛神社社殿
 ”あまり遅くなってもマズイナ…”
と思ったが,折角石段を登ってきたのだから…という訳で,駆け足で社殿まで進んで,急いで参拝を済ませて,社殿の写真を撮る.立派な社殿である.
 鍋掛神社の由来は案内板の通りである(下の写真).
 そして,急いで今登ったばかりの石段を下る.そして先ほどの一里塚へ.さらに階段を下って,奥州街道に戻る.
 一行は私より50メートルほど先を歩いている.少し登り坂である.
 平素,丹沢塔ノ岳を週に1回は登っている私は,速歩で歩くのは馴れているので,50メートル程度の距離で,しかも少し登り坂.すぐに一行に追い付く.


<愛宕神社>

■ファミリーマートで休憩
 14時47分,大きな交叉点の角にあるファミリーマートで休憩を取る.少々蒸し暑い.私はガリガリ君でも…と思ったが,取りあえずは止めておこう.

資料1;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%88%E5%BE%85%E5%A1%94
資料2;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%82%A3%E9%A0%88%E5%A1%A9%E5%8E%9F%E5%B8%82
資料3;http://kaidou.mitsu-nari.com/totigi/horikosi/horikosi.html
                                 (つうく)
つづきの記事
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