中高年の山旅三昧(その2)

■登山遍歴と鎌倉散策の記録■
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奥州街道(白河の道);第4回;2日目(2);浄泉寺と越堀の大杉

2017年07月11日 06時41分27秒 | 奥州街道

                                     <急坂を登って越堀の大杉へ>

    奥州街道(白河の道);第4回;2日目(2);浄泉寺と越堀の大杉
           (クラブツーリズム)
       2017年5月17日(水)~18日(木)
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  ↓
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/d48623acdad57689753c6dae7ae7b6c7

<ルート地図>



→クリック拡大
※資料1より引用

<鍋掛宿から越掘宿へ>

■那珂川を渡る
 ストレッチを終えた私たちは,8時19分,昭明橋の鍋掛宿側から歩き始める.
 また例によって,もたもたして要領の悪い私は列の最後尾を歩くことになる.でも,列の後ろを歩くのは実に気楽なのでありがたい.
 橋の真ん中で立ち止まって,川をのぞき込む.両岸は深い新緑で覆われている.川は淵のように水をたたえている.少し上流を見ると,小川が多岐になって流れ込んでいる.なかなか見栄えのある風景である.

<昭明橋を渡る>

■越堀宿の概要
 今のところ越掘宿について根拠が明確は資料は見つけられないが,旅行者から配付された資料によると,「本陣1軒,脇本陣1軒,旅籠11軒,総家数113軒,人口569人.越掘宿は奥州道中の他の宿駅に比べるとかなり遅い正保3年(1646年)に解説された.寛永12年(1635年)仙台の伊達公が参勤交代で江戸に向かう途中,那珂川の増水でなかなか通れず,越堀に小屋を設けて水が引くのを待った.後にこの小屋を中心に町ができて宿駅になった」という.
 なお,浄泉寺境内に立っている下の写真の案内板にも越堀宿の説明がある.


■本陣跡
 橋を渡ると越堀宿である.
 那珂川を渡ってすぐに左折する.
 講師の説明によると,もともとの奥州街道は,今私たちが渡った橋よりも80メートルほど下流の位置にあったとのことである.
 8時25分,本陣跡と思われる場所を通過する.今,本陣跡には民家が建っていて,本陣の面影は全く残っていない.

 <本陣跡>
 
<浄泉寺>

■長い石段
 8時30分,浄泉寺参道入口に到着する.すぐ先に長い石段が見えている.
 ”うぇ~…,あの石段登るのか…”
 歩き出して,すぐに長い石段登りが待っている.

<浄泉寺参道入口>

■黒羽境界石と明治天皇御駐輦碑
 8時28分,石段を登り詰めると,大きな木の前に到着する.
 木の下に,大きな石塔が2基立っている.
 向かって右側が明治天皇御駐輦碑,左側が史跡黒羽領境界石である.同行講師の説明および案内板の記事によると,「黒羽藩は藩の境界を明確にすることを目的にして,文化10~11年(1813~1814年),数ヶ所に境界石を建立した.折しも,藩主が大坂城に勤務していたときだったので,これらの碑は大坂で作成して,船便で運んだ」とのことである.
 例によって,グループの一番後ろからのこのこと付いていった私は,これらの石塔に近付いて写真を撮る間もなく,この場から移動する.これらの石塔をアップした写真を撮ろうかと思ったが,急に,
 ”まあ,いいや…”
という気分になる.


<境界石と明治天皇御駐輦碑>

<境界石>

<明治天皇駐輦碑>

■浄泉寺本堂
 続いて浄泉寺本堂を詣でる.それほど大きくはないが真新しくて綺麗な建物である.
 資料1によると,この寺は真言宗.見滝山龍法院浄泉寺という.明暦元年(1655年)宥春和尚が開山.境内入口に髙久靄厓の碑があるとのこと.


<浄泉寺本堂>

<越堀の大杉>

■長い石段と登り坂
 8時31分,白い鳥居の前に到着する.
 鳥居の先には随分と長くて急な階段が見えている.
 「さあ,これから長い階段と坂道を登りますよ…」
と講師が私たちを促す.
 なるほど休憩舎で長い石段である.やっと石段を登り詰めると,さらにその先はちょっと足場が悪い山道が続く.首位は鬱蒼と茂る杉林である.坂の途中で登るのを諦める人も居る.

                      ↑
                       (続きの山道) 

<長い石段と急坂の連続>

■越堀の大杉
 8時35分,やっと坂道を登り詰めて,越堀の大杉に到着する.
 なるほど大きな杉である.資料1によるとこの杉の樹高は約20メートル,周囲5メートルの大木である.
 案内書には「浄泉寺境内からは木々に覆われていて見えないため,近付くにつれ,思わぬ大きさに驚かされる.苔むした約50段の階段を上がる価値あり」と紹介されている.


<越堀の大杉>
 
■小さなお社
 大きな杉の見物を終えて下山開始.途中でやや小振りだが立派なお社の前を経由する.
 8時44分,先ほどの鳥居のところまで降りる・

<小さなお社>

<枡形と石塔群>

■枡形
 8時44分,枡形の石塔の前に到着する.
 私見だが,この辺りの道が言われてみれば少し左右に曲がっているようにみえる.この辺りが枡形だったんだろうなと想像しながら通過する.

<枡形の碑>

■二つの石塔
 8時45分,二つの石塔の前に到着する.
 向かって左側が征馬之碑,右側が坂本軍馬之碑と刻字されている.何れも軍国主義全盛の時代に建立されたもののようである.
 とにかく立派な石碑である.


<立派な石碑2基>

■古い石碑
 二つの石碑の直ぐ近くに古くて大きな石碑が置かれている.刻字は摩耗しているが.坂本屋と刻字されているのが読み取れる.ここに坂本屋というお店でもあったんだろうか.

<古い石碑>

■奥州街道の碑
 さらにその近くに優秀街道の碑が立っている.
 ここには「右これより江戸四十里.左これより白河宿七里」という刻字がある.

<奥州買う堂の碑>
                        
[参考資料]
資料1;パンフレット「鍋掛ウォーキングマップ」鍋掛地域車座談議運営委員会
                                                  (つづく)
つづきの記事
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「奥州街道」の目次
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