中高年の山旅三昧(その2)

■登山遍歴と鎌倉散策の記録■
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桜が満開の鎌倉:衣張山・材木座・住吉城趾を散策する(1)

2009年04月07日 18時41分11秒 | 鎌倉あれこれ

                      <浅間山からの眺望>

     桜が満開の鎌倉:衣張山・材木座・住吉城趾を散策する(1)
             (山旅スクール5期有志)
             2009年4月6日(月)

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 2009年4月4日(土),私は丹沢塔ノ岳に単独山行をした.塔ノ岳から下山する途中で,山旅スクール5期のノシイカさんが登ってくるのに,バッタリ,出会った.擦れ違いざまに雑談をしている内に,鎌倉で桜見物をしようということになった.
 2日後の4月6日(月),早速,桜を愛でながら,ユックリと鎌倉を散策することになった.参加者は,山旅スクール5期のノシイカさん,トドさん,カモメさん,それに私の山仲間の仙人,私を加えて総勢5人である(内訳:男性2人,女性3人).
 参加者は,何れもかなり歩ける方々ばかりなので,歩行距離約11キロメートル,累積登攀高度約390メートルのややハードなコースを歩き回った.
 終日,好天気であった.桜も見頃,それに彼方此方に春の花が咲きこぼれていて,花好きの皆さんの足が,ついつい遅くなる.それでも,鎌倉駅から大町,釈迦堂口,衣張山,長勝寺,光明寺,住吉城趾,材木座海岸を一回りして,夕方,予定通りの時間に鎌倉駅に戻った.
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<ハイキング地図>


 25,000分の1地形図『鎌倉』 

■本覚寺から妙本寺へ
 私は自宅近くのバス停から鎌倉駅西口行きのバスに乗って,集合時間10時ギリギリに鎌倉駅に到着する.駅前は,相変わらず沢山の観光客で賑わっている.同行の4名は,すでに鎌倉駅に到着していて,私が現れるのを待っていた.
 定刻,10時丁度に歩き出す.混雑する駅前を抜け出るように,本覚寺の境内に入る.途端にノンビリとした雰囲気になる.地元の人達や観光客がノンビリと境内を歩いている.地元に溶け込んだこの寺の雰囲気がとても気に入っている.今日は少し長距離を歩くつもりなので,本覚寺は通過して,夷堂橋を渡って,10時25分,妙本寺の境内に入る.
 境内には沢山の桜があるが,今がちょうど見頃である.何時もよりも沢山の観光客が来ている.私達も観光客に混じって,満開の桜を楽しむ.

                    <本覚寺>


                      <桜が満開の妙本寺>


                      <路地を行く>


■常栄寺,別願寺,上行寺を巡る
 10時35分,常栄寺(ぼたもち寺)の前を通過する.閑静な住宅地の中を抜けて,国道134号線に出る.交差点を左折して,別願寺にある足利持氏供養塔を見学する.続いて,国道の反対側にある上行寺を参拝する.境内にある左甚五郎作の龍の彫刻と,桜田門外で大老井伊直弼を襲撃した水戸浪士広木松之助の墓を詣でる.
 次いで安養院脇の路地を抜けて,大町3丁目の自動車道路で左折する.時々通り過ぎる自動車に注意しながら,北北東に歩く.
 ※常栄寺,別願寺,上行寺は,このブログで度々取り上げているので,
  今回は説明は省略する.

                   <左甚五郎作の龍:上行寺>

■大宝寺
 10時54分,自動車道路から少し中に入ったところにある多福山大宝寺に到着する.
 1444年(文安元年),日出上人が開山した.日出上人は本覚寺も開山している.この寺の場所は,常陸佐竹氏の祖である新羅三郎義光の屋敷跡だとのことである.
 新羅三郎義光は,後三年の役で功績を立てた.そこで,館のそばに神社を建てた.これが多福稲荷として大宝寺の守り神となったという.
 境内を見せて頂く.訪れている人は誰も居ない.寺の後には祇園山が連なっている.祇園山には沢山の山桜が咲いている.実に綺麗である.

                         <大宝寺>

■釈迦堂口切通から田楽辻子へ
 11時頃,大宝寺から歩き出す.
 大町の住宅地を北上する.周囲の山並みの至る所で沢山の桜が満開である.気温は寒くも暑くもなく,とても気持がよい.道路に面した住宅の庭には,多種多様な花が咲いている.花好きな女性群は,花に見とれて,ついつい足が遅くなる.痺れを切らした仙人が,どんどんと先へ行くが,結局は全員が揃うのを待つ.
 「あんまりに遅いと,疲れますね・・」
と仙人が小声で私に言う.
 11時20分,釈迦堂口切通に到着する.ここは釈迦堂ヶ谷と大町,名越を結ぶトンネルである.このトンネルが掘削された年代は不明のようである.辺りには,1224年(元仁元年),三大執権北条泰時が父義時を弔うために建てた釈迦堂があったといわれる(鎌倉商工会議所,2007,p.56).

                    <釈迦堂口トンネル>

■田楽辻子から平成の巡礼道へ
 釈迦堂口トンネルを通過して,釈迦堂ヶ谷を下る.そして「田楽辻子」と言われる道に到着する.田楽辻子は報国寺前の宅間ヶ谷と犬懸ヶ谷を結ぶ小径のことである.この辺りに田楽師の家があったことから,この名前が付いたと言われる(鎌倉商工会議所,2007,58).
 犬懸ヶ谷の十字路を右折して,平成の巡礼道に入る.やや急な登り坂になる.舗装道路である.坂の両側には住宅が続く.5分ほど登ると住宅が途絶えて,衣張山登山口に到着する. 登山口から登山道に入ると,途端に薄暗い杉林の中の道に変わる.勿論,未舗装の狭い道である.谷戸を突き当たると,ジグザクの急坂になる.それ程長い坂道ではないが,結構な急傾斜なので,ユックリ登らないと,たちまちの内に息苦しくなる.

                   <田楽辻子のみち>

■石切場
 山頂直下の三叉路を左折すると,登山道はやや下り坂になる.そして,石切場跡に到着する.石切場の入口から中に入る.奥の方は,薄暗くなっていて気味が悪い.石切場の岩肌には無数の鑿の跡が残っている.ここから,俗に鎌倉石といわれる石材が切り出されていた.正確なことを知るよしもないが,口伝てに聞いた所では,関東大震災頃までは,この石切場が稼働していたようである.鎌倉石は大屋石と同じ凝灰岩である.
 石切場の前からの眺望は素晴らしい.遠く天園の山々が見えている.誰かが「一目千本」と言っていたが,天園の山々には,今,正に満開の桜が沢山見えている.実に素晴らしい風景である.

                      <石切場>

■衣張山山頂で昼食
 石切場から,ほんの10メートルほど急坂を登ると,衣張山山頂(標高120m)に到着する.山頂の広場では,数名の登山客が休憩を取っている.
 衣張山には,源頼朝が山頂を白絹で覆って雪山に見立てたという伝説がある.
 山頂からの見晴は素晴らしい.左手には相模湾が見えている.目の前には稲村ヶ崎や,大仏から源氏山に至る尾根,それに遠くには藤沢の街並み,大船観音などが見下ろせる.私は,ときどきここを訪れるが,ここからの風景を眺めていると,自分が鳥になったような気分になる.
 私達も,山頂の広場で昼食を摂ることにする.
 早速,主婦の皆様から,いろいろな食料の差し入れがある.これだから,男共だけのハイキングより,主婦が参加するハイキングの方が歓迎されるのは当然だろう.
 食事を摂っていると,たちまちの内に,トンビのねらい打ちに合う.結局,何かを取られた訳ではないが,トンビの襲撃を2回ほど受けてしまう.

                  <衣張山からの眺望>

■かまくら幼稚園前
 12時42分に衣張山を出発する.
 尾根道を辿って,12時48分,浅間山山頂(標高120m)に到着する.ここからの眺望も素晴らしい.目の前には,鎌倉逗子ハイランドの住宅街やパノラマ台が見えている.右手には材木座海岸,由比ヶ浜海岸が見下ろせる.
 尾根道が終わって,坂道を下ると,かまくら幼稚園前に出る.ここは富士山が綺麗に見える名所である.ただ,今日は遠くに春霞が立ち込めていて,残念ながら富士山は見えない.それでも,道路沿いのベンチは,全部,観光客が座っていて,空いているところはない.

             <一目千本桜:衣張山と浅間山の中間から>

                           (つづき)

[参考文献]
鎌倉商工会議所(監),2007,『鎌倉観光文化検定テキストブック』かまくら春秋社

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